Jou光

  • 親父
    彼は子供の時から絵が上手いと、親の欲目で思っている。目の前でさらさら描かれると、ついつい感嘆してしまう。世の中いっぱい絵の上手い人はいるが、この道で飯が食えるのはスポーツ選手と同じで極一部。でもとにかく趣味でも良いから絵を描くことは続けて欲しいと願っている。

春爛漫

  • ぼけの花
    柿茶の里は徳島県美馬郡つるぎ町に位置する。柿の葉の生産農家へ毎年春と秋に行く。春はことさら美しい。桜が咲き乱れ山の木々が新緑に包まれる。澄んだ青空に身も心も洗われる気がする。

アユタヤ遺跡

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    1491年に建てられた王族の守護寺院。3つの大きな仏塔には、ラーマティボディ2世と父、兄の遺骨が納められています。 寺院ではありますが僧は居住せず、王の礼拝堂として王族の儀式に使用されていました。この寺院もまた、1767年ビルマ軍により破壊され、16mあったという金で覆われた仏像も金を奪われた後、壊されてしまいました。

暁の寺院 タイ

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    トンブリ王朝時代の守護寺で最高位の寺院とか。きらきらと輝く陶器の破片に覆われた高さ約79mの大仏塔は、ラマ3世により5年がかりで改装された。朝日を浴びた大仏塔の神々しい姿が”暁の寺”の名前の由来。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

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    セイロンへの留学から戻ってきた僧侶のために、1357年初代王ウー・トーンが建立しました。仏教寺院は瞑想の場として使用されていました。現在も多くの仏教徒が訪れ、週末は観光客でにぎわいます。

水上マーケット

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    ダムナン・サダックの水上マーケット。その昔、”東洋のベニス”と言われたバンコクでは、日常的商取引には運河が利用されてきた。水上マーケットは、古き良き時代の情緒溢れるバンコクの生活を体感させてくれる。 

2008年7月 タイ王宮

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    白壁に囲まれた20万㎡の敷地内には、1782年に建設された国王の宮殿、即位式の建物、王室守護寺院のエメラルド仏寺院などチャクリー王朝歴代の王により建造・改築された建物が建ち並んでおり、ラマ8世までは実際にここに住まわてていたとか。

涅槃寺

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    タイ語で Wat Pho(ワット・ポー)と呼ぶこの寺は、ラマ1世が建立したバンコク最大の境内を持ち、バンコク最古の歴史を持つ寺院。本堂には写真のようなリクライニング・ブッダの愛称で親しまれている寝釈迦仏が横たわる。足の裏には螺細細工でバラモン教における108の宇宙観が表現されていると言う。

最近のトラックバック

龍王山

高見島のほとんどは山、てっぺんに龍王宮があると聞いては登らざるを得ない。

標高297mと高くない。一時間もあればと気軽に考えたのが大間違い。

瀬戸芸に合わせ登山道は整備されている筈と地元の人からも聞いた。

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↑ 地図をみるといろいろなコースがあった。

時間節約にと急勾配コースを選んだのがこれまた大失敗。

「遊歩道」と書かれた小さな標識をたよりに、そう整備されているとは思われない小岩だらけの山道を上へ上へと辿る。

↓ 三合目の休憩所

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雑木で作った椅子は片方が崩れ落ち「休憩所 三合目」と書かれたラミネート標識が揺れていた。

休憩もできず、次第に怪しさを増す山道を進むと四合目の印があった。

えっ~まだ四合目??? だいぶん登ったつもりなのに。

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気を取り直して登る。

↓ 何とか九合目まで来た。

遊歩道の標識はもはや何処にもなく、九合目のラミネートが針金から解放されて山道に落ちていた。

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さて上をみると頂上が近いしるしの太陽光が射している。

でも道は今まで通過した状況とは全く異なっていた。

登り道に人が通った形跡が全くない。

これまでの道は何とか開け、小枝を搔き分けながらも登ってこれた。

しかし今からの道は釜か鋸で小枝や竹や下草を切り払わないと進めそうにない。

さて! 考えた。

諦めて引き返すべきか? 多少苦労しても道なき道を進むべきか?頂上はすぐそこなのだ。

足元は小岩だらけに様相を変え、滑りやすさの度を増している。

引き戻すにしても、よほどそろそおろ下りないと滑落しかねない。

しばらく考えた挙句、下した決断は引き返す事。

案の定、二回も滑落。幸い滑落先に岩や身体を破壊するものがなく事無き得た。

今から思えばラッキーだった。まだ生きておれとの神のお言葉かも知れぬと大げさに思う。

無事元の登り口まで辿り着いた時には足はがくがく、喉はカラカラになっていた。

時間はさほどかからぬだろうとペットボトルの水さえ持たぬ不用意さ。

反省する事しきりだった。

1、まず途中で急勾配の道と緩い道の二岐標識があったのに前者を選んだ事

2、たかが300mもない山と高を括った事

3、リュックも持たず、水筒も持たず、杖も持たず登った事

4、一人で行った事

次回また反省点を克服して挑戦しよう・・・と思う。機会があれば・・・だ。

高見島の神々

高見島にはかって9つの神社があったと看板にある。

まずそのひとつ、祇園社 ↓

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↑ 祇園社は龍王山登山道の起点

↓ 八幡宮 海べりに鎮座する

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↓ 鳥居をくぐると長い階段が続く

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神社に関係ないが、かって學校があったようで定番の像が。

↓ 薪を負い本を読む姿は二宮金次郎の像に違いないのだが、 

えらくふくよか・・・しかも女の子っぽい。

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高見島、面白い!

芸術作品(NO. ta03)in 高見島

作品名:Long  time no see

作 者:PARANOID  ANDERSONS 【日本】

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第一印象は ”何だこれ!”

