谷間での死
タポチョ山頂にある戦争の碑
1944年6月、この山の頂上のすぐ下に見える高原は米軍兵士と海兵隊により「死の谷」と呼ばれていた。
下にあるサトウキビ畑よりこの山頂に向かい移動していた部隊は、左右両方から放たれる破壊的十字砲火により撃ち伏せられた。
絶壁にある洞窟に潜伏する日本軍によって撃たれる機関銃、スナイパーや深い南国の藪が米軍の前進を遅らせ、さらに多大な損害を招かせた。
米軍の死傷者の数が何百人にも膨れ上がるにつれ、日本軍が丘の側面から攻撃している谷間は「パープル・ハート・リッジ」または「地獄の谷間」と呼ばれるようになった。
1944年6月30日、タッポーチョ山が米軍によって攻略された5日後、死の谷は一掃された。
「1日中前進を試みたけど、日本軍の機関銃やスナイパーに阻まれ不成功に終わってしまった。サイパン戦は、終わりなき生き地獄のようなものだった。僕の小隊で何人兵士が生き残ったか数えることもできなかった。 フランク・ボルタ偵察隊使者」
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