Jou光

  • 親父
    彼は子供の時から絵が上手いと、親の欲目で思っている。目の前でさらさら描かれると、ついつい感嘆してしまう。世の中いっぱい絵の上手い人はいるが、この道で飯が食えるのはスポーツ選手と同じで極一部。でもとにかく趣味でも良いから絵を描くことは続けて欲しいと願っている。

春爛漫

  • ぼけの花
    柿茶の里は徳島県美馬郡つるぎ町に位置する。柿の葉の生産農家へ毎年春と秋に行く。春はことさら美しい。桜が咲き乱れ山の木々が新緑に包まれる。澄んだ青空に身も心も洗われる気がする。

アユタヤ遺跡

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    1491年に建てられた王族の守護寺院。3つの大きな仏塔には、ラーマティボディ2世と父、兄の遺骨が納められています。 寺院ではありますが僧は居住せず、王の礼拝堂として王族の儀式に使用されていました。この寺院もまた、1767年ビルマ軍により破壊され、16mあったという金で覆われた仏像も金を奪われた後、壊されてしまいました。

暁の寺院 タイ

  • Pict0350
    トンブリ王朝時代の守護寺で最高位の寺院とか。きらきらと輝く陶器の破片に覆われた高さ約79mの大仏塔は、ラマ3世により5年がかりで改装された。朝日を浴びた大仏塔の神々しい姿が”暁の寺”の名前の由来。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

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    セイロンへの留学から戻ってきた僧侶のために、1357年初代王ウー・トーンが建立しました。仏教寺院は瞑想の場として使用されていました。現在も多くの仏教徒が訪れ、週末は観光客でにぎわいます。

水上マーケット

  • Pict0116
    ダムナン・サダックの水上マーケット。その昔、”東洋のベニス”と言われたバンコクでは、日常的商取引には運河が利用されてきた。水上マーケットは、古き良き時代の情緒溢れるバンコクの生活を体感させてくれる。 

2008年7月 タイ王宮

  • Pict0429
    白壁に囲まれた20万㎡の敷地内には、1782年に建設された国王の宮殿、即位式の建物、王室守護寺院のエメラルド仏寺院などチャクリー王朝歴代の王により建造・改築された建物が建ち並んでおり、ラマ8世までは実際にここに住まわてていたとか。

涅槃寺

  • Pict0386
    タイ語で Wat Pho(ワット・ポー)と呼ぶこの寺は、ラマ1世が建立したバンコク最大の境内を持ち、バンコク最古の歴史を持つ寺院。本堂には写真のようなリクライニング・ブッダの愛称で親しまれている寝釈迦仏が横たわる。足の裏には螺細細工でバラモン教における108の宇宙観が表現されていると言う。

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金魚

  • 金魚

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地球雑貨

読谷村に地球雑貨という店がある。2回は行ったと思うが毎回道に迷う。

今回も迷った。

調べると正確な住所は、

〒904-0305 沖縄県中頭郡読谷村都屋157-1

電話:098-956-1168

↓ 地 図 

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主に、インド、マレーシア、インドネシア、タイ、中国、メキシコといった世界各地の雑貨や家具を輸入・販売している。

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中はもちろんの事、店先にも多くの品物が並ぶ。

所狭しと並ぶ雑貨を見るだけでも実に楽しい。

↓ 店内の様子

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家のフェンスに何か飾るGoodsを探しに行って、水牛の角で出来た小鳥の置物を買った。

帰りに残波岬にオープンしたレストランや土産店が入る施設に行ったが、緊急事態宣言発出中で閉まっていた。

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↓ 1967年創業、沖縄初のドライブインレストラン「SEA SIDE DRIVE-IN」。

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冷蔵庫の製造業者として米軍基地に出入りしていた創業者が、基地内のレストランを見てそのスタイルを気に入り、地元である恩納村にオープンした。

NHKで数年前、このドライブインを利用する人間模様を放映していた。

ここで売られているスープが安くて美味だと・・・。

私も食べたが、ほんと! うまかった。

備瀬の福木並木

美ら海水族館から少し北に行くと備瀬の福木並木がある。

↓ 赤ポイントの場所

Fukugi

↓ 並木道はこんな感じ

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↓ 夫婦福木、2本の福木が寄り添っている事から名付けられた。

