高幢(こうどう)神社
国道11号線沿いにある神社。毎週木曜日に県立丸亀競技場のジムへ行くたび、この神社の横を通る。どんな神社か気になっていた。
祭神:
息長帯目賣命(おきながたらしひめのみこと)・武内宿禰命(たけのうちすくねのみこと)・表筒男命(おもてつつおのみこと)・中筒男命(なかつつおのみこと)・底筒男命(そこつつおのみこと)
由緒:
貞観年間の創祀という 社伝によれば 貞観年間多度の人 正六位上左少史讃岐朝臣時雄 住吉大神を迎え祀りて高幢大明神と称す。その後荒廃して原野に御霊石の円き石相残れり。
西行法師巡錫の途 この地に来り 御霊石の円石を見て里人に尋ぬるに 住吉四社を祀り高幢大明神と称する由 と答ふ。西行 即ちこの神は本朝和歌の大祖子安の神なり とて社辺に小松三本を植えて奉る。
後年大木となり西行三本松の称ありといへり。今は枯損じて僅かに五尺余りの古木二株を残せり。
安永二年国司 中納言藤原家成再建あり 家成の後裔 福崎宗賢社殿を造営せりと云う(古今名勝図絵 仲多度郡史神社考)
※貞観は中国唐の時代(627年~645年)飛鳥時代
この神社の狛犬、神様の方を向いている。普通は鳥居の方を向いているのに、誰かが回したの?
西行三本松
西行三本松の由緒
今より八百余年以前西行法師が全国行脚の契り 讃岐の国白峯宮に崇徳院を弔った折 那阿郡善通寺への参拝の道すがら柞原の里に立ち寄られたところ 余りにも荒れ果てた原野に円い石があり 村人に尋ねた処 昔この地は住吉大神をお祀してあった所と答えた
西行法師はこの石は 本朝和歌の太祖であると申され社辺に小松三本を植えられ行脚の旅に出られた
後年この松は大木となり村人は西行三本松と云い伝えた この松は江戸時代 皆枯れ果てて二メートル余りの二株が残ったため祭壇にお祀りして今日に至る(仲多度郡史より)
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