Jou光

  • 親父
    彼は子供の時から絵が上手いと、親の欲目で思っている。目の前でさらさら描かれると、ついつい感嘆してしまう。世の中いっぱい絵の上手い人はいるが、この道で飯が食えるのはスポーツ選手と同じで極一部。でもとにかく趣味でも良いから絵を描くことは続けて欲しいと願っている。

春爛漫

  • ぼけの花
    柿茶の里は徳島県美馬郡つるぎ町に位置する。柿の葉の生産農家へ毎年春と秋に行く。春はことさら美しい。桜が咲き乱れ山の木々が新緑に包まれる。澄んだ青空に身も心も洗われる気がする。

アユタヤ遺跡

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    1491年に建てられた王族の守護寺院。3つの大きな仏塔には、ラーマティボディ2世と父、兄の遺骨が納められています。 寺院ではありますが僧は居住せず、王の礼拝堂として王族の儀式に使用されていました。この寺院もまた、1767年ビルマ軍により破壊され、16mあったという金で覆われた仏像も金を奪われた後、壊されてしまいました。

暁の寺院 タイ

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    トンブリ王朝時代の守護寺で最高位の寺院とか。きらきらと輝く陶器の破片に覆われた高さ約79mの大仏塔は、ラマ3世により5年がかりで改装された。朝日を浴びた大仏塔の神々しい姿が”暁の寺”の名前の由来。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

  • Pict0201
    セイロンへの留学から戻ってきた僧侶のために、1357年初代王ウー・トーンが建立しました。仏教寺院は瞑想の場として使用されていました。現在も多くの仏教徒が訪れ、週末は観光客でにぎわいます。

水上マーケット

  • Pict0116
    ダムナン・サダックの水上マーケット。その昔、”東洋のベニス”と言われたバンコクでは、日常的商取引には運河が利用されてきた。水上マーケットは、古き良き時代の情緒溢れるバンコクの生活を体感させてくれる。 

2008年7月 タイ王宮

  • Pict0429
    白壁に囲まれた20万㎡の敷地内には、1782年に建設された国王の宮殿、即位式の建物、王室守護寺院のエメラルド仏寺院などチャクリー王朝歴代の王により建造・改築された建物が建ち並んでおり、ラマ8世までは実際にここに住まわてていたとか。

涅槃寺

  • Pict0386
    タイ語で Wat Pho(ワット・ポー)と呼ぶこの寺は、ラマ1世が建立したバンコク最大の境内を持ち、バンコク最古の歴史を持つ寺院。本堂には写真のようなリクライニング・ブッダの愛称で親しまれている寝釈迦仏が横たわる。足の裏には螺細細工でバラモン教における108の宇宙観が表現されていると言う。

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金魚

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2009年3月

デジカメ

デジカメの餌は何かと孫に聞き・・・だったかの川柳がある。そのカメも最近は随分安くなったし、性能も一段と向上した。

液晶ディスプレイも携帯電話と同じで大きくて明るくて見やすくなった。ついこの間ブログ用の写真を撮るのに軽くていつでも携帯できるCASIOのEX-Z300を買った。

Z400と言う新機種が発売になったせいか、型落ちで2万円ちょっととお手頃価格。”逆光でもキレイに撮れます”のうたい文句につい手が出た。

逆光での撮影はホワイトバランスとか調整してもなかなか上手くとれないと思っていたから、これは殺し文句だった。早速試し撮り。まあ今まで使っていたカメラよりは満足のいく出来栄え。

軽いのでノート代わりにカメラを持ち歩くことにした。フィルムと違って何枚でも撮れるし、撮った写真をその場で確認できるし、とにかく便利。書き写すのが面倒な説明看板や石碑など何でも撮る。拡大すれば字は読めるし日付も入るから行動記録にもなる。

そんな便利なカメラが出る前の、古い懐かしい子供の頃の写真が見つかった。

Boy

右から2人目が親父でその下が私。五歳くらいだろうか?

