定例こんぴら参宮10月号
今回は丁石の話し。
丸亀港は江戸時代に金刀比羅宮の玄関港として四国一の港として栄えた歴史を持つ。その丸亀港から琴平の高灯籠まで150丁(約16Km)を丸亀街道と呼び、丸亀港の太助灯籠からの距離を示す丁石が要所要所にある。ちなみに一丁は約109m強。
出発点の太助灯籠(金毘羅講燈籠)
丸亀は金毘羅参詣客の上陸地で、門前港として栄えてきた。金毘羅講寄進のこの青銅燈籠は、天保九年(1838年)の製作で、高さ5.28メートル、蓮華をかたどり八角形である。
ここの船溜り(新堀湛甫)を築造するとき、当地の金毘羅宿の主人、柏屋団次らが発起で江戸に行き、江戸および近国で千人講を作り、江戸本所相生町の富商 塩原太助の奉納金八十両をはじめ、千三百五十七人が出し合った金でできた信仰と、航路標識をかねたもので、江戸講中の代表八十両の最高額寄附者の名をとどめて、一名「太助燈籠」とも呼んでいる。
天保の昔、対岸に二基・福島湛甫に二基建てられたが、戦時中の金属回収で姿を消し、この一基だけが残っている。金毘羅街道の「一の燈籠」である。(丸亀教育委員会作製の看板より書き写す)
七十丁
我々のこんぴらさんへの出発点、冨上家から最初の丁石。
九十丁 百十丁
百二十四丁
高灯灯籠(百五十丁)
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