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↑ この夫婦福木は樹齢 300年とか、夫婦円満や幸せを呼ぶといわれる。

↓ 夫婦フクギのある通りは「フクギ並木のパワースポット」らしい。

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本部町備瀬区は2015年に2月9日を「フクギの日」と定め、区を「フクギの里」と宣言。

↓ その記念碑

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↓ 並木の海側には伊江島が見える

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フクギはオトギリソウ科の植物。

このフクギを並べて植えることで天然の防風林・防潮林としての役割を持たせている。

台風が多い沖縄にマッチした木と言えよう。

カンカン照りの日でも並木道に入るとひんやりして癒される。

葉っぱから何か癒し成分が降り注いでいるに違いない。

キジムナー

キジムナーってご存知でしょうか?

沖縄の道路を走っているとちょくちょく ↓ こんな像を見かける。

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↑ 瀬底大橋を渡るとすぐの道路際にあるキジムナー

昨今のユルキャラブーム、これもそのひとつかと思っていたら、全く違っていた。

このキジムナー、由緒ある妖怪で沖縄に昔からいる火の精霊。

ガジュマルの樹に住み着いていると言う。火の精霊が何故樹に宿っているのか? 分からないが・・・。

ネット情報(Travel Book)によると、

キジムナーは火の精霊なので赤い髪をしていて、背丈は人間の子供程度。

しかし、見た目の年齢・身長など自由自在に変えられる妖怪と伝えられており、地域によって見た目の伝承が異なっている。

一般的な妖怪と異なるのは、人間の生活に溶け込んで生活しているものが多いということ。

座敷童のように、家のガジュマルの樹に住み着くと福の神として裕福になると伝えられ、沖縄の人に古くから愛されている。
キジムナーに嫌われてしまうと、反対に家が滅びるといわれてきた。

キジムナーが漁を手伝ってくれると大漁になったり農作業を手伝うと豊作になったりするとも云われる事から、漁師や農家ではガジュマルの樹は大切に育てられてきた。

↓ 壁画のキジムナー

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↓ ネットで見つけた すごいキジムナー

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ちなみにガジュマルの樹は ↓

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さかいで里山マップのご紹介

月に一度 元丸亀走友会の連中と里山に登る。

坂出市観光協会が発行しているこんな冊子を見つけたのでご紹介。

里山の候補選びに役立っている。

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坂出の山々は五色台に代表される台形型(メサと言う)と

飯野山に代表される おむすび型(ビュートと言う)が多く見られるとの事。

確かに!

前田城跡

私のお墓は香川県高松市前田西町にある。

「高松市史跡・前田城跡」と書かれた3~400坪の墓地についてこんな記事を入手したので紹介。

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曰く、

この城は戦国時代末期に長曾我部氏の侵攻により落城。

最後の城主・前田甚之丞は、敵はもちろん地元でも恐れられた武将でした。

人の身長ほどの高さなら武器を持ったまま軽々と飛び越し、主城の十河城が敵に包囲された時でさえ、
夜な夜な城を抜け出し食料を持ち帰ったほか、敵の大将の命を狙うなど大胆不敵な行動を繰り返して
いたと伝わる。
甚之丞 は木太町にある溝塁堅固の城と言われた向城をはじめ十河氏と敵対していた香西氏側の城を
容赦なく攻め滅ぼしたので 、地元前田でも泣く子を泣き止ませる時には「甚之丞 が来るぞ」と脅した
と伝わる。

甚之丞 は最後の時を迎えるにあたり、城にこもるのではなくあくまで戦う事を選びました。
彼の討ち死にしたと伝わる場所は城から南に500mほどの所にある。

我が先祖、すごい。

↓ 場所(中央)

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健康への道しるべ 第152号のお知らせ 令和3年7月20日 発行

