Jou光

  • 親父
    彼は子供の時から絵が上手いと、親の欲目で思っている。目の前でさらさら描かれると、ついつい感嘆してしまう。世の中いっぱい絵の上手い人はいるが、この道で飯が食えるのはスポーツ選手と同じで極一部。でもとにかく趣味でも良いから絵を描くことは続けて欲しいと願っている。

春爛漫

  • ぼけの花
    柿茶の里は徳島県美馬郡つるぎ町に位置する。柿の葉の生産農家へ毎年春と秋に行く。春はことさら美しい。桜が咲き乱れ山の木々が新緑に包まれる。澄んだ青空に身も心も洗われる気がする。

アユタヤ遺跡

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    1491年に建てられた王族の守護寺院。3つの大きな仏塔には、ラーマティボディ2世と父、兄の遺骨が納められています。 寺院ではありますが僧は居住せず、王の礼拝堂として王族の儀式に使用されていました。この寺院もまた、1767年ビルマ軍により破壊され、16mあったという金で覆われた仏像も金を奪われた後、壊されてしまいました。

暁の寺院 タイ

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    トンブリ王朝時代の守護寺で最高位の寺院とか。きらきらと輝く陶器の破片に覆われた高さ約79mの大仏塔は、ラマ3世により5年がかりで改装された。朝日を浴びた大仏塔の神々しい姿が”暁の寺”の名前の由来。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

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    セイロンへの留学から戻ってきた僧侶のために、1357年初代王ウー・トーンが建立しました。仏教寺院は瞑想の場として使用されていました。現在も多くの仏教徒が訪れ、週末は観光客でにぎわいます。

水上マーケット

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    ダムナン・サダックの水上マーケット。その昔、”東洋のベニス”と言われたバンコクでは、日常的商取引には運河が利用されてきた。水上マーケットは、古き良き時代の情緒溢れるバンコクの生活を体感させてくれる。 

2008年7月 タイ王宮

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    白壁に囲まれた20万㎡の敷地内には、1782年に建設された国王の宮殿、即位式の建物、王室守護寺院のエメラルド仏寺院などチャクリー王朝歴代の王により建造・改築された建物が建ち並んでおり、ラマ8世までは実際にここに住まわてていたとか。

涅槃寺

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    タイ語で Wat Pho(ワット・ポー)と呼ぶこの寺は、ラマ1世が建立したバンコク最大の境内を持ち、バンコク最古の歴史を持つ寺院。本堂には写真のようなリクライニング・ブッダの愛称で親しまれている寝釈迦仏が横たわる。足の裏には螺細細工でバラモン教における108の宇宙観が表現されていると言う。

最近のトラックバック

ベトナム その21 (ホイアン旧市街地)

ここホイアン旧市街地は、16世紀末以降、国際貿易港として繁栄し、江戸幕府とも貿易が盛んに行われ、御朱印船が頻繁に行き交っていた場所。

当時約1,000人の日本人が居住し、日本人街も形成されていた。

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日本橋を渡り左へ、チャンフー通りを歩いていると福建會館が見えてくる。

↓ 福建會館の門

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「福建會館」は、250年ほど前に建てられた建造物。

この街の古い建築物は、どれも中華文化を感じさせられるが、福建會館は格別の中国そのものの寺。

横浜の中華街にある関帝廟に行ったことがあるが、それとそっくり。

規模は広さも建物もこちらが上。

ホイアンが世界の貿易港であった頃から、 現地で暮らしていた華僑が建てたものであり、日頃から華僑たちの集会場としても使われてきたという。

華僑が建てた、という意味では、関帝廟も福建會館も同じ経緯であると言ってもいい。

↓ 門を入る

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↓ 狛犬もいる

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↓ 中庭

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そのまま真っ直ぐ進むと、屋根のある集会場。

↓ 集会場入口

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中に入ると天井から円錐型に渦を巻いた紫色の線香が吊り下げられている。

↓ 参拝者が短冊に願いを書いて火をつけるらしい。

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この線香、何時間くすぶるのだろう? その間に願いが叶う?

↓ 街中風景

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↓ カップルか? 撮影か?

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羨まし~い。

さて今晩、最終工程のホーチミン市へ飛ぶ。昔のサイゴンへ。

ベトナム その20 (来遠橋)

ベトナム・クアンナム省のホイアン旧市街地はその全体が世界文化遺産になっていている。

↓ 旧市街地

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来遠橋はその旧市街のチャンフー通りとグエン・チ・ミンカイ通りを結ぶ場所にかかる幅3m、長さ18mの瓦屋根付きの太鼓橋。

↓ この川に架かる橋

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修復を繰り返しながら既に400年以上歴史のある石橋で、ホイアンを代表する観光名所の一つ。

今から425年前の1593年当時、ホイアンに居住していた日本人が架けたと言われている事から、日本橋とも呼ばれている。

日本は江戸時代の鎖国が始まるまで、ホイアンと交易が盛んだった歴史があり、この橋は当時の日本人町と中華街を結んでいたとされる。

橋の名前は、論語の「朋あり遠方より来たる、また楽しからずや」から名付けたとされる。

↓ 来遠橋入口

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↓ 橋の中から入口を見る

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橋を渡ると言うより神社かお寺の中に入った感じ

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申年に建築が始まり戌年に終わったことから、橋の両端には申と戌の木像がある。

↓ 申

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↓ 戌

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今のベトナム語で、「橋寺」とも呼ばれ、その名が示す通り、橋の中に祠が設けられている。

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↑ 祠への入口

↓ 中に入ると仏壇?

