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上の写真は香川県庵治町の城岬(しろばな)公園にある石の彫刻。庵治町は昔から石で有名な町だが、最近「世界の中心で、愛をさけぶ」の映画のロケ地としても有名になった。 今年の正月、息子達と屋島神社へ初詣へ出かけ、うどんが食べたいと言うので近くの「わら屋」へ。もう午後2時過ぎと言うのに長蛇の列。うどんを並んでまでは食わないのが信条の息子に従い、次は八栗にある「山田家」へ。ここも一杯で仕方なく海の方へ車を走らせていたらこの公園に行き着いた。町の特産の石の彫刻があって背景に屋島が見える一寸した観光スポットである。
上の彫刻は鈴木武衛門氏作の『海に向かって-風になりたい沈黙-』と言う作品。どこか不気味だが見ていて飽きない気になる作品だ。
中学生の時か高校生の時か忘れたが明石原人なるものを習ったことがある。最近の教科書にはもう載ってないと言う。
日課のジョギングで明石海峡沿いの海岸を江井ヶ島の漁港まで行くコースがある。その沿道で写真のような「明石原人寛骨発見地」なる看板を見つけて驚いた。へぇ~こんな所に発見地があったんだ。発見地が何処にあるかなんて、気にした事もなかったので、新発見の気分。ここが西八木海岸とはあとで知った。
明石原人は資料によると北京原人やジャワ原人などとは異なり原人ではないらしい。
原人と言えば、その学名を何故かこの歳になっても覚えている。前者がシナントロプス・ペキネンシス、後者がピテカントロプス・エレクトスである。多分試験に出るので覚えたと思うが、そのあとも響きが良いので口にしていたか、自慢して言っていたのか、とにかくバカの一つ覚えみたいに未だに覚えているのは不思議だ。
もっとも今はこんな呼び方をしないとインターネットを調べて初めて知った。「ホモ・エレクトス・ペキネンシス」、「ホモ・エレクトス・エレクトス」と言うらしい。ちなみに明石原人はニポナントロプス・アカシエンシスとか。
隕石同士が衝突して出来たと言われるこの地球に人類なるものが誕生して久しいが、猿から人間への進化の過程で「2001年宇宙の旅」の映画に出てくるような、神の意思を持った何かが猿を人間に変えたとしか思えない。
赤玉ポートワインと言ってもワインの話をする訳ではない。船の話である。船はヘサキに向かって右側をスターボードサイド、左側をポートサイドと呼ぶ。そして船が航行する時、ポートサイドには赤色の灯火をスターボードサイドには緑色の灯火をつけるのが決まりになっている。それを覚える為の語呂合わせが、「赤玉ポートワイン」である。灯火を点けるのは暗い海で船舶がどの方向へ進んでいるのかを、他の船から見て分かるようするためである。例えば前方を航行する船があって、その船の緑の灯火が見えたらその船は右へ、赤の灯火が見えたらその船は左へ進んでいると判断する。赤,緑両方見えたらこちらへ近づいている。その時は双方の船が右へ舵を切って衝突を回避するのがルールである。前を横切る船の場合はお互いの距離とか速度を見ながら回避行動を決める。
今大きな事件として報道されているイージス艦と漁船の衝突事故で、イージス艦が漁船の緑の灯火を見たとか赤の灯火を見たと言うのはこのことである。
私も造船所に勤務した関係で船の試運転には何十回と乗った。坂出を出航して明石海峡を通り高知沖まで行く。その間に今回の事故のような小さな漁船には何十隻と出くわす。乗った船は23万トン級のタンカーだったからとにかくでかい。走り出すと直ぐには止まれないし舵を切っても大きく弧を描いて曲がるし・・・とにかく小回りは効かない。だから操船者は漁船には随分気を遣っている。その中でも特に注意を払わなければいけないのが、網を入れている漁船である。大きな船が近づいて来たからといって網があるのでそう簡単には動けない。だから見張り役は漁船が網を入れているかどうか、双眼鏡で何回も確認して船長に報告する。こちらの巨大船が回避行動を取る必要があるからだ。
