Jou光

  • 親父
    彼は子供の時から絵が上手いと、親の欲目で思っている。目の前でさらさら描かれると、ついつい感嘆してしまう。世の中いっぱい絵の上手い人はいるが、この道で飯が食えるのはスポーツ選手と同じで極一部。でもとにかく趣味でも良いから絵を描くことは続けて欲しいと願っている。

春爛漫

  • ぼけの花
    柿茶の里は徳島県美馬郡つるぎ町に位置する。柿の葉の生産農家へ毎年春と秋に行く。春はことさら美しい。桜が咲き乱れ山の木々が新緑に包まれる。澄んだ青空に身も心も洗われる気がする。

アユタヤ遺跡

  • Pict0266
    1491年に建てられた王族の守護寺院。3つの大きな仏塔には、ラーマティボディ2世と父、兄の遺骨が納められています。 寺院ではありますが僧は居住せず、王の礼拝堂として王族の儀式に使用されていました。この寺院もまた、1767年ビルマ軍により破壊され、16mあったという金で覆われた仏像も金を奪われた後、壊されてしまいました。

暁の寺院 タイ

  • Pict0350
    トンブリ王朝時代の守護寺で最高位の寺院とか。きらきらと輝く陶器の破片に覆われた高さ約79mの大仏塔は、ラマ3世により5年がかりで改装された。朝日を浴びた大仏塔の神々しい姿が”暁の寺”の名前の由来。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

  • Pict0201
    セイロンへの留学から戻ってきた僧侶のために、1357年初代王ウー・トーンが建立しました。仏教寺院は瞑想の場として使用されていました。現在も多くの仏教徒が訪れ、週末は観光客でにぎわいます。

水上マーケット

  • Pict0116
    ダムナン・サダックの水上マーケット。その昔、”東洋のベニス”と言われたバンコクでは、日常的商取引には運河が利用されてきた。水上マーケットは、古き良き時代の情緒溢れるバンコクの生活を体感させてくれる。 

2008年7月 タイ王宮

  • Pict0429
    白壁に囲まれた20万㎡の敷地内には、1782年に建設された国王の宮殿、即位式の建物、王室守護寺院のエメラルド仏寺院などチャクリー王朝歴代の王により建造・改築された建物が建ち並んでおり、ラマ8世までは実際にここに住まわてていたとか。

涅槃寺

  • Pict0386
    タイ語で Wat Pho(ワット・ポー)と呼ぶこの寺は、ラマ1世が建立したバンコク最大の境内を持ち、バンコク最古の歴史を持つ寺院。本堂には写真のようなリクライニング・ブッダの愛称で親しまれている寝釈迦仏が横たわる。足の裏には螺細細工でバラモン教における108の宇宙観が表現されていると言う。

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金魚

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2008年1月

Eki2008_2 毎年年末になると新聞を取っている店が持って来てくれる高島易断所本部編集の「○○年福壽暦」なる薄っぺらい本がある。陰陽五行説に基づく易の本と解釈しているが、私自身は中を見たこともなく、誰かに捨てられいつの間にかなくなる本である。社長が来社した時、たまたま机の上にある、平成20年版のこの本を見つけ、私の生れ年を聞いた。昭和19年生まれだ。その生まれに年に該当する今年の運勢をめくったら「二黒土星」飛躍運。「これはいい」と社長が言った。社長の会社ではこの本(もっと内容の濃いのがあるらしい)の運勢を見て話題が盛り上がるとか。時間もなかったのでこの時は「ああそう」くらいで話題はそれたが、後で気になり読んでみた。

○今年は盛運で多忙な日常となり、生来の才知、才能が高い次元で発揮され、何事も思いどおりに運ぶ好調な年回りとなります。上長、目上の引立てや周囲の応援、協力者などに恵まれ飛躍の機会も多く、誠意をもって全力を投入すれば効果大を得ます。人間関係も豊かに展開しますが、あくまでも謙虚、控え目であれば得るところ大となります。ただし、事に当たって躊躇し過ぎたり不決断に過ぎれば機会を失います。建築一切、開店、開業、転職、転業に吉。循環器系、呼吸器系、消化器、神経系疾患のほか交通事故、外傷などには要注意。 と、ありました。

