Jou光

  • 親父
    彼は子供の時から絵が上手いと、親の欲目で思っている。目の前でさらさら描かれると、ついつい感嘆してしまう。世の中いっぱい絵の上手い人はいるが、この道で飯が食えるのはスポーツ選手と同じで極一部。でもとにかく趣味でも良いから絵を描くことは続けて欲しいと願っている。

春爛漫

  • ぼけの花
    柿茶の里は徳島県美馬郡つるぎ町に位置する。柿の葉の生産農家へ毎年春と秋に行く。春はことさら美しい。桜が咲き乱れ山の木々が新緑に包まれる。澄んだ青空に身も心も洗われる気がする。

アユタヤ遺跡

  • Pict0266
    1491年に建てられた王族の守護寺院。3つの大きな仏塔には、ラーマティボディ2世と父、兄の遺骨が納められています。 寺院ではありますが僧は居住せず、王の礼拝堂として王族の儀式に使用されていました。この寺院もまた、1767年ビルマ軍により破壊され、16mあったという金で覆われた仏像も金を奪われた後、壊されてしまいました。

暁の寺院 タイ

  • Pict0350
    トンブリ王朝時代の守護寺で最高位の寺院とか。きらきらと輝く陶器の破片に覆われた高さ約79mの大仏塔は、ラマ3世により5年がかりで改装された。朝日を浴びた大仏塔の神々しい姿が”暁の寺”の名前の由来。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

  • Pict0201
    セイロンへの留学から戻ってきた僧侶のために、1357年初代王ウー・トーンが建立しました。仏教寺院は瞑想の場として使用されていました。現在も多くの仏教徒が訪れ、週末は観光客でにぎわいます。

水上マーケット

  • Pict0116
    ダムナン・サダックの水上マーケット。その昔、”東洋のベニス”と言われたバンコクでは、日常的商取引には運河が利用されてきた。水上マーケットは、古き良き時代の情緒溢れるバンコクの生活を体感させてくれる。 

2008年7月 タイ王宮

  • Pict0429
    白壁に囲まれた20万㎡の敷地内には、1782年に建設された国王の宮殿、即位式の建物、王室守護寺院のエメラルド仏寺院などチャクリー王朝歴代の王により建造・改築された建物が建ち並んでおり、ラマ8世までは実際にここに住まわてていたとか。

涅槃寺

  • Pict0386
    タイ語で Wat Pho(ワット・ポー)と呼ぶこの寺は、ラマ1世が建立したバンコク最大の境内を持ち、バンコク最古の歴史を持つ寺院。本堂には写真のようなリクライニング・ブッダの愛称で親しまれている寝釈迦仏が横たわる。足の裏には螺細細工でバラモン教における108の宇宙観が表現されていると言う。

最近のトラックバック

2023年6月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ

金魚

  • 金魚

ウェブページ

« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »

2009年10月

多太(たぶと)神社

能勢電鉄の多田駅を降りると、案内標識があって、真っ直ぐ行くと多田神社、右へ行くと多太神社 とある。Cimg2749_2

多田神社の方はシステムハウスが毎年商売繁盛と安全祈願に行く神社、駅から歩いて30分くらいかかる。

多太神社の方にはまだ行ったことがない。近くの人に道を聞いてみた。

「太いと書く方のタダ神社はどう行けばいいですか?」と。

それまで、どちらもタダと読むものと思い込んでいた。

「ああタブト神社ですか・・・」 えぇっ!タブトと読むの?