今回の事故は報道を聞く限り、イージス艦に非がありそうだ。あの広い海の上であんな小さな漁船に、しかも真横から真っ二つに裂いて衝突したなんて、私の乗船経験からは想像しがたい。
タイトルに戻るが「赤玉ポートワイン」は明治40年にサントリーが売り出したワインの名前であり、その由来は、赤玉の赤い丸は太陽や日の丸とも共通しており「万物に命を育む太陽」に畏敬の念を抱くサントリーの創業者鳥井信治郎氏の想いが凝縮されているとの事。
上の写真は丸亀市にある飯野山。 標高421.9mのおわんを伏せたような山で、形が富士山に似ているから、地元では讃岐富士と呼ばれている。この山に何回も登ったことがある。北と南と西の3方向から登れるが、一番きついのは南からでいきなり100mくらい真直ぐ坂道を登り、後は階段でほぼ頂上まで。緩いのは西からでらせん状に上まで行く。どのルートを辿っても山頂付近で合流していて頂上へは一本道である。山頂には小さな薬師堂がポツンと寂しげに建っていて、そこに雑記帳が置いてある。登山者がそれぞれの思いを書き留めていく。パラパラめくると、今日で千何回目かの登山とか今年で何回目かとか、すごい記録も書いてある。頂は狭くそう長居もしておられないので、汗を入れると早々に下山することになる。家から一番近い北口に車を置いて山頂→南口→山頂→西口→山頂→北口と、若い時は3往復したこともあった。山道で人に出会うと、中には声をかけても知らん顔もいるが、大抵は挨拶が返って来る。田舎の山とて人に会うのもせいぜい2~3人だが、山中で人に出くわすほど怖いものはないと、行く度に心の隅で思ってしまう。誰にも会わずに登下山できるかに一度挑戦したことがあるが、達成直前で駄目になる。暇つぶしに山へ登る人は沢山いる。私のように。
私が囲碁を覚えたのはハタチぐらいの時だろうか。勝負事には向いてないのに一度は何にでも首を突っ込んでみる。将棋もやったし、パチンコもやったし、競艇場にも行った・・・そう言えばまだ競馬場には行ったことがないから、明石の今の会社にお世話になっている間に、是非阪神競馬場に行きたいものである。
話がそれたが、囲碁は下宿生活の暇つぶしに当時学生会館の2階で仲間がやっているのを横で見て、私も覚えてみようかとやり出した。同じように見ていた顔見知りの同級生と始めたと思うが、もう随分昔のことて忘れた。今会社の人に教えようとしているが、囲碁は将棋に比べて難しいらしい。私も当初はなかなか解らなかったと思うが、覚えてしまえば簡単・・・とは言っても石の死活は奥が深く、未だに大石がころころ死ぬ。将棋は相手の王様を取ったら勝ちだが囲碁の場合は地の多いほうが勝ち。この地と言うは碁盤の縦横の線の交点数の総称である。最初は碁盤の上に何も石がないから交点は全て地だが、その代わり白黒誰の物でもない。そこで互いに黒石、白石を打ち合ってその交点をより多く囲んだ方が勝ちと言うゲーム。将棋も相手の駒を取れるが囲碁も自分の石で相手の石を囲むと取れる。但し囲んだ相手の石に2眼ない場合の時だけ取れる。逆に2眼あればいくら周りを囲まれてもその石は活きている。初心者にわかり難いのはこの2眼と言う目の事。交点が2個あれば2眼と言う事ではないところが初心者にはなかなか理解できない。ここでその事を文字で説明するのは無理なのでやめておく。
碁を打たなくなってもう十年近くになる。その前は今は天国にいる義兄と良く打ったものだ。私が黒でコミなしと言う事は兄に一目置いての勝負と言うことになる。それでも大方は彼の方が勝ったから腕の差は本当はもっとあったのかも知れない。何処で覚えたのか、とに角実践派の喧嘩碁だった。私が地を少しでも広げようものなら、必ず割って入って来る。そして2眼作ってそ知らぬ顔で活きてしまう。これには随分腹立たしい思いをしたが、たまにその石を私が取る時があって、それがまた面白かった。義兄との勝負を会社引退後のボケ防止と暇つぶしにと考えていた私の目論見は、彼と一緒にあの世へ行ってしまった。