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↓ 来遠橋を渡り、外から橋を眺める

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↓ 橋を渡っても旧市街地の街並みが続く

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ベトナム その19 (ミーソン遺跡)

ミーソン遺跡はダナンから南へ約70Km、クンナム省ミーソンにある遺跡で、かつてベトナム中部で栄えたチャンパ王国の宗教・ヒンドゥー教シヴァ派の聖地。

1999年に世界文化遺産に登録された。

ここには、7世紀~13世紀にかけての遺構が残っているが、遺構の大半がベトナム戦争により破壊したため、現在も修復作業が続いている。

↓ 入口

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↓ ゲートを入ると整備された道が続く。

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↓ 10分程歩くと電動カートの乗り場があってそれに乗る。

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↓ 電動カートで行けるのは遺跡の約1km手前、矢印まで。そこから歩く。

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↓ 電動カート終点あたり

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↓ 遺跡への道

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↓ 休憩所、遺跡はここから始まる。

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↓ 遺跡の配置図らしき看板だが、大雑把すぎて分からない

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↓ 最初に見た遺跡群

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↑ 入口から中に入ると天井のない広場に出る。

↓ そんな広場の真ん中には、必ずこんな石がある。

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ガイドさん曰く、これは男性のシンボルで子孫繁栄を祈願しているのだと言う。

↓ この写真はそれとすぐ分かる。

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露骨に至る所にシンボルを設置したのは、動物として、子孫を残す事が食べる事の次に重大事だったに違いない。

↓ こんな風景が続く

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↓ 文字らしき石碑、スリランカで見たような文字?

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↓ 発掘品の数々

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↓ 子孫繁栄、乳房とか。

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↓ ひときわ観光客で賑わっていた遺跡

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↓ 案内地図があるものの、私の頭の中では遺跡と一致しない。

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↓ 歴史のお勉強

チャンパ王国とは現在では少数民族となっているチャム族が築いた王朝と言われている。

宗教は主にヒンドゥー教のシヴァ派だが、それにとらわれることなく、インド文化を柔軟に取り入れてたとされている。

チャンパ王国が謳歌した時代は北ベトナムよりも高い技術力を持っていたと言われており、その理由は交易にあったと言われている。

海沿いに王国を築いたチャンパ王国は中国やインド、オランダなどの欧米まで交易の手を広げ、レベルの高い建築技術を取り入れていたと考えられている。

このミーソン遺跡はフランス統治時代にフランス人に見つかる前は大自然に囲まれた森林でした。

現在では発掘作業も進み、徐々にチャンパの歴史も明るみになってはきているものの、まだまだ謎は残っている。

ベトナム その18 (ハイヴァン峠)

この日(2018年1月18日)はフエからハイヴァン峠を越えてダナンへ行く。

フエからダナンまで車で約2時間の旅路。ここハイヴァン峠は途中休憩のオアシスだ。

トイレタイムとも重なって丁度いい。

いつも霧の中のような天候だったが、この日は青空が広がって気持ちがいい。

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↓ 峠へ到着、標高約480m。

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↓ 歴史を感じさせる地図看板、サッパリ分からぬ。

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昔から国防の要として要塞が築かれていたこのハイヴァン峠には今も数多くの銃弾が残る要塞跡がある。

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門らしきレンガ造り建物には「海雲關」とある。

元号が明命なので、グエン朝の明命帝在位中(西暦1820年~1840年)に作られたものか。

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↓ 門の中

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↓ 峠はこんな感じ

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↓ 結婚式の前撮りか?

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一休みした後、ダナンのミーソン遺跡観光へ向かう。

ベトナム その17 (国立歴史博物館)

ハノイで宿泊したヒルトン・ハノイ・オペラ ホテルのすぐ近くにあったので行ってきた。

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敷地は1876年にハノイ政府がフランスに譲渡した最初の土地。

それ以後はフランスの管轄地として、フランス領事館および領事公館が置かれていた。

1910年にフランス極東学院がサイゴン(現ホーチミン市)からハノイへ移ってきたのをきっかけに、「フランス極東学院博物館」となり、初代院長のルイ・フィノーの名にちなんで「ルイ・フィノー博物館」と呼ばれていました。

現在の建物は1932年に建てられたもので、八角形の屋根が印象的な建物は、フランス人建築家・エブラールによる設計で、1932年完成。

ベトナムの伝統建築様式とフランスの西洋式建築様式が融合した、いわゆるインドシナ様式建築の第1号で、ハノイで最も美しい建築物の一つと言われている。

従って、この建物は、建築マニアにとっても垂涎の建築物とか。

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こんぴら歌舞伎

国の重要文化財に指定されている金丸座で「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が開かれるようになって、早や 34年になるという (初回公演は1985年)。

瀬戸大橋が開通して30周年、それより4年も前から始まったとは・・・・。

そんな古い歴史があるのに、地元の私は見た事がなかった。

長男の嫁の実家からお誘いがあった。 ラッキー,ラッキー!

