« 2010年4月 | トップページ | 2010年6月 »
SMSメールなるものを初めて知った。ショートメッセージサービスの略。携帯電話で私が使っているメールはインターネットに接続する電子メール、NTTドコモではiモードメールと言う。
iモードメールと何が違うのか。まずメールアドレスがなくてもOK。相手の携帯電話番号さえ分かれば送れる。長ったらしいメールアドレスを教えてもらわなくてもいい。
料金もiモードでは送信者も受信者も払わされるが、SMSは送信者だけが払う。
ちなみに全角100字をiモードで送信すると、送信側が約3円、受信側も約3円、SMSだと全角最大70字の制約があるものの1回5.25円。送信側は少し高くなるが、送った相手に負担をかけないのが実にいい。
試して気に入ったのはメールアドレスを知らなくてもメールが送れる事。便利、便利。
この話題は前にも書いたかも知れぬが、忘れたからまた書くことにした。
製造業と言ってもその種類はごまんとある。製鉄、造船、電気、紙、ガラス・・・等々。どの業種が一番儲かるの?
それを大雑把に計る単位が1トンなんぼ? である。トンで聞かれても鉄板ならいざ知らず釣り針や携帯電話なんてそんな単位で計るものではない。
そこを無理やり計算すると各製造業の付加価値が見えてくる。
ちなみに私が勤めた造船業ではどうか。船は鉄板から造る、当然製鉄会社から買ってくる。相場変動もあるが1トン5~6万円である。
それを切ったり曲げたりくっつけて船に仕立て、バラ済み船で1トン約10万円、LNG船では1トン約100万円で売る。だから1トン5万円で買ってきた鉄板がバラ積み船になると2倍の価値が付いた事になり、LNG船では20倍の価値が付いたことになる。
では業種別ではどうか? 紙は1トン10万円くらい、ペットボトルの水は1トン20万円、ちなみにウオークマンは1トン2,000万円くらい。
要は付加価値の高いものを作る会社が儲かっている。電気会社の方が造船より儲けているのは当然。
こんな事は今更書かなくても分かりきったことか・・・。
昨日は小豆島のオリーブマラソンに参加する筈だった。毎年、川崎造船坂出工場の岸壁から小豆島草壁港までチャーター船で行く。
朝起きると天気予報どおりの雨。予報とは違って土砂降りでもなく、まぁこの雨なら走れそう・・・・と思っていた矢先、携帯が鳴った。
船が海上波浪警報の為出港しないと。エッ~なんで? 昨年は新型インフルエンザで大会中止だったから今年こそと楽しみにしてたのに・・・一方今日は大雨になるとの予報で、ずぶ濡れで走らずにすんだ・・・と、ほっとした思いも。
仕方なく日曜日例会の走友会へ行く。この日は走友会から5名が参加予定だった、皆集まっているのかと思いきや一本さんと黒木さんは、高松からフェリーで行ったと言う。
チャーター船は運航中止になったが、フェリー等の大型船は運行中。中止と聞いてすぐ坂出駅に行き高松からフェリーで行く手段もあった。でも雨も降っているし6時56分坂出発には間に合わんだろうと勝手に決め付けたのが悪かった。
一本さん、黒木さんは間に合って走ってきたと今朝聞いた。結果、一本さんは88歳で最年長ランナー、黒木さんは60歳台で4位と言う好成績。
丸亀走友会にまた勲章ができた。
御祭神:行方親王
今日(5/18日)は五百森さんに渡すものがあって、自宅から Jogging で出かける。
折り返し地点を過ぎ青ノ山の南側を走っていたら鳥居が見えた。早速参拝。
門から見える社殿は額に入れたよう。
参拝の帰り、額から見える風景に神様もほっとなさるのだろうか。
吉岡神社由緒(境内記念碑より)
古くは、若皇子宮と称せられ、安政四年四月十三日より、社内鳴動すること三日間、同十九日神像出現しその背面に行方親王と記されてあった。 説によれば、細川定禅の創祀とも、亦、源頼朝が讃岐の勅使に命じて熊野権現を祀らしめたとの説もあり。 石ヶ鼻神社と称せられたが明治維新の際吉岡神社と改称された。 神社建造物は、明治三十四年焼失し、同四十一年本殿、幣、拝殿を再建しその後老朽化に伴い、昭和四十四年 幣、拝殿を改築し現在に至る。