めだかを飼いだしたのは丸亀走友会へ入会してから。走友会のメンバーが飼っていて、子供が沢山生れたのであげると言う。そう言われても入れ物から探さねばならず・・・と考えていたら丁度不要な味噌つぼが家にころがっているのを思い出した。タワシで丁寧に洗い、一週間ほど水を溜めてから貰った。体長5mm位の小さなやつが20匹くらい、小さいのは何でも可愛い。見ていて飽きない。早速、めだかの餌なるものを買ってきて与える。水面まで上がって来て一斉に食べる。これがまた可愛い。
それから二ヶ月くらい経った。めだかも大分大きくなったがその頃から水が濁ってきた。めだかに取っては環境汚染。水を替えるしかないがこれがまた大変である。まず水道水を2日間バケツに溜めてカルキを飛ばす。大きくなったとは言え網で全員をバケツに移すのは大変である。もしかしたら2~3匹は残されて味噌壺の洗い水と一緒に排水口への運命を辿ったかも知れない。
そんな頃テレビ東京日経スペシャル「ガイヤの夜明け」で「中国“水の危機”を救え!~海を渡る日本のエコ技術~」を見た。納豆菌を封じ込めたと言うエコバイオ・リング なるものを水槽に入れておくだけで水が濁らないと言う。10㎝くらいのドーナツ形をした写真のような品物。こんな物で本当に水が濁らないのだろうかと半信半疑だったが、物は試しに買ってみることにした。1個4000円弱もする、それを3個も買った。これで効果がなければ訴訟ものだ。しかしさすがテレビ放映されただけの事はある、効果抜群。これは優れものと走友会の連中にも紹介する。買って試した人は長年水の濁りで苦労していて、入れただけで濁りが取れるという他の商品を何回買って騙された事かと言う。でもその経験者にして言わしめた「これは良い」の言葉は本物である。バイオの言葉が世に広まって久しいが、こんな所にも応用されるとは・・・と感心することしきりである。
今日は今年になって2回目の練習に行った。相変わらずボールの行方は右や左の旦那さまである。
昨年は週1回の練習を目標に掲げていたので、フォローアップのマル欲しさにしぶしぶ練習場へ通ったものだが、それでも年間達成率は55%と半分。今年はその目標を外したから、とたんに生来の怠け癖が出た。それにいくら練習しても決して上手くはならないと諦めているので猶更である。
私が勤務する明石近辺の練習場とは違い、ここは何時行っても良く空いている。幅も広いし奥行きもたっぷりある。練習の待ち時間なんてあったためしがない。神戸近辺のゴルファーには羨ましい条件である。
思い起こすと私がゴルフをやり始めたのは、もう20年以上も前のことだ。当時の上司がハーフセット(今頃はこんなセットはないかも)を私に押し付け「お前もゴルフをしろ」がきっかけだった。その頃からこの練習場を利用している。だからここはまだゴルフがそうブームでなかった時からオープンしていて、私が好きな2階席は右の方の十数席だった。それがゴルフブームの到来で80席くらいになり、1階も合わせると160席くらいの大練習場になった。料金の支払も1個で50球出るコインを買う方式から、磁気カードとなり、営業時間も日没終了から投光器の完備で夜の12時までになり、朝は夜明けから早朝練習もできるようになった。練習場も時代とともに随分変化して来た。そんな中で変化しないのは私の腕前だけとは実に悲しい。
電車に乗るのはボケ防止になると言う。実際、電車の中は脳の刺激になるもので満ち溢れている。乗降客の顔を見るのも面白い(失礼)し、車内広告を見るのも楽しいし、車窓から見える風景にも心が和む。