そう言えば、歌舞伎を見るのも初めて! 何でも初めてづくしの体験。7

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↓ 観覧席も特等S席。
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↓ 中の様子

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午後15時半開演の第二部の演目は「義経千本桜(鳥居前)」・「鎌倉三代記」・「石橋(しゃっきょう)」の三本。

「義経千本桜」のストーリー(ネットより)

義経と駿河、川越の三人は伏見稲荷まで逃れてきます。後から静御前が追いつきます。静御前は自分も一緒に行きたいといいますが、義経は女人禁制の多武峰(とうのみね:奈良県桜井市)の寺へ行くので連れて行けません。

遅れて弁慶が追いつきます。「弁慶のおかげで卿の君の死が無駄になった」と義経は怒り、扇で弁慶を何度も叩きます。弁慶は涙をはらはらと流し謝ります。静も一緒に謝ってくれてようやく弁慶は許されます。

義経一行は、多武峰へ行くのはやめて、船で西国へ向かうことにします。やはり危険な船旅のため静を連れて行くことはできません。一緒に行きたいと訴える静に、形見だと「初音の鼓」を与えます。静は同行を許されないのならこの場で死ぬというので、しかたなく鼓の調べ緒(しらべお)で静を木に縛り立ち去ります。

一人残された静。追手の残党・逸見藤太(はやみの とうた)に見つかります。藤太は鼓を奪い、静を連れて行こうとします。そこへ義経の家来・佐藤忠信(さとう ただのぶ)が現れます。忠信は不思議な力を使って藤太を討ち取り、静を助け鼓を奪い返します。実はこの佐藤忠信は白狐が化けているのですが、その真実がわかるのは四段目です。

助けられて静は大喜び、義経一行も戻ってきて忠信を褒めます。義経は褒美に自分の大鎧と自分の名前である「源九郎」を与え、これからは「源九郎忠信(げんくろう ただのぶ)」と名乗り、静を守れと命じ、静を忠信に預けて別れます。

一本目の義経千本桜は予備知識がなくても、なんとなぁ~くストーリーが分かったが、
二本目・鎌倉三代記は、さっぱりチンプンカンプン!

後でパンフやネットで知って、そうかそうか!あの場面はこういう事か・・・と、納得。

三本目の「石橋」も後でネットで見たら深い意味があった。

だが、それを知らずに見ても歌舞伎役者扮する獅子が毛を振り踊るさまは感動もの。

とにかく見どころいっぱいの舞台だった。

石橋の後半は、舞台にも客席にも天井から紙吹雪が舞い、観客も役者と同化したような錯覚にさせる演出で、「お見事!」としか言いようがない。

この日は今回の公演の最終とあって、用意した紙吹雪をすべて舞い降ろしたのではないかと思ってしまった。

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脳科学者の茂木氏も観劇されたようで、下のような感想を残している。

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私も全く同感・同感。

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ベトナム その16 (アナ マンダラ フエ ホテル)

フエで泊まった宿は、アナ  マンダラ  フエ  ホテル

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広い敷地内に平屋建てのコテージが並ぶ。

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↓ プールが一棟ごとについている。

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↓ プールの向こうは海。

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↓ ホテル入口 ロビー

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↓ ロビー裏

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このホテルがベトナム滞在中、最も豪華なホテルだった。

ただ、夜遅く到着し、朝早くに出発したから宿泊しただけ・・・・残念!

また天気も悪く景色は絶望的。

↓ 晴れていたらこんなに美しい!(ネットより拝借)

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ベトナム その15 (トゥドック帝廟)

阮朝(グエン朝)の後期に当たる4代目の皇帝・トゥドックの帝廟で、在位35年と歴代皇帝の中で最も長い皇帝のお墓へ案内された。

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1864年から3年間かけて建てられた巨大な施設には住居だけでなく、お寺、墓、そして池まであり、皇帝は生前ここを別荘として愛用していた。

広々とした敷地に建てられた帝廟は中国スタイルだが、同じく中国文化を取り入れた日本の建造物と似て、どこか親しみを感じる。

この廟の近くには、かつてトゥドゥック帝が釣りを楽しんだという蓮池が残っている。

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↓ 入口

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↓ 階段を登ると皇帝を祀る寺院があり、その奥に皇帝の墓がある。

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↓ 謙宮門

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↓ 門を入ると広場に出る、その広場正面に和謙殿?


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↓ 広場の左右

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↓ 入って来た謙宮門

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↓ 和謙殿の中

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↓ 入口正面に衝立があるが、これは魔除け?

