Jou光

  • 親父
    彼は子供の時から絵が上手いと、親の欲目で思っている。目の前でさらさら描かれると、ついつい感嘆してしまう。世の中いっぱい絵の上手い人はいるが、この道で飯が食えるのはスポーツ選手と同じで極一部。でもとにかく趣味でも良いから絵を描くことは続けて欲しいと願っている。

春爛漫

  • ぼけの花
    柿茶の里は徳島県美馬郡つるぎ町に位置する。柿の葉の生産農家へ毎年春と秋に行く。春はことさら美しい。桜が咲き乱れ山の木々が新緑に包まれる。澄んだ青空に身も心も洗われる気がする。

アユタヤ遺跡

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    1491年に建てられた王族の守護寺院。3つの大きな仏塔には、ラーマティボディ2世と父、兄の遺骨が納められています。 寺院ではありますが僧は居住せず、王の礼拝堂として王族の儀式に使用されていました。この寺院もまた、1767年ビルマ軍により破壊され、16mあったという金で覆われた仏像も金を奪われた後、壊されてしまいました。

暁の寺院 タイ

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    トンブリ王朝時代の守護寺で最高位の寺院とか。きらきらと輝く陶器の破片に覆われた高さ約79mの大仏塔は、ラマ3世により5年がかりで改装された。朝日を浴びた大仏塔の神々しい姿が”暁の寺”の名前の由来。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

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    セイロンへの留学から戻ってきた僧侶のために、1357年初代王ウー・トーンが建立しました。仏教寺院は瞑想の場として使用されていました。現在も多くの仏教徒が訪れ、週末は観光客でにぎわいます。

水上マーケット

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    ダムナン・サダックの水上マーケット。その昔、”東洋のベニス”と言われたバンコクでは、日常的商取引には運河が利用されてきた。水上マーケットは、古き良き時代の情緒溢れるバンコクの生活を体感させてくれる。 

2008年7月 タイ王宮

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    白壁に囲まれた20万㎡の敷地内には、1782年に建設された国王の宮殿、即位式の建物、王室守護寺院のエメラルド仏寺院などチャクリー王朝歴代の王により建造・改築された建物が建ち並んでおり、ラマ8世までは実際にここに住まわてていたとか。

涅槃寺

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    タイ語で Wat Pho(ワット・ポー)と呼ぶこの寺は、ラマ1世が建立したバンコク最大の境内を持ち、バンコク最古の歴史を持つ寺院。本堂には写真のようなリクライニング・ブッダの愛称で親しまれている寝釈迦仏が横たわる。足の裏には螺細細工でバラモン教における108の宇宙観が表現されていると言う。

最近のトラックバック

三寳荒神

江尻町あたりを一日8,000歩達成のため歩いていたら神社を見つけた。
その名も三寶荒神 社
ああああああああああああああああああああああああああああああああ
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ああああああああああああああああああああああああああ
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ああああああああああああああああああああああああああああああああ
「荒神」は火の神・火伏せの神で台所の神様。三宝荒神とも言う。
「荒ぶる神」とする解釈もあり、民俗信仰や神道・仏教が混淆して生まれたもので、解釈は多様。
「幸神」という表記は東京に「幸神(さじかみ)神社」があるのみで、「幸神」と書いて「こうじん」と
読む例は見当たらないと言うからびっくり。

インドネシア旅(ヒンズー教寺院 その2)

ここも寺院の名前が分からない。

観光で連れて行ってくれる寺院の名前など後で調べりゃ分かるだろう・・・

との甘い考えはあてが外れた。

日本のお寺のように、バリにはヒンズー教寺院があちこちにある。

↓ 入口

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↓ 門を入ると

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↓ あちこちに神像がある

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↓ ヴィシュヌ神の10の化身のひとつクールマ(亀)

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亀が自分の意志で手足や頭を甲羅の中に引き込み自らを守るように、私たちが5つの感覚を自身の内に収め、永遠の至福を見つけることを象徴しているともいわれている。

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バリ島のヒンドゥー教について、その2.

バリ・ヒンドゥーの特徴として、バリ島の各村には必ず 3っの寺院があります。

その3っとは、

・世界創造の神・ブラフマ を祀る寺院、

・生命を維持する神・ヴィシュヌ を祀る寺院、

・破壊の神・シヴァ を祀る寺院

これらを合わせて三身一体と言います。

さらにこの 3っの神にはそれぞれの妻がいて、

・ブラウマ神の妻・女神サラスワティは学問と智恵・財産と幸運・芸術をつかさどり、

・ヴィシュヌ神の妻・女神スリはバリ独自の稲の女神、

・シヴァ神の妻・女神ドゥルガーは神々の怒りの光から誕生した戦いの女神

であり、

これら 6人の神々は絶対神・サンヒャン・ウディ・ワサ(すべてを内包する万有神)に属すとされています。

バリ・ヒンドゥーでは、すべての物事は善と悪、生と死といった形で必ず相反し、

それらのバランスが維持され共存することで世界が成り立つとされています。

この考え方を「二元論」とも言います。

またバリ・ヒンドゥーでは高い場所に神がいるとされており、バリ島最高峰のアグン山は神々の座として崇められています。

〈 サン・ヒャン・ウィディ・ワサ 〉

全能の唯一神で、上記すべての神の神格はこの唯一神の現れの一つに過ぎないとされる。

インドネシア共和国の独立後は、パンチャシラという建国五原則の第一条項にある「唯一至高の神」つまり一神教が国家理念とされたため、

多神教であるヒンドゥー教の人達はすべての神を崇める事ができるよう、神々を形もなく、色もなく、また限りのない存在、いわば虚無の神だとして、これは一神教と言い張り、政府に認めさせた。

のではないかと思っている。要はそれほど人々が信じる神は多種多様なのかも知れない。

インドネシア旅 (ヒンドゥー教)

ヒンドゥー教について調べてみた。

教徒の数はインド国内で8.3億人と最も多く、インド以外の国を合わせると、約 9億人以上。 

キリスト教、イスラム教についで世界3番目の宗教。 

インド広義の定義では、インド以外の地域で発祥したキリスト教やイスラム教を除き、全てヒンズー教と解釈する。 

従い、インドでは仏教もヒンドゥー教の一派とされる。 

「ヒンドゥー」 Hindu の語源は、サンスクリットでインダス川を意味する”sindhu ”に対応するペルシア語。 

ペルシアから見てインダス川対岸に住む人々の意味で用いられ、西欧に伝わりインドに逆輸入された。 

ヒンドゥー教には極めて様々な信仰、霊性や風習が包括され、かつ体系化されている。

しかし、キリスト教に見られるような教会制度や宗教的権威は存在せず、また預言者もいなければ共通の聖書もない。

従いヒンドゥー教徒は多神教、汎神論、一神教、不可知論、無神論、ヒューマニズムを自身の思想として自由に選ぶことができる。

ヒンドゥー教の包含する信仰、思想、真理は広範で、そのためこの宗教の定義はこれ!