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ゴミ屋敷の屋外版か? と思ってしまった。

創るの、大変だったろうなぁ~。

何を表現しているのかは作者に聞かないとわかる由もない。

普通に生きていく事の大変さ? 生活の苦しさ? 日常の怠惰? 無駄なもの???

■ その他アート作品

↓ 高見島の砂模型。

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↓ 航行する船も石、海の危険を表現?

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入場料300円で入った 作品 NO.09 『家の”メメントモリ”2019』 By ロサナ・リオス

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ますます、わけがわからない???

芸術作品(NO. ta01)in 高見島

まず港にあった作品 『積みかさなる白と空白』 By 鎌田 祥平・並木文音

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中に入ると何もかも真っ白

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普通の生活が突然凍り付いて、そのまま時間が止まったような???

原爆のごとき大きな力が働いて心に大きな穴が開いたような?

白には不思議な力が宿っているのかも知れない。

瀬戸芸 秋会期 高見島へ

瀬戸芸・秋会期が始まってひと月が過ぎ、11月4日で終わるというギリギリの11月2日、行ったことのない島・高見島へ行きたいと思った。

多度津港から船が出ている。早速 港へ行ってみると9時5分発の定期便は、瀬戸芸客で長蛇の列。

回を重ねるごとに芸術祭を見に来る客が多くなっている。

船に乗り、青い海を見ながら島へ行き、芸術に触れるという非日常が、この芸術祭の魅力なのかも知れない。

満員で乗れないかもなぁ~・・・と思いつつも最後尾へ並ぶ。

案の定、その船には満員で乗れず。

積み残された客が大勢いる、すると臨時便が出るという。

ラッキー! 半ば諦めていたのに。

↓ 長蛇の列

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↓ 臨時便

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↓ 先に出た定期便、多度津から高見島経由佐柳島へ行くフェリー

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港を出る途中に今治造船の多度津工場がある。

そこに昔の思い出がよみがえる建造船の雄姿が目に飛び込んできた。

こんな近くで建造船を見るのは久しぶりだ。

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↓ 真正面に見えるのが高見島

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海を眺めるのは私には非常に心地よい、特に晴れた日は海の青と空の青が決して溶け合うことなく、

明確なコントラストを保ち合いながら存在感を主張している。

↓ 大きな台船がタグボートにひかれてお仕事に・・・何を載せて寄港するのだろう?

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↓ だんだん島が近づいてきた

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多度津港から約30分で島に着いた。

瀬戸芸の旗とようこそ高見島の旗が出迎える中、上陸。

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高見島のご紹介

多度津港から北西 約7.5Kmの所にあり周囲 6.6Km、面積 2.33K㎡。

島全体が山で平地が少ない。山の名は龍王山といい標高 297m、塩飽諸島の中で2番目に高い山。

ちなみに一番高い山は広島の王頭山(311.8m)。

龍王山の頂上近くに水の神様・龍王宮を奉る。

高見山は古くから開け、かっては人口も多く海上交通の要衝として栄えていた。

塩飽大工を多く輩出し、漁業・農業の中心だった。小島にもかかわらず島内には2カ寺、9神社があった。

現在は過疎化で人口は激減(約 30人弱) している。

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キリンアート

瀬戸芸が始まった頃からこのキリンやラクダのオブジェを、坂出市内で見かけるようになった。

↓ 今年春会期の瀬戸芸で、会場の沙弥島にこんなキリンが。

コンテナの天井から首が、コンテナの横から足がはみ出している。

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↑ 私が勝手に題して『窮屈,キュウクツ,出して~』

↓ 民家の敷地内で二階を見上げるキリン

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『私でも届かないわぁ~』

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高見島へ行った時、ここにもいた。

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↑ 軽トラに乗る3匹のキリン、題して『仕事なんてやってられるか~』

↓ ここにも、『セクシーでしょ!』

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ここにも ↓ 『なんか楽しい事ねぇかなぁ~』

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↓ 『誰か来ないかなぁ~』

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この作品の作者は誰だろう???

素材は何でできているのだろう???

ちなみに

瀬戸内国際芸術祭とは、瀬戸内海の島々を舞台に開催される現代美術の国際芸術祭である。

対象地区が岡山・香川の両県に跨る一大イベント。

第1回は2010年でその後3年に一回 春・夏・秋に分けて行われている。

今年は、第4回目の開催年。 

旅するクジラ

こんぴらさんへの長い階段の両側には土産物店が軒を連ねる。

が、昨今は店主の高齢化か? 儲からないのか? 閉店した店がちらほらある。

そんな店はシャッターが閉まり、実に味気ない。

そんな味気無さを少しでも緩和しようと、シャッターアートが出現!

出現!と言ってもまだ1軒だけだが、巨大なクジラの絵が描かれたシャッターを発見。

題して【旅するクジラ】

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坂出市や丸亀市の商店街ではずいぶん昔からシャッターアートがあって見慣れたものだが

ついに金毘羅さんの石段店にも広がったか・・・と複雑な思い。

あまり広がらな事を願ってやまない。

四国新聞にこんな記事

参道に巨大なクジラがお目見え―。
海の神様として知られる琴平町の金刀比羅宮表参道沿いに、シャッターアート「旅するクジラ」が完成した。
県内随一の観光地に突如として現れたクジラがモチーフのアート作品に、大勢の観光客も思わず足を止め、記念撮影をするなど早くも人気スポットとなっている。
関係者らは「歴史的な参道にこれまでなかったような新たなシンボルができた」と活性化に向け手応えを感じている。