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↓ 衝立には装飾が施されている

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健康への道しるべ 第132号

健康への道しるべ 第132号 心と体の健康生活:平成30年4月20日発行

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2018年3月16日にNPO法人健康を考えるつどいの研修旅行の記事も掲載してくれている。

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■ 発行:健康への道しるべ友の会 編集 増田 桂子

■ 〒420-0962 静岡市葵区東1-14-31、Tel:054-245-8141、Fax:054-245-6142

■ 年間購読料:2,500円

鯉のぼり

屋根より高い竿に上がった鯉のぼりを最近あまり見かけない。

その代わり、川や堀に横吊りされたこいのぼりを良く見る。

そんなご時世で、私の初めての男の子の孫のためにと、嫁の実家で鯉のぼりを上げてくれた。

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良く晴れた青空におよぐ姿は、池や川の中の鯉とはまた違った趣がある。

こいのぼりは風に向かっておよぐ。

大人になって世間のいかなる風にも立ち向かって欲しいとの親や祖父母の願いが込められている。

■ ネットより鯉のぼりの由来

鯉のぼりを飾る「こどもの日」は、昔「端午の節句」と呼ばれており、男の子の誕生や成長をお祝いする行事。

端午の節句は、奈良時代に日本に伝わったとされ、「端」 は月の初め 「牛」 はうまの日を指すことから、当初は月始めの牛の日に行われていたのですが、牛が五に通じることから、いつしか五日に行うようになり、さらに5が重なる5月5日に固定されていったようです。

しかしながら、当時の端午の節句は厄払いの意味合いが強く、男女の別なく行われていたとされています。

それが男の子だけになったのは江戸時代以降とされている。

では、こどもの日(端午の節句)に鯉のぼりを飾るようになった由来や、そこに込められた意味は一体どのようなことなのでしょうか。

端午の節句は、奈良や平安時代には宮中行事として行われていました。

しかしそれも時代の流れと共に廃れを見せ始めたのですが、鎌倉時代になると、端午の節句の際に厄災を祓うために使われていた菖蒲(しょうぶ)が、「尚武」や「勝負」と同音であることから武家の間で流行し、やがて江戸時代になると端午の節句は五節句の一つとして重要な式日に制定されました。

そして、この時代に、将軍家に長男が生まれると世継ぎの出生を祝って家紋の入った
幟(ノボリ)がが立てられるようになります。

それを見た庶民が幟に似せて立てたのが鯉のぼりの由来です。

また鯉のぼりは、鯉の滝登りと言う中国の故事からヒントを得たとも言われています。

竜門という滝を登り切った鯉は竜になったと言われており、このことからどのような困難にもめげずそれを乗り越える立派な男の子になって欲しい、という出世を願う気持ちを込めて鯉を幟にして立てたと言われています。

↓ 土器川の鯉のぼり

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↓ 丸亀城のお堀

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子育て応援 おあそび広場

■ 日 時:2018年4月25日スタート 毎月最終水曜日10:00~12:00

■ 場 所:高松国分寺ホール (高松市国分寺町新名430番地)

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西光寺市(マルシェ)

■ 日時:2018年5月20日 9:30~15:00

■ 場所:西光寺 宇多津町2198

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坂出健康会館で自彊術を教えておられる佐野典子先生が大江戸玉すだれを披露してくれる。

女性の肌のトラブルは体の危険信号

2018年4月度 豊岡健康情報   2018-4-15  豊岡倫郎 氏

1.美肌を求めて幾年月

美肌は女性の永遠の願い。これまで何十年もそれこそ何十種類もの化粧品をあれこれ試してきたがいまだ満足できないのではなかろうか。

「肌は内臓の鏡」という言葉がある。体内の臓器や器官に不調があると、肌にもその影響が出てくるから、いちど日頃の生活習慣を見直すことも必要ではなかろうか。

2.顔のシミでわかる体の不調

下の図では顔にでるシミと体内の不調との関係を示した一例である。Simi

1.額のはえぎわのシミ・・冷え症で婦人科系弱い、宿便たまりやすい

2.額のシミ・・性腺ホルモン、副腎ホルモンの分泌異常

3.こめかみのシミ・・自律神経の乱れ、肝臓が弱い、甲状腺機能低下、更年期障害

4.瞼の上のシミ・・月経不順

5.側頭部よりほほ骨にかけてのシミ・・肝臓、胆嚢の障害

6.鼻の上のシミ・・腸が弱い、宿便がある

7.瞼の下のシミ・・貧血、肝機能低下、女性ホルモンバランス崩れ

8.ほほ骨のシミ・・肝臓が弱い、腰痛あり、痔が悪い、便秘症

9.鼻の天辺のシミ・・便秘、大腸が悪い、宿便が溜まっている

10.鼻の下や唇の下のシミ・・冷え症、宿便の停滞、女性ホルモンのバランス崩れ

★顔全体のシミ・・性ホルモン分泌不足、副腎機能低下

3.シミには原因がいろいろある

1)便秘、宿便によるシミ・・・

便秘になるとそこで発生した毒素が腸壁から吸収されて、血液は汚れ、体中を駆け巡り、シミ、小じわ、肌荒れの原因となる。

2)貧血、冷え症によるシミ・・・

女性に多いこれらの症状は、血液が不足したり、血流が悪いため、皮膚の細胞への酸素や養分の 供給が充分でなく、代謝分解物の運搬排除も 低下しているために、シミができる。