この易を信じ、謙虚、控え目、躊躇し過ぎず、不決断に過ぎずに頑張ろうと思います。それにしても循環器系以降の下りは殆どの病や事故を網羅してやしませんか。

鼻 炎

若い頃は、鼻水が出るわ涙も出るわの鼻炎とは無縁だった。40歳を過ぎてから、鼻炎に悩まされるようになった。私の場合花粉が原因ではない。その証拠にスギ花粉警報が出ていても何とも無い。季節が冬から春に変わる頃、秋から冬に変わる頃に、必ず出る。温度変化によって起こる鼻炎らしい。何故鼻炎が中年になって出だしたか定かでないが、人に聞いた話では酒を飲むのが常態化して体質が変っても出ると言う。確かに20代、30代の時はお酒に弱かった。コップ一杯のビールで真っ赤になった。そして飲むにつれ心臓がバクバクして苦しいのでそう多く飲めなかった。ましてや晩酌などするはずもなかった。お酒を飲んでもわりと平気になったのはジョギングを始めてから。走っても心臓の心拍数はあがる、それで心臓が慣らされたのかお酒を飲んでドキドキしても苦しくなくなった。それからまあ飲めるようになった。走った後のビールは格別に美味い、やがて晩酌も始まった。そして鼻炎が出だした。原因はお酒、止めれば直るだろうか。鼻炎と走った後のビールのうまさ、どちらを取ると言われたらやはり後者かな・・・今は。

携帯を落とした

前に携帯電話を拾った話を書いた。先日私の祖母の50年の法事でそれを話したら従兄弟の一人が落とした話をしてくれた。車のボンネットの上に何気なく置いてそのまま車を走らせたいうもの。携帯電話ではないが、私にも似たような経験がある。幸い国道へ出る脇道に落ちていたらしく、電話は無事従兄弟の手元に戻った。
拾った時の対処の仕方は「携帯を拾った」に書いたように色々あるが、考えて見ると、落とした時の対応は至ってシンプル。とにかく自分の携帯にかけるしかない。そして誰かが出てくれるのを待つ。何回かトライしてダメなら諦めて電波を止めてもらう。そして仕方なく新しいのを買う。イトコもまず自分の携帯に電話した。すると「こちら警察ですが・・・」と返って来た。それで何処に落ちていたかが分かったが、拾った人の名前までは分からなかった。思うに出た相手が警察や電話会社ならひとまず安心だが、違っていたら、加えて男の声だったら少々不安になるかも。もしかしたら悪い人かも知れず、電話を貰いに行ったら法外なお礼を要求されるかも知れないと。
私が電話を拾った時は持ち主からかかってこないかな~と思ったものだが、落とした側から考えるとあの時AUに届けたのはやはり正解だったと安堵している。
それにしても車のボンネットから振り落とされたにもかかわらず、かすり傷くらいですんだ携帯電話は大した奴である。

付 箋

パソコンでの通信手段に付箋なるものがあると知ったのは、システムハウスへ入ってからだ。今までは電子メールしかその手段として知らなかったから、大いに驚いた。付箋紙21と言うソフトだそうな。画面を見ていたら突然ど真ん中に7cm角くらいの黄色に黒字で書いたものが現れた。見ると10時から会議をするので集まれとか、After5の飲み会はどうかとかいろいろ。黄門さんのドラマで印籠を突きつけて「これが目に入らぬか」のシーンが浮かんだ。付箋は送ると言うより飛ばすのイメージ。確かにメールだと開くまでは読まれない。尤も私の使用するMicrosoft Outlookではメールが着たら右下隅にその旨が表示され10秒位で消えるよう設定してあるが、読むのは後になる事もある。しかし付箋はど真ん中にでん~と居座るので読まない訳にはいかない。こんな無礼な通信手段もあるのかと思ったが今は慣れた。ワンフロワーに全員揃っていて小さい声でしゃべっても皆に聞こえる環境でそんな手段が必要かと疑う。電子メールを、目の前にいる人に送る是非の議論もあった。E-Mail;が未だ導入されなかった時、伝達手段の一番は面と向かってしゃべる事、次に電話で話す、FAXを送る、メモを置いておく、葉書や手紙を出すだった。電話は離れた人とコンタクトを取るのになくてはならぬ手段だが、相手が席にいない時はこまる。その内電話するのを忘れてえらい事になったりする。電子メールができてその点では便利になった。緊急を要しない事はメールしておけばその内見てもらえる(最近メールと書くと電子メールを意味すると勝手に解釈しているが)。それにCC機能やBCC機能を使うと一度に大勢の人に連絡が付く。メールを出してもそれを相手が見たかどうかは分からぬものの、送信した証拠は残る。そしてそれを楯に「そんな事聞いてない」とは言わせない自己防衛の手段になる。便利な反面、空しいのもメール。目の前に居る人には、少なくとも1対1の要件はFace to faceで話をしたい。