町内の各種団体で組織する「こんぴら観光ブランド戦略会議」が、年々増え続ける空き店舗対策として初めて企画した「表参道シャッターペイント事業」の一環。
中心となってシャッターアートを手掛けたのは、岡山県在住の画家、幸山将大さん(31)で、制作には地元の子どもたちのほか、地域住民や観光客も加わった。

キャンバスになったのは、石段の83段目にある約10年前に閉店した一刀彫の店の縦約3メートル、横約8メートルのシャッター。
幸山さんは、琴平だからこそ描ける絵として、大いなる海の生物で幸運の象徴ともされるクジラを描くことに決め、具体的なデザインを考案。
2019年9月22日に下地を描く作業からスタートした。

翌23日には、地元の小学校に通う児童や地域住民らが作業に参加。
幸山さんがあらかじめ描いたクジラの輪郭に、水性ペンキを使用してそれぞれの感性で色を付けていった。
シャッターの凹凸に苦労しながらも鮮やかに彩色し、中には自分の手を筆代わりにする参加者もいた。
完成までの延べ10日間で約70人が制作に携わったという。

幸山さんは、参拝客がこれは何だろうと立ち止まる絵が描けたとした上で、「制作に参加してくれた人にも完成した様子をぜひ見に来てほしい。
『ここは私が色を塗った』などと話してもらい、この作品を通じて人と人がつながればうれしい」と話していた。

企画立案した同戦略会議は「今後も訪れる人たちの興味を引くような事業を展開していきたい」としている

 

近視・老眼を自力で良くする名医のワザ

回生眼科院長・山口康三先生監修の本に柿茶も紹介されているのでご紹介。

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Kakicha 

足は万病の元 By 豊岡倫郎 2019-9-18

1、老化は足から

長寿社会が進み、平均寿命も延びて、男性は81歳、女性は87歳となっているが、ただ気にかかることは、健康寿命即ち介護を受けたり、寝たきりにならずに生活が送れる年齢が、男性72歳、女性74歳と意外と短いことである。そして70歳以上の人が男女合わせて、2751万にも居るから、ここで改めて健康で長生きすることの重要性を再認識する必要がある。

2.足は万病の元

足は万病の元という言葉がある。その意味は足に故障や障害があると、体全身の病気に影響を及ぼしているという事で、今回はいくつかの事例を挙げて、解説する。

3.足の故障が全身に及ぼす機序

右の図を参照ください。1_20191101111201

これは西式健康法を創設した西勝造氏が医学文献を参考にして、作り上げた身体故障伝達図である。足の故障は図のように下から上体へと左右交互に及んでゆく。

足の裏の指の付け根付近が痛いのを、発見者の名前を付けて、モルトン氏病という。次に足首の踝の付近が痛いのを、ソーレル氏病というが、例えば右足のモルトン氏病→左ソーレル氏病→右ひざ関節炎→便秘→肝臓→左下胸→右上胸部→左肩→右扁桃腺→左頭部、という具合に全身に影響を与えてゆく。左足にモルトン氏病がある時は、図の点線に従って、ジグザグに上体へ上がって行く。

そこで自分の足指の付け根を掴んでみて、痛みがないか、次に踝の周囲や内外から押してみて、痛みがないか、チェックしてください。足の歪みと云う整形外科担当の疾病が右図のように内科担当の疾病を招いていることを現代医学の医者は知っているのだろうか。現代医学の盲点のひとつである。

4.足の故障と腎臓病

イギリスのツルーエタ博士は第二次世界大戦時に、砲弾で足に怪我をした人を看病していて、その人たちが皆腎臓に障害が出る事に気が付いて、その後動物実験によって、足の故障と腎臓障害の研究成果を発表している。

足に故障がある人はすぐ風邪を引いたり、扁桃腺を腫らすことが多い。これ等の病気を繰り返す毎に、腎臓病も悪化してゆく。最近は慢性疲労症候群の発症にも腎臓が関係しているという。

5.足首の捻挫.

人間は二本足で歩くようになった宿命から、足に故障を起こすことが、生れ落ちた時から死ぬまでに、何度も経験する。その中でもつまずいたり、足を踏み外したり、スポーツをしていて、足首を捻じったり、いろいろ足首の故障を体験している筈である。起きたその時は医者にかかったりして、治療をして日常生活に戻るが、問題は完治していないことが多いのである。即ち痛みがないとか、日常生活に不具合を感じないことを持って、完治と言えないことが多い。

足首は右の図のように、外くるぶし(脛骨)と内くるぶし(腓骨)の間に、距骨(きょこつ)と踵骨(しょうこつ)が挟まれている。足の捻挫は、スポーツや日常活動において、よく起こることがある。その中で多いのが、内返し捻挫である。即ち内側に捻じって、両足の格好はO脚状になる。

踝を構成している骨は関節包で覆われて、その周囲をいくつかの靭帯で補強されている。一口に足首の捻挫と言っても、骨の組み合わせが複雑で、損傷を受けた靭帯や骨を詳しく検査し、適格な処置を受けないと、慢性化して、繰り返し捻挫ぐせになる。痛みがないからと放置しておくと、踝の構造が歪んでしまい、体全体に悪い影響をもたらす。

6.足の相から股関節をチェックする

自然な形で上向きに寝た時の両足の傾きの状態を観察する。正常な形はAの図の、水平線に対して、両足とも60度の傾きのものである。Bの図の左足が前方転位している。C図は右足が少し前方転位している。D図は股関節がぐらぐらになっている。E図は両足とも後方転位している。F図は左足は正常だが、右足が後方転位と内転も加わる。前方転位とは大腿骨の骨頭が寛骨臼(かんこつきゅう)よりも前方にずれていること、また後方転位とは逆に寛骨臼よりも後方にずれているこという。