この間「エッ!これ何」と思わされた車内広告を見た。上の写真がこれだ・・・。きりんが頭を下げて、「きんり、さげました A NEW PROMISE!」。こんな刺激的な広告を作る人はすごいね~。まずきりんの絵を見て、これ何!と思う、そして字を読む、あっなるほどと思う。広告は目を引くのが命、この広告はその点で実に良くできている。
「金利下げました」で良く見ると、新金利7.9%~17.8%とある。今まで消費者金融の金利など、借りたこともないから関心がなかったが、改めてこんなに高金利かと驚いた。それで気になって他の車内広告をみると、アイフルが9.8~18%、アコムが12~18%、シンキが15~18%と、どこも似たような%である。最近18%までに最高が押さえられたようだが、これでは自己破産する人が出てきても不思議でない。一度借金したら負のスパイラルに巻き込まれてしまう。
広告の図柄の新鮮さの裏に、何か恐ろしいものが隠されているような気がしてならなかった。
昨日面白い電車に乗った。JR和田岬駅から兵庫駅まで行く電車。何が面白いのかと言うと、和田岬駅には改札口がなく終点の兵庫駅に和田岬駅の改札入口があり、そこから歩いて5mくらいの所に兵庫駅の改札出口があること。逆をたどると兵庫駅の改札入口を通り、歩いてすぐに和田岬駅の改札出口を通って料金清算が終わる。その後で電車に乗る訳だが、乗る前にキャンセルしたら駅員に言わぬ限り往復料金を払う事になる。
和田岬には改札も無ければ駅員もいない。電車の中は窓に沿って長椅子が手前と奥に並び、あの派手なメーカ広告は一切ない。実に殺風景な電車である。和田岬から乗る時も兵庫から乗る時も駅の出口に一番近い先頭車両からお客で埋まっていく。乗降客は朝夕の通勤客に限られるが、三菱電機や三菱重工などの大手企業があって、結構混むんだそうな。当然昼間は走ってないし日曜・祝日に至っては2往復のみであると聞いた。こんな電車があるのは初めて知った。正にヘ~エ、ヘ~エである。
2月3日の日曜日、香川県で唯一の日本陸連公認コースで第62回香川丸亀ハーフマラソン大会が行われた。香川県立丸亀競技場を出発し坂出市内で折り返す21.0975Kmの平坦なコースである。朝から雨が降っていてそれが雪に変わり、エントリーしてない私は他人事とて今日のランナーは体温が上がらず大変だと思った。昔一度だけこの大会にエントリーした事があったが、そう言えばこの時も雨が降っていて寒かったと記憶する。その後走る参加は止めたがこのマラソンの応援には毎年行くことにしていて、日曜日と重なるから早朝丸亀走友会で走った後に応援する。ところがこの日は生憎の雨で走れない。家で関口宏が司会するサンデーモーニングを見ていたら9時30分頃に走友会のメンバーから電話がかかってきた。雨も止みそうなので応援に行かないかと言うもの。どうせ家にいてもする事もないし、恒例になった応援後の飲み会に釣られて出かける事に。雨も上がり、10時30分のスタート時刻には晴れ間ものぞく良いコンディションになってきた。回数でも分かるようにこの大会の歴史は古いが公認コースとなるまでは参加者も少ない地味な大会だった。それが公認コースとなるや参加者もどっと増え、今年は昨年よりまた一段と増えた。制限時間が2時間半から3時間に緩和されたからである。公認コースになった当初は確か2時間10分の制限時間だったから、私にはきつかった。公認コースであろうとなかろうと私は「そんなの関係ネェ」が、世のアスリート達は記録が正式に残る公認コースにこだわるみたい。公認になって高橋尚子や野口みずき、福士加代子、弘山晴美選手といった有名選手が、もちろん招待だけど参加してくれるのは正に「公認」様さまである。Topランナー達が走るのを間近に見物できるのは、プロゴルフトーナメントでプロのスイングをすぐ傍で見れるのと同じ感動だ。昨年の大会だったか山梨学院大学のメクボ・ジョブ・モグスが世界歴代10位となる59分48秒の大会新記録で圧勝したのを見た時は大感動だった。毎年スタートから5Kmくらいの沿道で応援するが、モグスの場合は往路からダントツだった。2位以下の選手に1Km以上差をつけて走っていたと言うより飛んでいた感じである。プロの走りをテレビでなく目の前で見れるのは、制限時間のキツサのおかげで走るのをやめ、応援側にスタンスを変えた賜物である。