百花詩集 Ⅶ

昭和54年(その7)     

・それぞれの 性を現し 写る顔

 再び逢わん 人もありなん               

・あじさいの 花ようやくに 咲き始む

 梅雨の最中の 庭の片隅      

・ななかまど 白々と咲く 梅雨晴れに

 手折ればもろく 手の掌に落つ   

・くちなしの 葉裏につきし 青虫を

 丹念に除く 日課となれり      

・一つ二つ 開き始めし くちなしの

 香のなつかしく 若き日想う     

      

               

浮世絵

父は私が学生時代に脳溢血で他界した。65歳だった。私が18歳で家を出て社会人になる前に父はもう亡くなっていたから、じっくり酒でも飲みながら人生を語るチャンスはなかった。

だから父がどんな人生観を持っていたのか、どんな考えを持っていたのかは今となっては知る由もない。

切手とか古銭とか浮世絵を収集するのが好きだったようで、とりわけ未使用の記念切手シートを良く見せてくれた。中でも「見返り美人」や「月に雁」は、これをシートで持っていると自慢していた。P0140s_11 Syu0173s1

切手の収集品は母が弟に形見分けしたのか、いつの間にやら我が家から消えた。

残っているのはここに紹介する浮世絵。本物か贋作かは「開運なんでも鑑定団」に見てもらわないと分からないが、葛飾北斎とか歌麿の名前がある。

収集品の中には所謂「春画」と言う今のポルノ画もたくさんある。だから浮世絵は父からも母からも「こんなものがある」と見せてくれた事はなく、出窓の物入れにあるのを私が偶然見付け、チラッと見ては慌てて隠したものだった。

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ゆり

母の名前はゆり子。その故か百合の花が大好きだった。

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椿Ⅱ

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ベゴニア?

花のつき方や形はベゴニアに似ているが、葉っぱはゼラニュウムのような気もする。一体どっちの花を画いたんだろう?

昔の一時期、ゼラニュウムに凝ったことがある。花の色には、赤やピンクや白それに八重もあって、店頭で違う花の色を見つけると必ず買って来た。葉っぱには独特の匂いがあって、でも決して良いにおいでは無かったと思う。

そのゼラニュムを路地栽培で何年か越冬させたが、興味が薄れるにつれ、最後は枯れてしまった。

何でも愛情を注がないと! 飽きっぽいのは困る。

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大腸ポリープ

40の節目から始めた人間ドックを毎年続けていなかったら、今の私はとっくにあの世。

胃のポリープは放置しても問題ないが、腸のポリープは必ず癌化すると聞く。そしてそれが見つかったのは確か人間ドック5年目だったと思う。

便潜血反応が陽性で精密検査をしてみましょう・・・と。例の肛門から内視鏡を入れて腸の中を検査するやつ。一体どんな格好で検査するの?下半身裸?痛くない?麻酔は?・・・とあれこれ想像するに気が重くなる。

でも検査自体はそう心配するほどのこっちゃなかった。格好はお尻に窓のある検査用のパジャマを穿かしてくれるし、ケツのアナを見られる恥ずかしさを除けば、オェオェツの胃の内視鏡検査よりずっとましだ。

検査自体より腸内をきれいにする前処理の方が大変。2日前からおかゆ、1日前はスープだけ。おまけにその量も制限されお腹のへる事と言ったら・・・。そして検査当日はまずい下剤を2リットルも飲まされる。

尾籠な話で申し訳ないが、下から出るはでるは・・・まるで水鉄砲のように出る。透明度がだんだん上がって、腸の中がキレイになっていくのが見える。一種の爽快感さえ覚える。

検査結果は?

見つかりましたね、S状結腸に直径1センチくらいの立派なポリープが。手術はまた日を改めてしましょうと。

ポリープの根元を内視鏡に仕組んだワイヤー鉗子で切り取る手術。その時出血する場合もあるから一応入院してもらって・・・で、出血がなければその日に帰ってもいいよと。

結果は1週間近く入院するはめに。ポリープ近くの血管を傷つけたか切ったかでえらい下血。とにかく便器は行く度に真っ赤になる。その度に私の顔は真っ青になる。

一升ぐらい下血したと大袈裟に思う頃、輸血しましょうと言われ内心安心。でもこの輸血、数年後に物議の種となるのも知らずに。

それから数年後、大腸ポリープは再度見つかり、再度切った。この時は下血もなく入院もせずにすんだ。何よりほっとしたのは検査や手術の前処理が簡単になっていた事。2日も前からの制限はなくなり、検査当日の下剤だけで良くなった。その下剤も随分飲みやすいものに変っていた。