とは言えない。

日本人は無信教が多いと言われるが、インドの考えだと日本は一種のヒンズー教徒かも知れぬ。

ヒンズー教の考え方の大らかなところ(?)が私は好きだ

ヴィシュヌ神,シヴァ神,ブラフマー神がヒンズー教の三大神と言われ、夫々奥様がいて夫婦共に多様な化身を有する。

・ブラフマー神 :宇宙,世界に実存、実在の場を与える神 (Generate :創造)

  • ・ヴィシュヌ神 :宇宙,世界の維持、平安を司る神、神鳥ガルーダに乗る(Operate:維持)
  • ・シヴァ神 :宇宙,世界を創造しその寿命が尽きた時に破壊、破滅を司る神(Destroy:破壊)
  • 上記の赤字GODが英語の”god” 神となる。

    三大神の他にも良く名前を聞くのが、ガネーシャハヌマーンインドラ

    ・ガネーシャはシヴァ神の子供で象の頭を持つ神、鼠に乗る。富と繁栄、智恵と学問を司る。

    ・ハヌマーンは外見が猿の神、身体の大きさを自由に変えられ、孫悟空の元になったと
    考えられる。
    ・インドラは雷神、天空神。古くバラモン教の時代に盛んに信仰された。北伝仏教では帝釈天。

    インドの国立博物館にヒンドゥー教の多様な神像が収蔵・展示されていると聞く。

    是非行ってみたいものだ。 神様は面白い

    ↓ ヴィシュヌ神と10の化身

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    ↓ 私の干支の神・ハヌマーン

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    ヒンズー教の神像を意外な場所で見つけビックリした。

    意外な場所とは、坂出市にある金山のけいの里、サヌカイトの里だ。

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    すごい数の石像がところ狭しと置かれている。

    けいの里の持ち主・前田 宗一氏によると、彼のお父さんがインドネシアと何らかの関係があって入手したのだそうな。

    バリへ行ったその後にこの石像を見たから、えっ~!っと気付いたものの、そうでなければ知る由もないし、聞いてもへぇ~くらいで終わっていた。

    ヒンズー教の神が取り持つ不思議な縁だ。

    インドネシア旅 (民家見学)

    バリ3日目、ガイドのハニーさんが民家を覗いて見ますか?との提案。

    ↓ 玄関門、多分バリでも裕福な家だと勝手に思う。

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    ↓ 中に入ると子供の頃を思い出す懐かしい風景が広がっていた。

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    ↓ どこの家にも神社があると言う、この家の神社かこれ。

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    ↓ 日本のように鳥居はないが境内に入る門の両側にこんな像が。日本では狛犬。

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    aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaかdddddddddddddddddddddddddddddddd

    ↓ 境内に入ると茅葺きならぬ椰子葺きの社

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    ↓ 台所

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    ↓ 寝室???

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    ↓ 井戸

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    ↓ 鳥小屋

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    ↓ 内側から見た門

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    ↓ 門の前にはもちろん”ベンジョール” その家の玄関を清める意味もあるとか。

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    ↓ ベンジョールの下にはお供え物

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    バリ島の島民のほとんどはヒンズー教徒という。

    ↓ 門の入口にも家を守るヒンズー教の神様?が。

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    ガイドさんから聞いた話、

    神様のお姿を見た人はいないから神はどんな顔かたちやお姿でもいいのだそう。

    その人が思う神の像でいい、だから人の数だけ顔かたちの違う神様がいる。

    ↓ 神々

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    ↓ これも神様

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    いいねぇ~。

    インドネシア旅 (ケチャツクダンス)

    バリ島の各地でケチャックダンスを鑑賞することができるが、こ断崖絶壁の上に立つウルワツ寺院で鑑賞するダンスは、沈む夕日を背景に取り入れて、とりわけ素晴らしいとの評判。

    19時頃の日暮れから始まるのだが、早めに席を取った方がいい・・・とのハニーさんの勧めで会場へ。

    一時間前だったが、もう座っている人がまあまあいた。

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    ↓ ダンスの舞台

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    ↓ 始まる頃には満席になった。

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    ↓ まずご挨拶。現地語だが、ところどころで英語や日本語のサービスも。

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    ↓ 始まった!

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    何か楽器でも使うのかと思いきや、男達が発する"ケチャ、ケチャ”という低音で良く響くリズムでダンスが始まった。

    耳障りの良い独特のリズムだったが、始めから終わりまで約一時間この調子が延々と続き、正直最後は飽きた。

    でも広いインド洋を背景に繰り広げられるダンスは異国情緒たっぷりで圧巻だ。

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    ↓ いよいよ日没、夕日を背景にダンスは続く。

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    ↓ 猿の将軍”ハノマン” を演じる役者はすごい! 客席の中へ飛び込み大暴れする。

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    ↓ ちゃんと舞台も勤める。

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    ↓ 
    圧巻は白猿・ハノマンが焼き殺されそうになる場面です。

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    ↓ 劇が終わり最後の主催者のお礼挨拶

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    バロンダンスの時は、もらったストーリーを読まなかった。

    劇を見れば分かると思っていたのが大間違い。

    しゃべる言葉がまるで分からないから何を演じているのかさっぱり分からない。

    今回は始まるまで時間もたっぷりある、読んでみた。

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    粗筋はざっとこんなもの。

    アヨディア王国のラーマ王子(ヴィシュヌ神の化身)は、妻シータ王妃と弟のラクサマナと共に国を追放され、淋しく森の中で暮らしていました。

    しかし妻のシータがこの森に住む魔王ラワナにさらわれます。

    ラーマ王子は、鳥の王”ジャタユ”や猿の将軍”ハノマン”の協力を得てシータを助け出し、

    最後は魔王ラワナを滅ぼす。

    まぁ~ありふれた筋だがダンスが主体なのでこんなもんか?

    ↓ 詳しくは、 

    《登場人物》

    ラマ軍/ 善 :ラマ(王子) シータ(ラマの妻) ラクサマナ(ラマの弟) ハノマン(猿の将軍/白猿) スグリワ(猿の王/赤猿) スグリワの部下―トゥアレン(道化役/黒面) ジャタユ(鳥の王者/ガルーダ)

    ラワナ軍/悪:ラワナ(魔王) トゥリジャタ(ラワナの姪/シータに好意的) メガナダ(ラワナの息子) デラム(道化役/赤面)

    ダンサーに聖水をかけ、お清めの儀式

    アヨディア王国のラマとシータ、ラクサマナは、陰謀によって14年という長い間、森へ追放されていた。

    《第一幕》

    森の中。若い王子ラマと、王妃シータが愛し合う舞。続いて”黄金の鹿”(魔王の化身)の登場―。
    シータの美しさに心を奪われた魔王ラワナは、”黄金の鹿”(魔王の化身)を使ってラマとラクサマナからシータを何とか引き離そうとする。シータは魔物の魔法にかけられ、ラマに「黄金の鹿をどうしても捕らえて欲しい」と泣いてラマ懇願する。ラマは愛する妻の頼みだと仕方なく承知する。ラクサマナは鹿狩りの為の弓矢をラマに渡し、ラマはラクサマナに妻の安全を託し、森へ向かったが鹿を捕らえる事はできなかった。

    《第二幕》

    ラクサマナは黄金の鹿が魔物の化身だということを初めからわかっていた。ある日、どこからかラマの助けを求める叫び声をシータは聞いたような気がした。シータはラクサマナに見に行くように言いつけるが、ラクサマナは兄の力を信じているので心配はしていない。何よりシータの安全を兄から託されていたので、シータ一人を残して行く事に責任を感じた。しかしシータは自分の言いつけを拒否するラクサマナに対して、兄を見殺しにして自分と結婚したいのだろうと勘ぐる。ラクサマナは怒り、自分の潔白を証明する為に兄を見に行く事を決意する。出かける前にシータの周囲に「火の輪」で安全のおまじないをかけ、シータに「この火の輪から外にでないように」と言い残していく。(ダンサーは内側・外側を向いて火の輪を表現)シータは一人残されてしまう。