川西市教育委員会が書いた説明文

創立年代は明らかではないが、延喜式内社である。現在の建物は覆屋内にあり、正面柱間 二・四メートルの社殿である。その建築年代は、内陣厨子内小箱の墨書により元禄六年(1693)の造営であることが確認される。

組物や蟇股なども時代の特徴を良く表している。ただし背面の蟇股や脇障子の欄間などに桃山風が認められる。記録によると、天正六年(1578)にも再建されたことがわかるので、これはその際の遺材であろう。

Cimg2759

Cimg2756 Cimg2755

Cimg2754

Cimg2752

昼と夜

JR大久保駅から見た昼と夜の風景

Cimg2973_2

Cimg2167

岡山市四御神で見た田んぼ。

稲刈りが一部済んだ様子ではない。田植えの時からこんな植え方に違いない。減反政策に抗議しているようにも見える。

Cimg2694

Cimg2695 Cimg2696

金刀比羅宮(Ⅲ)

坂出市御供所にある神社。神社の後はすぐ海。

Pict1691

Pict1694 Pict1692

Pict1689

信号機

東岡山にある信号機。上の段は赤・黄・青、下の段は左右直進の矢印3つ。

写真の信号時、赤ランプは何の為??? 右折しようとしたのだが、赤信号の威力でブレーキを踏んでしまった。

Cimg2666

大神(おおが)神社

岡山市四御神(しのごぜ)にある神社。ちょうど秋祭りの最中。

御祭神 

大物主神(おおものぬしのかみ)・少昆古那神(すくなひこなのかみ)・三穂津姫神(みほつひめのかみ)・大穴牟遅神(おおなむちのかみ)

由緒沿革

本神社は、延喜式神名帳(927年に完成、今から1080年程前のこと)に備前国二十六座のうち、上道郡大神神社四座と記載されている由緒ある神社である。

現在の境内地の面積は、約950坪程であるが慶長年間の記録には社領一町七反八畝九歩とあり、広大な田畑を有していた。戦後、神社周辺の宅地造成が急速に進み氏子戸数も千百戸をこえるようになった。

Cimg2680

Cimg2676

ここはお旅所だろうか。本殿から1Kmくらい離れている。

Cimg2671

Cimg2673 Cimg2672

楠の神木

約五百年の年輪をもつこの楠の神木は昭和廿年六月五日の神戸大空襲で焼けただれましたが力強く蘇り、再生・再起・合格・復活・復興の象徴として信仰されています。

五百年の楠の年輪尊貴なり 生田の森のいにしへしのぶ 白鳳

Cimg2247

生田神社内。

包丁塚

料理に携わる人達の魂の籠った包丁に感謝すると共に、食文化の向上を願い、皇太子殿下御成婚・第六十一回神宮式年遷宮の記念行事として神戸市内の料理食品関係者によって建立された、全国でも珍しい塚である。 平成五年十月二十五日建立

Cimg2246

生田神社内にある塚です。

稲荷神社

ここも生田神社の境内社。

御祭神を倉稲魂命という。保食神、御饌津神とも申し伊勢の外宮神と御同躰であられ、古来衣食の神として尊崇篤く、三月の牛の日の祭りは餅撒き神事で賑わう。

Cimg2240

Cimg2241 Cimg2242

弁財天 生田・市杵島神社

説明看板に曰く、

芸能の守護神であり縁結びの神として古来信仰されて来ました当社を、有名芸能人カップルが結婚式の折にお詣りされ、それを機にその名が広く知れ渡りました。

このたび境域を改修整備し、崇敬者の御要望により絵馬掛けを親切しました。

芸能向上・学業成就・縁結びを御祈願下さいませ。

Cimg2224

芸能の守護神・・・ってあるの?古来から?

戸隠神社

とがくし神社。ここも生田神社の境内社。

御祭神を天手力男命という。天の岩戸の故事に出てくる神であり、本社は信州長野戸隠にあり、その御分霊を祀る。力の神也

Cimg2222

境内社

生田神社の境内社だが、名前が分らない。とにかく、狛犬が立派です。

Cimg2219

Cimg2220 Cimg2221

松尾神社

生田神社の境内社。

松尾神社 御祭神 大山咋神(おおやまくひのかみ)

