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丸亀走友会との出会いは、私が当時入会していた川重走友会の延長線上から。両方に入会していた富上さんから誘われた。もうかれこれ10年前の話。
丸亀走友会で焼肉をするからおいで・・・と肉とお酒に釣られて出かけて行ったら、走る仲間の集いはことのほか居心地が良かった。
聞くと発足は1976年と言うからそれなり古い。だからメンバーも多いかなと思いきや10名足らず。若い人が入会しないから、こんな趣味の会にも高齢化の波が。
日曜日に丸亀城の大手門に集まり、そこから各人のその日の体調に応じた距離を走ると言う。土器川沿いを川上に走り、丸亀橋で折り返すと3Km、丸亀大橋で折り返すと5Km、高柳橋まで行くと10Kmとコース毎に距離が決まる。
4月から10月までは朝6時、11月から3月までは朝6時半集合と少々早いのが難点。土曜日に飲み会でもあると、あくる日はなかなか起きられない。欠席するといい気持ちで寝ているのに携帯電話がかかって来る。何故来ないの?と。
まず入会して驚いたのは走った後でビールを飲む事。10K走っても朝8時には大手門に帰って来る。えっっ、朝からお酒かよ???である。だけど走った後は朝から飲んでも美味い。実に美味い。それに日曜市がお城近くであって、つまみの揚げ物なんかも売っている。決まって誰かがそれを買ってくる。
あれからもう10年。そんな走友会も入会した頃とは随分様変わりした。メンバーがますます減ったし、走るコースも変ったし、皆あまり長距離を走らなくなった。そして良い事に違いないが、ビールを飲む人はほとんどいなくなった。そんな中でもメンバーがポロッポロッと減っていくのは実に寂しい。
丸亀走友会で毎年決まって行くマラソン大会がある。高知の安芸市で12月に開催される大会。この大会で30年連続出場で表彰されたメンバーがいる。私は昨年やっと15年連続出場を果たしたばかり。
30年連続の我が会長の声、梶原さんの【安芸の思い出】
足摺岬には椿の群生があって、2月,3月は花の見頃を迎える。亡き母が足摺へ旅をした時そこの苗木を持ち帰った。
それで我が家には今も足摺岬に咲く椿の子孫がこの時期一斉に花を咲かせる。この花が咲くたびに花好きの母を思い出す。今年は母の17回忌。亡き人の年の経つのは本当に早い。
足摺に関する母の詩を紹介。
■かれんなる椿の花よ紅の色鮮やかに岬に咲ける
■足摺の椿見んとて早春に讃岐の地より土佐路訪ねて
■足摺の岬に立てば遥かなる大海原の碧き細波
■黒潮の寄するしぶき泡立つを眼下に見つむ巨岩のふところに
ついでに椿をインターネットで調べてみた。曰く・・・
椿の花は、花びらが個々に散らず萼の部分から丸ごと落ちる。それが首が落ちる様子を連想させるために病院のお見舞いに持っていくことはタブーとされているとか。
また、馬の世界においても落馬を連想させるとして、競馬の競走馬や馬術競技馬の名前としては避けられる。特に競馬では、過去には「タマツバキ」の様な名馬もいるが、1969年の第36回東京優駿(日本ダービー)で大本命視された「タカツバキ」が、スタート直後に落馬で競走中止するというアクシデントを起こして以降、ほとんど付けられることがなくなったとされている。
武士はその首が落ちる様子に似ているというのを理由にツバキを嫌った、という話もあるがそれは幕末から明治時代以降の流言とか。
以上、ウィキペディア フリー百科事典より。ツバキの花ひとつでも、調べてみるといろいろ面白い。
金刀比羅宮は、香川県仲多度郡琴平町の象頭山中腹に鎮座する神社。こんぴらさんと呼ばれて親しまれており、金毘羅宮、まれに琴平宮とも書かれ、明治より前は金毘羅大権現と呼ばれた。全国の金毘羅神社(金刀比羅神社・琴平神社)の総本社である。(ウィキペディア フリー百科事典より)
2008年10月25日参拝。
上り口から本殿まで大小10社の神社がある。下から順に紹介する。
1、祓戸社