第152号 心と体の健康生活:令和3年7月20日発行

■ 発行:健康への道しるべ友の会 編集 増田 桂子

■ 〒420-0962 静岡市葵区東1-14-31、Tel:054-245-8141、Fax:054-245-6142

■ 年間 購読料:2,500円

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今回のメイン記事は「ハンドパワーの不思議」

「手当て」すると言う言葉、そのまま患部に手を当てる意だが実践すると良く解かる。

心臓手術痕が良く痛むが、手を当てるとその痛みが緩和された気分になる。

金 山

元丸亀走友会の「有志老人3人会」が毎月行う山登り、7月度は、坂出市江尻町にある金山をチョイス。

登り口に選んだのは「八十場のところてん」で有名な店の横からのコース。これが大きな間違いの元だった。

↓ 登りはじめてすぐ「金山大神」の鳥居があった

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↓ この鳥居をくぐりしばらく登ると、二つ目の鳥居の奥に神社がみえてきた。

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この神社は昭和62年に再建されたらしく「神社再建の由来」を記した立派な石碑があった。

曰く、

その昔 江尻村の春市・夏祭りは山の金山市と海のお恵比寿さんに代表されていました。
金山市には招待したお客さんと共に家庭の自慢料理の押し抜き寿司や酒肴を持参して
金山神社(権現さん)に参詣し、わらびやつつじの花に囲まれ小鳥のさえずりを聞き
ながら野外食を楽しみました。
金山神社は金山の山の神であり旧江尻村の守護神でもあります。又どんな日照りの
年でも一度も渇れた事のない江尻の命水の水源の守り神でもあります。
金山市が廃れて久しい年月が流れ、その間神社は粗末にも荒れ放題で誠に畏れ多い
極みです。
さきに江尻の「村おこし町づくり」のために子ども太鼓台をつくってくれた江尻
子ども会の世話人や江尻親睦会、体育会の世話人の間でその昔さかんだった江尻
の祭り復活の話しが進められております。
この度 金山神社再建世話人の吉田清美氏、中条 巧氏及び若谷 猛氏のご尽力により
町内のご有志の皆様に浄財をお願いし立派に再建できました。

とある。

神社の横に瑠璃光寺 ↓

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神社から上の道を辿るも山頂への道らしきものはなく、ここからは行けない事が判明。

全く反対側からアプローチしたみたい。

また下まで降りて最初の登り口(下の地図の右側)の真反対からようやく登れた。

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金山の標高は281m、カンカン石(サヌカイト)が多く産出する山で、山道のそこらじゅうに転がっている。

カンカン石は叩くとカンカンと金属のような音がする。

カンカン石の山から金石の山、金山と呼ばれるようになったと言われている。

坂出の山の特徴は「メサ」と「ビュート」で「メサ」は1400万年前に水平に流れた溶岩台地の周囲が浸食され、
五色台や屋島のような山頂が平な台形状なった山地のこと。

メサが更に浸食して三角の形になったのが「ビュート」、その代表が飯野の山。

おむすびの形をしたビュートの山々が平地からせり出し、その間に点在するため池の組み合わせが香川県の独特の景観となっている。

流石この日は疲れて、歳を感じさせられた。

ブセナ海中公園

漢字で「部瀬名」と書く。

ここは沖縄海岸国定公園の中にあり、海中公園には生物のすみ家として重要なサンゴ礁が発達している。

海中展望塔の場所はこちら ↓ 部瀬名岬の突端。

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↓ 展望塔入口

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↓ 170 m先に展望塔がある

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塔内のらせん階段を降りていくと、

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のぞき窓がある。

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窓の外には豊かな魚の群れが ↓

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健康へのトビラ Vol.27

令和3(2021)年 7月 1日発行 Vol.27

編集・発行:NPO法人健康を考えるつどい

〒762-0011 香川県坂出市江尻町1220 TEL:0877-45-8441  FAX:0877-45-8444

今回より金沢にお住いの豊岡 倫郎氏 執筆の「健康情報」を毎号お届けします。

今回のテーマは『体の危機管理とは?』です。

豊岡倫郎氏のプロフィール

昭和13年8月生まれ。

金沢大学法文学部経済学科卒業。

定年後、金沢市内の公民館で健康問題に関心のある人たちに来ていただいて、毎月一回 健康講座を開催。

かれこれ18年間続けている。

健康法の道に入ったきっかけは、35歳の時に「甲田式西式健康法」で有名な八尾市の甲田光雄博士の診察を受け、慢性胃腸病が治った事。

その後西式健康法のみならず、自彊術、ヨガ、気功術、食事療法、運動療法など様々な健康法を体験し、またいろいろな健康法の知識を吸収し、現在に至る。
自彊術は中伝の資格取得。