ゴン

実妹の家にもう15年も飼っているヨークシャー・テリアの雄犬がいる。人で言えば80歳過ぎとかで私の目の前をヨボヨボ歩く。大手術をした後ずっとオムツをしている。現在も肝臓・腎臓が悪く獣医についていて薬を飲まされている。食べ物もドックフードしか与えてはいけないと。ドックフードには飽き飽きしているのだろう、時たま焼き魚や煮魚が食卓に並ぶと良い匂いがするのか、その時ばかりは泣き声を上げてねだる。そんな時でも私が普段全く彼の相手をしないから、犬も私にお愛想する事はない。もっぱらご主人の妹に向かう。「兄貴は犬に冷たいね」と言われるが、私は別に犬嫌いでも猫嫌いでもない。昔は犬も猫も羊も鳩もハツカネズミも鶏も飼っていたが、特に犬とは相性が悪い。私が飼った犬は何故か事故で早死にするのだ。それで何匹目かが死んだ時もう飼うのはやめた。私が関わった犬は皆不幸になる。ゴンには可愛そうだがその方が彼のためだ。その証拠に今も歩く時に尻餅をつきながらも生きている。

ルックス

18_6 右の写真は私が入社した頃の写真。どう見ても高校生くらいにしか見えない。今でも実年齢よりは若く見られるが、今はその方が楽しい。若い頃は若く見られるのが嫌でいやで仕方がなかった。それで不愉快な思いをした事が沢山あったから。入社早々年下の女性社員から「高校生みたい」と言われ気分を害した。会社で後輩も出来て一緒に出張したら、後輩のアトに名刺をくれ、私が先だろうと気分が落込んだ。学生時代に合コンで女性にあまり相手にされなかったのは若く見られるせいだと悩んだ。馬鹿は若く見えるの言葉も気に入らなかった。人は、初対面の時自分より年上か下かを意識する。年上には敬意を払い言葉遣いも変わる。自分と同年輩又は年下と思う人から、明らかに年下だと思われるしゃべり方をされると都度頭に来た。そんな事が積もり積もって若く見えるのが大嫌いだった。それで少しでも老けて見せよう思い、黒縁の伊達めがねを長い間かけていた。めがねをかけることでその効果があったとは、今は思えない。やはり馬鹿だった。そんな事をしなくても今は年相応のルックスになった。同級生との集合写真を見ると、頭髪の多い少ないは抜きにして皆同じような風貌をしている。二十歳や三十路に見える奴など皆無だ。今までの若く見られた嫌悪感がどんなに無駄だったかを思い知らされる。それにしても写真の頭髪は多い。時の流れが髪の毛を何処へ持ち去ったのか。 Aki1_5