    《第三幕》

    魔王ラワナ登場―。取り残されたシータ。このチャンスに美しい人妻シータをさらって行きたい。しかし、近づきたくても火の輪があって中に入れない。ラワナは魔法を使って年老いた僧侶に変身し、火の輪の中のシータに「水をください」と懇願する。シータは僧侶に同情し、火の輪から出て水を差し出してしまう。その時、シータはラワナの罠だとわかり逃げ惑う。罠にはまったシータをラワナが捕らえようとすると、鳥の王者・ジャタユが空からやって来て助けようとするのだが、魔王の力には及ばず殺されてしまう。ラワナはシータを捕らえ、王国に連れ去る。

    (間:ダンサーのみの舞踏)

    《第四幕》

    ラワナの姪・トゥリジャタ登場―。ラワナは捕虜となったシータの世話役としてトゥリジャタを側に付かせた。その頃、白猿のハノマンはラマから依頼をうけシータを探しみつけた。囚われの身となり嘆き悲しむシータ。トゥリジャタはそんなシータを慰め元気付ける。ハノマンは二人の姿を隠れて見ていた。突然ハノマンがシータの目の前に現れ、シータはラワナが今度は猿にでも化けて近づいてきたのか?疑う。しかし、ハノマンはラマから預かった指輪を差し出し、その指輪が間違いなくラマの物であることがわかり、シータも自分の髪飾りをハノマンに預け、自分の無事をラマに伝えるように頼む。ハノマンは王国を去る前に王国を壊し暴れた。しかし、捕らえられ火の中に投げ込まれて焼き殺されそうになる。その火の中で目が覚め、何とか無事逃げ出すことができた。ハノマンは怒り、意気揚々と王国を去っていく。

    (間:太ったラクササ達(魔物達)の登場)

    《第五幕》

    ラマはラワナの王国にたどり着き、ラワナの息子・メガナダとデラムと戦う。ラマは一人の力ではシータを助けられないとハノマンに助けを求め、両者の間で激しい戦いが繰り広げられる。(ダンサーは2つに別れ、善の軍団、悪の軍団を表現)猿王のスグリワ、部下のトゥアレンも応援にかけつけメガナダと戦う。なかなか決着がつかないが、最後にラマがメガナダに向かって放った矢が命中する。戦いが終わりラマはハノマンに導かれトゥリジャダと共に居た最愛の妻シータと再会する。アヨディア王国に戻り平和な暮しが訪れる。

    バロンダンスの時もそうだったが、インドネシアで猿は善。

    申年の私は嬉しかった。 それで猿のお面も自分用のお土産に買った。

    インドネシア旅 (ウルワツ寺院)

    GWK を後にし次に案内してくれたのは、夕景で有名な断崖に建つ寺院・ウルワツ寺院。

    ここでケチャ・ダンスも観賞すると言う。バドゥン半島南西端の海岸沿いに位置する。

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    海の精霊ブタラ・ダラム・ベジを祀ったバリ・ヒンドゥー教の寺院で、11世紀にジャワの僧 ウンプ・クトゥランによって建立され、16世紀に高僧ダン・ヒャン・ニラルタが増築を行ったとされる。

    晩年のニラルタはウルワツに隠遁し、解脱に達したという。

    ↓ 寺院入口

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    ウルワツ寺院はインド洋の荒波が打ち寄せる断崖絶壁の上に建てられている。

    海に沈む夕日をバックにした素晴らしい情景が大変有名との事。

    近くのスルバン海岸はサーフ・ポイントとか。

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    この寺院は野生のサルがいることでも有名で、ガイドさんから帽子やメガネを取られないようにと注意を受けた。

    ↓ 猿がいた
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    ↓ こんな道が先端まで続く
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    ↓ この辺が先端、寺院の反対側
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    ↓ ここから寺院(矢印)側を見る。
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    ↓ 3層の建物がヒンドゥーの最高神を祀る寺院
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    ↓ 寺院への道、売り子のおばさんが頭の上にカゴを載せて器用に歩く。
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    ↓ 大勢の観光客
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    ↓ 寺院は神聖な場所なので、短パンや短いスカートの人は入場禁止

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    また、生理中や出産後42日間経ってない女性は入れません。

    生後三ヶ月未満の赤ちゃんも。

    またまた、身内(はとこまで)の誰かが亡くなった時も、地域によって様々だが、3日間から最長30日間まで入れないとか。

    短パン,短スカートの入場者には腰巻と腰帯を貸してくれる。

    インドネシア旅 (GWK 像)

    存在感抜群の像で、空港からも見える、あれは何だ 何?なに  

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    その像が、バリ島のランドマークとなるように設計された記念碑 ・ ガルーダ・ウィスヌ・クンチャナ像 (略して GWK像)。

    インドネシアで最も有名なモダン・アート彫刻家・ニョマン・ヌアルタ氏によって設計され、構想から28年を経て2018年10月に完成した。

    完成後に行けたのはラッキー

    建築費用はなんと 約 1億 ドル、日本円換算 約 110億円 かかったとか。

    高さは120メートルで 21階建ての建物と同じ、インドネシアで一番高い。

    ↓ 遠くから見ると

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    ↓ 近くからは

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    翼を広げた神鳥ガルーダに乗る ウィシュヌ神の姿を表現したとある。

    ウィシュヌ神は水を司るヒンドゥー教の神様で、永遠の善行である「アムルタ」に対応する良心の化身として園内のウィスヌ広場に鎮座する。

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    ↑ 高さ約 20mと、かなりの大迫力。

    一方、この神を乗せて飛ぶ鳥・ガルーダの頭部の像がとなりにある。

    これまた大迫力

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    ガルーダは、神話にたびたび登場する黄金の神鳥で、インドネシアの国章でもあり、

    ガルーダ・インドネシア航空の名称もここからきている。

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    面白いのは像のすぐ横に巣があって三個の卵がある事。

    ↓ 子孫繁栄を願ってか?

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    この辺りからもGWK像 がその存在感を示す。

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    ↓  ウィシュヌ神神鳥ガルーダが一緒に写る風景

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    インドネシア旅 (GWK カルチュラルパーク)

    チリの女神があるレストランでお昼をしたアト、案内してくれた観光地は、ガルーダ・ウィスヌ・クンチャナ・パーク(GWK)。

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    この公園は、ングラライ国際空港から約11.1km離れたウンガサン(Ungasan)にある文化公園で2000年にオープン、面積は 240 ヘクタールもある。

    バリ文化の活性化と保護を目的とした大型カルチャー・パーク。

    この地区で採れる石灰岩を切り開いて造られた敷地内には、バリの文化に触れることのできる様々な施設がある。

    ↓ まずバスで公園入口に到着

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    ↓ バス停付近にあるオブジェ、ガルーダの卵???

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    ↓ 3体の像 いづれも何かの神様?

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    ↓ チケット売り場

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    ↓ 公園入口

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    ↓ 中に入るといきなりこんな風景が!

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    ↑ どうも、岩と岩の間の石灰岩を削ってつくった人工的なものらしい。

    ↓ おみやげ屋の横にある道を抜けるとアート広場に出た。

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    ↓ アート広場を抜け、大蛇が巻きつく階段を上る。

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    ↓ 階段を上るとプールのある庭に出た

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    ↓ 庭には山全体を亀の甲羅に見立て、そこから顔を出した亀のオブジェがあった。

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    ↑ 周りを削って亀の頭を造ったのか? はたまた亀の頭を後でくっつけたのか?