日本郵便にちょっとしゃれたサービスがある。オリジナル切手作成サービスと言うサイト。
自分で画いた絵や写真を80円切手や50円切手のシートにしてくれると言うもの。切手のデザインはお仕着せしか無いものと思っていたので、正直エッ~と思った。
これも民営化されたお陰か? ちょっと試しに作ってみたくなるサービス。絵や写真を選んで画像をアップロードすると、JPが用意した台紙に貼り付け印刷してくれる。但し書きがあって写真や絵の部分は切手ではありません、台紙の部分だけが切手です・・・と。そのあたりまだ官のニオイがしないでもない、まあ許せる範囲か。
ただこのサービス、まだ100%ユーザの期待に添ってない。
その① 1回の画像アップロードで1件の申込みとなるが、同じ届け先であっても複数件の申込みを一つにまとめて発送してくれない事。
その② 80円×10枚(これで1シート)=1,200円(400円は手数料)、50円×10枚=900円の値段はまぁこんなものと思うが送料が高い。6シート以上注文しないと500円もする。ただ6シート以上は無料でこれはお得。
その③ 画像は横600 ピクセル×縦 600 ピクセル以上~横 2880 ピクセル×縦 2880 ピクセル以下の制約があり、切手にしたい画像が以上の条件を満たさなくて困る。
早速80円シート1枚と50円シート1枚を申し込んだ。どんな切手シートになっているか楽しみ。
所在地:香川県木田郡三木町池戸
祭神:應神天応
縁起:当神社は古くは生延(イケノベ)大宮八幡神社と称され、「生き延びる」即ち家内繁栄・息災延命の氏神として、氏子,崇敬者の尊崇を集めてきた。昭和63年の師走、本殿屋根改修の折、本殿内にてはからずも箱蓋に生延大宮八幡神社とある龍の軸物が発現されました。
巾三尺七寸、長さ六尺の紙幅一杯に幾星霜を経て、古色蒼然たる龍がうず巻いている様は、あたかも神霊が宿っているようであります。
これに恐れ畏みて平成元年の睦月吉日、箱を新調錦布に包んで納め奉りました。
想うに神社の東に位置する所に、男井間池・女井間池があり、昔は大なる男沼・小なる女沼と呼ばれる沼でありました。
何時の頃か築造されることになり、工事にかかわった人達が龍神の怒りを鎮めまつり、工事の安全を祈願せんが為、龍を軸物にして奉め、御神体と共に安置し現在に至ったものであります。
また社殿正面には古の匠が精魂こめて作った精巧な龍の彫物があり、龍の縁起に深くかかわっていることが忍ばれます。
雲は龍に従い風は虎に従うという諺もあり、誠に勢いのある龍が奉られている生延大宮八幡神社の御神徳は諸諸の病気、災難をとり除き、幸せと長寿(生延)の心願成就に霊験あらたかであります。(案内板より)
前田西町にあるお墓参りの帰途見つけた神社。
桜の花も散りかけていたが、満開時には境内が花見客でいっぱいになるとか。
5月5日、久しぶりに瀬居島へジョギング。瀬居小学校から本浦漁港を経て竹浦漁港・北浦漁港・西浦漁港を廻るコース。
今まで瀬居島をぐるりと廻った事がない。戎神社から北浦へ抜ける道が分からなかったから。
この日は地の人に聞いてみた。「あぁ、抜ける道ありますよ。お大師市がついこないだあったんで、道はきれいになっとります・・・」と。
お大師市は88の地蔵さんを巡りながら島を時計方向にぐるっと一周する。おせったいあり、大勢の人がお参りに来るそうな。4月29日開催とか。
瀬居島に鎮座される神々をご紹介する。
まず、正一位稲荷大明神
戎神社
木里神社
坂出瀬居郵便局前の神社、名前が分からない。
屋根の上には大黒天と恵比寿
昭和63年(その9)
・余寒なほ去らざりし日々部屋うちに
篭ればいつか樹木新芽伸ぶ
・雪柳 ようよう緑の新芽出し
まばらに白き花の咲き初む
・終日をつながれて過ぐ番犬も
夕ともなれば散歩促す
・雨露をしのげる所に住める事
幸と思わむ流浪の身には
・金のなき今の事態を憂いいて
閉じこもりいる吾の明け暮れ
前田 百花 本名 前田 ゆり子
1914年12月2日 香川県坂出市生まれ。
1993年4月6日没
4月17日、丁度この日は第26回四国こんぴら歌舞伎大芝居の開催中。大勢の人で賑わっていた。