このように大腿骨の骨頭が寛骨臼にきっちりとはまっていないと、左右の足の長さに差異が出たり、骨盤が上下に傾斜したり、骨盤が前後に捻じれたりする。これらの異常が上半身の背骨や頚骨の曲りを招いてしまう。100人居れば95人の人に股関節の副脱臼がみられると、磯谷公良という先生の「予防医学」という本に書かれてある。

家に例えるならば、基礎の土台が傾いていれば、床も柱も、屋根も傾いてしまうのと同じである。人間の場合はその傾きを全体のバランスを取ろうとして、S字状に上体を曲げながら、最終的には首の曲がりを招く。関節や骨が正しく繋がっていなく、ずれたり、歪んでいると、椎骨と椎骨の間から出ている神経が圧迫されたりして、その神経によってコントロールされている臓器や器官の働きが悪くなってしまい、病気の原因となってしまう。

7.靴底の減り方で病気が解かる

上述したように、足先から首の骨までガタガタに曲がったりしていると、歩き方までおかしくなってしまい、靴底の減り方に特徴が出て来る。底の減る場所と病気になりやすい場所が関係がある。靴底の前の内側が減る人は肝臓が弱いか悪い。前の外側が減る人は心臓が弱い。後ろの外側が減る人は腎臓が弱い。右足の場合は右側の腎臓、左足の場合は左側の腎臓が弱い。後ろの内側が減る人は膀胱が弱い。

8.加齢による足の衰え

筋肉の重量は体重の約40%を占めているが、加齢と共に筋肉量が低下してゆき、特に下半身の筋肉は上半身に比べて三倍のスピードで衰えてゆくという。寝たきり老人になる大きな要因のひとつが、この筋肉量の低下である。筋肉ばかりでなく、骨量も減るし、関節の軟骨も減るし、靭帯も収縮、硬化してゆき、筋力低下し、動作も鈍くなり、歩くスピードも遅くなる。最近は加齢によってもろく弱くなった筋肉をサルコペニアと呼んで、転倒や寝たきりりの原因として、騒がれている。更に認知機能も低下すると、フレイルと呼んでいる。筋肉は適度に使わないと、どんどん減ってゆくことは周知の通りである。

9.何故足が冷えるのか

体の筋肉の70%は下半身半に存在している。そして体が発している体熱の40%以上を筋肉から出ている。今まで運動らしきこともせず、歩くことも少なく生活してきたお年寄りの人は、足が冷えるのも当然の成り行きである。

足が冷える原因として考えられることは、●足の筋肉が少ない。●足の血流が悪い。●日頃から運動したり、体操したり、散歩したりしないので、新陳代謝が悪い。●下半身の骨格が歪んでいる。●ストレスで自律神経のバランスが崩れている。●動脈硬化や糖尿病、低血圧、貧血、甲状腺などの疾患がある。●栄養が偏っている、などが考えられる。

冷える根本的原因は二つある、足の筋肉が少ないと、筋肉の収縮と拡張作用によって血液を心臓へ戻す還流力が衰えて血流が悪くなる。更に足の毛細血管が加齢に加えて、動脈硬化や糖尿病などの人は、硬化したり、消滅していて、還流量が減る。

10.丈夫な足を取り戻すには

1)扇形運動

右の図の右側の方の絵を参照。足先、足指の付け根の部分の炎症(モールトン氏病)を治す方法で、例えば右足の場合は、右手で右足の足首を外側から握り、左手でかかとを掴み、両手の調子によって足先を横に振り動かす。

2)上下運動

右の図の左側の方の絵を参照。足のくるぶしの炎症(ソーレル氏病)を治す方法で、例えば右足の時は、右手で足首を握り、これに左手を持ち添えて、足先を上下に振り動かす。なお下肢を水平に保持すると振りやすくなる。

3) 毛管運動

毛管運動とは仰向けに寝て、首に枕を敷き、両腕と両脚を垂直にあげ、痙攣させるように細かく微振動させ、毛細管現象を引き起こさせる運動で、これによって、血液は円滑に心臓に戻り、かつ手脚の毛細血管からは血液が足りない状態になるため、手脚の側からは血液を引っ張る力が生じて、毛細血管の働きが強化される。1~2分行う。右図参照。

4) 合掌合蹠運動

合掌合蹠運動とは、平床などの上に仰向けに寝て、両手を胸の上で合掌させます。蹠とは足の裏のことだから足裏も同様にぴったりと合わせて、膝を曲げて開き、手と足裏を合わせたまま手と足を前後に縮めたり伸ばす往復運動を十数回行う。終わったらそのまま手足を合わせた姿勢で2~3分間安静を保つ。朝夕1回ずつ行なう。右図参照。

合蹠は、正しい姿勢の基本である股関節、骨盤の歪みを矯正し、更にふくらはぎと内転筋の筋肉を強化することにより、下半身の血流を旺盛にし、へそから下にある腎臓、膀胱、生殖器などの機能を改善する。スクワットに比べて、姿勢が崩れないのでよい。

5)足首上下運動

右の下の図のように、仰向けに寝て、アキレス腱のちょっと上の場所を25cm位上げて、力を抜いてストンと、丸い棒の上に落とす。片足25回ずつ、合計200回から始める。一日に二回行う。

慣れてきたら500回位行う。丸い棒は直径6~8cm位の丸太か竹筒みたいなものに、タオルを巻きつけて、両端をゴムバンドで留める。

長さは30センチ以上にする。この運動で足の血流が良くなり、むくみや冷えも解消する。

6)散歩する。または足踏み体操をする。

いままで余り歩くことも、上述したような体操をしたことがない人は、一日に20分くらい散歩することから始めたらよい。雨の日は部屋の中で、膝を高く上げて、足踏み体操すると良い。足を動かさないとドンドン筋肉が衰えてゆく。