    ↓ さらに階段を上ると、目の前に巨大なウィシュヌ神像

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    ↓ ガルーダ像

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    ↓ ガルーダ像の前の広場

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    ↓ 広場から見たガルーダ像

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    ↓ ぐるりと回って元の広場へ出てくると、ここにGWK像のミニチュア版があった。

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    ↓ 大小2つのGWK像

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    ↓ 再び入口へ、ガルーダが孵化したアトの卵

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    ↓ 公園へのアクセス道路脇にコモドドラゴンの像

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    ここへガイドさんは案内してくれなかったが、

    ↓ ウィシュヌ神 の腕 の像が あるとネットで知った。

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    ウィシュヌ神の像に腕がないのはギリシャのミロのヴィーナス像などでお馴染み。

    違和感はない、だが、腕だけの像にはちょっとドキッとする。

    ウィシュヌ神像が古代の産物で、発見された時、腕が欠損していたと言うなら分かるが、

    近年製作した像なのに腕なしとしたのは何か深い意図があるのか???

    遊び心があって面白い  

    インドネシア旅 (豊穣の女神)

    2019年1月15日、この日の昼食は、田舎のレストランで。

    田舎と言うと語弊がある、バリはどこへ行っってもこんな感じだから。

    ↓ レストラン入口

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    ↓ レストランの中 まだお客はまばら

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    ↓ 入口の反対側にはこんな風景が広がっている

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    ↓ 田園側からレストランを覗う

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    ↓ 正面の像はお米の神だとガイドのハニーさんが言う。

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    穀物や作物の豊穣を司る神で、その証に稲穂を持っている。

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    この神様、 チリ またはスリ と呼ばれる女神。

    以下ネットから。  

    チリ はヒンドゥー教の神話に登場する女神で、「デウィ・スリ」という名前で登場します。

    デウィは女神を、デワは男神を意味し、いずれも名前の前に付く。  

    この世につかわされたチリは、あまりに優しく、あまりに美しかったため、他の女達の妬みをかい、次第に孤立し、最後は寂しく死んでしまいました。

    その後、チリを埋葬した墓場から、その頃は未知の穀物であったお米が育ってきたのです。

    人間達は、チリの墓場から育ったお米を育てることで、安定した生活を手に入れることができました。

    その恩恵に感謝した人間達は、チリのことを哀悼と感謝の念をもって祭るようになりました。

    この神話から、チリは、お米の神様、稲の女神、豊穣の神様、などと呼ばれています。

    また、バリ島では、チリという言葉は、可愛い、美しい、という意味で使われています。

    インドネシア旅 (ウブド マーケット)

    ウブドマーケットは、ウブド王宮の目の前にある市場。

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    ↓ 市場への入口

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    スーパーやコンビニも近年増えてきたウブドだが、地元住民は新鮮で安い食材を求め、毎朝この市場を訪れるとか。

    朝と昼では売るものが違うと言う。

    夜明けから10時ごろまでは朝市が開かれ、住民が生鮮食料品やお供え用の花、日用雑貨などを求めて集る。

    野菜や肉など、周辺の農村から運ばれてくる、新鮮なものばかりで価格も安く庶民の台所となっている。

    10時を過ぎると、朝市は閉まり、代わりに民芸品や装飾品、絵画などを観光客用に売る市場となる。

    私が案内されたのは昼市。

    観光客相手のお土産品が所狭しと並ぶが、品物には定価がなく、値段はすべて交渉によって決まるとガイドが言う。

    買い物をするには現地人の同伴がなければできそうもない。

    ↓ ウクレレもたくさん売っている。

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    数が多いのは木彫品で、仏像と男根が目立つ。大きさもいろいろ。

    仏像はスリランカへ行った時に Get。

    今も自宅の仏壇に鎮座している。

    スリランカで案内してくれた車に小さな仏像があって、そんなのが欲しい・・・

    と探したが気に入ったものが見つからなかった。

    男根は子孫繁栄を願う人類共通のシンボルで、日本にもそれを祀った神社やお寺もある。

    結局ここでは何も買わずじまい。次の観光地へ向かう。

    うたづの町家とおひなさん

    今年で16回目となる 「うたづの町家とおひなさん」を久しぶり覗いてきた。

    宇多津町は中讃地区ではユニークな町だ。

    塩田跡地に広がる新興住宅街と江戸末期から昭和初期の町家が残る古街が県道を境に同居する町。

    新興住宅地には大学もあり、スタバには若者が集う。

    若い人の姿を見るのはとてもいい~。隣接する坂出や丸亀では見られない。

    一方古街はお寺や神社もある とても静かな場所。

    第78番札所・郷照寺もここにある。

    ここに建つ町家は通りに面して間口が狭く、奥行に長い所謂 うなぎの寝床

    そんな町家に、ご自由にご覧あれとお雛さまを飾って見せる。

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    ↓ 古街の建家

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    ↓ 家の中には立派なお雛様

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    お雛様に関し、3月1日に放映されたNHKのバラエティー番組『チコちゃんに叱られる』の内容にはビックリPON

    ひな壇トップに並ぶ男女はおだいり様とおひな様と皆が思っている。

    しかし、「内裏(おだいり)」は「天皇皇后両陛下のお住まいになる御所」の意。

    おだいり様が男性を指す言葉ではないため、

    1番上の段の男女がおだいり様、ひな壇の人形全員がおひな様である・・・と。

    この勘違いをさせた犯人は、サトウハチロー氏。

    ひな祭りによく歌われる曲 「うれしいひな祭り」 の二番にある

    「おだいりさまとおひなさま 2人ならんですまし顔」という歌詞が原因。

    これで大勢の勘違いを生んでしまった。私もこの番組を見るまでそう思っていた。

    この曲の作詞をしたサトウハチローも勘違いに気づいていたようで、

    「この曲を嫌がっている様子だった」と孫のインタビューで発覚したとか。

    面白い

    ↓ 健康教室で絵手紙を教えている前田 敏子先生の作品

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    けいの里 その2

    けいの里にはサヌカイト楽器を展示する施設やコンサートを行う施設があるが、

    今は非公開となっている。

    この施設を運用する前田 宗一氏は早い時期に自由に入れる施設にしたいと語っている。

    ↓ 楽器の展示室

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    展示室内には、サヌカイトで作られた実に様々な楽器が並ぶ。

    その楽器は音を出す目的だけでなく、見た目もきれいなサヌカイト工芸品でもある。

    極め付きはサヌカイトをくり抜いて作った笛、

    ここまで加工できたのは最新技術のたまものだ。

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    サヌカイトの楽器は宗一 氏の父・ 前田 仁 氏が作りだしたもの。