■祭神:瀬織津姫外三柱の神
ともに伊邪那岐神の御子 神道の真髄、罪穢を祓い清め給う神さまで人びとはここで祓いを願い参詣する 本殿 流造 銅板葺
2、火雷社
■祭神:火産霊神外五柱の神
火を司どる神かまどをつかさどる神 即ち浄火又鎮火消防の神さまであり御相殿にまつるちまたの神は疫病を防ぎ止め給う神様と申されている。
3、遙拝所
■伊勢神宮をはじめ全国皇陵諸社を、ここより遙拝する浄域として明治初年の建立 流造 銅板葺
4、真須賀神社
■祭神:建速須佐之男尊 后の神奇稲田姫尊
八俣大蛇退治の天叢雲剣の神話にでる神さまで勇武絶倫の神といわれる 社殿 入母屋造
5、御年神社
■祭神:大年神、御年神、若年神の三神
はじめ大年神社と称す。のち御年神社と称す。大年神は素盞鳴尊の御子若年神は御年神は御弟神の御子御年神は大年神の御子農作穀物を司どる神 社殿 流造
6、事知神社
■祭神は積羽八重事代主神(つむはやへことしろぬしのかみ)外二柱の神でともに大国主神の御子神にあたられ事知主神は一般に商売繁昌の神夷(えびす)さまとして広く信仰せられる神さまであられる。 社殿 流造 銅板葺
7、金刀比羅宮本宮
■祭神:大物主神
のちに崇徳天皇を合わせ祀る
社殿 大社関棟造
明治十一年の改築 全檜造りである
農業・殖産・医薬 海上守護の神等古来衆威にあまねく徳を垂れ神徳を仰がる
現在地 海抜二五一米
ここから奥社へ行かず引き返す道中に、
8、三穂津姫社(みほつひのやしろ)
■本宮御祭神大物主神の后の神三穂津姫の神をまつる高皇産霊神(たかみむすびのかみ)の御女、社殿は明治九年の建築である 本殿 王子造 拝殿 大社関棟造
9、嚴島神社(いちきしま)
■祭神:市寸嶋姫尊(いちきしまひめのみこと)
宮島にまつる神と同じ素盞鳴尊(すさのをのみこと)の御女。俗に弁財天また弁天と申し音楽を掌り福徳の神として崇拝せられる 社殿 入母屋造
10、大山祗神社(おおやまずみ)
■祭神:大山祗神
山を司り鎮護する神さまで御子に木花咲耶姫尊がある。明治八年以前 前旧殿は山神社と称す。当山に古くからあった社の一である 社殿 流造
11、旭社
■天御中主神 高皇産
霊神 神皇産霊神
天地開闢の神々を祀る社殿は天保八年(1837)の建築 総﨔造二重入母屋造で天保建築の粋をあつめたといわれる。楼上「降神観」額は清朝の書家王文治の筆である。
高校生の時に習った漢詩で今だに文言を覚えている詩。
■楓橋夜泊 (張継)
月落ち烏鳴いて霜天に満つ
江楓漁火愁眠に対す
姑蘇城外の寒山寺
夜半の鐘声客船に到る
■山行(杜牧)
遠く寒山に登れば 石径斜めなり
白雲生ずる所 人家在り
車を停めてそぞろに愛す 楓林の晩
霜葉は二月の花より紅なり
■春晓(孟浩然)
春眠暁を覚えず
處處啼鳥を聞く
夜来風雨の声
花落つること知る多少
神社をお護りする狛犬のあぎょう像とうんぎょう像はあうん(阿吽)に由来すると聞いたので早速調べてみた。
ウィキペディア フリー百科事典より
阿吽(あうん、Skt:A - hum)は仏教の呪文(真言)の1つ。悉曇文字(梵字)に於いて、阿は口を開いて最初に出す音、吽は口を閉じて出す最後の音であり、そこから、それぞれを宇宙の始まりと終わりを表す言葉とされた。
また、宇宙の他にも、前者を真実や求道心に、後者を智慧や涅槃に喩える場合もある。
次いで、対となる物を表す用語としても使用された。特に狛犬や仁王、沖縄のシーサーなど、一対で存在する宗教的な像のモチーフとされた。口が開いている方を阿形、閉じている方を吽形と言う。
転じて、2人の人物が呼吸まで合わせるように共に行動しているさまを阿吽の呼吸、阿吽の仲などと呼ぶ。
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あうんの形を示すのが神社では獅子・狛犬でお寺では金剛力士(仁王)像らしい。
私は事典で調べるまで、あぎょう様は説教してくれ、うんぎょう様は黙って言い分を聞いてくれる存在と勝手に解釈していたのだが・・・。