3)老化によるシミ・・・

若い時は皮膚細胞や色素細胞の新陳代謝が活発であるが、加齢と共に新陳代謝は衰え、メラニン色素が沈着しやすくなる。女性の場合は閉経期を過ぎると、女性ホルモンの分泌も減り、皮膚も荒れてくる。また加齢と共に脳下垂体 から出るホルモンも減って、保水能力も減ってきて、カサカサ肌になる。

4)肝機能低下によるシミ・・・

肝臓は体内に入ってくるあらゆる物を分解解毒し、再配分している。肝臓の機能が低下すると、皮膚に色素が沈着し易くなるし、慢性病でいつも薬を飲んでいたり、化粧品をいつも厚く塗っていると、ますます肝機能が低下する。尋常性肝斑と言われるシミは肝臓機能低下によりできる。

5)腎臓機能低下によるシミ・・・

腎臓も解毒代謝の役割をしていて、機能が低下すると、血液中に老廃物が増えて、解毒能力低下して、シミを作る。腎臓が弱ると肝臓の負担も増えて、悪循環する。

6)ストレスによるシミ・・・

ストレスを受けると、副腎皮質ホルモンが刺激されて、メラニン色素を増加させる。またストレスは活性酸素を増やすから体に良くない。

7)紫外線からの刺激によるシミ・・・

強い紫外線を長時間浴びると、皮膚に良くないことは誰でも知っている。最近は皮膚がんの原因とも言われている。紫外線による皮膚の炎症の後はシミになる。そもそも紫外線が活性酸素を発生させているが、体内でも活性酸素を発生させることもあるから、留意が必要である。

8)偏食やタバコによるシミ・・・

肉食ばかりしている人は、肌は汚くなるし、シミも増える。肉や甘いものは、腸内環境を悪化させて、血液は濁るし、肌に良い筈がない。欧米人のご婦人の肌が汚いのはこのためである。タバコが肌に良くないことは説明するまでもない。食べ物が悪くて、腸に炎症が起きると、腸壁がただれて、分子の大きい栄養物が血中に吸収されて、皮膚に出てくる。また摂取する栄養素のバランスが悪いと、皮膚形成も正常性を欠き、肌が荒れる。

9)薬、化粧品、食品添加物、農薬、空気中の化学物質など・・・

これらの化学物質は全て体にとっては、自然界には本来ありえない異物である。体は本能的に排除しようとするし、副作用が起きる。体内に残量して、臓器や器官の不調をもたらす。肌を綺麗にするために塗っている化粧品がシミの原因になることも多いという。

10)心臓病によるシミ・・・

顔は心臓の状態を反映している。心臓に脂肪が蓄積されると、顔にシミや斑点ができる。

4.外にもある重大な肌荒れの原因

1)AGE(終末糖化産物)による肌荒れ・・・

老け顔の人は早死にするという。この老け顔の原因と言われるものにAGEが関係している。AGEとは血中の糖分が細胞のタンパク質と暖かい体温に熱しられて、結合してできるもの。もう一つは加工食品の製造過程で糖分とタンパク質が加工中に熱しられてできるケースのものもあり、それを食べると体内に入ってくる。

これらが体内に蓄積されてゆくと、肌のシミや荒れの原因となる。これらは生活習慣病にも影響を及ぼすから怖い。

2)ゴースト血管による肌荒れ・・・

昨年から急に話題となっているのがゴースト血管の問題である。ゴースト血管とは動脈から静脈への血流の転換部分の毛細血管の先端がゴースト化、即ち消滅していて、各細胞への本来の養分や酸素の供給そして老廃物の回収という、新陳代謝機能が低下してしまうのである。当然肌の新陳代謝も低下してゆくから、肌荒れ、くすみ、シミなどが顔に出てくる。異常な赤ら顔やら粉が吹いて出ることもある。

3)各臓器の病変によるもの・・・

腎臓の機能低下で下まぶたのふくらみ、白髪、顔の黒ずみ。胃腸障害で青白い顔に。肝機能低下・・・黄色っぽい顔に。心臓の機能低下・・・赤っぽい顔に。ひどくなると白い顔に。便秘症のときは顔の肌の毛穴がくすむ。

5.なすべき美肌対策とは

1)便秘しない。宿便を排出して、腸内環境を良くする。それには少食にすることが必須となる。

生野菜ジュース、水分補給なども宿便排除に効果があるが、早く効果を出したいときは西式健康法では穏やかな緩下剤の水酸化マグネシュウムを使う。

2)きれいな生水と柿茶を合計一日に1.5リットル前後飲む。いっぺんに大量に飲むのではなく、ちびりちびりと飲む。柿茶には豊富にビタミンCが含まれていて、免疫力、抗ストレス作用、抗酸化作用もあるが、メラニン色素の発生を抑制して、肌を白くしてくれる効果がある。水分をコーヒーや緑茶、ジュースでは摂らない。コーヒー、お茶や酒には脱水作用がある。西洋には「コップ一杯の清水は一トンの化粧品にも優る」という諺がある。