11.足の故障を招く悪い生活習慣

いくら体に良いことを実行していても、一方で次のようなことは慎んでほしい。ハイヒールを履く。横座りする。椅子に足を組んで座る。足に合わない窮屈な靴を履く。肥満。便秘。

12.その他の注意事項

■ 質の良いサラサラな血液を作ることも大事である。ビタミンCやEが含まれた食品を摂る。

良質のたんぱく質として、大豆製品、白身の魚、とりのささ身やむね肉を適量摂取する。同時に生野菜ジュースも飲み、栄養のバランスも考える。

■もうひとつの足首の故障の原因として、甲田光雄著「背骨の歪みは万病のもと」という本によると、二本足で重い体重を支えて行動することは、複雑な踝の構造からして、当然故障が起きやすいが、それを助長するのが、食べ物の誤りだと指摘している。甘い砂糖類、お酒、大食、食塩の摂り過ぎが悪いという。二万人以上の患者の治療経験からこのことを確認している。

もうひとつの指摘は、食べ過ぎを続けたり、食塩を摂りすぎていると、アキレス腱が硬くなって縮んでいる人が多い。そして炎症を起こししているから、強くつまむと痛い。これをアルバート氏病と云う。このアキレス腱の異常から椎間板ヘルニアが起こり、更に坐骨神経痛が出て来る人が多いことも経験している。こんな人は少食にする食事改善も大事だという。

13.まとめ

足は第二の心臓と言われる由縁は、足が健全でないと、足から心臓への血液の還流が滞りがちとることから、全身の血液の循環も制約されて、血流のバランスが崩れて、万病の元となるのである。これを機会に今一度脚下照顧を。

おわり

欲しい~

こんな車、欲し~い! 欲しい~い!

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通勤にも良いし、買い物にもいいし、環境にも優しいし・・・・

でも、風に飛ばされそうだし、車同士の事故があったら真っ先に死にそう~。

それも又いい~。

2019年度 四国ブロック・ユネスコ活動研究会

2019年9月28日,29日の両日、四国ブロック・ユネスコ活動研究会が新居浜で行われた。

今回の主催は新居浜ユネスコ協会、会場はリーガロイヤルホテル新居浜。

新居浜ユネスコ協会は今年で設立15年、その間新居浜南高等学校が四国初のユネスコスクールに認定されるなど現在市内28の全小中学校がユネスコスクールの加盟校となり、学校と地域の特色を生かしたESDを実践している名高い協会である。

今回の大会でもその実力どおり、日本ユネスコ連盟も含め四国各地より120名強の関係者が集結した。

↓ 会場のホテル

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私の所属する丸亀ユネスコ協会からも川松会長はじめ9名が参加。

午後1時 開始に先立ちオープニングセレモニーが始まった。

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出しものは「別子銅山せっとう節」

「せっとう」とは、「石頭」とも書き、鉱石を採掘するためのハンマーのこと。

鉱山には古くから仕事歌が伝わっていて、同じ歌詞もあれば異なった歌詞もある。

江戸時代から明治~大正期に、慣行的に行われた「渡り坑夫」によって山から山へ歌い伝わり、各鉱山特有の歌詞が生まれたとある。

別子銅山で歌われたものは現在「
別子銅山せっとう節保存会」により受け継がれているとか。

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セレモニーは盛況のうちに終了、いよいよ大会が幕開けした。

今回の大会テーマは「持続可能な社会の実現に向けたユネスコ活動」 

↓ まず開催地の新居浜ユネスコ協会・吉田会長よりのご挨拶

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初代会長だった青野氏が相談役に退き、今年5月に二代目として就任したばかりという。

その後日本ユネスコ協会連盟や新居浜市長からの挨拶が続き、基調講演が始まった。

講演は鳴門教育大学客員教授・名誉教授で四国地方ESD活動支援センター長でもある近森憲助氏による『持続発展教育(ESD)とユネスコスクール』

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講演でESDとは、

「おとなが育つプロセスをいい、その”おとな”とは過去に学びながら、今はもちろん将来の人々や地域,日本,世界の事を考え、社会で生き社会を維持しより良い社会に変えていこうとする人」

と説かれた。

またユネスコスクールはESDの推進拠点として位置づけられた学校で、前に記載したように四国では新居浜市が発祥の地。

この後、発表されるスクール活動の報告を楽しみに聞いてほしいと締めくくった。

近森先生の講演を聞きながら、自分に照らし合わせ、先生の言う”おとな”には まだまだほど遠いと実感。

基調講演が終わり、ユネスコスクールの活動報告が小学校・中学校・高等学校の順で行われた。

↓ 新居浜市立泉川小学校の皆さんによる発表

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↓ 新居浜市立船木中学校の生徒による発表

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↓ 新居浜南高等学校三年生・伊藤君によるESD国際交流プログラムへの参加報告

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彼らの発表を聞き、さすが四国のユネスコスクール発祥の地・新居浜を強く認識、四国ブロック大会に大抵は参加して来た私だが、今回の新居浜はさすが他とは違うな~と強く感じた次第。

活動発表の後は、四国中央市豊岡台病院の医院長・枝廣 篤昌先生による講演と落語。

えっ~落語も やってくれるの・・・?。

この先生、「笑い」で支える精神医療をモットーとする精神科医。

演題は【「笑い」を深く理解すると平和が生まれる】

まず落語から始まった。

着物姿で登壇、芸名は「芸乃虎や志」(げいのこやし)と凝っている。

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プロの高座を見たことはないが、見に行ったらこんな感じだろうと思わせるプロ並みの舞台。