緑十字が製造販売したフィブリノゲンによるC型肝炎が新聞紙面を賑わしたのは、私が輸血を受けてから数年経ってからの事。もしかしたら私も?と心配したが幸い関係なかったようである。

とにかく私にとって人間ドックは救世主である。皆さんにも是非お薦めする。

PTA

毎日曜日、走った後で決まっていっぷくする団扇会館に、たんまぁ~に顔を見せる国鉄OBがいる。これはその彼から聞いた言葉。もっとも国鉄とは一切関係のない話。

【PTAに手を出すな】と。大手消費者金融3社の頭文字を取ったもの。

走友会のあるメンバーが、その一社の宣伝用ティツシュを、事ある毎に取り出してきては、これを使えと言う。ポケットティシュは何かと使い道が多い。だから彼のおかげでティシュに困ったことはないし、とても重宝している。

そのティシュをいつもたくさん持っているのを初めは気にもしなかった。もらったらサンキューてなもん。でもそれが何年も続くので、ふと何故これほどいつも持っているんだろうと気になり出した。

推測するに、親戚かご近所に消費者金融に勤める人がいるか、宣伝用ティシュを配る仕事をしている人がいて、配るべくティシュの一部を「手伝ってよ」と押し付けられたか、自発的にもらって来た・・・のではないかと、それもダンボール単位のティシュを。

同じ人にしか配らないから効果ないじゃない!と思われそうだが、考えてみると、もらった我々はまた他の人に配っているから、宣伝と言う意味では結果的にOK、OK、オッケー。

でもやっぱりPTAには手を出さないつもり。

明石海峡大橋

明石海峡大橋は1986年に起工し、1998年4月に完工した。

川崎重工が淡路側の主塔を受注・製作した関係で、会社の知人から「見学できるよ・・・」と言われ、喜び勇んで淡路島へ。

港に着いた時、くぎ煮のいい匂いが島中にプンプン漂っていたから、丁度イカナゴ漁の最盛期(2月か3月)だったんだと思う。建設中に発生した阪神大震災にもめげず、話題の橋は完成間近だった。

主塔のてっぺんまで上れるなんてまたとない機会。海面から298.3mもあるとか。国内では東京タワー(333m)に次ぐ構造物だそうな。

工事用のエレベータでてっぺんまで上った。海峡の風は橋桁部でも強い、そこから300mも上だと風がビュービューとうなり、とにかく寒い。今、覚えているのはそれだけ。

先日、明石海峡大橋付近で船釣りする機会に恵まれ、その時大橋を下から見上げた。俺はこのてっぺんまで上った事があるんだ・・・と感慨ひとしお。もう11年も前のことになった。

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ウィキペディア フリー百科事典で調べたら面白い事を書いていた。

公募でこの橋の愛称が【パールブリッジ】と決まったが、この名前で呼ぶ人は少なく、橋の管理者であるJB本四高速も使用してない。また明石海峡大橋を略して明石大橋と呼ぶ人もいるが、明石大橋は明石川を国道2号線が渡る橋として、先に存在する・・・云々。

この名前で呼ぶ人は少なく・・・どころか、愛称がパールブリッジとは知らない人がほとんどでは。名付けた人はさぞがっかりしている事だろうな~。

何故普及しないんだろう? 横文字だから?それとも【パールハーバー】を連想するからかな。

幻の釣果

釣り船に乗ったのは2年ぶり?

先週土曜日、会社の人がメバルとガシラ(カサゴ)を釣りに行くからと誘ってくれた。釣り場は明石海峡大橋付近。

形見分けでもらった義兄の釣道具を、坂出から明石まで運んだのに、会社の釣り好きに見てもらったら、メバル釣りに合う船竿は1本だけ。

道糸も昔のナイロン製ではなく、ポリエチレン素材を編んだPE糸でないと・・・で、リールごと貸してもらう事にした。

朝6時、東二見から出航。50人乗り,16トンの大きな釣り船、【西海丸】と言う。こんなでっかい船に乗るのは始めて。

道糸にメバル用の仕掛けを付け、船が用意してくれたシラサエビを3匹付け、船頭の合図を今か今かと待ちわびて、合図と共に海にそれっと放り込む。

おもりが底に付いたら50~200㎝リールを巻いて・・・当りが来てもすぐリールを巻かず10秒くらい待って・・・とのベテランの指導どうりに。

「巻いて」の船頭の合図。お客の釣果を確認しながら次々と場所を変える。その都度太公望は大忙し。巻いたり放り込んだりの繰り返し。

何回目かの移動で 来た来た来た!ついに来ました。手ごたえは十分、これは釣れている。あがって来ました、姿が見えました、メバルが、目の前に。

ところがところが、船に取り込もうとした時、魚が船べりにちょんと当たった。幸運なメバルはその衝撃で針から開放された。底から海面への急激な圧力変化で少し気絶気味だったそのメバルはしばらく海面を泳いでいたが、その内気付いたのかしっかりとした足取りで海の中へと消えて行った。