3)長時間直射日光を浴びない。紫外線を浴びると活性酸素を発生させて、肌を痛める。

4)睡眠不足にならない。早寝早起きの規則正しい生活をする。睡眠不足や過労は肌の敵。ホルモンは夜寝ている時に作られる。

5)ビタミンC、ビタミンB1、B2、B6、Eが肌の代謝や血流を良くし、肌を綺麗にする。ミネラル分では硫黄が肌に良い効果がある。

6)毛細血管の消滅や硬化は甘いもの、アルコール、運動不足が原因である。毛細血管の再生には西式健康法にある毛管運動、裸療法が効果抜群である、誰でもすぐ実行できる。

7) 食生活を見直す。少食にする。出来れば三分づき玄米食にする。ニンジン、キャベツ、小松菜、ホーレンソウ、パセリ、リンゴなど五種類位入れた生野菜ジューを摂る。副食は海藻、大豆製品、カボチャ、青魚、白身の魚や小魚、黒ゴマなどを摂る。肉食や甘いものは腸内環境を悪くするから避ける。今の若い人は肉やフライや炒め物で脂肪分を摂りすぎているが、肌には良くない。欧米の女性の肌が汚いのは肉と甘いものの摂り過ぎが原因である。

8)健康体操をして、体全体の活性化を維持する。おすすめは自彊術体操が適当である。理由は筋力強化、有酸素運動、血液循環、骨格矯正、体液の弱アルカリ性、交感神経の均等化、体全体の柔軟化、経絡刺激などの面から、無理なく誰でも簡単に家で実行できる。

9)ストレスを溜めない。マイナス思考を持たず、前向きに、好奇心を持って生きれば、いつまでも若々しい気持ちが保てるし、ストレスもたまらない。精神の老化が身も心も老けさせる。

10)肥満の人は痩せる。肥満の人は心臓に脂肪がついている。それが活性酸素によって、過酸化脂質に変わって、シミをつくる。

11)体にとって異物であるあらゆる化学物質の入った添加物の入った加工食品などを摂らない。

12)解毒やホルモンに関連する肝臓や腎臓、副腎、脳下垂体などの機能正常化のためには、上述した様な対策はどれひとつ欠かせない。肝臓や腎臓の強い人は肌にハリがある。

6.まとめ

1)驚異的な美肌療法を望むならば、断食療法をすることである。簡単な朝食抜きの二食にしたり、毎週一回土曜日だけ断食すれば、その美肌効果は大きい。しかしその時は適切な指導者の下で行う方が良い。そして食する品目の質も吟味しないといけない。

2)「内皮は外皮に通じる」という言葉がある。口から食道、胃、小腸、大腸、肛門までは一本のパイプで繋がっている。特に小腸や大腸に宿便があったり、腸内が炎症を起こしていたり、腸内環境が悪ければ、その腐敗物から出るインドール、スカトール、アミンなどの毒素が体内に吸収されて、血液を汚濁させる。皮膚の細胞は約27日で入れ替わるが、その新陳代謝の元である血液が汚れていると、美肌は望めない。腸の汚れは外皮に反映しているのである。腸のきれいな人に、顔にシミのある人はいない。

3)加齢と共に老人斑と言って、過酸化脂質の分解物とタンパク質分子が結合してリポフスチンという色素を作り、皮膚に沈着する。それを加速させるのは活性酸素である。皮膚のメラニン色素を増やす働きをしているのも活性酸素であるから、活性酸素を増やさない努力と抗酸化物を摂取して、それを減らす努力も必要である。

4)コラーゲンがつるつるの肌の基を形成しているから、コラーゲンの含まれている物を食べれば良いと信じているのは、間違いである。口から入ったコラーゲンは,一旦消化器官で細かくアミノ酸に分解されてしまう。それが再びコラーゲンとして再生される保証はない。どんな食べ物でも、薬でも、酒でも、口から入ったものは必ず肝臓で分解することに体のシステムが出来上がっている。コラーゲンを体内で造成させるには蛋白質を基にして、ビタミンCと酵素が必要であるから、ビタミンCの摂取が欠かせない。

5)西式甲田療法で今まで多くの患者さんが体験してきた美肌療法がある。それは発芽玄米の生の粉末を煮たりせずにそのまま食するのである。これをご飯代わりに食べると、一週間もすれば肌が見違えるようにすべすべになる。水に溶いて、ハチミツを少し入れて食べやすいようにする。生の発芽玄米の澱粉はβ(ベーター)澱粉なので、胃でブドウ糖に消化されずに大腸へ行き、短鎖脂肪酸になって、吸収され、エネルギーとなる。この時大腸で酢酸、プロピオ酸、酪酸が出来て、腸壁を修復して綺麗にするし、便通も快腸となる。

発芽玄米にはギャバ(GABA)というγ(ガンマ)アミノ酪酸が多く含まれていて、脳の血流を良くする働きがある。玄米を粉にするには、製粉機、フードプロセッサー、コーヒーミルなどで作ることができる。詳しいことは「腸をキレイにする!」甲田光雄著 日経BP社参照。