大いに笑った後、一転して大まじめな講演となった。

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曰く、

笑いには人を惹きつける「誘引作用」、見知らぬ者同士でも笑う事で仲良くなる「親和作用」、

笑う事で体内の毒素を出す「浄化作用」、ゆとりを生み出す「解放作用」の4っの作用があると説く。

さらに「笑い」は 【快の笑い】【社交上の笑い】【緊張緩和の笑い】に分類される。

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人間しかしないと言われる『笑う』という動作をここまで掘り下げて聞いたのははじめて。

なるほど!なるほど・・・と大いに納得、

一日目の日程はこうして無事終了した。

ダイヤモンド・プリンセス

高松港には良く客船が入港する。

入港情報は香川県が発行する広報誌に載っている。

で、船好きの私はその情報をたよりに時間があれば見に行く。

今回入港する客船は 115,879トン、客船でこんなにでかいのは私ははじめて。

乗客定員・2,706人、乗組員・1,100人、全長・290m、幅・37.5m、速度・22ノット(41Km/H)。

2004年三菱重工業で建造された船、川崎重工業では客船を建造した事がない。

造船屋にとって客船の建造は夢の仕事だと現役時代に聞かされた事がある。

当時、客船はイギリスでしか造れないと言われていたから。

日本の造船所の中で豪華客船を建造したのは三菱重工がはじめてと思う。

ちなみにモス型LNG船を日本で建造したのは川崎重工業がはじめて、それも私がいた坂出工場で。

JR高松駅からすぐ近くの港に客船の姿はなかった。

と云うのも、でか過ぎて着岸できないので玉藻地区5万トン級岸壁に停泊していたから。

↓ いつもの岸壁はこちら

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↓ 玉藻地区は遥か向こうだった

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さすがでかい!

ウキペディアによると、

日本国内で建造された客船の中ではアイダー・プリマとアイーダ・ペルラに次いで最大クラス。

1337室のうち72%の960室はいわゆる「オーシャンビュー」とし、56%の748室には専用バルコニーを具備している。

この船の姉妹船にサファイアプリンセス号があるとか。

三菱重工の客船建造中、火災事故などのトラブルがあったと聞いている。

また近年客船建造から撤退したとも。

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飴買い幽霊と赤ん坊

今治城下の「言い伝え」が城内の展示室にあった。

読むと大変悲しい話しで、今時 親が自分の子供を殺すのと大違い!

自分の身は犠牲にしてでも子供の生末を案ずる母親の気持ちは、時代がいかに変わろうとも動物も含め全人類共通の思ひではないでしょうか。

ほんと! 涙が出そうになったのでご紹介します。

『 飴買い幽霊と赤ん坊 』

今からおよそ300年前の江戸時代中頃のお話。

ある寒い夜更けの今治城下、旭町の飴屋の惣兵衛さん方へ白い着物の女が音もなく入って来ました。

女は一文銭を差し出しながら飴を指さしました。

惣兵衛さんが飴を渡すと女はすうーと消えるように出ていきました。

次の日も女はあらわれ同じように飴を買って帰りました。

そんなことが六晩続いた七日目の夜、女の手には一文銭がありませんでした。

ただ黙って何か言いたげな女を可哀そうに思った惣兵衛さんは、いつもより多く飴を渡しました。

女は嬉しそうに微笑むと、しきみ(しきび)の葉を一枚置いて帰っていきました。

いつもと様子が違うので、惣兵衛さんは気になって女の後をつけました。

すると女は明積寺(今治市鳥生)の境内でふっと消えました。

惣兵衛さんが耳をすますと、新しいお墓の下から赤ん坊の泣き声が聞こえてきます。

惣兵衛さんは和尚を呼んで墓を掘り起こしてみると、一週間前に身ごもったまま死んだ若い母親のそばで、飴を持った赤ん坊が泣いていました。

女の首にかけられた六文銭がなくなっており、人々は母親の愛情の深さに感心しました。

その赤ん坊は明積寺の和尚によって育てられ、学信和尚という今治を代表する名僧になったという言い伝えが残されている。

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浮世酒中逃

お城の中にこんな一行書があった。

「ふせいをしゅちゅうにのがる」

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今治城第八代藩主・松平定芝の作品で、「定めなき浮世を酒で紛らわす」との意。

治世中は財政難に苦しみ家臣への減給を余儀なくされた。

また今治城の海側が風波で破損が大きいため築堤が必要となり、天保4年(1833年)に完成、天保山と命名された。

1837年に大阪で起こった大塩平八郎の乱では出兵し鎮圧に協力している。

この作品は当時の苦悩した定芝の心情を表現しているようだ。

今の時代なら「人生を読めば今夜も酒だ酒」

吹揚神社

約150年前の明治初期、今治市内に鎮座していた「神明宮・蔵敷八幡宮・厳島神社・夷宮」の四社を廃藩の際、旧社地の故を以て城内に合祀社殿を造営し、吹揚神社と称す。

吹揚の名前は今治城の別名「吹揚城」に由来する。

御祭神は、天照大神・八幡大神・事代主神・厳島大神・藤堂高虎・久松定房

現在の社殿は昭和58年に再建されたもの。

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↓ 神社正門

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↓ 天守閣から眺めた神社  屋根の青が美しい。

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↓ 境内社の天満宮

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今治城

今治城は江戸時代のはじめ頃、築城の名手・藤堂 高虎が瀬戸内海に築いた名城。

砂浜という軟弱な地盤にもかかわらず、伊予半国(愛媛県の約1/2)の大名(20万石)にふさわしい城郭を当時の技術を結集して築城。

高虎の代表作となった。

広大な城郭とその城下町はその後の今治市の発展の礎となった。

この城の特徴は広大な水堀と高い石垣。

水堀は全国的にも大変珍しい海水を引き入れた海岸平城で日本三大水城のひとつ。

堀は水路で今治港につながっていて潮の満ち引きで水位が変わる。

海水魚が泳ぐ一方で堀底から真水が染み出している場所があり、そこには淡水魚のミナミメダカが泳いでいるとか。

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現在の天守は昭和55年に今治市政60周年を記念して再建されたもの。