灘五郷酒造の発祥地

神功皇后の御外征以来、毎年三韓より使節が来訪しております。

その使者が入朝及び帰国するに当たり朝廷では敏馬浦(脇浜の沖)で新羅から来朝した賓客に生田神社で醸造した神酒を振舞って慰労の宴を催しこれ等に賜るのが例でありました。

この酒は「延喜式の玄蕃寮」によると生田、廣田、長田(以上摂津国)、片岡(大和)の四社より稲五十束ずつを持ち寄り、稲束二百束とし生田神社の境内で生田の杜人に神酒を醸造させたもので、この神酒で新羅の要人の宴を賜ったと記されております。これが灘五郷酒造の始めと伝えられておりまして、酒造王国発祥地は実は当生田神社であると言われております。

以上により当神社内に「酒の神」松尾神社が末社として奉斎せられております。

Cimg2202

Cimg2203 Cimg2205

大海神社

生田神社の境内社のひとつ

由緒

大海神社に鎮座されている御際神は、猿田彦大神と申しあげ、神戸の地主神として最も古くこの地に祀られた神であります。その昔 文禄元年、豊臣秀吉公の海外遠征の時、海上安全を守らせ給う神として船内にお祀りになったという故事が伝えられています。

古来、庶民に大層尊崇を受け とくに魚人船子揖取の信仰が厚く、生田の浦を往来する船舶は帆を巻きおろして遥かに敬意を表したといわれています。

近時は、水先案内の神・海上安全・海運隆昌に御加護のある神として祈願され、海運関係の企業の方に深く信仰されています。

Cimg2259

Cimg2262 Cimg2261

川崎重工業、三菱重工業、日立造船の懐かしい名が。

生田の森

史跡 生田の森 神社の境内に都会の喧騒とは全く無縁な、こんな静かな空間があるとは・・・想像だにしなかった。

近所のOLだろうか、森のベンチでお弁当を広げていた。さぞ美味しいことだろう。私のおなかがぐっ~と鳴った。

Cimg2230 Cimg2231

Cimg2237_2

Cimg2236 Cimg2238

ふるさとの歴史きはめて百年の歩みを語る杜の老樹に 白鳳

生田神社

この神社で藤原紀香が結婚式を挙げて、一躍全国に名をはせた。そのせいか今日も12組の結婚式がエントリーされていた。

3年強も明石にいて、参拝した事がなかった。三宮のど真ん中で威風堂々の神社である。

Cimg2210

Cimg2211 Cimg2212

Cimg2207

Cimg2206

Cimg2200 Cimg2199

Cimg2196

こんな所に

坂出にシーサイドゴルフパークと言うゴルフ場がある。名前のとおり、海に面した9ホールしかない小さなパブリックコース。

土曜日でも平日料金と安いのが取り得。混んでない時には一人でもプレーさせてくれる。

今日友人の三好君とプレー中、5番をホールアウトして6番のティグランドへ行く途中、祠を見つけた。

たぶんゴフルの神様を祀っているのだろうと勝手に解釈して、思わずお祈りしてしまった。

Cimg2632

Cimg2623

マルハン

こんぴらさんの本殿へ行くまでに、寄付した証しの石標が参道にずらりと並ぶ。寄付金の額により高さや厚みは同じながら、幅が広くなる。

そんな石標の中に株式会社マルハンの文字を見つけた。あの有名なパチンコでお馴染みの・・・と思った。

名古屋市、江本豊助の字をたよりにネットで検索。あの有名な・・・ではなかった。たぶん名古屋にあるつり道具店のものと思う。

昭和55年の百万円、今では幾らの価値だろう?