私のお墓の前で

一昨年の紅白で秋川さんが歌った「千の風に乗って」が大ブレークした。「私はお墓の中にいません」は、皆なんとなくそう思っていたのを、ずばり言葉で言ったことに新鮮さを覚え、同感したのに違いない。私もその一人である。人は死んでも誰かの思い出に残る限り、死んではいないと良く言われるが、この歌は正にその事を、逝った側から歌ったものと思う。この歌のおかげでお墓を作る人が減ったと、石屋が怒っているとか。本当かな?お墓と言えば準備のいい人もいるもので、生前から墓を作り裏に赤い字で名を刻む。赤い字が風雨に曝されて剥げ落ち、色が無くなった頃、ご本人がその墓に入っていると言うオチなのかと思ってしまう。私はお墓の中には入りたくない。どこかへ散骨してもらえば十分である。できればきれいな川か海がいいな~と思っているが。

携帯を拾った

携帯電話が落ちていた。ジョギング中に見つけた。あっ電話が落ちている・・・と気付いたが通り過ぎた。でも数メートル走って足が止まった。拾うか放っておこうかと悩んだ。落ち場所にまた戻ったがやっぱり放っておこう。また走り出し、また足が止まった。携帯電話をジャージのポケットに入れたまま洗濯した事があった。携帯は綺麗になったが中のデータは完全におじゃん。復旧に苦労した事がある。落とした人は困るだろうな~との思いが結局拾わせる原動力となった。電話を片手に走る、そしてこの後どうしたら良いのだろうと考えながら。この携帯に電話がかかってくるのを待つ。そして言う。この携帯、拾ったんですが誰のですか?と。でも何時かかってくるのか分からない。早く処理したい。では発信記録と着信記録を見て一番多い人にこちらから掛けるか?男の声でそれもおっさん声でかけたら驚くに違いないと躊躇する。「まあちゃん」が記録で一番多い。発信記録はそれこそ拾った時刻の一時間前になっている。電話の機種からみてどうも年配者か子供が持つ携帯のようだ。3人まで頻繁にかける相手を登録できるボタンがヒンジのすぐ下に並んでいる。走り終えて会社に帰ってきた。出社したばかりの3人の女性社員に、携帯電話が道に落ちていた、貴女ならどうすると聞いた。拾って警察に届ける、携帯メーカ(AU)のショップに届ける。さすが拾わないの選択肢はなかった。皆優しい、安心した。いろいろ意見が出たが結局AUショップに持って行くのがベストではとなった。携帯電話を拾ったのは初めての経験、だがその後の処理について考えてみた時実に色々なやり方があるものだと、また人によって方法が違うものだと・・・。ちなみに私は「まあちゃん」に電話したかったのだが・・・。

電源をお切り下さい

Dvc00003 電車に乗ると決まって「優先座席付近のお客様は携帯電話の電源をお切り下さい」とアナウンスされる。心臓にペースメーカを入れた人への配慮だが、電源を切っている人を見たことがない。そう言う私も切った事がない。本当にごめんなさい。Dvc00002
携帯の電波がペースメーカに悪いとは聞いてはいるが、本当のところはどうなのか調べてみた。やはり22㎝以内に近づくと誤動作の可能性が高いと書いてある。誤動作するとどうなるか。言わずもがなである。もし優先座席にペースメーカを入れた人が座っていて、電源を切らずに隣に座ろうものなら、または先に座っていて隣にその人が来ようものなら、私は殺人者になりかねない。22センチ以内に近づく可能性はいくらでもある。座席の隣しかり、満員電車の立席しかり、優先座席に辿り着くまでしかり、その前の電車への昇降時しかりである。危険度は勿論22センチ以内に留まる時間にも比例すると思うが、そこまでは不明。とにかくペースメーカを埋め込んだ人にとって、電車に限らず人混みの中は鉄砲の弾が飛んでいる戦場と同じだ。そんな戦場の中へ恐ろしくて私なら出て行けない。彼らは現実にはどんな行動をしているのだろうか?途方もない制約を受けているのに違いない。今更携帯電話を持つなは不可能だから、電波の影響を受けないペースメーカの開発しか手がない。開発がどこまで進んでいるのか知りたいもの。ちなみに新幹線の電車の中では優先座席もないし、従って前出のアナウンスは当然無い。新幹線には乗るなと言うことか。