中は歴史資料館と自然科学館になっている。

↓ 藤堂 高虎公の像

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↓ 天守閣から見下ろすと、この城が海につながっているのが一目瞭然

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■ 今治城沿革

藤堂高虎公は慶長5年(1600年)関ケ原の合戦に東軍・徳川家康方の先峰として戦功をたて伊予半国20万3千石を与えられた。

当時の諸大名中随一の築城の権威であった高虎公は内海において海陸の要衝である今治を城地と定めた。

渡邉勘兵衛を築城奉行に任命し木山六之丞を普請方として、慶長七年より同九年にかけ築城。

城壁の高さは六間ないし八間とし、本丸には五層の天守閣その他には櫓城門など二十数棟を配し、周囲に三重の城濠をめぐらした。

この城濠に海水を導入して当時としては他に類をみない一大平城を構築した。

その後、家康に信任された高虎公は慶長十三年伊勢の津に国替え増封されたが、その時の天守閣は家康から丹波亀山の築城を命じられた時、献じてその城に移築した。

今治城はその後 義子・高吉が二万石で維持した後 寛永十二年(1635年)に伊勢長島より久松 定房が入城し、後三万五千石で世々十代を経て明治維新となった。

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健康への道しるべ 第141号

心と体の健康生活:令和元年10月1日発行

■ 発行:健康への道しるべ友の会 編集 増田 桂子

■ 〒420-0962 静岡市葵区東1-14-31、Tel:054-245-8141、Fax:054-245-6142

■ 年間 購読料:2,500円

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万田発酵

広島県尾道市因島にある万田発酵(株)へ行った。

TVのCMでも見た万田発酵の本社が因島にあるとははじめて知った。

工場見学もさせてくれるという。

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因島には特別の思い出がある。

川重に入社して神戸工場に勤務した最初の5年間、舶用タービンの制御調整で因島へは度々行った。

当時因島には日立造船因島工場があって、大型のタンカーを建造していた。

その頃大型タンカーのプロペラを駆動するエンジン(主機と云う)はタービンで日立造船では川重製を採用していた。

それでタービンの遠隔制御の調整工事や試運転で何回も行った。

今思えばあの頃が懐かし~い。

その懐かしい地に万田発酵の会社があるなんて・・・。

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↓ 企業製品を紹介するゲストハウス

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江戸時代の元禄年代から因島にあった蔵元"万田"の11代目当主・松浦新吾郎が、1961年から発酵食品の研究をはじめ1984年に万田酵素を開発して販売を開始、これを機に1987年会社を設立した。

健康食品販売をメインに、化粧品・医療・アグリバイオ事業などを展開している

農業用万田酵素を用いて巨大な農産物を育てている万田びっくりファームに ↓

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ひょうたんも異様に大きい⁉

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万田酵素を使って育てた野菜をTVで見た事がある。

こんなに大きくなるとは ‼、でも味はどうなんかなぁ~。

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↓ ファームの向こうには瀬戸内海の島々の風景が美しく広がっていた

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↓ 工場でガラス越しに酵素の保管容器が並んでいるのを見学

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発酵というと温度や湿度管理が難しいんだろうなぁ~。

松江城

松江城は初めて、国宝だとか。

↓ 立派な石垣の入口が見えてきた。この石垣、ごぼう積みと呼ばれる方式なんだそう。

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↓ 正保元年~4年(1644~1647年)江戸幕府の命により作成された絵図に現在の地図を重ねて表示した案内図

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松江城天守は、四重五階地下一階の構造で高さ約30m。

貴重な現存天守のひとつとして1935年に国宝となり重要文化財に指定された。

この城は堀尾吉晴により、築城開始から5年の歳月をかけ、慶長16年(1611)に完成した。

堀尾家は豊臣秀吉,徳川家康に仕えた家柄。

吉晴は 関ヶ原の合戦で武功をたて、慶長五年(1600年)出雲・隠岐両国24万石を与えられた。

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この城は前面に附櫓(ツケヤグラ)を設け、最上階から四方を見渡せる複合式望楼型天守とし、白壁を少なくして黒い厚板で覆った下見板張りが特徴。

軸組みは長さ二階分の通し柱と周囲に包板を鎹や帯鉄で取り付けた柱が多用されるなど独自の構法が用いられ、近世城郭最盛期を代表する城郭建築物として極めて高い価値がある。

城主は堀尾氏→ 京極氏と続いたが、いづれも嗣子なく断絶、その後松平氏が十代続き一度の戦乱に巻き込まれることなく明治維新を迎えた。

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↓ お城の敷地内にある松江神社

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松江神社は、1931年(昭和6年)に、松江藩中興の明主として仰がれた7代藩主・松平治郷と、松江開府の祖・堀尾吉晴の遺徳を称えて御神霊を配祀している。

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歯周病が影響を及ぼす病気の数々 By 豊岡倫郎 2019-9-18

1.歯は健康の重要な要

歯を失って初めて知るその有難さ。歯を失う原因のトップは歯周病によるものである。今日本人の20歳代で70%、45から54歳で80%が軽度を含み歯周病に侵されているというから、日頃からもっと歯の衛生に関心を持って、対処する必要がある。