    2017年4月に書かれた 前田 宗一氏の「 磬 石の楽器の誕生と歴史について」によると、

    1979年の秋、三重県 津市で開かれた日本考古学会で京都大学・東村武信教授が、

    「坂出市金山東斜面は旧石器時代から縄文に至る石器の素材の原産地である」

    旨の研究発表をした。

    この記事を読んだ 前田 仁 氏は、自分が住んでいる山が 2万年を超える太古の昔より

    この地が「石器の里」であった事を知り、この石をもう一度人の暮らしの中で生かしてみたいと考え、楽器づくりを始めた。

    と云う。

    そして、1980年に第一号の石琴ができて36年経過、

    その間 音楽家をはじめ地質学,考古学,振動工学,宗教家,芸術家など日本を代表する学者が現地に来て、彼らの助言を受けながらサヌカイト石の楽器が誕生した。

    そして今も宗一氏が取り組んでいるのは、楽器の精度を上げてもっともっと良い音を追求する事、新しい楽器を創造する事という。

    「けいの里」の命名は間違いなく「(ケイ)」からきていると思われる。

    とは、中国の雅楽で用いられた体鳴楽器、日本では仏教楽器として使われている。

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    ↓ コンサート会場 ここでサヌカイトの演奏も行われる。

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    サヌカイト

    金山にはカンカン石と呼ばれる古銅輝石安山岩サヌカイトがゴロゴロころがっている。

    その名のとおり石を叩くとカンカンと良い音が出る。

    1300万年前、四国が徐々に出来上がり、特異なマグマの動きで奇跡的な条件の元に生まれたのがサヌカイト。

    地球を構成するマントル内で溶けてできた安山岩質のマグマからなり、一般の安山岩よりマグネシウムの含有量が多くガラス質の火山岩。

    ガラス質の密度が高く、重いことが要因で音の鳴る石になったと言われている。

    サヌカイトは学術名で、ドイツのナウマン博士が発見し、ワインシェンク博士がサヌカイトと命名した。

    へぇ~そうなんだ! 私はてっきり讃岐のサヌから命名されたものと思っていた。

    そうかも知れないが、ドイツ人が香川の事を昔、讃岐と知っていたのか?疑問。

    サヌカイトはそのほとんどが讃岐中部に産出し、金山と五色台が代表。

    サヌカイトは元々山頂に埋蔵されていて、それが古代の大地震で崩壊し、小さな破片となって斜面に散乱したと思われる。

    けいの里には殊の外サヌカイトが崩れ溜まっているらしい。

    ↓ これほとんどサヌカイト、地表にゴロゴロしている。

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    金山は小さな山ながら不思議な山で、日本でも唯一といってよいボーキサイトが採れる山とか。

    ちっとも知らなんだ!

    勿論ボーキサイトはアルミニウムの原料で、戦時中は村人が借り出されボーキサイトを採取しアルミニウムを作ったとか。

    それで飛行機を作ったとの話もあるが眉唾、日本にもボーキサイトがあるとの対外アピールだったよう。

    金山は前田 宗一氏の父・前田 仁氏が地元有力者からこの山を開発して欲しいとの要望で購入した。

    開発に着手したが、カンカン石ばかりが覆っている山は工事を困難にし、途中でやめざるを得なかった。

    しかしその事が結果的には、山全体が遺跡である金山にとって良かったとか。

    今、宗一氏は山を保存しながら施設の充実を図っていて、サヌカイトや金山にまつわる伝説の研究をしている。

    以上、前田 宗一作のパンフ 「サヌカイトそして金山・けいの里」から。

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    ↑ 左端が金山

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    けいの里

    前田宗一氏が運営する「香川県資源研究所」の施設を【けいの里】と呼ぶ。

    ここで、サヌカイトの展示やコンサートを行っているが、展示場はいつもオープンしているわけでなく、予約がなければ入れない。

    金山ニュータウンを上り切ると二本の石柱門があって、初めて来た人はその奥に何があるのか知る由もない。

    知らなければ、これ以上進めないと思い、足を踏み入れない。

    今回自彊術の佐野先生のご紹介で、この施設を見学できるチャンスを得た。

    聞けば前田 宗一氏は佐野先生の従妹にあたるそうな。

    門を入ると広場があり、さらに奥へと道が続く。

    砂利の山道を300mほど進むと左手に建物が見えてきた。

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    こんな所にこんな立派な建屋と瀬戸芸のようなアート作品とがあるなんて!!!

    この付近を案内してくれた。

    まずは小さな泉だが湧き水があるのだろう、水が絶えたことはないという。

    保元の乱に敗れた崇徳上皇が,讃岐へ流され坂出の地でお亡くなりになった。

    ↓ その知らせを京へ届け、対処法などを仰ぐ間、ご遺体を浸しておいたと言う泉。

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    この泉の水は景行天皇の頃、悪魚退治のため讃岐に派遣された日本武尊の息子と兵士が悪魚の毒にやられたのを蘇生したと言われている聖水なんだそう。

    ↓ 池の横に鎮座ましますお地蔵さん

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    ↓ その近くの瑠璃光寺

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    このお寺は空海が仏を三体彫って村人達と一緒に開いた寺で、中には行基作と云われる石仏も安置され、江戸時代まで79番札所だったとか。

    その後、札所は山のふもと(天皇寺・高照院)に下りて、瑠璃光寺は奥の院として再興された。

    奥の院は長く京都・仁和寺の修行道場として僧侶が生活をしていたとも。

    前田氏の話によると、老朽化でこのお寺を復興しようとの話もあったが立ち消えになったとか。

    ↓ またその横には金山神社

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    金山神社

    江尻町の柿茶本舗の事務所の窓越しにいつも見える金山。

    一度、送電線づたいに獣道を登ったことがある。

    かなり険しい道だったように記憶している。

    今回は金山ニュータウンのある広い道からのぼった。

    金山に前田 宗一氏が代表を務める「香川県資源研究所」の施設”けいの里”があると言う。

    そこを見学する機会を得た。その近くにあったのが金山神社。

    こんなところに神社がある なんて・・・。

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    神社の入り口にも鳥居があるはずと、下って行ったら見覚えのある所に辿り着いた.

    そこは八十場のところてん”清水屋”がある場所だった。

    へぇ~ここから上って行くんだぁ~。

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    ネットより、

    この神社は、白峰宮の背後にある金山の山麓に鎮座する。

    ここへの上り口は、八十八名物ところてん清水屋に隣接する墓地横にある。

    ここを上ってゆくと金山神社。

    鳥居をくぐると、瑠璃光寺と書かれた小さな建物が見えてくる、

    金山神社はこの裏手の少し高いところ。

    神社の建物というより、地蔵堂といった感じ。

    その昔江尻村の春市や夏祭りは、山の金山市と海のお恵比須さんに代表され、金山市には、招待したお客さんと共に家庭の自慢料理の押抜寿司や酒肴を持寄して金山神社に参詣し、ワラビや春欄つつじの花に囲まれ、小鳥の囀りを聞きながら野外食を楽しみました。

    金山神社は、金山の神であり、旧江尻村の守護神でもあります。

    又どんな日照りの年でも一度も渇れたことのない江尻の命水の水源の守り神でもある。

    ↓ 瑠璃光寺

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    慢性腎臓病の人が何故こんなに多いのか By 豊岡 倫郎 氏 2019-2-20

    1.新しい国民病といわれる慢性腎臓病

     いま慢性腎臓病の人が推計1330万人いると言われている。成人の8人に1人が慢性腎臓病という。どうしてこんなに多いのか。そしてなかなか根治するのが困難なこの慢性腎臓病とは。

     

    2. 慢性腎臓病(CKDとも呼ぶ)とは

     慢性腎臓病とは一つの病気を示すものではなく、慢性的に腎臓が障害されたり、腎臓の働きが低下している状態の総称である。

     腎臓は握り拳くらいの大きさの臓器で、体の左右にひとつづつあり、その働きは大動脈から大量の血液が腎臓に流れ込むと、そこから余分な水分や塩分を除去し、尿として体外に排泄する働き