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色彩を健康生活に活かす By 豊岡 倫郎 氏 2021年6月30日

1.健康生活の中の色彩

健康法上見逃すことが出来ないものに色彩学がある。顔色と病気、食物の色と臓器、太陽光線と食物、服装の色と体への影響などについて、解説します。

2.顔色と病気の関係

色彩と生体は関連が深く、顔色を見れば大体どの器官が悪いかわかる。白い色は肺臓に影響するし、黒い色は腎臓、副腎に、紫色は循環器障害、呼吸困難に、青色や蒼白は胃腸に、緑色は脾臓に、黄色は肝臓に、赤は心臓に影響する。

3.病気と食べ物

上述したように顔色を見れば、どの器官が悪いかわかることになるから、顔色に合った色彩の食物を摂れば、病気が治って健康色の桜色に戻る。なお手のひらの色も大体顔色と同じ傾向があるからチェックしてみることも必要である。  

例えば白い顔の人は肺が悪いから、白い大根、ネギの白い部分、とろろ芋などを摂ると良い。

顔色の黒い人は、腎臓系統が悪いから、黒ゴマ、黒豆、昆布などを摂ると良い。顔色の青い人は緑黄色野菜を摂る。顔色の黄色い人は肝臓が悪いから、黄色い食物、つまりミカン、ニンジン、レモン、カボチャなどを摂る。顔色の赤い人は心臓が悪いから、赤いトマト、赤いカブラ、赤い鮪の刺身、リンゴなどを摂る。そうすれば次第に健康色の桜色に戻ることが出来る。

4.太陽光線と野菜や果物の収穫タイミング

太陽光線を分光すると、七色に分かれる。即ち紫,藍、青、緑、黄、橙、赤で、これが人間の眼で光として認識できる可視光線領域である。因みに太陽光線にはこれ以外に、この可視光線よりも波長の短い領域に紫外線があり、逆に長い領域には赤外線がある。

そこで一日の可視光線は朝は紫から始まり、夕方には赤で終わりを迎えるが、夫々の色が一番その波長が活発な時に、野菜や果物を収穫すると、その生命力も一番活発になっている。例えば朝には紫色のナスを収穫し、昼頃には青い色の青菜やキュウリ、夕方にはトマト、カキミカン類を収穫すると、栄養成分も一番充実していて、長持ちするし、損傷も少ない。

5.色彩と性情の関係

赤色は活気、情熱、喜び、興奮の現れを現わす。深紅色は激怒、激烈を。朱色は獣的な愛情を。黄色は向上心、快活、明朗、明快、興奮を。橙色は喜びを。緑色は嫉妬を。青色や黄色は後悔、失望、失意を。紫色は温厚、優雅、従順を。黒色は憎悪、怨恨、恐怖を。灰色は謙遜、恐怖を。白色は清浄、潔白を。桜色は穏健、優雅を現わしている。

従ってこれらの性情を考慮して、これらの色素を食物で補給したり、逆に制御したりすると同時に、被服の面でも配慮することで、段々精神的にも安寧をもたらすことが出来る。

6.色彩の好みと若い女性の性格

紫色の衣類を好む娘さんは、非常に内気で、言うべきことも言えないような内気な人で、他からプレッシャーを受けると、精神状態が混乱することも起こりかねない。従って紫好みの娘さんは、時々赤い色の衣類も用いるようにして、バランスを取ることが大事である。

赤い色の衣類ばかり好きな娘さんは、非常に活発で、お転婆さんになり易いから、幼い時から余り赤い衣類ばかり着て、育てるのはよろしくない。赤好きの娘さんには、時々紫色の衣類を着せて、調和を図ることによって、あまり活発過ぎるのを抑えて、程よい性格の娘さんにすることが出来る。