100円ショップ

100円ショップは実に楽しい所。何でもたいていの物は売っている。中にはこんな物も百円かと思うものが多くある。台所用品に始まりペンチ,ドライバーなどの工具類、文房具用品など書いたら限がない。原価が100円より高いもの置いてある?と聞くが、もしそうなら得した気分にもなる。行くと一時間くらいはすぐにつぶれる。買いた物があって行く時と、暇つぶしで行くときといろいろだが、後者の場合でもたいてい何か気に入って買う羽目になる。後でゴミになるのも知らずに・・・。良く買ったのが携帯電話のストラップ。ポケットに入れた時、落ちないようにクリップ付きを買うのだが、安物買いの銭失いで、すぐそのクリップ部が壊れてしまう。だからその後釜を探しにまた凝りもなく100円ショップのドアをくぐる。品切れになった同じ物を買おうとしたら大変だ。なかなか補充はしてくれない。忘れた頃に行くとまた同じ品を置いてある。あぁこれこれとまた買う。店は卸しが持ってくるものを並べて置くだけの仕組みなのかも。たぶんこれと同じ物を取り寄せて・・・と言っても対応してくれないのかも知れない。ちなみに100円ショップのはしごはもっと楽しい。店によって置いてあるものが違ったり同じ物でもデザインも大きさも違うのがあるから。最近百円ショップ巡りで凝っているのが写真や絵葉書を入れる額。ミニミニミニ美術館づくりに向けて・・・と。Pict0567

韓流ドラマ

Photo_2 あのおばさん達(失礼)が大騒ぎした冬のソナタに始まる韓流ブームは 、だいぶん下火になった。でも何が彼女たちの心を虜にしたのか。まずはソナタを見てみないと分からないと思って、ゲオへDVDを借りにいく。鑑賞し出すとこれがまた面白い。ストリーがいい、男だからチェジュがいい、ぺ様もついでに良い。日本のTV用連続ドラマとは何か違う。ドラマの展開も実に丁寧に作ってある。だから長い。日本なら6話くらいで終わるのに、20話を超えるのが多い。長いから見飽きるかと思うがそこは中身でカバーしている。一話見ると早く次が見たくなってゲオへ足しげく通う。借り出されてない時には残念がったものだ。冬のソナタから病み付きになり、片っ端から韓流ドラマを見た。暇つぶしには絶好。自分の若かりし日にそうありたいとに重ね合わせて、恋愛ものを良く見た。ドラマに出てくるパターンは「交通事故」、「白血病」、「子供時代からの縁」、「海外留学」などなど。かと言って暴れん坊将軍や水戸黄門に見られるワンパターンではないのも、なかなか飽きない理由かも。それが一年ぐらい続いてさすがもう飽きたが、ゲオに暇つぶしのビデオを借りに行くと今も一度は覗いてみるのが、韓流コーナである。

絵手紙Ⅰ

Hana7_15          

子供たちが大学へ通った一時期、下手な絵手紙を描いて下宿先に送りつけたことがある。丁度NHKの趣味番組で絵手紙をやっていたのを見て、始めたように思う。絵心が全くなかったので当然上手くは描けない。でも出来上がったものを見るとそれなりに自己満足した。上の絵はその中の一枚。悲しい事に送りつけられた子供からは何の反応もなかった。一言ぐらいは感想を聞きたかったのだが、それどころか迷惑に思っていたのかも知れない。まあ親父のすることで次からつぎへ来る葉書に「もう送って来ないで」とも言えず、一瞥してポイだったのかも知れない。でもそのポイ先がゴミ箱でなかったのがせめてもの救い。後に自分の絵を回収する事ができ、おかげで最近作った自分のホームページに貼り付けるコンテンツに役立った。丸亀走友会の人に絵の上手い人がいる。展覧会にも出品していて見に行った事があるが、なかなかのもの。私も会社を卒業したらもう一度じっくり水彩画なるものを描いてみようかと思っている。