    をしている。また血液には体内で出来た老廃物も含まれているので、この老廃物を取り除いて、尿として体外に排泄する。そしてきれいになった血液は腎臓から下大静脈に戻って行く。

      従ってこれら一連の腎臓の働きが低下すると、余分な水分や塩分、老廃物が体内に残ってしまい、体にいろいろな症状があらわれてくる次第である。

     

    3. 慢性腎臓病の原因

     ひとつは糖尿病や高血圧などの生活習慣病があると、全身の血管の塊である腎臓はその影響を受けて、血管や組織が壊れてしまうこと。

      もうひとつは蛋白尿や血尿が長期に亘って現れる慢性腎炎などからくるケースもある。更に加齢によって腎臓の働きが低下してくると、中高年頃から徐々に慢性腎臓病の症状が出てきてしまう。その外の原因として、脂質異常症、メタボリックシンドローム、高尿酸血症、喫煙なども腎臓の機能を悪化させてゆくと考えられている。

     

    4. 慢性腎臓病のリスク

      前述したように糖尿病や高血圧があると、慢性腎臓病を併発しやすいが、腎臓の働きが低下すると、血液中のリンなどの物質が増加して、血管の壁が傷つき、脳卒中や心不全を誘発する。何故かというと、血液中にリンが増加すると、それがカルシュウムと結合して、血管に沈着して、石灰化が起こり、血管が硬くなったり、内部が狭くなってゆく。これが全身に起きるので、特に体の中心部の大動脈に起きやすい。

      また腎臓は水分や塩分の排泄が充分でなくなるので、血液量が増えてくるが、血管が硬く、狭くなっているため、心臓はより強い力で血液を送り出さねばならなくなる。その結果脳卒中、心筋梗塞、心不全が起こりやすくなる。

     

    4. 慢性腎臓病の働きが弱った時に見られる東洋医学的症状

     ★体が疲れる。特に足がだるくなる。

     ★腰や腎臓がある部位に鈍痛やだるさを感じる。

     ★朝起きた時に顔や手が腫れぼったい。夕方になると足がむくむ。

     ★目がすぐ疲れる。

     ★朝起きるのがつらい。

     ★うつ伏せに寝る癖がある。

     ★背中や胸に神経痛のような痛みが時々出る。

     ★顔色が黒ずんでいる。上瞼が腫れている。

     ★足の裏が異常に温かく、夜就寝中に布団の外へ出さないと寝られない。

     ★よく風邪を引いて熱をだし、のどが痛み、なかなか治りにくい。

     ★体を左右に振って歩く。

     ★仰向けになり、おへその左右を手で押してみると圧痛がある

     ★背骨の胸椎の10番の両側を押すと圧痛がある。腎臓へ行く神経はここから出ている。

     ★履物の後ろ外側が減っていると、腎臓が働かないことを示している。

      以上の症状が3個以上あれば、今後慢性腎臓病に発展するか、ごく初期の段階が疑われる。

     

    5.早期発見のための検査

     1)腎臓の働きが低下すると、老廃物の排泄が悪くなり、体内に蓄積される。その老廃物のひとつがクレアチニンで、血液検査によって調べる。血中の血清クレアチニン値(eGFR)の濃度が高いと、腎臓の働きが低下しているとみなす。 eGFR60未満の場合は慢性腎臓炎が疑われる。

     2)尿に含まれる蛋白をチェックすると、通常尿中には含まれない蛋白が出ていると、腎臓の働きが低下しているとみなす。検査結果は「-」、「+」で表し、「-」は正常で、「1+」、「2+」は

     慢性腎臓炎が疑われる。

     3)更にアルブミン尿の値を検査して、アルブミン尿の値が30mg/日以上ならば、慢性腎炎が疑われる。この数値は糖尿病になると、腎臓の糸球体の異常によって、高い圧力で血中の蛋白が血液から尿に漏れ出してくるためおきる。糖尿病性腎性という。

      これ等は健康診断の検査項目として、採用されているので、異常がある場合は、直ぐに病院で精密検査を受ける必要がある。病院ではこれら三項目の値をチェックして、正常、軽度、中等度、高度と区別して、治療方法を選択する。

     

    6.慢性腎臓病の治療

     前述したように慢性腎臓病発症の原因は、糖尿病、高血圧、腎炎など腎臓自体からのもの、脂質異常症、肥満、加齢、タンパク質やカリウム、塩分その他の食事内容、他の服薬、運動量などいろいろあるので、原因に合わせた治療と生活習慣の改善を行うことになる。

      当然治療の具体的事項は専門医との相談のうえ開始する必要がある。ただ一つ言えることは慢性腎臓病の発見が遅ければ遅いほど、治療も難しくなるから、早期発見、早期治療が大事である。

      最悪の場合は人工透析、腎臓移植が必要となるから怖い。それほど慢性腎臓病の治療の決め手が無く、困難で、長引いて、治りにくい病気なのである。

     

    7.現代医学での慢性腎臓炎の症状

     慢性腎臓病の進行度によっても異なるが、例えば次のような症状が出る。

     ★だるさ、食欲不振、吐き気、頭痛、むくみ、息切れ、動悸、骨が脆くなるなど。

     

    8.慢性腎臓病に対する甲田療法とは

     「腎臓病と甲田療法」という本を紹介する。著者は甲田光雄博士、創元社刊、20021月発行。甲田光雄博士は大阪大学医学部卒業、八尾市に甲田医院を開業して、西式健康法を基にした、独自の甲田療法を考案して、多くの難病で苦しむ人の治療に専念する。200884歳で逝去。

     1)253ページから成るこの本の内容は、前篇は腎臓病の理解と健康対策として

     ★現代医学だけでなく、民間療法にも金の卵がある。

     ★腎臓の解剖と生理

     ★腎炎、ネフローゼの概略

     ★腎疾患診断に必要な検査法

     ★腎臓病の健康対策として、

      ・風邪を引かない身体になること

      ・足の故障を直すこと

      ・腎臓の働きを助ける方法

      ・食事療法

      ・腎臓病に対する断食療法

      ・家庭で出来る一日断食

     ★腎臓病の予防について

     なお後編は断食療法体験記・・・腎炎、ネフローゼとの闘い

     ★10人の方の体験治癒例が載っていてる

     2)慢性腎臓病に対する甲田療法とは

     ★西式健康にある裸療法、温冷浴を行い皮膚を鍛え、体内の血液循環をよくすること

     ★足の故障を直す。腎臓の働きが低下するのは、足首の故障が最大の原因と見なす。脚絆療法と毛管運動をして、足首の歪みや炎症を治す。

     ★腎臓の働きを助ける方法として、脚湯法、平板に寝る、金魚運動をするなど

     ★食事療法として、少食にして、玄米、生野菜の摂取、生水やビタミンCを柿茶から摂るなど。但し高度の疾患は生野菜のカリュウム摂取はいけない。高脂肪、高たんぱく食もいけない。

     ★断食療法によって宿便を取りのぞく などである。

     3)これらの療法の中で特筆すべきことは、

     ★足の故障を治すことである。腎臓の悪い人は100%足に故障があるという。このことは現代医学では無視されているが、甲田博士は何十人もの腎臓患者を治してきた臨床経験から自信持って断言している。足首の故障は腎臓ばかりでなく、風邪やノド、扁桃腺,鼻の疾患にもなりやすいという。