7.色彩と体の部位別服装

健康を保持する上で、人体各部の服装の基礎的な色彩は.次の通り。頭部は藍色がよく、手ぬぐいや帽子も藍色に近いものが良い。咽喉部は空色が良く、肩掛け、マフラーはこの色にする。

ご婦人の洋服の襟も空色系統にする。下腹部は赤色が良く、パンツの色もこれで元気が良くなる。足部は藍色が良く、靴下は紺色が理想的である。

8.色彩と波動の関係

色彩を可視光線として目から認識するだけでなく、体全体で感ずることが出来るという。例えば目隠しをして、内部を黒色にした部屋に入っているときは、気持ちが陰鬱になるし、真っ赤にした部屋に入っているときは、明るい気持ちを抱くという。それぞれ違った感覚に陥ることが実験で証明されている。また三重苦のヘレンケラーが色の認識を皮膚から感じ取っていたと、本に記述されている。

皮膚は色を感じ取ることが出来るようである。一説によると、夫々の色から波動が発信されていて、それを肌で感じ取っているらしい。ただし誰にでもできる技ではない。現代人はもはやどっぷりと文明の利器や暴飲暴食で、体全体が鈍感になってしまっているので、普通の人では無理かもしれない。

9.皮膚の健康法

内皮は外皮に通じる、という言葉が有る。腸のきれいな人は肌がきれいである。腸がきれいということは、腸内環境が良いということを意味している。顔や手のひらに悪い徴候の色が出るような人は、先ず腸内の宿便を排除することが最優先事項であることを認識する必要がある。

10.まとめ

1)漢方には未病を治すという言葉が有る。これはまだ病気になる前段階の兆候をつかみ、対処することによって、未然に病気を防ぐという意味である。だから顔色を観察して、病気の兆候を見つけることの意義もここにある。

2)上述した様に顔色と体内臓器の疾患との関係から、顔色に合った食べ物を摂取すれば、疾病を治し、健康色の桜色になる方法を解説したが、食物だけでなく、顔色に合った色彩の衣服を着ることも、同じ意味で必要である。赤ん坊には赤い服が良く、黄疸の人には黄色の下着が良い。

温かい季節になると、家の中ではTシャツ一枚で過ごす事も多い。店にはいろんな色の物が売っているから、試しに着て過ごしてみてはどうか。

3)では何故皮膚に現れた該当疾患の色の物を食べたり、身に着けたらよいのか、疑問に思う方もおられることと思う。その訳は身体内部の臓器に、その色素が欠乏している事を示しているからである。これが「症状は即ち療法である」という根拠から生まれた療法なのである。

4)最近の大型テレビは鮮明に人の顔が大写しされる。いろんな人達の顔色だけでなく、顔のいろんな部位の状態をも観察して、健康状態を推測するのも、役に立つことがあると思う。興味がある人は、病気の予兆についての本も出版されているから読まれると良い。  

おわり

新型コロナワクチン接種 2回目終了

昨日無事2回目のワクチン接種が終了。

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1回目より2回目の方が副作用が出ると聞いていたが、1回目同様なんともない。

それどころか1回目はあくる日注射痕が痛かったかが、2回目はそれも軽い。

年寄りほど何ともない と聞いていた。それはそれで何だか悲しい!

ファイザー社製のワクチンだと、2回目接種から1週間目で抗体が働きだすという。

それまでは今までどおり自重しなければならないし、1週間後も伊達マスクは必要だろう。

臨時の「新型コロナウイルスワクチン予防接種済証」も頂いた。

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ちなみにワクチンはファイザー社製。

2021年7月 健康スクール予定

↓ クリックすると大きくなります。

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柿タンニンパワー

2021年5月31日 NHK シブ5時で柿タンニンの話題があった。

題して<キニナル!>再注目!柿タンニンパワー

城 山

長年城山のふもとに住んでいたのに一度も歩いて登った事がなかった。

山頂にゴルフ場があり、そこで下手なプレーは何回もしたことがあるが・・・。

しろやまと書いて「きやま」と読む。

私の息子の名前もそこから一字取った。

ここで城山の由来 ↓

城山は我が国最初の国立公園・瀬戸内海国立公園(1934年指定)の一画で、古代の城の総称である「城」をそのまま山名としている。

讃岐岩質安山岩の頂上附近に朝鮮式山城跡がある。

梶君という高校の同級生がいて、聞くと子供達に城山で野外活動のボランティアをしていると言う。

その話も聞いていたので6月の「こんぴらWalk」は城山(標高 462m)に登ろうという事になった。

↓ 地図

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登り口は帰りに温泉につかれる城山温泉登山口(地図右上⑥ )と決めた。