6)「生きたものは生きたものに養われる」これが生物界の大原則のひとつである。生の水、生の野菜ジュース、生の玄米が体を生き生きさせるのである。これまで何度も紹介してきたが、八尾市で鍼灸師をしておられる森美智代さんはもう23年間も一日に青汁一杯で、元気に生活しておられる。正に少食の生き証人である。現代医学界がこの事実について、真摯に取り組んで、今の栄養学の矛盾点を解決する努力をしてもらいたいものである。そうすればガンも生活習慣病も難病も激減すること間違いない。

7)「顔にシミがある人は概して対人関係が下手である」長年患者に接してきた医者の言葉である。

毎食ごとに、まるで何かに取り憑かれたように、酒を飲み、ガツガツ肉やお菓子を食べる人がいる。

明日もまた三回も食べられるのに。

食とは命を戴いているのである。

感謝して体に必要なだけで済ます心構えを持ちたいものである。

飽食から逃れられない人には先ず心の宿便を取らないと、シミ取りの話は無縁かもしれない。

おわり

ベトナム その14 (ミンマン帝廟)

1802年~1945年までの長きにわたり、フエで政権を握っていた阮朝は、初代ザーロン帝から始まり、その2代目の皇帝がミンマン帝(1820年~1841年)である。

この廟は、1840年から約3年間かけて建設され、帝自らが設計したと言われる中国風(当時の清国)の廟。

現在世界遺産に登録されている。

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広大な敷地は、公園のようであり、当時の権力がうかがえる。

↓ 入口

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↓ 白い石が敷き詰められた庭の正面に正門の大紅門

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この門は皇帝の遺体を運び込んだ時に一度だけ開かれ、以降閉鎖のままなんだそうな。

↓ 霊魂を守っていると言われているゾウや馬や兵士の像

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↓ 碑亭 (ミンマン帝の功績が書かれた碑石が置かれている)

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↓ 碑石

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↓ 寝殿(礼拝堂)である赤色と金色の装飾の崇恩殿

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↓ 明楼

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↓ 明楼への橋の左右は澄明湖

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↓ 明楼をくぐると新月池があり、聡明正直橋が陵墓までかかる。

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新月池というだけあって池の形は三日月型で、三日月は皇帝の崩御を表しているという。

↓ 橋を渡って階段を上ると、開かずの門があって、その向こう側の山全体が陵墓。 

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この山の何処に埋葬されているのかは、未だ分からないそう。

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↓ 陵墓から明楼を望む

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以下ネットからの情報を転記する。

ミン マン帝が尊敬されているのは、ベトナムの孤立主義を支持していた一方で、農民たちの窮状に心を痛めていたためです。

この帝廟の建立は、彼の統治時代から計画されていましたが、建設開始直後の 1841 年に死去したため、後継者であるティエウ チの時代に完成しました。

 

ミン マン帝廟への道を歩くだけでも、すがすがしい気持ちになれます。

「地」「水」「天」を表現した 3 つのテラスを上がると、贅沢に飾られた金属の門にたどり着きます。

ここでは伝統的なベトナム衣装を身につけた武人たちの小さな像、そして横には戦いの扮装をした象の彫刻を見られます。

この門はぜひじっくりと鑑賞してください。龍の形をした手すりは見事という他ありません。帝廟への門は 1 年に一度、ミン マン帝の命日にのみ開放されます。

 

近くには、トラン ミン ホ (とても透明な池) という池があり、彫刻の施された 3 つの石橋がかけられています。

ただし現在では、その水は暗く濁っています。中央の橋は皇帝専用に作られたものですが、唯一使われたのは、彼が死去したときです。

ベトナム その13 (カイディン帝廟)

カイディン帝廟は、フエ郊外にあるグエン朝 最後(第12代)の皇帝・ カイディン帝が永眠する廟。

1920年に着工、12年もの歳月を費やして造られた西洋風建築で、1931年皇帝没後 6年目のフランス統治時代に完成した。

中国とフランスの影響を受けたと思われる。

フエには、歴代王朝の帝廟が多くあるが、見学出来る帝廟としては一番装飾が見事らしい。

↓ 帝廟全体図

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↓ 入口

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↓ 門への階段には手摺り代わりの巨大な竜が。

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↓ 門を入って更に階段

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↓ 階段を上ると、皇帝の偉業をたたえた二層づくりの八角形の石堂がある。

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↓ 役人や象,馬の石像が出迎えてくれる。

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↓ 廟を守る役人像

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↓ さらに階段を上る

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↓ 遺体が安置されている建物に到着

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↓ 廟の中に入ると、金箔で装飾された青銅のカイディン帝の等身大像

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↑ 像の下に皇帝の遺体が安置されている。

↓ 壁と天井は中国の磁器や日本のガラスでステンドグラスのように飾られている。

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↓ 啓成殿

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ベトナム その12 (フエ王宮)

2018年1月17日(水)、朝食後ハノイのノィバイ空港からベトナム航空1543便にてフエへ。

ハノイはこの日も深い霧がかかり、朝8:40分の便が2時間ほど遅れた。

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フエまで飛行機で一時間強。

↓ ベトナム航空の飛行機

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今回の旅はすべてベトナム航空だったが、着陸はどの飛行機も非常にスムーズで、