2.歯周病の怖さ

歯周病に侵されて、歯を失うことによる噛むことの不都合ばかりではない。最近明らかになったことは歯周病が全身の病気を引き起こしているという信じられないような事実である。その機序を今回説明する。

3.歯周病とは

歯茎に炎症が起きる病気の総称で、炎症が歯を支えている側面の歯肉だけならば、歯肉炎と言い、歯の奥の歯槽骨まで広がっていると歯周炎、即ち歯周病と言う。更に進んで症状が悪化して、血や膿が出る、口臭が発生する、歯がぐらぐらするなどの重いのは歯槽膿漏と言う。

注意すべきことは、歯肉炎の初期段階では、痛みもなく、たまに歯がしみたり、歯肉が腫れたり、出血することがある程度では、放置する間に、どんどん静かに進行してゆくから怖い。

歯垢(しこう)別名デンタル・プラークともいうが、これは、食後4~5時間すると歯の表面にネバネバしたものが出来てくる。それが歯垢で、そこには無数の所謂歯周病菌がいる。歯磨きが充分でないと、歯と歯の間や歯肉の間に、歯垢が歯周病菌の塊となってしまい、周辺に炎症を起こす。これが歯周病の始まりとなる。なお歯石とは歯垢を放置しておくと、それが石灰化して、固まったものを言う。

4.口腔内の衛生

口の中には色々な菌が住み着いていて、約700種、合計100億個の細菌がいるという。これ等の細菌の中には、善玉菌も居れば、悪玉菌も居て、歯周病の原因となる細菌は、十数種類居るという。その中でもジンジバリス菌、デンティコーラ菌、フォーサイシア菌の3種が危険。歯の病気によって、これら細菌が血液中に入り込んでいる状態を歯原性菌血症と呼んでいる。そして歯周病菌内部で毒素が作られたり、菌が壊れた時にも毒素が出て来る。

5.歯周病が影響を及ぼす病気の数々

1)糖尿病

歯周病が悪化すると糖尿病も悪化する。その機序は歯周病菌が歯茎の炎症した部分から血中に入ると、血中に炎症性サイトカインが増加して、血糖値を下げようとするインスリンの働きを邪魔して、糖尿病を悪化させてゆく。従って歯周病を治療すると、糖尿病が改善されたという事例も多いのである。

もうひとつ関連性がある。それは糖尿病になると、体内の糖の過剰によって、歯肉の毛細血管が減少しているために、歯茎が弱くて、出血もしやすいので、歯周病にも罹り易い。この二つの要因が悪循環してゆく。

2)動脈硬化

歯周病菌が血中に入り込むと、血管内皮細胞に付着して、血管内膜に炎症が起きて、アテロームと呼ばれる脂肪の塊が出来て、血管の通り道が狭くなる。動脈硬化が進むと、狭心症、心筋梗塞、脳梗塞などが引き起こされる。

3)誤嚥性肺炎

誤って食べ物が気管や肺に入り込んでしまうと、誤嚥性肺炎を起こすことがある。特に高齢になると、飲み込む働きが弱くなり、誤嚥を起こしやすい。その際に歯周病菌が食べ物と一緒に肺に入ると、免疫力も低下しているために、誤嚥性肺炎になってしまう。

4)腎臓病

糖尿病の余病のひとつに腎機能低下があるが、腎臓の濾過する血管に歯周病菌が混じっていると、更に腎臓の負担が加わり、機能が低下してゆく。

5)アルツハイマー型認知症

アルツハイマー型認知症の人の脳から歯周病菌の毒素が検出されている。またアルツハイマー型認知症に見られるβ―アミロイドを沈着を促進させることも判ってきた。

6)関節リュウマチ

関節リュウマチは自己免疫疾患のひとつであるが、関節を包む滑膜に炎症が発生して、骨を破壊させてゆくが、この炎症に歯周病菌の酵素が関与しているという。

7)早産

妊婦さんが歯周病を患っていると、本来出産のために増加してくるプロスタグランジンという生理活性物質が、歯周病菌による炎症によって、異常に増えてしまい、低体重の早産につながるという。

6.歯周病予防策

1)朝晩の歯磨きは正しく実行する。

2)喫煙、ストレス、睡眠不足、体調不良などによる免疫力の低下を防止する。

3)食生活では、食物繊維が不足しないようにする。よく噛んで食べる。
偏食しない。抗酸化物やオメガ3系の油を摂る。

4)歯茎の毛細血管を強化するために、適度のブラッシングも必要であるが、ビタミンCの摂取が欠かせない。それには柿茶を飲むのが良い。酒や甘いものは毛細血管を硬化させたり、消滅させるから要注意。

5)糖尿病や動脈硬化は共に血管を不良にするから、予防と治療に配慮する。

6)少なくとも6カ月に一回は歯医者へ行き、クリーニングしてもらう。

7.まとめ

1)8020運動を1989年に当時の厚生省が推進したことがある。80歳になっても20本以上の歯があれば、楽しく充実した食生活を送ることが出来るという内容だった。しかし今は楽しい食生活よりも、歯周病が寿命を縮めるから歯のケアを実行することの方が大事である。

2)最近慢性炎症がガン化を引き起こす原因のひとつと言われている。慢性炎症が発生する要因は歯周病菌ばかりでなく、活性酸素、酒、ストレス、過食や宿便、過労など色々あるから、日頃の生活習慣を見直すことこそ肝要である。長寿者は体内の炎症度を示すCRP値が低いという。

3)歯周病は「静かな病気」と呼ばれている。自覚症状が無くて、深く静かに進行して行き、最初の軽い症状が出ても、見過ごすケースが多いので、軽視してはいけない。

4)適度な健康体操をして、体内の血液循環を良くすることも、健康生活には欠かせない。

おわり

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