住吉神社(Ⅰ)
兵庫県明石市魚住町中尾にある。御祭紳は底筒男命・中筒男命・表筒男命(住吉大神)と気長足姫命(神功皇后)。
伝承によれば、神功皇后の三韓征伐の際、播磨灘で暴風雨が起こったため、魚住に避難し住吉大神に祈願をすると暴風雨がおさまったという。凱旋後、神功皇后により住吉大神は摂津国住吉に祀られた。大阪の住吉大社に伝わる『住吉大社神代記』によれば、住吉大神より「播磨国に渡り住みたい。藤の枝の流れ着く所に祀れ」との託宣があり、藤の枝を海に浮かべると、魚住に流れ着いた。そこで、雄略天皇8年(464年)に当地に住吉大神を勧請したのが当社の創建と伝える。正応5年(1292年)に現在地に遷座した。
初めて住吉大神が祀られた地ということで、「住吉神社の発祥の地」を称している。
なお、境内の能舞台は、明石市内に残る唯一の能舞台で、山門、楼門、能舞台、拝殿、本殿が一直線に並ぶ東播磨地方の典型的様式を備えており、初代明石城主小笠原忠政(後の忠真)が寛永年間に建立したことが棟札から判明している。能が地方まで伝播した江戸時代初期の生活文化と歴史的変遷を知る上で貴重な資料となっている。
なお、周辺の漁船の多くは当神社にちなんで「住吉丸」の船名をつけている。(ウィキペディア フリー百科事典より)
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2008年10月17日参拝。
明石市市内には数社の住吉神社があるが、その代表がここなんだそうな。海岸に面する小高い丘全体が境内の感じ。広い林の中の神社。
神社から真っ直ぐ浜へと出る道がある。ここの神様は10月の出雲出張に住吉丸の船で行くんだろうな~。左が浜辺から見た神社、右は神社から見た海。
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