Cimg2389

ついでに川崎重工業の名も、セシールの名も。

Cimg2390 Cimg2345

武部歯科

30代の頃からかかりつけの歯医者はここ。確か家内に推薦されたように思う。最近長い間ご無沙汰である。

冷たい水やビールが歯にしみる。久しぶりに顔を出した。もう3年も来てませんね・・・と看護師がカルテを見ながら言う。えっ、そんなに来てないかね。

病院へ行ったら医者の顔を見るのは当たり前。でも歯医者だけは違う。今までここの先生の顔を正面からまともに拝顔した事がない。

当然ながら治療中は目をつぶっているからだ。あちらはこちらがお馴染みさんと分る。その証しに先生から「ちょっと痩せましたね」と言われた。

目を開けていてもいいようなものだが、それでは先生も治療がしにくかろう。それでいつも目をつぶる事にしている。

だから主治医と判別できるのは、かろうじて先生の声だけである。先生も私と同じだけ年を重ねたであろう変化を、未だ判別できずにいる。

Cimg2570

おまけ。

待合室に「メタルフリーで美しく自然な歯を」のポスター。

曰く、

「当医院では、からだに優しい金属を使わないメタルフリーのオールセラミックを推奨しています。当院スタッフまで、お気軽にお声をおかけください。」と。

ちょっと読みでは、からだに優しい金属は使わないと誤解しそう。

当医院では、金属を使わず、からだに優しいメタルフリーの・・・・が分り易いのではと思う。

それか、

からだに優しく、金属を使わないメタルフリーの・・・・にすべきか。

まあどうでもいいか!

Cimg2621

ほこら

こんぴら街道沿いの祠。

Cimg2414

ほこらとは何か調べてみた。

ウィキペディア フリー百科事典より

(ほこら)とは神を祀る小規模な殿舎。語源は「ほくら(神庫、宝倉)」の転訛という。小祠(しょうし)、小堂(しょうどう)とも。

神社と異なり鳥居はないか、あっても非常に小規模なものに過ぎない。社殿は木製の他、石造の場合もある。多くは切妻屋根を備え、厨子に見られるような観音開きの戸を開けると内部に仏像、神像などが収められている。その一方で像や神体を置かない祠もある。

祠のある場所は集落の入口や道の辻、三叉路などのほか、奥深い山奥や海岸の絶壁など原始的な自然崇拝を偲ばせるものもある。祭神は一定しないが地蔵菩薩を祀るとされるものが多く、特に京都を中心とする近畿地方では地蔵盆の主体となるなど、地元の集落において素朴な信仰が保たれている。

鬼瓦

鬼瓦が玄関に。 魔よけの役目かな~。目に貼られたビンの栓の目玉が不気味。

Cimg2511

Cimg2567 この鬼の面、顔が実にいい。お人よしの鬼かも。

お地蔵さま

土々呂の滝のお地蔵さん。

Cimg2475

柿茶の里のお地蔵さま。

Cimg2506

栗拾い

柿茶の里の森さんが栗拾いに案内してくれた。森さんから山道を登る。大きな栗の木の下に~ ではないが、小ぶり木の下にあるはあるは。

栗の実は足で踏んで取ると言う。イガイガが手に刺さると痛いいたい。30ヶくらい取れただろうか、秋たけなわである。

Cimg2553

盗撮?

【道の駅 ことなみ】に鉢植えの可愛い花を売っていた。

旅の途中だし、鉢植えだし、値段も高いし・・・で仕方なくデジカメで撮影。

これは盗撮か?

Cimg2439 Cimg2442

Cimg2443

Cimg2446 Cimg2447

なるほど

面白い光景を見た。

よちよち歩きの幼児に犬の散歩ひも。犬と違うのはさすがに首輪がないところ。

ヘェ~最近はこんな物も売っているんだ!

確かに合理的、子供がよちよち歩きしだすと目が離せない。

私の長男がよちよち歩きの頃、目を離したすきに玄関の上がりがまちから転がり落ちた。目を離したのを悔いたのを今でも思い出す。

幼児の頃は本当に危険がいっぱい。この子供用散歩ひもで少しでも危険が減るなら、「犬じゃあるまいし・・・」なんて言っておられない。高所作業時に使う命綱の発想かも知れぬ。

Cimg2505

娘に聞いてこのひもの名前が分かった。メーカにもよるが、ベネッセの場合は「迷子にならない天使のリュックサックス」。

電灯

最近はもうこんな格好の電灯にはめったにお目にかからない。

亡き母から聞いた話だが、私がまだ小さい頃、祖母に「電灯の絵を描いて」と良くせがんでいたらしい。それも同じ絵を何枚も描かせたらしい。

Cimg2531

そう言えば、その話しをかすかに覚えている。こんな絵だったと思う。

Pict1651_2

小さい時から電気に興味があったのだろうか?