       その根拠となっている外国の研究がいくつかある。まず足指の付け根が痛いのは、モルトン氏病と云う。特に親指の付け根が痛いことが多い。次に踝の周囲を押してみて痛いのは、ソーレル氏病と云う。それぞれこの痛みを研究した人の名前がついている。この痛みは左右の足を交互に指の付け根から踝へ、次に膝へ、更に股関節へとどんどん上の骨格に影響を及ぼし、最終的に首の曲がりに行き着く。

       もう一つの研究はスペインのツルーエタ博士は1941年のドイツからロンドンへの空襲の時に、ロンドン市民で足に怪我した人が皆腎臓病になったのことから、更に動物実験で、足の故障と腎臓病のことを研究して、1947年にその成果を世界に発表している。

     ★断食によって、宿便を取ることである。これも現代医学では無視しているが、宿便の害を取り、腸内環境をよくして、善玉菌を増やし、きれいな血液を作ることが肝要という。

     ★食事療法の重要さである。玄米、生野菜中心の少食である。そして甘いもの、酒は避ける。

      大食、甘いもの、酒の多食、多飲の人は足に故障が起きることを、多くの臨床経験の中で確認している。

     ★背骨の歪みを直すこと。特に胸椎の10番の歪みを正す。

     

    9.まとめ

     1)いま子供の腎臓疾患が増えていると聞く。運動不足、甘いものの摂り過ぎ、高脂肪、高たんぱく食、および加工食品の食品添加物などが影響しているためだろうか。確かに今の子供は姿勢が悪いのは骨が弱いためだろう。

    2)足の血流が悪いと、ヘソから下の腎臓、膀胱、前立腺、子宮筋腫、痔などの疾患に罹り易いと言われている。その訳はこれらの臓器や器官の血流は足の血液循環によって左右されているからである。特に太腿の内転筋が衰えると、これら臓器や器官への血流が滞るため、機能が低下する。

    3)東洋医学の経絡の腎経が足の裏から踝を経由し、脚から下腹部へ繋がっていて、足に故障があると気血が上へスムーズに流れない。

    4)この本にある治癒した体験談を読むと、現代医学に見放された人が、甲田博士の指導の下に、涙ぐましい努力をして、健康体に復帰した喜びの話には感動する。

    5)足の故障は万病の基という。足の親指の付け根、足くるぶし、膝、股関節に違和感がないだろうか。これまでに足首をねん挫した覚えがないだろうか。今は痛みが無くても、断食をすると、治癒反応として痛みが出てくる。医者は健康のために、散歩を勧めるが、こんな人が散歩するのは、とんでもない話である。95%の人は足に何らかの故障があるというから、それを治してからにした方が良い。

    おわり

    インドネシア旅(ヒンズー教寺院)

    インドネシア共和国の90%はイスラム教徒、

    そんな中バリ島ではヒンズー教徒が90%を占める。

    従いバリ島内にはヒンズー教寺院が山ほどある。

    ガイドさんに案内されたとある寺院、名前を教えてくれたがメモを忘れ、調べても分からなかった。

    ↓ この寺院がある道路

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    ↓ 中に入って道路側を見る

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    ↓ 中の風景

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    ↓ お祈りの場所???

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    とにかく不思議な石像がいっぱいある。

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    バリ島のヒンズー教についてNet 検索してみた。

    バリ・ヒンドゥー教の歴史は、4~5世紀にさかのぼり、この頃から隣のジャワ島との交流が始まり、インドのヒンドゥー教や仏教がバリ島に伝わってきた。

    8~11世紀ごろになると、ジャワ島とのつながりがますます強くなり、ジャワ島からは、ヒンドゥー教の高僧が何人もバリ島を訪れ、寺院の建立や文化の伝来が行われた。

    バリ島内の宗教は、昔からあった土着宗教に、ヒンドゥー教や仏教が混じり合い、ジャワ島で栄えたジャワ・ヒンドゥー教とは、また少し違った風習をもつ宗教が発達していった。

    16世紀に入ると、バリ島の宗教に大きな出来事が起きる。

    それは、インドネシアの広い地域を支配していたヒンドゥー教国・マジャパヒト王国がイスラム勢力に押され衰退していった事です。

    このことにより、イスラム勢力に追われる形で王国の僧侶、貴族、工芸師などがバリ島に逃げてきました。

    そして、バリ島内のジャワ・ヒンドゥー化が一気に進み、現代のバリ・ヒンドゥー教が確立しました。

    そして、第二次世界大戦を経て、インドネシア共和国は独立しましたが、共和国の憲法の前文にはパンチャ・シラという建国五原則があり、

    その第一条項は「唯一至高の神」、つまり一神教の信仰が国家理念の柱となったのです。

    これに慌てたのが、バリ島の人たちです。

    ヒンドゥー教は多神教。

    つまり、インドネシア共和国においてヒンドゥー教は認められないのではないかと言う事。

    そこで、自分たちの信仰するヒンドゥー教を国に認めてもらおうと運動が起き、宗教エリートたちが中心となり、教義や唯一神、制度、組織などを整備し、認めてもらった。

    現在インドネシア共和国が公認する宗教は、

    「イスラム教」「カトリック」「プロテシタント(クリスタン)」「仏教」「ヒンドゥー教」「儒教」の6宗教だけ。

    そして子供が17歳になると自らの意思で宗教を選ぶ事ができ、それが親や親族と異なってもいいらしい。

    バリ・ヒンドゥー教とは、何か? の答えは、

    「サン・ヤン・ウィディーという唯一神を信じ、その神に対して祈りをささげる事」。

    バリ島の人々の宗教感・人生感の中には

    「世の中は善と悪がバランスよく存在し、禍はこのバランスが崩れるから」

    という考え、

    そして「輪廻転生」の考えがあり、それが、火葬式など数々の儀礼の元になっている。

    世の中に善と悪がバランス良く・・・の考え方は私には何故か新鮮に思えた。

    第19回写真展

    息子嫁のお父さん・浜口 戴氏はアマの写真家である。

    とにかく写真を撮るのが好きで、いつでもカメラを持参している。

    また丸亀東ロータリークラブ写真同好会の会員でもある。

    2月18日(月)から2月24日(日)まで、同好会員の写真展が丸亀市生涯学習センターで開かれるのでご紹介。

    開催期間中の10時から17時まで、最終日は16時までの展示となっている。

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    同時に 浜口 戴 個展 『なつかしのシャングリラ』も開催予定。


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    シャングリラとは、

    イギリスの作家ジェームズ・ヒルトンが1933年に出版した小説 『失われた地平線』 に登場する理想郷(ユートピア)の名称。

    ここから転じて、一般的に理想郷と同義としても扱われている。

    インドネシア旅(ペンジョール)

    ガイドのハニーさんが最初に教えてくれたものは「ペンジョール」

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    バリ島の各家の門口に立てられている竹の飾りがペンジョール。