本日の釣果はこの釣り損なった幻のメバルが一匹。船釣りで丸坊主だったのは2回目。Pict0291  Pict0320

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百花詩集 Ⅵ

昭和54年(その6)

・孫の寝し 一刻の間に 茶をすす

 我も老いたり なす術知らず     

・梅雨空に 真白き百合の 真盛りぬ

 芳香浸む 夕暮れの庭        

・艶然と 咲きしぼたんの 花なれば

 摘みたき心 抑えて止まん

・厳寒に 堪えてようやく 咲きい出し

 ぼたんの花 艶なる姿       

・枇杷の実の 熟れしを取りて 仏前に

百花詩集 Ⅴ

昭和54年(その5)

・天国へ 出したい 年賀状もあり                  

・風もなく 静まりかえる 五月の空に

 ゆうゆう舞える とび一羽あり   

・勤め辞め 何の仕事も なかりせば

 来る日を 如何に過ごさんや我   

・麦秋や 野火あかあかと あちこちに                

・少しづつ 少しづつ 開くあじさいの

 花弁色づく 梅雨空の日々     

うそみたいに

昨年12月に2階から転落した時の後遺症、左肩の痛みがうそみたいに消えた。今年2月に骨が折れているのかと診てもらったが異常なし。その時まえだ整形外科で処方してくれた薬に、飲み薬の他にレジ袋に入れてくれる程の貼り薬があり、これがその救世主。

整形外科へ行くと多量の貼り薬をくれる。昔もらったのが今もあるくらい。それで痛みが消えた事は一度もなかったから、今回も全く期待はしてなかった。だから薬をもらっても貼らなかった。それに背中の患部にひとりで上手く貼れない事も敬遠の理由。

しかしせっかくもらった貼り薬。ジョギングで痛くなった右足に貼ったら数日で痛みが取れた。今までとは薬効が違うかも・・・と思った。

試しに貼りにくい背中になんとか引っ付けた。それからである。1日も経たない内に痛みが少し和らいだ。そして3日も経つとうそみたいに痛みが消えた。

指定医薬品 経皮吸収型鎮痛消炎剤 フェルビスパップ70mg  がそのクスリの名前。これはすごい貼り薬。 Pict1593

何の花を画いたのか分らない。

仏壇用に買ってきた花の中に可愛いのがあったので、それを画いたんだと思う。

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百花詩集 Ⅳ

昭和54年(その4)  

・終日の 保育となりし 孫帰る

 我にい抱かれ いともご機嫌       

・陽なたにて 爪切る我の むなしさよ

 来る日も 何の楽しみも無し   

・ゆったりと 雲の行く方は うつせみの

 我ひとり 身の行方なるべし   

・祈るより すべなき命 長らえて

 寂しきものに 耐えて生きなむ     

・一日を 送り一日を 迎ふなる

 吾があけくれや 哀れ儚し   

      

               

  

海神社

JR垂水駅に月2回は行く。月初め宅老所デイホームすみれへ国保の請求業務に。もう1回は駅附近の居酒屋で飲み会があるため。

駅のホームから海側に神社の青い屋根が見える。何と言う神社だろうと前から気になっていた。海神社と言う。

国道2号線が神社のすぐ前を走っている。その海側に赤い大きな鳥居があってその向こうはすぐ海。

■海神社の由緒はこちら ⇒「umi.pdf」をダウンロード

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猿田彦大神、蛭子大神、稲荷大神の3神を祀る赤い鳥居の境内社がある。Pict0189 Pict0209

何故か七福神の石像が案内してくれる。Pict0190

魔よけに狛犬と狛狐が並んでいるのはめずらしい。Pict0192_3 Pict1251

百花詩集 Ⅲ

昭和54年(その3)