まず竜王宮を目指す。

登る人が少ないのか道はかなり荒れていて迷いながらも何とか到着。

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竜王宮から明神原を目指したが、途中道が分からなくなり完全に迷った。

で、ひたすら獣道を登ることになった。

明神原への矢印もなく迷ったが、後で反省するに木に赤いテープを巻いてあったのが目印だったと思う。

急な坂道をひたすら上へ上へと木々の枝を振り払いながら登ること1時間強。

広い道に出るのだろうか? 行き止まりで引き返す羽目になるのか? と心配しながら・・・・。

引き返すのが一番嫌だった。

登るのは木の枝につかまりながら何とか足場を確保できるが、下りは滑るのが怖い。

おまけに足元は落ち葉が積み重なり滑りやすくなっているし急勾配だ。

それでテレビ塔のある広い道に出て来た時には本当に安堵した。やれやれ!

そこからは広い道を辿って山頂へ。

この日は薄曇りで眼下に広がる讃岐の山々はけむっていた。

↓ 晴れた日は

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展望休憩所で各自持ってきた弁当を食す。

展望休憩所付近の地図 ↓

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↓ 史跡城山の説明看板より

城山は標高462mとこの付近の最高峰の山であり視界は極めて広く景勝の地です。

山腹は比較的急峻ですが山上部は穏やかに起伏していてその中に西北に向かって口を開く凹地を囲んで城郭の跡がある。

城郭は山上部を中心に二重の石塁で囲まれている。

山頂部の礎石群や内側の石塁の間に城門、水門といった城郭遺構が残っている。

外郭の急峻な斜面付近には、上面が平坦となる石塁や土塁が稜線に沿って約6Kmにもわたって山頂を囲っている。

城内各所にはホロソ石、マナイタ石と呼ばれる石製加工物も確認されている。

築城の時期は詳らかでないが七世紀後半頃に築かれた古代山城と考えられている。

東の明神原には平安時代に国司・菅原道真が雨乞いをしたという古代祭祀の跡もある。

城門や石塁など良く当時の様子を留めており古代史上貴重な遺跡として昭和26年に国の史跡に指定されている。

昼食後は来た道を戻り途中「明神原遺跡」に立ち寄る。

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曰く、

ここ城山の東南に突出するこの山は明神原と呼ばれ、山頂の南側に烏帽子岩といわれる巨石を正面にその南左右に巨石が並び立ち中央は階段状に見える平坦な空地がある。

古代農業によって村造りが行われた頃、部落を見下ろす山頂の巨石・大木を憑代として天より降臨する神霊を招き迎えて豊作を祈る祭祀が行われたが、この明神原の巨石群はその配置から神を迎え祭祀を行う磐境であり、烏帽子岩は神霊の憑りつく磐座と考えられる。

伝えによれば仁和4年讃岐干ばつの時、国守・菅原道真公が城山に雨を祈ったのはここであり、延喜式内社・城山神社は元この地に祈られたと云う。

また城山築城後はその守護神として祭祀されたと考えられ、古代祭祀研究上貴重な遺跡である。

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下山途中で城山不動の滝に立ち寄った。

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ここ数日まとまった雨も降らなかったので水量はほとんどない。

↓ 坂出市のHPより水量の多い時は

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不動明王がある落差15mの滝で坂出のパワースポット。

城山の8合目あたりにあり,弘法大師修行の際,岩壁に不動の像を刻んだことからこの名があるといわれています。

滝のすぐ横に不動明王が祀られており,昔から修験道の場所として滝行を行っていたと伝わっています。

↓ 滝のすぐ横にある不動明王

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不動の滝から下ること約20分、やっと俗世間に帰還した。

とにかく山道は険しい。

 