金丸座は日本最古の芝居小屋で国指定の重要文化財。旧金毘羅大芝居は天保六年(1835年)の創建で、それ以前はその都度建てられる仮小屋であったが、芝居の常小屋と富くじの開札を兼ねて建設された。
江戸時代、東西の千両役者がこの舞台を踏んだということは、全国有数の芝居小屋として、その名をとどろかせたことを物語る。
江戸末期の劇場建築の典型を伝える唯一最古のものとして、昭和45年の国指定重要文化財に指定されたことを契機として、昭和47年から約4年間、二億数千万円の事業費を投じて、現在地に昭和51年4月、天保の姿をそのまま見事に移築復元された。
昭和60年より毎年歌舞伎公演が行われている。
この日は歌舞伎のおかげで違う道を辿ったところ、新しい神社との出会いがあった。神様は【菅原神社】と【愛宕神社】
去年も見つけた雪餅草、今年も健在なり。
サトイモ科の多年草。別名、歓喜草とも言う。
4月29日 明石沖の船釣り予定が、強風のためリジェクト。風はj強いが青空、家にこもるにはもったいない。2年ぶりに六甲山へ登る。JR塩屋駅を降りて旗振り山を目指す。
登り始めてすぐ【山王神社】に出会う。
神社の入口に「鳥居をくぐるときの心がまえ」の看板。曰く、
参拝する時、鳥居から先は神様のいらっしゃる場所(神域)になりますので、まず鳥居をくぐる前に衣服を整え、浅いオジギをして神に敬意を表します。次に水で両手を清め口をすすぎます。
拝殿の前に立ったら、お賽銭を入れ鈴を鳴らします。お賽銭は神へのささやかな貢物を意味し、鈴はその清らかな音色で神さまをお招きし、これから祈願を申し上げますと言う一種の合図のような役割を果たしています。
拝礼は二拝二拍手一拝の順でおこないます。二度深々と頭を下げ、ついで拍手を二度。それから両手を胸の前で合わせて祈願をして、再び深く頭を下げます。このとき清めの言葉を唱えます。
清めの言葉【祓いたまえ、清めたまえ、神ながら守りたまえ、幸いたまえ】
拝礼の後、神社を出るときも鳥居をくぐったところで、社殿の方を向いて一例します。
山王神社の境内神【白菊大明神】
須磨浦山上遊園地(ふんすいランド)に到着。まだ桜の花が残っていて、花のピンクが明石海峡のブルーに映える。
旗振毘沙門天に出会う。
旗振毘沙門天は信貴山朝護孫子より勧請されたものである。当霊地は摂津と播磨の国境にあたり、国境の毘沙門天は特に霊験あらたかと伝えられている。
古伝では数々の奇跡が伝えられており福徳開運の天王として、商業繁栄にまた聖徳太子御自ら毘沙門天を祀り勝利に導かれた事から学問成就の願かけとして篤く信仰されている。
毘沙門天が寅年、寅の日、寅の刻に突如出現した伝承により、寅の日を祀り日とし、特に正月寅の日を大祀り日とする。
旗振山・旗振茶屋に到着。
ここ旗振山(標高253m)は17世紀末江戸中期元禄時代から電信が普及される大正初期まで畳一枚大の大きな旗を振って大阪堂島の米相場を加古川・岡山に伝達していた中径場所であることから「旗振山」と呼ばれる。
旗振茶屋は六甲山の最西端にありJR,山電塩屋駅と山電須磨浦公園からの道が交わる所に位置し、明石海峡大橋、神戸空港を望める茶屋として知られ、毎日登山署名所がある。
創業は昭和六年(1931年)三月、その後阪神淡路大震災で倒壊し平成九年(1997年)五月再建した。
旗振茶屋でしばし休憩。鉄拐山(234m)経由高倉山へと歩を進める。高倉山のおらが茶屋に到着。そこで持ってきたおにぎりとサンドイッチをほおばる。快晴なれど風強く、多量の汗が気化熱を奪い寒い。
おなかも一杯になり、荷物も軽くなり一気に高倉台へと降下。高倉台は高倉山を削ってできた街とか。
高倉台を抜けると、そこから栂尾(トガノオ)山頂への長い~長い~階段が待っている。真っ直ぐなコンクリート製の階段を登ること約400段、さらに山道を登って頂上へ着く。
栂尾山から高倉山、旗振山、鉢伏山を望む。中央は高倉台団地。
栂尾山から一旦下って登りかえすと横尾山に至る。
横尾山頂から神戸空港を望む。
ここからいよいよ六甲の絶景【須磨アルプス】へ。
高取山を目指そうとしたが、仲間の足痛で縦走中断。妙法寺駅へ。日を改めて残りの1/4を縦走予定している。
妙法寺へのレンギョウの道。
最近のコメント