電気工学科へ進んだのはそのせいか?

まさか?

Cimg2507

京極船魂神社

江戸時代 京極藩初期、西汐入川の川口には藩船の船倉や会所等があって船手濱之町(俗称 船頭町)と呼ばれました。ここに京極藩の海上の守り神として船魂神社(住吉三前大神)がまつられていました。

文化十年(1813年)には鳥居が、天保十二年(1841年)には狛犬が、町中、船頭中、宿屋中などにより建てられました。

大正元年付近海面の埋め立て(浜町と福島町が陸続きとなる)西汐入川の本流を東から北に変える工事が行われ新町ができました。

大正六年(1917年)船魂神社は山北八幡宮に遷されました。最近社殿の荒廃が進んだので社殿の改築を機に元の社地に近いこの場所に遷して奉斎いたしました。平成十六年五月吉日(立て看板を書き写し)

Cimg2594

稲荷大明神

丸亀市西平山町。金刀比羅宮のすぐ隣。

Cimg2605

金刀比羅宮(Ⅱ)

丸亀市西平山町にある神社。太助燈籠の近く。鳥居には金刀比羅宮と書いてあるが、本殿には玉積神社社総代会の名も。

Cimg2614

Cimg2616 Cimg2615

Cimg2604

Cimg2607Cimg2606

Cimg2617 Cimg2618

写真の右は「大願成就」とあって大天狗と烏天狗の面が奉納されている。どちらも右目が無い。少し不気味。

境内社

Cimg2609

Cimg2611 Cimg2610

石像

三宮にあるマッサージ店で見つけた石像

Cimg2265

坂出市川津町で見たモアイ像?

Pict1682

錨マーク

JR三宮駅のホームからこの錨マークの看板が良く見える。

このマーク、どこかで見たぞ・・・川崎造船坂出工場の自動車同好会が長年使用したマークそっくり。

坂出工場はマイカー通勤がほとんどで、工場への入退場時、門の警備員は車の前後に貼られたこの錨マークでチェックする。

今はこのステッカーを使ってないが、もしかしたらこのデザインは盗作だったのか。それで使うのを止めた???

Cimg2188

瀬戸は日暮れて

瀬戸は、日暮れて夕波小波~ と歌いたくなるような車窓からの風景。 癒される。

Cimg2145

太陽がもう1ヶあったら、ここは確実に200Q年の世界だ。

ユーロ

三宮へ遊びに行くのなら、ついでに円をユーロに交換してきて・・・・と頼まれた。ユーロはそこらいの銀行には置いてない。神戸だと三宮に交換所があると言う。

暇な日曜日、ユーロの紙幣なんて実物を見たことないから興味津々三宮へ。JR三宮駅浜側のビルに交換所はあった。日曜日でも営業している。

ユーロ紙幣に初お目見えした。1ユーロ=133円也。お札は偉人の顔が相場、さすがヨーロッパ全土で流通させるには顔では都合が悪いのか建物のデザイン。またドル札は1ドルも100ドルも同じ大きさだがユーロ札はちょっとずつ長さを変えている。