ある事務所で1台のパソコンに2台のディスプレイをつないで仕事をしていたのを見たが、あなたの会社ではもうやっているか、もしまだなら検討してみたらどう?と客先の課長から連絡があった。早速インターネットで調べてみた。メーカの売り言葉はこうだ。
■パソコンとディスプレイを「USBグラフィック」で接続するだけで、マルチディスプレイを実現!パソコンへの接続はUSBケーブル1本と、とても簡単です。また、多くのパソコンに搭載されるUSBポートがあれば使えるので、今までマルチディスプレイの実現が難しかったノート型パソコンや省スペースパソコンなどでも使用OKです と。
マルチディスプレイ化すると、右画面のWebで情報収集しながら左画面で企画書を作るのに便利とか、動画を見ながらメールのチェックができると言う。
早速お客さんから言われた事でもあり、試してみる事に。確かにUSBケーブル1本で簡単に実現できる。ディスプレイがもう1台増えることで狭い机の上が画面でいっぱいになる不便を除いて、さほど支障もない。2画面あると確かに便利である。やってみたのは左にメールを置いて右でエクセルやワードを使う、左にWebのホームページを開いて右でページを作成、以下同様にエクセルの異なるファイルを開いて比較参照、シート1とシート2を同時に見て作業するとか。
他の電気製品に例えるなら電動歯ブラシとか無線マウスのような商品。無くても良いがあれば便利。そして慣れれば手放せなくなる。
先日祖母の50回忌と伯父の33回忌の法要があった。お寺さんによると、記念すべき回忌とか。どちらも次の法事は50年後と17年後で、今の参列者はそれまでは生きていないだろうから、実質これで終了と言う意味らしい。50年をやれただけでも長生きを大いに仏様に感謝しなさいと言う事である。話は変わるが一向宗の読経は長い、真言宗だと40分くらいで終わるのに一向宗は2時間くらいかかる。だから中休みが二回もある。昔はさぬきのこととてその時うどんが出たが今はさすがに茶菓子に変わった。休みの時は参列者間でご無沙汰の挨拶やら身内の現況伺い、健康の話に会話が弾む。だから休憩時間も少々長くなる。お寺さんの話では家によっては参列者が一言も口を利かない所もあって、そんな時は休みもそこそこに切り上げるらしい。読経の最後に一言院主さんがのたまうのが常で今回の話は、木の葉が芽吹き成長しそして病ら葉となって土に返り次の命の基になる、と言う良く聞く人生訓。アトの雑談で、昔、土葬の時は肥やしとなったかも知れぬが、それが火葬に変わり肥やしになるどころか油を使って環境汚染までしている。チベットあたりでは鳥葬の習慣があり、死後もその肉体は役立っている。なんと理想的な葬り方ではないか。仏教では土葬や火葬について何か述べているのだろうか。アメリカのさる学者が、日本は国の指示があった訳でもないのに大衆自らが火葬の文化を取り入れた事に驚愕したとか聞いた。宗教や宗派の違いは人の死に関わる文化をそう簡単に変えられないのが常識と、彼は思っていたせいだろうか。でも驚愕するほどの事はない。土葬から火葬へと変ったのは人口の増加による土地と言う物理的な制約から来た已む得ぬ仕儀と心得るが。
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