井上杏那さんの作品 2021年6月

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新型コロナワクチン接種 1回目終了

待ちに待ったワクチン接種の一回目がやっと終わった、2021年6月8日。

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15時30分の予約だったが少し早めに坂出市立病院へ行った。

接種会場は大勢の人でごった返していた。

私のように少し早めに来る人がいるから、混雑するのかも知れない。

接種は30分間隔で設定されているらしく、整理券をもらうと15時30分 組の9番目だった。

まだ15時 組が残っていたので待合廊下でしばらく座っていた。

やがて15時30分 組の番が来て、1番から10番までこちらへ移動して下さいと案内された。

そこで順番に接種予約券や本人確認、予診票のチェックを受け、いよいよ注射場へ。

利き手でない左上腕にプスっと刺され、一瞬で終わった。

えっ~早っ! 打たれたとは分からないほど。

テレビで良く見る注射風景に痛いんだろうとなぁ~と勝手に想像していたから猶更。

注射が終わって15分間は会場で待機。

こうして1回目は無事終了。早く二回目が待たれる。

あくる朝打った所に鈍痛あり。たいしたことはない。

琴弾八幡宮

銭形砂絵で有名な琴弾き公園の近くにある神社。

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↓ 山門

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↓ 山門をくぐると石段が続く、実に長い階段だった。

 本殿まで辿り着き神主に聞くと 381段もあるという。

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本殿までの途中に多くの境内社がある。

↓ 船霊大神

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↓ 須賀神社

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↓ 稲荷神社

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↓ 木乃鳥居 

源氏方は元暦二年(1185)義経が屋島合戦に勝利し更に平家追討の成功を祈願して当社に神馬「望月」とこの鳥居を奉納した。

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↓ 宮阪天神

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↓ 高良神社・松童神社

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↓ 風之神社

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↓ 藏谷神社(祭神・少彦名神)

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↓ 五所神社

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↓ 青丹神社

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↓ 本殿

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この神社が源平屋島合戦と縁があるのを看板で知った。曰く、