・立串の 岩に連なる 黒潮の

 流れる浜の のどかなる景         

・春風や 菜の花畑に 白蝶の舞ひ                  

・朝夕の 洗う食器の 少なさに

 ふと想う 息子の明けくれ 如何にと   

・麦うれて 立夏となるも 肌寒く

 日向に憩う 晩春の時 

・甘き香の 漂いくれば つる薔薇の

 花真盛りて 垣根に集う 

ストリートビュー

Googleの地図検索にストリートビューなるサービスがある。360度のパノラマ写真が楽しめると言うのが売り。おまけに無料である。

つい先日、某会社から商談の電話があって、一度そちらへお伺いします・・・と言うことになった。早速ホームページで住所を調べ、グーグルで地図検索。画びょうのようなマークが出てそこにストリートビューなるリンクがあった。

クリックして驚いた、すごいすごい、正に360度の写真。会社の看板まで分る。一体どんな風に写したんだ?

ストリートビューなる言葉をたまたま最近のテレビで知った。テレビの話題はこれのプラス面とマイナス面について。この写真がプライベートの侵害になる・・・反面これを大いに活用しコストダウンを図っている会社があると。

その会社は引越し屋さんである。ストリートビューが無い時は、引越し先の地理調査を自前でやっていた、駐車できる道幅があるか?何トントラックが入れるか?など。それがこのおかげで不要になった。この映像で引越しに十分な情報が得られると。で、大幅な経費の節約になったと。だからプライベート侵害とかでこのサービスが中止されたら大いに困ると。

一方グーグル側もプライベート侵害云々に配慮して、写真の隅に【問題のご報告はこちら】をクリックしたらどの箇所が問題なのかを言えるようにしている。

しかしである、そんな配慮をされてもネットを知らない人、ネットを使わない人達は、たとえこの写真でプライベートを侵害されていたとしてもその事を知る由もない。

かと言ってグーグルが、一軒一軒この写真に問題はないかと、確認を取っていたら、いつまで経ってもこのサービスは出来ない。

プライベートを侵害しているか否かも百人百様の考えがあるから、とにかくこの種の話しは難しい。

ストリートビューのサービスは今のところ一部の道路だけ。だから今私がお世話になっている会社のストリートビューは自分で撮った。 Pict0173 Pict0180

百花詩集 Ⅱ

昭和54年(その2)

・並々と 湛えし湯船に 沈まれば

 旅の疲れも 癒えし心地す    

・足摺の 岬に立てば 遥かなる

 大海原の 碧き細波           

・黒潮の 寄するしぶき 泡立つを

 眼下に見つむ 巨岩のふところに    

・足摺の 椿見んとて 早春に

 讃岐の地より 土佐路訪ねて        

・かれんなる 椿の花よ 紅の色

 鮮やかに 岬に咲ける 

Tubaki

    

プリムラ

11月頃から4月頃まで咲く寒さに強い花。名前は、株が少し小ぶりなのがプリムラ・ジュリンアン、大きいのがプリムラ・ポリアンサ。プリムラとは西洋のさくら草。

花の少ない冬、色とりどりの花を咲かせ目を楽しませててくれる。

昔、越夏させようと北側の日の当らない所へ移したが、暑さで枯れてしまった。

Hana91 Jurian_2

百花詩集 Ⅰ

【百花】は母の筆名   昭和54年(その1)

・陽なたぼっこ 孫と二人の 影長く

・短日や 陽を追うて干す 洗濯物

・色あせし 片手袋の ひっそりと

 タンスの中に 置き忘れいる

・裸木の 小枝に光る 水滴の

 真珠の如く 見ゆる雨の日

・降り続く 雨に飽きつつ 家中を

 孫をい抱きて き迴れり   

       

 

ホノルルマラソン

2005年12月11日、生れて初めてフルマラソンに挑戦。場所はホノルル。

ジョギングを始めたのは、現場の管理職からデスクワークに変ったのがキッカケ。若い時からスポーツは何をやっても上手くならない運動音痴。歩けるのだから走れるだろうと始めた。

一度に走る距離を500mから始め、だんだん延ばして10Kmやハーフ(21.0975Km)のジョギング大会にも参加するようになった。以来20年、42.195Kのフルマラソンには自信がなく、挑戦したことはなかった。

