サイパンへ再び
6月12日から15日までサイパンへ行ってきた。これで2回目。
サイパン玉砕で大勢の人が亡くなった。そんな悲惨な戦争で奇跡的に生き残った岡崎さん。今年88歳になられた。53歳の時から毎年サイパンへ慰霊に行っている。今回で35回目、同行させてもらった。
2年前に岡崎さんに同行した時は、サイパン生存者や遺族で作る慰霊会のメンバーも加わって、20人弱だったのに、今回はたったの6人。
慰霊祭に参加される生存者も遺族もご高齢になり、病気で行けない人や亡くなった方々もいて年々参列者は減る一方。ご本人も後何年来れるかな~と憂いておられた。
【黒木大隊玉砕の地】と書かれた石碑の立つ慰霊地には、野戦重砲兵第九連隊戦友会が建立した戦没将兵乃銘碑と共に、長年の風雨に耐え、未だその悲惨な姿を留める重砲が玉砕の証しとして祀られる。
慰霊顯頌碑に曰く
野戦重砲兵第九聯隊第二大隊(黒木少佐以下289名)は昭和19年2月23日ソ満国境東寧より出動し独立山砲兵第三連隊に編入され、同年3月19日このサイパン島に上陸、直ちに戦闘配備についた。6月15日からの米軍上陸に対し十二門の十五糎(cm)榴彈砲の集中砲撃により第一次上陸軍を壊滅させるなど多大な戦果をあげた。然しながらその後の勇戦奮闘の甲斐なく、6月17日の夜襲をはじめとする戦闘により7月18日までにその殆どがこの地にて祖国の平和と発展を祈願しつつ火砲と共に散華された。ここの偉勲を末永く顕彰するため大隊終焉のこのカナツタプラ谷地にロレンゾD・ゲレロ氏ほか官民各位の協力を得て慰霊碑を建立し、謹んで慰霊の真心を奉げる。
昭和五十三年四月十六日 野戦重砲兵第九連隊戦友会
日本ならさしずめこの重砲は戦争の悲惨さの象徴として屋根のある展示室に飾られるべきものだが、ここサイパンの地ではいつか風雨に蝕まれ朽ち果てる運命。朽ち果てる頃には戦争の無い平和な世界になっていて欲しいものである。
慰霊祭の後、この地を管理されるStewart夫妻や現地の方々との懇親会。
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