Cimg2286

Cimg2191

講演会

高松信用金庫の60周年記念講演会がサンポートホール高松であった。柿茶の社長に誘われ同行。

あのテレビで有名な田原総一郎氏の講演。演題は「時代を読む」。政権が民主党に代わり日本はどうなるのか?、世界の中で日本の位置づけは?等々。

Cimg2288

Cimg2290

冬から春、夏から秋へ季節が変わる頃、いつも鼻炎に悩まされる。この日も鼻水が止まらず、やむを得ず鼻炎薬を服用。

そのせいで強烈な眠気が襲ってきた。講演会の肝心な部分は夢の中、嘘かホントか講師代が100万円もする講演会と言うのに。聞き逃して残念。

最後だけ聞いた。今、世界の産油国では原子力発電の建設ラッシュ。日本の原子力発電技術は世界一、日本は生き残ると。

定例こんぴら参宮10月号

今回は丁石の話し。

丸亀港は江戸時代に金刀比羅宮の玄関港として四国一の港として栄えた歴史を持つ。その丸亀港から琴平の高灯籠まで150丁(約16Km)を丸亀街道と呼び、丸亀港の太助灯籠からの距離を示す丁石が要所要所にある。ちなみに一丁は約109m強。

出発点の太助灯籠(金毘羅講燈籠)

丸亀は金毘羅参詣客の上陸地で、門前港として栄えてきた。金毘羅講寄進のこの青銅燈籠は、天保九年(1838年)の製作で、高さ5.28メートル、蓮華をかたどり八角形である。

ここの船溜り(新堀湛甫)を築造するとき、当地の金毘羅宿の主人、柏屋団次らが発起で江戸に行き、江戸および近国で千人講を作り、江戸本所相生町の富商 塩原太助の奉納金八十両をはじめ、千三百五十七人が出し合った金でできた信仰と、航路標識をかねたもので、江戸講中の代表八十両の最高額寄附者の名をとどめて、一名「太助燈籠」とも呼んでいる。

天保の昔、対岸に二基・福島湛甫に二基建てられたが、戦時中の金属回収で姿を消し、この一基だけが残っている。金毘羅街道の「一の燈籠」である。(丸亀教育委員会作製の看板より書き写す)

Cimg2579

七十丁 

我々のこんぴらさんへの出発点、冨上家から最初の丁石。

Cimg2427 Cimg2428

九十丁             百十丁

Cimg2420

Cimg3056

百二十四丁

Cimg3063_2 百三十五丁

Cimg2323

高灯灯籠(百五十丁)  

Cimg2403

アティ

SATYの電光掲示板。Sが消えてアティーに。イオングループのマイカルも経営は厳しいのかも知れません。

いっそATYに名称変更しますか。

Cimg2186 

土塀の上のほていさん

丸亀街道沿いには土塀に囲まれた大きな家がいくつもある。その土塀にでぇんと居座る布袋さんや大黒天や鯛の像。

この像を何と言うのかネットで調べても分らない。福が来るようにとの願いなのか、金持ちの誇示なのか。

Cimg2308

Cimg3042

Cimg3062 Cimg3041

Pict1650_2

Cimg2423

Cimg2424 Cimg2426

あしたのジョー

こんぴらさんへの石段途中に、あしたのジョーの人形がある。土産物店に置かれている故、もちろん売り物である。一度通り過ぎただけではあまり人目を引かない。もう随分前からここに座り続け、薄汚くなっている。