鳥居とは神社などにおいて神域と人間の住む俗界を区画するもの(結界)であり、神域への入口を示す”門”のような役割を果たすもの。
神社の象徴とも言えるべきものですが、その起源については明らかになっていません。他国から伝わったものであるとも、日本古来のものであるとも言われ、日本の神社の使いがニワトリであることから、 そのニワトリが止まる横木が鳥居の原型であるとか、”通り居る門”から鳥居と呼ばれるようになったなど、「鳥居」という名称の由来も定かではありません。【インターネット事典より】
だから喪中に「鳥居をくぐってはいけない」と言うのは神の領域に入ってはいけないと言うことであり、鳥居をくぐらなければ良いんだろう・・・と横から入ってもダメと言うこと。
知らなんだ知らなんだ。
■香川県丸亀市山北町570にある神社。
■ご祭神は品陀和気尊・玉依姫命・息長帯姫命
■由緒 丸亀市の産土紳で、かっては丸亀城の北にあったが、慶長七年 国守 生駒一正が西讃鎮護のため、亀山に築城の際、麓にあったのを移転すべく遷座地を物色中、柞原郷王子森の松の上にさん然と輝く光が現れ終夜照らし続けた。
一正はこれこそ八幡宮のお告げと、この地に遷宮した。光り輝いた松は「神光松」と名付けられた。
寛永十八年山崎家治封を西讃にうけ丸亀に居城するや社殿を造修して侯社とし、京極氏丸亀藩主となっては特に宗敬が厚かった。
■この神社は丸亀走友会のメンバーが元旦に祈願する神社。丸亀城で初日の出を拝んだ後、走友会のこととて走ってここまで来る。参拝した後次の神社、田潮神社へとまた走る。丸亀走友会の集いは毎年こうして始まる。
下は神馬の像だが左の左下隅の写真を良く見ると犬の像がある。神犬と言うのだろうか、でも何で犬が?
日本経済新聞の【春秋】欄にこの言葉が紹介されていた。
一日,二日,三日と指折り数えていくと、五日でにぎりこぶしとなる。そして六日目から指を開くことになる。
六日知らずとは、指を開くと掴んだものが逃げる(落ちる)ので六日目からは数えない・・・即ちドケチを意味するのだと言う。
”それ何っ?”と今度は私が言う番。この歳になって初めて聞いた言葉。
私が今お世話になっている会社には、独身社員が多い。その中で一人生活をしている男性社員が食生活ではどうしても野菜不足になると、青汁を飲み始めたと言う。
それを聞いて「そうよね・・・チョンガーは野菜不足になるよね~」と言ったら、それ何っ?とまた言われた。「ねずみにひかれないように・・・」と言った時と同じ反応。
私が新入社員の時、所属部(電気部と言った)に【エレチョン会】なる独身者の集まるアフター5の会があった。どんな意味?と聞いたらエレクトリック(電気)集団のチョンガーの集まりだからエレチョン会だと。なるほど、なるほど。
でもその時チョンガーの語源は?とかどんな意味を持つ?とか聞いても分らなかったし、敢えて知ろうとも思わなかった。独身者をチョンガーと言うのはその響きの良さから私には何の違和感も抱かせなかった。
今改めてインターネットで引いてみた。ウィキペディア フリー百科事典曰く。
チョンガーとは
造語かと思っていたら立派な語源があったんだ。
「かいげん」と読む。てっきり「カイガン」と思っていた、情けない限り。
柿茶の製造・販売をしている友人の井上社長のところに不思議な縁で、木像の観音様が来られた。その開眼法要をするからと招待された。
開眼法要は仏像、仏画、仏壇、墓などの完成の際に営まれる法要とか。一体どんな服装で行けば良い・・・インターネットで調べる。とにかくお祝い事ゆえ、式服に白ネクタイ、紅白の水引きに「開眼お祝い」と書く。
そのとおりにして出かけた。観音様のごりやくか社長の人望か、何と80人超の招待客が来ると言う。
観音像に入魂する御導師は、東京を拠点に日本でも世界でも活動中の木津上人、日蓮宗の僧伽(仏門に入り修行する人)。とにかく偉い人らしい。上人とはすぐれた人、高徳の人の意。仏や仏弟子を指す場合もあるとか。