源平屋島合戦は「吾妻鏡」によると寿永四年(1185)2月19日から3日間の戦いだったとされている。

ここ琴弾山がこの合戦で源氏の勝利にゆかりの地であることを知る人は少ない。

アト略 ↓

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瀧宮神社

香川県観音寺市大野原井関にある神社。

車で通りかかり見つけたので寄ってみた。

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↓ 本殿

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この神社をネットで調べたが情報は得られなかった。

神社の説明ではないが「瀧宮神社の森」の看板があって曰く、

井関池の上流に位置する神社の社叢林で全体としてはツブラジイを主体とした照葉樹林(森林の群系の一種で温帯に成立する常緑広葉樹林の一つ) といえる。

主体をなすツブラジイ は 胸高幹囲2m以上のもの(推定 200~300年)が10本以上ありアラカシ、エノキ、ヤマモモ、クロガネモチもこれに劣らない。

またクスノキ、サカキ、タイミンタチバナもそれぞれの種としては巨木の部類に入る。

特に タイミンタチバナは古い植生分布の名残りとして学術的な価値が高い。

ちなみに、ツブラジイは関東以西の本州、四国及び九州に見られる代表的な常緑広葉樹。

類種のスタジイと併せて一般に椎の木と呼ばれる。庭木として江戸時代から防火用として垣根などに多用され、現代においても大きな屋敷や寺院にその名残が見られる。

また、 タ イミンタチバナは、海岸付近及び内陸部の林縁に生える常緑小高木。種子島では、立春のころには、葉腋に穂状花序を出し小さい花を密に咲かせる。

勉強になった。

五百羅漢

五百羅漢について元駒澤大学総長・奈良 康明氏はこう書いている。

羅漢さんと言う言葉は私たちに親しい。子供の頃からなじんでいて郷愁にも似た響きがある。

日本中何処に行っても羅漢さんはいらっしゃる。

五百羅漢さんは「野の仏」然として並んでいるし十六羅漢さんは彫刻や絵画、襖絵などに姿を見せている。

羅漢さんの表情は千差万別である。彫刻した石工達が自分の知り合いの人をイメージして彫ったのではないかと言う。

庶民的な顔ばかりである。この点、沈潜と静まりかえった表情の下に限りない智慧と慈悲を秘めた仏・菩薩像とは雰囲気ががらりと変わっている。

目を見開いたり目を細めたり、口を大きく開けて哄笑したり皮肉な笑いをたたえていたり、哀しげな表情を見せるかと思うと刺すような目つきで私たちを眺めたりしている。

自由奔放な羅漢さんの表情の中に、しかし、共通なものがひとつある。眼だ。さまざまな表情の中に眼だけはしっかりと私たちの心を見ている。

喜怒哀楽の表情の中に私たち人間の性を見抜きその愚かさを嘆き、悲しんでいる眼がある。いや、人間の悲しさと愚かさを知り、しっかりと生きていけと言わんがためにこそ、私たちの心を映した表情をして見せている、と言う方が正しいのかも知れない。

そう。それもその筈なので、羅漢さんとは仏法を守護し私達を救ってくれる聖者なのである。

別の文献によると、

羅漢(阿羅漢)は、もとは 仏 の別称であったが、後に仏と区別され弟子を指す言葉となった 。
大乗仏教 では弟子を批判的に阿羅漢と呼び、仏と区別した 。
大乗仏教の漢訳圏では総じて、阿羅漢を弟子と同一視し、菩薩や仏と対置して批判的にみる 俗説が通流した。

禅宗 の中には、阿羅漢だった 摩訶迦葉 に釈迦の 正法 が直伝されたとして、釈迦の弟子たちの修行の姿を理想化し、阿羅漢の図像を正法護持の祈願の対象とした宗派がある 。

中国・日本では仏法を護持することを誓った16人の弟子を 十六羅漢
第1回の仏典編集に集まった500人の弟子を 五百羅漢 と称して尊崇することも盛んになった 。

雲辺寺にある五百羅漢はすごい!

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表情豊かで皆違った顔をしている。私に似た像をさがしたがいなかった。

夜ここを歩くと怖いだろうなぁ~。

雲辺寺

 四国霊場66番札所・雲辺寺

「はるばると 雲のほとりの寺にきて 月日を今は 麓にぞ見る(空海)」

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住所は徳島県だが札所は香川県に含まれる。

↓ 雲辺寺の参道に県境がある。徳島からは車で来れるが、香川からは車では行けない。

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雲辺寺は四国霊場中最高峰にして海抜1000m、讃岐と阿波の県境にあり「四国高野」と称されている。

開創は桓武天皇延歴八年 弘法大師16歳の建立で鎌倉時代は全盛を極め境内には十二坊と境外には末寺八カ寺を有し、雲水雲の如く集まり仏道修行の道場だった。

開山以来1200年の歴史を持つ当山は今なお観音信仰を求めて善男善女が全国各地から訪れている。

↓ 山門

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↓ 本堂

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↓ 大師堂

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昔話「雲辺寺の観音さま」

むかし昔、このお寺の近くに与成という鉄砲が上手な漁師が住んでいました。与成は毎朝早く「今日も獲物がたくさんとれますように」と雲辺寺の観音様にお参りをしてから山へ出かけていました。

観音様は「与成が動物を殺すのを何とかしてやめさせたい」と考えていました。そこでつりがねをかぶり、獲物に化けて待っていました。

いつものように山に出かけた与成は何やら動く黒い物を見つけて鉄砲で撃ちました。「グウァーン」とすごい音に驚いた与成は木の陰に隠れて様子を見ていました。

与成はどこへ行ったかなぁ~と観音様はつりがねを持ち上げてそっと覗きました。与成は光る目をめがけてズドーンともう一発撃ちました。

やった~と喜んだ与成は獲物の所へ行きましたが、獲物はいなく血が落ちていました。その血をたどって行くと雲辺寺の観音様のところに行きつきました。

不思議に思い見上げると観音様の目から血が出ています。はっとした与成はそれから動物を殺すのをやめてしまったという事です。

目をうたれた観音様は目の悪い人をなおしてあげることにしました。

今でも目の悪い人がお参りすると良く治ると言われています。

一言だけお願いを聞いてくれるという「一言観音」

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私は「ぽっくり死ねますように」とお願いした。

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