毎月一回、こんぴらさんへお参りする度、この人形が気になって来た。何故ジョーは失意を胸にここで座り込んでいるのか?早く明日に向かって立ち上がらなければ!と思う。

値札は58,000円也。試合に負け気落ちしたジョー、こんな姿のジョーを買う気にはならぬしとにかく値段が高すぎる。

でもこの人形、値段が高すぎる事から店主は本当は売りたくないのかも知れない。

Cimg2393

あけび

道の駅【ことなみ】であけびを見つけた。3ヶ120円也。

昔子供達に読んだ本にあけびの名があった。実物を見たのはこれが初めて。

どんな味がするのか興味津々、買ってみた。サツマイモのような皮に、包丁の切り込みが入り白い果肉が見える。

切り口を広げて実を取り出すと黒い種が透けて見え、芋虫のようだ。触った感触も似ていて少し不気味。

一気に口に放り込む。歯ごたえの無いゼリーのようで、甘くもなくすっぱくもない。やたら種が多く歯ですごき吐き出しながら食す。

もう一個と手は出ない。

Cimg2449

皮は捨てたが、後で調べるとこの皮も食べるのだそうだ。

普通は実を捨てて皮を食べるのが多いらしいが、私は逆だった。

Cimg2437

ネットで調べたアケビ 食べ方

アケビの食べ方を知らない人が増えて、種の周りの甘い実を捨てて皮だけを食べているとか。皮や新芽も天ぷらなどの料理でよく使われますが果物としても味わって欲しいので、アケビの食べ方をご紹介します。さらに焼酎に漬ければ栄養ある薬用酒にもなりますよ。

アケビの食べ方を知らない人が増えている?

アケビを知らない人が甘い白い中身を捨てて、紫色の苦い皮だけを食べたという話が最近多くなってきているそうです。たしかに料亭などでは、実ではなく皮を珍味料理として利用していますが、もともとは果物として種を包んだ白い実の部分だけを食べていたんです。でも山がどんどんなくなっていって、子供たちがおやつ代わりにアケビの実を採って食べるという風習がなくなったので、皮を調理するほうがメインになってきているのかもしれませんね。

ちなみにアケビの実の食べ方は白い部分にかぶりついて、ゼリー状の部分の甘味を味わったら種はプッと吐き出すというもの。種の周囲は苦味があるので、あまり噛み砕いてまで食べないほうがいいですよ。

アケビの料理はどんなものがある?

アケビの料理法は皮を細かく切って炒めたり、あけびの皮に詰め物をして蒸し物にすることが多いですね。

天ぷらを作って食べた人の感想によると「もちっとしていて、苦味がある。この苦味はビールに合うと思う」だそうです。味噌炒めなども酒の肴としてよく出されるので、少しくせのある通好みの味なのかもしれません。アケビは皮の部分だけではなく新芽も山菜として好まれ、しゃきしゃきした食感とほろ苦い味が魅力だそうです。

また、アケビにはアケビン、サポニンなどの栄養有効成分が含まれており、利尿効果や鎮痛作用もあり健康食材としても注目を浴びています。漢方薬では「木通」という生薬扱いされており、焼酎でアケビの実を漬け込んだアケビ酒は薬用酒として愛飲する人も多いようです。

アケビは種から蔓まで捨てるとこなし?

秋田県ではアケビの種から油を採っていて、江戸時代から明治時代にかけては高級品として珍重されていたそうです。最近になってまた採取が復活したようですね。

またアケビのつるは丈夫で頑丈なので、かごを編むなどして工芸品の素材として利用されています。でも近年は職人が少なく後継者もいないことと、年々採れる量が少なくなり1ヶ月近くも山に入らなければならないこともあるとか。種から蔓、紫水晶のように美しい実に皮、それに新芽とまさに捨てるとこなしの有難いアケビ、もっと多く栽培して欲しいものですね。

なお、アケビの生産量の大半は山形県に占められているようですが、アケビ狩りを楽しむのなら長野県天龍村の「アケビの里」や青森県弘前市の「森の中の果樹園」がおすすめですよ。