国内の大会は交通規制の関係で時間制限をつけている。 とてもその制限内には完走できそうにもなかった。時間制限のない大会を探したらホノルルマラソンにいきついた。

下の写真は親友の三好先生が3万人もいるランナーの中から見つけて撮ってくれた私には貴重な一枚。時刻はAM6時くらい。スタートして1時間くらい走っただろうか。この後4時間半も走る事になるのも知らずにこの笑顔??Hono11

左の写真は完走証。今までもらった数ある完走証の中で、この一枚は棺おけに入れてもらうつもり。 Finishe1 Image51

高校時代の3人の友人が私のマラソン応援をダシにハワイまでついて来た。出発は見送ってくれたのだがゴールに彼らの姿が見えない。

仕方がないのでホテルまで戻り、部屋の鍵もないのでラウンジで完走祝いのビールをひとりで飲んでいたら、一時間くらい経って友人達がやっと戻ってきた。ゴール附近で待てど暮らせど私の姿が見えないから帰って来たと・・・。

5時間くらいで戻って来るから・・・の私の言葉は無視されて、どうせもっと掛かるだろうと思っていたらしい。失礼な!

とにかく友人も応援に来てくれて、それも外国でフルマラソンを完走できた事は私の生涯の思い出。

井上君、西井君、三好君に大いに感謝しております。

西鴨神社

■所在地:坂出市加茂町(加茂村大字鴨字井出西)

■祭神:別雷命

国道11号線が境内の鳥居から本殿に沿ってすぐ横を走るから、かなり埃っぽい気がする。

昔は国道などなかったから、神様も田舎の静かなところで心静かに鎮座していたものを・・・と思っているに違いない。

祖母の家がこの神社の近くだったから、子供の頃は春祭りや秋祭りに連れて行ってもらった。本殿に沿って両脇に屋台が並び、この時ばかりは静けさがが賑わいで掻き消された。

遠い遠い懐かしい思い出。

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写真は2008年12月23日参拝時。

城山神社

■所在地:坂出市府中町本村4760番地(府中村字西山)

■祭神:神櫛別命・天照大神・天御中主神

■城山神社は我が家が高松から府中へ引っ越して来た時からの氏神さま。氏子ゆえ、秋祭りや元旦の神事があるたびに駆り出されて、掃除や草抜をした。

また豊作祈願とか収穫祭(確か【百々手】と言った)が各家の持ち回りで催され、神主さんが氏子達が集まる中、ご祈祷に来てくれたりした。

我が家は稲作などしてないサラリーマン家庭。なのにその集会には行かねばならなかったし、順番とかで我が家で豊作祈願を行った事もある。

今は引越しして氏子でなくなったが、今もその行事は続いているのだろうか?

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2008年12月23日、十数年ぶりに参拝。

鼓岡神社

■所在地:坂出市府中町本村(府中村字本村上所)

■由緒 当社地は保元平治の昔崇徳上皇の行宮木の丸殿の在ったところで、長寛二年(1164年)八月二十六日崩御されるまでの六年余り仙居あそばされた聖蹟である。建久二年(1191年)後白河上皇近侍阿闍梨章実、木の丸殿を白峰御陵に移し跡地に之に代わるべき祠を建立し上皇の御神霊を奉斎し奉ったのが鼓岡神社の草創と云はれている。

伝うるに上皇御座遊のみぎり、時鳥の声を御聞きになり深く都を偲ばせ給い、

鳴けば聞き 聞けば都の恋しきに この里過ぎよ、山ほととぎす

と御製された。時鳥 上皇の意を察してか、邇来この里では不鳴になったと云はれている。

境内には、木の丸殿、擬古堂、観音堂、杜鵑塚(ほととぎす塚)、鼓岡行宮旧址碑、鼓岡文庫などがあり、附近には内裏泉、菊塚、盌塚などの遺跡がある。

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■境内は広々としているが、階段入口が交通量の多い狭い道路に面し、車を置いてちょっとと言う訳にはいかない。思えば子供達が幼稚園に通った頃は、送り迎えにこの神社の前を良く通ったものだ。

遠くに車を止めて徒歩で参拝。境内は落ち葉が一面に積もり、それを同世代とおぼしき老人が懸命に掃除していたが、ひとりでは長くかかるだろうと思いつつ境内を後にした。

写真は2008年12月23日参拝時。

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