人間ドック
毎年1回の人間ドックも今年で24回目となった。始めたのは40歳の時。会社の同僚から毎年行っていると聞き、私も年齢のキリが良いので始めた。以後ドックは年中行事になった。行き先は(財)香川成人医学研究所と言ういかめしい名前の検査機関。1回だけ滝宮総合病院へ浮気したが、家から遠いとの理由で元に戻った。
思えばその間いろんな変化があった。
まず20年も一緒に行った同僚の竹口さんが退職を期にやめると言い出した。曰く、会社現役中は病気を早く見つけて会社に迷惑がかからないようにドック入りしたが、退職した今はその必要もなくなった・・・と。彼は現業職で退職するまで労働組合側の人間だったが、彼の行動や考え方は常に経営側に立ったものだった。若い時からそうだった。だから現場工事の管理監督は抜群で、彼に任せておけば何の心配もなかった、そんな考えを持つ彼を私は大いに尊敬していた。そしてそれが人間ドックを止める理由にまでなるとは流石に彼らしいと思った。私はと言えば少しでも長生きしたい、安心しておきたいとの思いだけで続けてきたのだから。
あと変化があったのは讃岐・伊予・阿波・土佐と言う部屋割りに2人づつだったのが、時代の変化だろうかホテル並みに一人部屋になった。私が竹口さんといつも一緒だった理由のひとつは、全く見知らぬ人と、一泊と言えども、検査入院と言えども一日半を同じ部屋で過ごす不愉快さを避けるためだったからこれは良いことだった。いつだったか同僚3人で申込んだ時、運悪く私だけが見知らぬ輩と同室になった。タバコはガンガン吸うしイビキはかくしで、何のためにドック入りやらと大いに嘆いた経験がある。
検査方法や内容も年々変化した。夜に尿を全量取らなくなった、胃カメラが導入された、超音波で膀胱や頚動脈まで検査するようになった、動脈硬化を調べる血圧測定が追加になった、生活指導やメタボ健診が追加になった、・・・など等。
また向こうは覚えていないだろうがこちらは覚えている看護師さんも、古顔が消え新顔になった。なかでも三野さんと言う看護婦さんが辞めたと知った時は、少なからず寂しかった。彼女もマラソンが趣味で私と話が合った。フルマラソンを何回も完走し四万十100キロマラソンも走破した人だった。今彼女はどうしているのだろう?
一方変わらぬものもある。医学研究所の建屋。もう随分と年月を経ているが外装や内装は都度やり変えるのかそれなりにきれい。変わったのは研究所と隣接していた回生病院。老朽化で解体され少し離れた所に新築された。建屋づたいに回生病院の眼科へ看護婦さんに連れられて健診したのが懐かしい。
私も来年を最後に人間ドックはやめようかと思っている。【生→老→病→死】いくら早期発見しても死から免れることはできないから、それに費用も高いから、それにキリの良い25回に達するから。
PS 今日終わったドックの帰り、受付で来年の事を聞いたら、ここでの営業は来週いっぱいで終わりとか。現在ちょっと離れた所に新築オープンするそうである。40歳で初めて門をくぐった時の流れを感じる。
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