はりまや橋
日本三大がっかり観光地のひとつ、はりまや橋が日曜市のすぐ近くにあった。
看板に書かれた「江戸期はりまや橋の由来」
藩政時代、堀で隔てられていた豪商「播磨屋」と、富商「櫃屋」が互いの往来のために架けた私橋が、周辺の賑わいとともに後に公共の橋となり「はりまや橋」と呼ばれるようになります。
当時は簡素な木造の橋でした。橋は、時代とともに幾度か架けかえられ、昭和三十三年には南国博覧会のため、朱色の欄干が登場します。
翌年、歌謡曲「南国土佐を後にして」がヒットした事で、同名の映画が創られ、スクリーンに映し出された朱色の欄干が「はりまや橋」として全国に知られるようになりました。
ここに架かる木造の橋は、平成五年、全国から寄せられた680件の「はりまや橋に対する整備のイメージ」を基に、江戸期のはりまや橋として再現したのもです。
土佐の高知のはりまや橋で~
の歌で有名な、純信・お馬像は高知県出身の漫画家 横山隆一氏の作品。
五台山竹林寺の坊さん、純信が思いをかけた、高知城下の鋳掛け屋の娘、お馬のためにかんざしを買ったのは、 橋の南詰東側にあった「橘屋」と言う小物物屋であったと言われている。
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