腕の良さを体感した。

フエはベトナム最後の王朝 ” グエン朝 ”の都として栄えた古都。

旧市街の中心に広がる王宮は、中国の紫禁城(故宮)を規範にザーロン帝が建設に着手し、2代ミンマン帝の世に完成した。

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グエン朝は1802年、フランスの援助を受け、内乱が続くベトナムを統一したザーロン帝により創設された王朝。

フランスの植民地化や第二次世界大戦などに翻弄されながらも、13代・143年間にわたって続いたと言うからすごい。

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↓ 鳳凰をかたどった楼閣を戴く入口の王宮門(牛門)

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↓ 王宮内地図

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↓ 牛門から入り、門を振り返る。

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↓ 牛門の正面には皇帝の即位式が行われた太和殿。

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随所に龍の装飾が施され、中国への憧憬が窺われる。

あまりに広すぎて、どこをどう案内されたのか? サッパリ分からない。

古い建物も敷地内にいっぱいあって、ガイドの説明もただ頷き、聞き流すだけ。

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ガイドの説明で覚えているのは、ベトナム戦争の時、アメリカ軍の空爆で史跡が破壊された事実。

↓ 草の生えている所は破壊された。

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こんな文化財を戦争と言えど空爆するのは許せない!

とにかくこの世から如何なる戦争もなくなりますように・・・と願って止まない。

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↓ 徐々にではあるが修復工事も進んでいる。

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↓ 出口の門、西なのか? 東なのか? 南なのか?

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とにかく王宮を後にした。

かいだ屋

オーガニックマーケットから香川への帰り道、うなぎの美味しい店があると言う。

かいだ屋と言う店。行列ができる店で、1~2時間待ちはザラらしい。

11時半からの開店に10時過ぎに行ったら、もう先客が2~30名いた。

へぇ~! すごい!

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かいだ屋のHPに曰く

かいだ屋では、ご注文を受けてから生鰻を炭火でじっくり焼き上げます。

そのため、三十分程度お待たせする場合がありますが、それも、本当に鰻をおいしく召し上がっていただくため何卒ご了承ください。

・・・と。

また鰻については、

宮崎県の中村養鰻場から直接鰻を仕入れています。

皆様に安心して召し上がっていただきたいため、国産のうなぎにこだわっています。

お米は、高知県浜改田産コシヒカリを契約農家さんに作っていただいています。

低温貯蔵庫で保管しておりますので、一年中新米の風味で召し上がっていただけます。

・・・・と。

↓ 飛行機看板

店主が飛行機好きで、セスナ機を看板にしている。どうやって運んだの?

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↓ お品書き、特上うな重は今回のホテル代より高い。

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↓ 私が食べたのはうな重(中)2/3本入り

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店の中へ案内され、料理が出てくるまで一時間はかかった。

店に来て2時間はいた計算。

確かに美味かったが、もう一度来る気はしなかった。

オーガニックマーケット

毎週土曜日、高知でオーガニックマーケットが開かれていると言う。

ローカルニュースのテレビで見た。

最近はオーガニックブーム、早速 出掛けた。

このマーケット、有機をコンセプトに、無農薬の農産物や無添加の加工食品づくりに取り組む人たちが出店者となり、2008年から毎週土曜日に開催されているという。

オーガニックと銘打ったマーケットとしては日本初なんだそうな。

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池公園と言うあまりに広大な広場なので、出店舗数がそれなりに多いのだが、まばらに思える。

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一時間もいればもう十分な気がして、手作り味噌と美味しそうなパンを買って引き上げた。

↓ 池公園

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来た人がどこから来たのか書く黒板があって、遠くは福岡とか兵庫からの来場者もいた。

香川県から・・・はまだ近い方。

高知

坂出から南国インターまで、1時間ちょっとで来れるのに、高知へ来たのは一年ぶりかも知れない。

今晩はカツオのタタキでお酒がメイン。

高知の街は路面電車も走り風情がある。

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タタキの店を出て、いい加減酔っ払ったが屋台へ行こうと言う事になって、2軒もはしご。

一軒目で餃子を食べ、二軒目でラーメン。

飲酒後の餃子・ラーメンは格別の味。

また行きたいなぁ~。

柿茶の里の花見

柿茶の原料の柿葉を採取する農家・森さん宅で、毎年花見をする。

自宅の入口にそれはそれは立派なしだれ桜があって、満開の様は見事と言う他ない。

4月7日と日程を決めた時、これは花見に最高と思った。

しかし、見事にそのアテが外れ、この日はもう葉桜になっていた。

おまけに雪も舞う天気で、寒い寒い sad shock

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地元の人も大勢集まり、恒例のバーベキュー。

焼肉にビールが美味い! といきたい所だが、私はこの日は運転手。

ひたすら食べるばかり。

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ここは徳島県半田にある限界集落、スーパーもコンビニも何もない!

あるのは豊かな自然だけ、これが癒される。

春たけなわである。

↓ 残る桜

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