歯磨き

私が毎食後歯を磨くようになったのは、あるキッカケがあった。それまでは朝起きて1回だけ。新造船の艤装担当だった時、それが輸出船で監督も外人だった。その監督から営業を通して指示が来た。日本人は(と言ったかどうか?)口が臭いから、特にその船の担当者は食後必ず歯を磨き、口内を清潔に保つようにと。監督とコンタクトある人はすべてそうしろと。まあ食後歯をみがくのは悪いことではない・・・と思って磨き始めた。それが今まで続いて、習慣化された。後で分かったが、口臭の原因にはいろいろあって、歯を磨き、口の中を清潔にすれば、それで100%臭いが取れる訳でもない。でもまあそれが今の歯磨き習慣になったとすれば結構な事である。口臭の腹いせに言い返すと、彼ら外人の体臭の強さも相当なものだ。肉食のせいか。歯ではいろいろ思い出がある。子供の頃歯医者へ行くのが一番嫌だった。ある時母親に連れて行かれた医者の玄関先から逃げ帰った。その後どうなったのか覚えていないが、結局は治療したのだろう。最近は半年に一度は虫歯でなくても歯医者へ行く。外国ではこれが当たり前なんだとか。歯垢を除けてくれたり、虫歯や歯槽膿漏の検査をしてくれる。きれいな白い歯をみると、いいな~と思う。私の下の息子などろくろく歯を磨いたこともないのに生を受けてこの方、歯医者へ行ったことがないし、歯も白くてきれい。うらやましい限りだ。

松飾り

今年のお正月にふと気付いた事がある。フロントに松飾りを付けて走る車が少なくなったな~と。そう思って今度は民家の玄関を見ると、飾りのない家の方が多い。昔、秋ごろお伊勢さんに行った時、近くの民家に松飾りを見つけた。除け忘れだろうと思っていたら隣もしている。聞くと一年中しているんだとか。何故かと聞いたが詳しい理由は忘れてしまった。神様が住む街だから・・・と聞いたような気もする。今もそうしているのだろうか。松飾りをしなくなった家が多くなったのは、文化が変わりつつある一つの兆しか?そう言えば</FONT>今年我が家ではおせちを作らなかった。しかし全国で香川県だけと言うあんこ餅入り雑煮は、さすがに作って食べた。年に一度のあんこ餅ぞうにを食べる習慣(文化?)だけは、私として捨てたくなかったのかも知れない。

文化

住み慣れた所からよそへ行くと人の住む風景が違う。特に外国へ行くとそれはより顕著となる。何故か?文化が違うからだと言った人がいる。けだしその通りと思う。文化の違いは住む建屋を変え、食べ物を変え、習慣を変える。神戸から坂出へ赴任して来たあるTOPが坂出は「長靴文化」だと言った。雨が降ると通勤に長靴を履いてくる、神戸では雨が降っても長靴は履かないと。しかしこの言葉は田舎の工場に働く面々に総スカンを喰った。顔では笑ってこの言葉を聞いたが内心は不快だったに違いない。雨が降ると長靴を履くと言う文化をけなされたからだ。文化をけなすと碌なことはない。反発が残るだけ。植民地支配に一番大事だったのは、その土地の文化を認め尊重する事。否定などしたら反乱が起きる事を時の支配者は長年の経験から学んでいたに違いない。しかし文化は変化していくもの、だけどそのスピードは遅いから半世紀単位で振り返らないと分からない。昔は畳の上に布団を敷いて寝ていたんだよ・・・と昔の文化を懐かしむ時代が来るだろう。

トイレその2

初めて行った外国がアメリカで、NYのラガーディア空港に着いた。とにかく長時間の空旅で出すものを出さなくてはと、トイレへ。大を見てびっくりした。ドアが下までない。勿論様式だが用を足している人の足が見える。ノックする必要はない。何と合理的な・・・と思った。手拭のペーパもハンドルを手で回して必要長もぎ取る。日本の公衆便所と様子が違う。着いた早々日本とアメリカの文化の違いを思い知らされた。諺に「所変われば品変わる」とある。正にそれだ。中国へ行った時はもっと驚いた。大でも仕切りが無い。刑務所の受刑者の便所も同じとか???。日本人はプライベートな行為にえらく繊細な神経を遣う。これも国民性なのか。女性が用をたすのに水音で隠すのはその最たる例。聞いた話ばかりで申し訳ないが、外国で派手な音の放屁の後、用をたす音が終って、出てきたのは妙齢の美女だったとか。

