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2008年6月14日から17日までの4日間、サイパンへ行って来た。旅行の肩書きは「野戦重砲九連隊戦友遺族会サイパン4日間の旅」。14日の10時30分関西空港を出発してサイパンへ着いたのは15時、 1時間の時差があるので3時間半のフライトである。その日はホテルへチェックインしただけ。次の日15日に慰霊祭が行われた。ホテルからバスで20分くらい走った所に祭場はあった。どう表現したら良いのだろう・・・山の中でもない、森の中でもない、そう 林の中のちょっと拓けた場所にフェンスで囲われた碑があった。70㎡くらいの広さの中に黒木隊第4中隊、第5中隊、第6中隊の戦没者名を刻んだ碑と、かろうじて形をとどめる高射砲があった。黒木隊の生き残りで今回参加できたのは岡崎さん唯一人。サイパン玉砕で5万5千人ほどの日本兵、民間人が死んだと伝えられ、戦後の時の流れは数少ない生き残りの彼らをも天国へ連れ去りつつある。
上の写真はテニアン島からサイパンへ飛ぶ6人乗りのセスナ機である。空港で切符を買った順に乗せてくれると言う。テニアン観光を午前中で終了し、できるだけ早くサイパンへ帰ってホテル前のビーチで泳ごうか・・・と言う事になった。
テニアン空港まで観光会社の専用車で送ってくれた。現地の日本人ガイドから、メモ用紙に名前と体重を書いて切符を買った方が良いとのアドバイス。チケットカウンターで早口英語でそれを聞かれても困らない為の方策。体重は、もちろん機体のバランスを取るために必要。メモのおかげで片言英語で何とか搭乗券は手に入れたが、出発時刻が分からない。いつ乗れるのかと聞いたら次の飛行機と言う。テニアンとサイパンの間はセスナ機のシャトル便らしく、定員になると飛ぶ。そのためか時刻表などない。待合室で待っていると後から来た人が先へ先へと乗って行く。何故だろうと様子を窺うに、どうもテニアン島にあるカジノ客を中国人とおぼしき手配師が先送りしているらしい。我々より先に予約を入れていたのだ。カジノはこの島唯一の外貨獲得手段、テニアンツアー企画の中にもカジノで遊ぶと言うのがあるそうな。
一時間以上待たされて、一体我々5人組の搭乗は何時になる・・・と心配しかけた頃やっと搭乗案内で名前を呼んでくれた。やれやれである。
空港と言ってもセスナ機しか発着しないからそんなに広くはないが、それでも離陸するスタートラインへ行くまで相当距離の地面を走る。パイロットが直ぐ横の乗客に、中国人らしい若い女性だったが、ドアを少し開けてホールドするよう求めた。年期の入ったセスナ機でもちろん冷房もなく、暑いから外気で涼を取るためとか。車で言うと窓を開けて走るようなもの。このまま飛び立つのかと思って心配したが流石にそれはなかった。
先月29日に私の乗った電車が人身事故を起こした。三ノ宮へ向かう快速電車が塩屋駅を通過中に急停車した。人身事故の影響で遅れた電車に何回か乗ったことはあるが、自分の乗った電車が事故を起こしたのは初めての経験。ましてこの日は午前中にもJR土山駅で人身事故があったばかり。
ついこの間も岡山駅のホームで立っていた乗客が、ホームに突き落とされて走ってきた電車に轢かれて死亡すると言う事故があった。
考えてみるとホームと線路の間に安全柵が無い駅がほとんど。私が知っている唯一柵のある駅は新神戸駅。電車が到着するとゲートが開く仕組みになっている。
その駅で停まらない電車は猛スピードでホームを駆け抜けていく。ホームに立つ乗客はその電車が起こすベルヌーイの法則による低気圧に吸い込まれそうになる。ましてや後ろから押されたりしたら、ひとたまりもない。
ホームに安全柵がない割には事故が少ないとも言えなくもないが、やはり混み合う駅から優先的に柵とゲートを取り付けるべきではないか。
今駅のホームにエレベータを付ける工事が進行中だが、それより先に安全柵を付ける工事が先ではないかと思うのだが・・・。
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