とにかくそう簡単に上人にお会いできるチャンスは無い。入魂式が終わり、お説教でこう言われたのが心に残った。
世界のみんなが【和合】の心を持てば、今世界のどこかでやっている戦争やいさかいは消えると。私は仏教徒だがキリスト教の会合にも、イスラムの会合にも顔を出す。これは不謹慎でもなんでもない、和合の心だと。 感じ入りました。
PS ちなみに今回ご披露された観音像は三十三観音の第二十六観音(六時観音さま)に似ているが、そっくりでは無いと言う。【健康観音】と名付けたらどうかと上人様の言。実に良い お名前ではないか。
ご参考に六時観音という名は、四六時中、つねに衆生を哀れみ慈しんで守護してくれる意味。
二階から転落してもう2ヶ月が経とうとしている。尾骶骨の痛みは消えたが左肩の痛みが今も取れない。
骨でも折れているのだろうかと先々週の土曜日、同姓のよしみで【まえだ整形外科】へ。「レントゲンを撮ってみましょう」と思い通りに事は運んだ。
現像した写真を見ながら医師曰く、「左の鎖骨を折った事がありますね、それに肋骨も折れた痕跡がほらここに・・・ここん所の骨が少しふくれて大きくなっているでしょう。これが折れた証拠」と。
Yes.鎖骨は確かに折った。両景橋を上りきった所から下りは自転車にまたがった。結構急な下りでスピードが出ていた。ブレーキが間に合わず方向転換したとたんに転倒。
この時鎖骨が折れた。金具を入れたら治りも早いしきれいにつながりますよと・・・言う。でも骨がつながった後また金具を取り出す手術があると聞いてやめた。
コルセットを入れて骨が出来るのを待った。だから私の鎖骨はクノ字にひん曲がってひっついている。
肋骨も折れた痕があるって・・・。No.肋骨なんて折った覚えは全くない。いつ折れたの?肋骨が折れたら痛いと言うではないか。そんな痛い記憶はない。でももう治っているんだからいいか・・・。
で今回の左肩の痛い原因は?骨は大丈夫ですよ。筋肉痛でしょう、ホットパックでもしてみますか。
ついでに電気マッサージやら電磁波治療やらやらされて病院を後にした。病院を出たとたんまた痛みがぶり返す。耐え難い痛みではない。2ヶ月も病院で診て貰わずに放っておいたぐらいだから。
で今も筋弛緩剤とかの薬を飲んでいるが一向に改善されない。春が来て暖かくなればその内痛みが消えるわよ・・・とはうちの神さん(かみさん)の言。
二階の便所のドアは内側に開く。家に居る時は閉めるのが面倒で便所のドアは開けっ放しにする。便所の手前に一階へ降りる階段がある。(写真の手前が階段、奥が便所)
だから寝室を出て便所へ行く時は、必ず階段の降り口前を通ることになる。
昨年末、降り口を便所の入口と間違えて一階まで転落した。途中に半畳の方向転換用の踊り場があるが、そこでも止まらず一階の廊下まで落ちた。真夜中の事である。
少々酔っ払っていたし、慣れた我が家の2mもない距離、灯りも点けなかった。便所のドアはいつも開いているから、ここだと入ったつもりが落とし穴だった。
結果は言うまでもない。何が起きたか分らず一階の廊下でうめいた。眠さ半分、どこやら打った痛さ半分、とにかく寒い、起き上がれなくては・・・。
痛くて10分くらいはそのままうつ伏せになっていただろうか・・・寒さに耐え切れずそろそろと起き上がった。とにかく手足は動く。そのまま二階まで上がって用を足し、まだほの暖かい布団の中へもぐり込んだ。
朝、目が覚めて一階まで転落した事を思い出した。寝床から抜け出し、鏡の前に。唇が腫れている、でもそうひどくはない。良く顔を観察しないと気が付かない程度。アト左肩が痛いのと尾骶骨が痛い。とにかくひとまず安心。
階段から落ちて半身不随になった人もいると後から聞かされて、ぞっとした。運が良かった。酒に酔っていたのが幸いしたのか、普段ジョギングしているのが良かったのか、とにかく神さま仏さまに感謝、感謝。
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