イエナリエ

神戸のルミナリエは震災後に始まり昨年も華やかなイルミネーションを楽しませてくれた。来年の存続も危ぶまれたが、どうやら続くことになったとか。何時ごろからだろうか個人の家でもイルミネーションをしているのを見かけるようになった。昨年の忘年会で聞いたがそれを「イエナリエ」と言うんだそうな。真偽のほどは分からない。神戸と坂出を行き来しているがイエナリエが派手なのは田舎に多い。坂出の隣町、丸亀のある団地では近所の家が競い合うようにイルミネーションを飾り、年々派手になっているそうだ。嘘か本当かコンテストがあってデザイン性とか、豪華さとかを審査する・・・と。昨今の環境問題が取り沙汰される中、一般個人の家にまでこんな無駄な電気を使ってと思うが・・・・価値観の相違か?

トイレ

物心ついてから食べるものも着るものも住む家も随分変わった。そんな変化の中でダントツは便所と思っている。子供の頃便所へ行くのは怖かった。特に田舎のばあちゃんちで泊まったりしたら、夜は大変である。催す度に祖母を起こして・・・となる。手を洗う水も、今みたいに水道なんてない。軒下に吊るされた水入れの先を手で押して水を出す。それで洗う。大の後始末はA4くらいの大きさに切った新聞紙が箱に入っていて、それを揉んで柔らかくして使う。子供の頃その新聞紙を切るのが私の役目だった。今みたいに水洗便所なんてあろう筈もなく、「おつり」がくる便所が主流。おつりが来るとはうまい表現だと思う。今の若い人には何のコッタと思うだろうな~。もうひとつ、便所へ入った時のあのツンと鼻にくるアンモニアの臭いは堪らない。そんな便所を体験した私には今の我が家のトイレは天国みたいな場所。しゃがんでおつりが来るどころか椅子に座って用がたせる。おまけに冬は便座が暖かい。しかもおしりまで洗ってくれる。その洗い方も凝っている。ノズルの位置も変わるしムーブまでしてくれる。脱臭もするし乾かしてもくれる。紙は柔らかだし・・・もう感動としか言いようがない。

ブログ

私が「ブログ」と言う言葉を聞いたのは随分前のこと。何でもインターネット上の日記みたいなものとの認識はあった。いつか自分も書きたいとは思っていた。Kさんがブログをやっていると聞いて羨ましく思ったものだ。

片やブログを書いたら非難中傷の書き込みがあって、精神的な打撃を受けたとの記事も見た。だから自分がブログを始めた時、タイトルによってはコメントを受付けないの設定もした。

ブログは今や星の数ほどある。赤の他人が私のブログアドレスにたどり着くのは宝くじに当たるよりも稀。

書いてみて何も反応が無いのは何と虚しい事だろう。誰も読んでくれない悔しさに、自分のアドレスを書いて「見て頂戴」とばかりにメールしたら、その人から書き込みがあった。正直嬉しかった。だから中傷でも大歓迎。

人は人と関わりなく過ごすのはすっごく寂しい・・・とB型の私は思う。

安全管理

私は約30年もの長い間、造船現場の安全管理をやってきた。その間一度も部下の死亡災害に出くわさなかった。実にラッキーである。現場の安全管理にはハード手法とソフト手法がある。前者の手法による災害防止対策は何か。例えば落下防止の手摺を付ける、命綱が掛けられるように親綱を張る、もし墜落しても下まで落ちないようネットを張るなど。「フェールセイフ=間違っても安全、フールセーフ=馬鹿でも安全」な物理的対策を徹底的にすること。しかしそれには限度がある。人はミスをする動物だから、当然どこかにポカが出る。完璧な対策と思っても災害原因を究明すると抜けていた対策が必ず出てくる。一方ソフト手法による対策は何か。もっぱら安全に対する感性を高める教育、即ち危険を回避する行動が取れるよう訓練をする。危険予知(KY)活動がその代表である。これにも問題がある。いくら教育しても皆同じ感性を持つようには当然ならない。だから災害が起こる。従って安全管理はハードとソフト手法の組み合わせとなる。それでも完璧な対策にはほど遠い。だから、30年間一度も死亡事故がなかったのは、正にラッキーとしか言いようがない。