真弓

阪神タイガースの監督の名前ではない。

柿茶の里で”あれ何の木?”と問うたらマユミの木と言われた。

すぐに名前を覚えられた。今期年限りでクビかな~と。

Cimg2555

ウィキペディア フリー百科事典より

マユミ(檀、真弓、檀弓、学名:Euonymus hamiltonianus Wall.)とは、ニシキギ科ニシキギ属の木。別名ヤマニシキギとも呼ばれる。

日本と中国の林に自生する。秋に果実と種子、紅葉を楽しむ庭木として親しまれ、盆栽に仕立てられることもある

ハナミズキの実

こんぴらさんへの道筋でハナミズキに実がなっているのを見つけた。しゃしゃぶに良く似た赤い実。

ヘェ~ハナミズキにもこんなうまげな実が付くんだ~。

うちのハナミズキは花も咲かないと嘆く五百森さんのためにネットで調べてみた。曰く【ハナミズキはある程度年数が過ぎて十分な樹力が付かないと花は咲きません】とあった。

誠しやかに、「ハナミズキには雄雌あって、雄木に花咲かず,雌木にだけ花が咲く」と言ったのは全くのデタラメ。申し訳ありません、これからは良く調べてから言います。

Cimg2324

土々呂(どどろ)の滝

柿茶の里へ行く前、ここの滝を見に来る。とても癒される滝である。

Cimg2467

どどろの滝をお守りする祠だろうか。

Cimg2468

駐車場から滝を見に行くのに立派な遊歩道が付いている。

【この土々呂の滝遊歩道は昭和62年度簡易保険・郵便年金積立金還元融資施設です 半田町 半田郵便局】との看板が。

Cimg2490

Cimg2473_2 同行した生化学研究所の皆さん。

Cimg2486

柿茶の里

生化学研究所が製造販売する柿茶(商標)の葉っぱは徳島県半田町がその故郷。半田町は半田そーめんでも有名な町である。

そこへ毎年春と秋に柿茶の社長が連れて行ってくれる。春はしだれ桜の花見、秋はお祭がそこへ行く口実。

柿の葉農家の森さん宅へいつもお世話になる。バーベキューの焼肉をアテに飲む生ビールの味は格別。じゃがいもの味噌だれ焼きや大きな椎茸はここでしか味わえない。

春爛漫や秋祭りを堪能したアトの楽しみは、しし鍋。これがまた美味いのなんの・・・・。

森さん宅から見た里の風景
Cimg2500

Cimg2499

BBQ風景

Cimg2496

Cimg2493

Cimg2509

柿茶の里 秋祭り

昨年に引き続き、今年も柿茶の里の秋祭りに参加。里の住民も高齢化しお神輿の担ぎ手がいないから我々坂出からの外人部隊が活躍する。常識的にはとても部外者には担がしてはくれないお神輿だけに、力が入る。

牛王神社(ぐおうじんじゃ)からお旅所まで往復約300mを「おみこしさんだお神輿さん、お神輿さんだおみこしさん」と大声を出しながら旅する。8人の担い手の背丈や上り下りの坂道で神様の体重がずしんと肩にくい込んだり、ふわっと浮いたりする。

秋晴れの青空に地元の長老が叩く太鼓の音が響きわたり、祭を盛り上げる。

神社とお旅所で祝詞奏上、玉串奉天等の神事も終わり、お神輿さんが無事元の居場所に収まると、参拝者にお神酒が振舞われる。今年もこうしてお祭は無事終了した。

外人部隊がお神輿を担いで喜ばれるなら、また来年も来るぞ!

牛王神社

Cimg2514

お神輿さん

Cimg2529

Cimg2533

お旅所にて玉串奉天

Cimg2538

Cimg2519 Cimg2544

神主さんの祝詞奏上

Cimg2540

柿茶の里まで連れて行ってくれた生化学研究所の皆様に感謝する次第である。

新聞に私の写真が載った???

会社の人が、この人前田さんと違うか?と日経新聞2009年10月2日(金曜日)ランニングシーズン到来 に載った写真を携帯メールで送ってくれた。

携帯では小さくて、前かがみの格好しか読み取れない。それで、えらく年寄り臭いと。私の方が若い、失礼な・・・ でも拡大すると顔も姿も私に良く似ている。

山梨市巨峰の丘マラソンと書いてあるから、私のはずはない。でも待てよ、ひょっとしてもう一人の私がしれっと山梨まで行って走ったのかも知れない。

Sbsh0149

前かがみの理由が後で新聞のフル写真を見て分かった。随分急勾配の上り道。なっとく。

42195

« 2009年9月 | トップページ | 2009年11月 »