    ガルンガン祭礼期間中に、神々と共にご先祖様をお迎えするために立てられるとか。

    日本の七夕飾りに似ていて、それと無関係ではなさそうだ。

    七夕はその昔、お盆に関係があった。

    七夕(たなばた)は棚機(たなばた)とも棚幡とも書き、故人をお迎えするため精霊棚と

    その棚に安置する幡(ばん)をそろえる日でもあり、七日の夕方からそれを行ったため

    棚幡がいつしか七夕と呼ばれるようになったとも。

    従い、七夕の竹飾りはお盆に関係していて、亡くなった人の魂をお迎えすると言う意味で

    ペンジョールがガルンガン期間中にご先祖様の魂をお迎えするのと似ている。

    バリ・ヒンドゥー教にはたくさんの祭礼日や祝日があり、210日ごとにやってくるのがガルンガン。

    ガルンガンは善であるダルマが悪アダルマに勝利した記念日の祝日で、神々や祖先の霊、また自然霊が地上の寺院に降り立つ日とされている。

    この日には人々は祈りをささげてお供え物をしますが、祖先の霊が帰ってくるということから日本のお盆に通じるところもある祭礼。

    ペンジョールは、写真の如く弓状に先をしならせた長い竹竿と椰子の葉を飾りつける。

    以下ペンジョールについてネットから。

    山岳信仰のあるバリでは、神々は“山”いるものと考えられてきた。

    ペンジョールは、天と地をつなぐ龍を表しているという説と、山を象徴する説がある。

    訪れた神々を手厚くもてなし、1年の豊作を祈願したことには違いない。

    ことの起源は、16世紀半ばに活躍した高僧ニラルタに由来するといわれている。

    この地上にある生活に必要なものは、すべて神が創造した神からの授かりものと考え、感謝の意味を込めて、大地からの恵みの作物、果物、稲、砂糖キビなど、収穫の一部を供える。

    先端には、ポロサンや花をつけ、椰子の葉を見事に細工したサンピアンを飾る。

    祝い事の日には、サンピアンはつけない。

    また、供物を置く場所として、ペンジョールの足もとにサンガ(祭壇)も取り付けられる。

    竹の長さや装飾は、地域によって違う。

    特にウブド地域は豪華で、竹は太く長く、割とデザインが統一されている。

    他の地域は、まったく質素なものだ。

    シンガラジャ地方は、まさに七夕飾りと同じだ。

    ペンジョールは、ガルンガン、オダラン、田んぼの儀礼、地霊儀礼の日にも立てられる。

    現代では、独立記念の催しものなどの祝い事の日にも掲げられ、これはペンジョール・ヤヤサンと言われている。

    ペンジョールが2本立っているのは、この家で、結婚儀礼があり家族が増えたということを神々に知らせるためだ。

    家庭内の祝い事まで外部に分かるとは面白い。

    言い忘れたがバリ島にはヒンドゥー教徒が圧倒的に多い。ガイドのハニーさんもそう。

    次の観光先、ジョグジャカルタはイスラム教徒の島、だからジョグジャカルタでは

    このペンジョール、どこにも見当たらなかった。

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    インドネシア旅(バロンの踊り)

    バリ島観光は到着の翌日「バロンダンス」鑑賞から始まった。

    舞台でのダンス披露と聞いて、てっきり夕方か夜になって開幕するのかと思ったら、

    午前9時開演と言う。

    えっ~そんなに早くから???

    ↓ 会場入口

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    ↓ 入場チケット

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    入場料は、10万Rp (ルピア)≒
    790円と安い。

    上演時間も約1時間と舞台劇としては短い。

    「バロン」とは獅子の姿をした聖獣で良い魂を表す動物。

    このバロンと、魔女が変身した悪い魂を表す動物・ランダ とが主役となって、

    ”ガメラン”と言うバリ島独特の楽器が奏でる音・・・楽 に乗ってダンスは繰り広げられる。

    もともとこのダンス、災いから守る為の儀式として行われてきたそうで、人の心にある善と悪の戦いをテーマにしていて、

    『この世には善と悪が永久に存在するが、惑わされる事なく調和を保っていきましょう。』

    という思いが込められていると言う。

    バロンとランダがこの踊りの中で、いかに戦っているかを表わし、どちらの勝利もないままに終る。  

    現在でも各村々で神聖な儀式として寺院のお祭りなどで行われているらしい。

    人の心に善と悪がある事は明白、

    だが、その悪の存在を真っ向から主役に取り上げているのは、何故か新鮮さを感じた。

    劇の中で役者がしゃべる言葉が分からなくても、観光客用に見やすくコミカルにアレンジされたものとなっている。

    ↓ 石畳の舞台

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    ↓ 舞台左側にあるガメラン演奏場

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    バロン・ダンスと並んで名高いケチャック・ダンスでもそうだが、バリ島の伝統舞踊では「猿」が重要な役割りを果たす。

    猿はあるときは神のメッセンジャーであり、神の味方として悪とも戦う。

    日本の神話でも、皇孫ニニギのミコトが天から降りてくる前に、その道であらかじめ待っていて先導役を務めたのが猿田彦大神。「猿」の文字が入っている。

    私は申年、おおいに気を良くした。

    ↓ まずはバロンが奥から登場

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    ↓ 物語前の歓迎の踊りと喜劇

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    踊りは7段階に分れており、入口でもらった日本語版説明書によると、 

    ・ 一幕

    二人の召使いが現れます。

    この日サデワ王子は、バタリ・ドルガという死神のいけにえとして捧げられる運命にありました。

    王子の母親・女王に仕える2人の召使いの前に、死神の使い(魔女)が現れ、王子が死神の生贄になる事を伝えます。

    魔女が去った後、召使いはサデワの国の首相に生贄にならぬよう助けを求めます。

    ↓ 召使いの踊り

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    ・ 二幕 

    首相と女王が現われます。

    女王は王子がいけにえにされるのをとても悲しがっております。

    そこへ魔女が現れ、魔女は女王の気が変るのを恐れ呪いをかけて、王子を生贄にする様首相に命じさせます。

    ↓ 首相と家来

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    ・ 三幕  

    首相は、サデワ王子を自分の息子の様に愛しており、女王の命令に背こうとします。

    魔女はこれに気づき、首相にも呪いをかけて王子を死神の住んでいる家の前に縛り付けさせます。

    ・ 四幕  

    シヴァの神様が現れます。

    神様は王子が木にしばりつけられているのを見て哀れみを持ち、王子を不死身にします。

    ↓ シヴァ神

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    ・ 五幕 

    死神が現われます。

    王子を見て、早く生贄の儀式にとりかかりたいと思いますが、王子が不死身の身体になっているのを知り、自分の敗北を認めます。

    死神は王子に自分を殺してくれる様に頼み、死神は天国へ行けました。

    ↓ 死神(中央)

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    ・ 六幕  

    死神の弟子だったカレカは、同じ様に天国に行きたいと望み、王子に殺してくれるよう願いましたが、王子はこれに同意しません。

    そこで、カレカは巨大な動物や鳥に変身して王子と戦いますが、いづれも負けてしまいます。

    カレカは最後の力をふりしぼって悪魔の女王であるランダに変身します。

    王子はこのままではランダにかなわないと知り、真実の神のバロン゙に変身します。

    ランダとバロンの力は対等で決着がつかず、バロンは助けを求めます。

    ・ 七幕

    味方が来て戦いますが、ランダの魔法にかかり、ランダに対する怒りを全て自分たちに向けてしまいます。

    バロンはこれを見てランダのかけた魔法を取り除きますが、結局はランダとバロンの終りなき戦いになります。

    ↓ 自分を刺すバロンの助け

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    踊りが終った後、お寺の僧たちが代りに生贄を捧げ、又踊っていた人たちには

    清めた水をふリかけ、舞台は終焉した。

    ↓ 日本語版説明書

    Photo

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