ゴミの分別

前の会社でISO14001(環境マネジメントシステムの国際規格)の仕事にも携わっていたので、企業の出すゴミの分別にはまあそれなりの知識を持っている。だから家庭のゴミも当然分別する必要があると思っているし、実際に私の住む町の基準に従ってゴミを出している。ところがである。出す側で分別されたゴミは、自治体によっては集積場でまた一緒になって焼却されるとか。勿論ペットボトルやアルミ缶はリサイクルされていると信じているが処理現場を見たことがないので、実際のところは分からない。ゴミを焼くとダイオキシンが発生するが、これを抑えるには高温で焼くと良いらしい。純粋に分別された生ゴミは焼却時に温度が上がらない。温度が上がらないとダイオキシンが出る。片やプラスチック等石油製品が混じると温度が上がるので、ダイオキシンが出にくい。それでゴミを焼く時せっかく分別されたのをまた一緒にする。もしそれが本当なら、今まで分別、分別と言われ、環境問題を少しでも軽減しようと、それに従い、今や分別が当然と慣されてきた我々は、本当に良いことをしているのだろうか?

リンクを貼る

昨年暇に任せてエゴの塊のようなホームページを作った。内容を少しでも充実させようと関係各所にリンクを貼った。会社のホームページを作る時も気になったが、相手の了承も得ずにリンクを貼るのは良いのか?と。この疑問に帰省した息子が答えてくれた。リンクは了解を得ることなく貼っても何ら法的制裁は受けないと。安心した。URLはそんな使われ方をされる宿命なんだそうな。と言われてもさっぱり分からないけど。

KY

「空気読めない」と言うのが最近のKYとか。私が知るKYは「危険予知」。現場の安全教育には不可欠である。KYにもうひとつあると聞いた。昔「観光客・ダイバー達の低モラルぶり」という見出しで、沖縄県・八重山群島西表島の珊瑚に「K・Y」という落書きを発見したとの記事が写真付きで報道された。この取材は、《自然環境破壊に警鐘を鳴らす》という特集で、朝日新聞の記者が、ダイビング中に偶然発見したとされたが結局偽装だった。2字や3字のアルファベットで短縮する言い方は名前だけと思っていたのに、最近は違うようだ。嘘か本当か知らないがKOorKOKは「このおっさん臭い」、KYTBは「空気読めない天然ボケ」、PKOは「パンツ食い込む女」とか・・・・。ちょっと面白い。私も電車の中でKOと言われているかも。

年賀状

今年も年賀状をたくさんもらった。まず誰から来たかに目をとおす。賀状に書いてある文言は見るだけで読まない。私が出してない人からの賀状があるかないかをみる。その時自分が出したのに来てないと言うチェックはしない。出してない相手にはすぐ余りの葉書を取り出し、書いて即投函。年上の人や上司からの返事には、早々に賀状を頂き云々は禁句。部下や年下の人へはそう書いてもOKとか。これも娘から教えられた。名前のチェックが終わると次は中身。ありきたりの印刷文字とは別に自筆で書き添えてある文を見るとほっとする。自分がそうだから出す時には必ず一言書き添えることにしている。「元気ですか」とか「今年もよろしく」とか「いちど会いたいね」とか。パソコンが普及して葉書の裏も表も印刷文字と言うのは少し抵抗がある。だから私は宛先の住所・名前は必ず手書きと決めている。漢字を忘れぬ為のささやかな努力のつもり。今年来た年賀状は年末もう一度みる。出す相手の住所を見る為だ。この時賀状に書かれた文言をもう一度読んで、一筆啓上の参考にする。去年まで来ていたのに今年来なかった人はこの時点でカットされる。加えて喪中につき・・・の挨拶が来た義理付き合いの人への年賀もカットされる。こうして歳をとるほど年賀状の数は減っていく。これもこの世から消える準備かも知れない。

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