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昭和63年(その18)
・病院の給食につく押し寿司を
味わい食めば 亡き母顕ち来る
・長生きは慶ばしき事なれど
今吾臥せる身の苦痛耐え難し
・はるばると孫等見舞に訪れ来
吾の病室久の賑わひ
・天井のテックスの穴数え居り
病室の昼の長き時間を
・夜降りし五月の雨に一段と
天地清しく讃岐富士立つ
前田 百花 本名:前田 ゆり子
1914年12月02日 香川県坂出市生まれ
1993年04月06日 没
ワタミ株式会社 代表取締役会長・CEO 渡邉氏の講演会が高松であった。
高松信用金庫が毎年行う講演会、結構、有名人が講師で呼ばれる。昨年の講師は田原 総一郎氏だった。
今年の演題は「夢をカタチに」、居酒屋チェーン店の起業に始まり、今では病院経営、学校経営、介護ビジネス等にも事業展開する渡邉氏の夢をカタチにしたお話。
記憶に残るワタミ会長の言葉
1、「ありがとう」を一番多く集める会社になる。
2、それもお金が入ってくるありがとうより、お金が入らないありがとうを多く集めたい。
3、神様がワタミを応援したくなるような会社にする。
会社以外にもいろいろな活動を行っている。そのひとつが公益財団法人School Aid Japan(SAJ)の運営。
SAJは一人でも多くの子どもたちに、人間性向上のための教育環境と教育機会を提供することを目的として、カンボジア,ネパールで子供にかかわる教育支援プロジェクトに積極的に取り組んでいるとの事。
私もそれに賛同して、微々たる額だが寄付をさせてもらった。
丹波篠山城跡にある神社
青山家ゆかりの篠山城本丸跡に、明治15年5月に創建された神社。
祭神:青山 忠俊(青山家十代の名君)、青山 忠裕(十八代の名君)
忠俊(タダトシ)は元和二年(1616年)に、家康の孫に当たる竹千代(家光)の養育係となって「勇をもって守り育てるように」と命ぜられ、竹千代を厳しくいさめ育てました。
後に将軍となった家光が、徳川幕府の礎を築けたのは、忠俊の功績が大きかったと言われている。
もう一人の祭神、忠裕(タダヤス)は、教育によって人物を育てようと、篠山藩校「振徳堂」の学舎を増やし充実して、読書・習字・算術・習礼の教科を学習させました。
さらに藩校の玄関には「石敢當」と云う魔除の石柱を建て、教室の中へ魔が入ってこないように護りました。これ程に学習の場を大切に護ったのは、全国的に珍しいことです。
忠裕は篠山城主として、温情の英主として仰がれ、幕府の要職にも就任し、中でも老中を三十二年間も勤続して、その功績が認められ、篠山藩は一萬石加増され六萬石となりました。
以上「青山神社のいわれ」より
昭和63年(その17)
・病む吾に 食の話ししくる娘に
痛みこらへつ 久に笑いぬ
・朝に夕に 一団となりて舞う鳩の
羽きらめきて青空を行く
・大輪の真白きバラの摘み呉れし
一輪なれど香ぐわしきかな
・病室の真向う山の頂を 梅雨雲垂れて一日煙れる ・病室の窓に透き入る月光を ふと目覚めたる夜半に眺むる 前田 百花 本名:前田 ゆり子 1914年12月02日 香川県坂出市生まれ 1993年04月06日 没
財田町にある「たからだの湯」に張ってあった絵説法、作者を調べたら荒 了寛
1928年福島県生まれ。10歳で仏門に入る。大正大学大学院博士課程(天台学専攻)修了。
仙台市仙岳院、清浄光院(仙台)、大福寺(福島)などを歴任。現天台宗ハワイ開教総長としてハワイ在住。
ハワイおよびアメリカ本土で布教活動に従事。その傍ら、ハワイ美術院、ハワイ学院日本語学校などを設立、日本文化の紹介、普及に努める。
独自の画法による仏画も描き、サンフランシスコ、ボストン、ニューヨークなどで個展を開催。
日本各地でも毎年個展を続けている。
電車の中は公共の場、そんな事、言われなくても分かっている。
でも分かってない人もいる。
乗った時はガラガラ、荷物を横の座席に置く。まあ誰でもすること。
だんだん混んでくる。荷物を膝の上におき直し、座れるようにするのが常識ちゅうもの。
でも知らぬ顔しとる輩もいる。
ここ空いてますか?と聞くまでは荷物をどけない。
厄介なのは対面4人座席で窓際にゴマ付きカバンを置いた乗客。カバンが大きいので前の席は塞がれる。
乗って来た人は、そんな席を見て、こりゃ座われんな・・・と諦め、声もかけずに立ったまま我慢する。
先日、窓際に長い付け睫毛の茶髪ギャルが座っていた。旅行へ行くのか、彼女の前には例のゴマ付き旅行カバンが陣取る。
赤いヘッドホンを付け、音楽に夢中の彼女は、車内の混雑にもそ知らぬご様子。
そんな彼女に一撃を加えたのは、彼女も将来なりそうなオバタリヤンだった。
「その席空いてへんの (`ε´)、そのバック通路に置いて座らして・・・」
そのボックスにいた2人の乗客も巻き添えを食い、座席は総入れ替えとなった。
「やっぱりオバタリヤンは偉い」とつくづく思った。
サイレンの音がした。119番の出番らしい。都会の喧騒の中、そう珍しい音でもない。
違ったのはサイレンが会社の近くで止まった事。
「あそこのビルですよ!」と窓のカーテンを開けた藤原さんの声。えっ、何? なに? ナニ?
向こう隣のビルに梯子自動車から長い梯子が延びている。消防隊員が2人乗ったカゴが見える。
火事? ガス爆発? 誰か閉じ込められた?
煙も出ていないし、隊員がホースを持ってないので、火事ではなさそう、されば人命救助か・・・
数分経過、どうも何事も起こっていそうにない。
そのうち消防隊員が乗った梯子が降り始めた。
何だ!デマか!
後で聞いた話、ビルで火災警報器が鳴った、それを聞いた住民が慌てて119番通報したみたい。
それにしても、普通は管理人に知らせ、管理人が現場で確認してから119番と違うか?
とにかく赤い自動車が数台、白い救急車が1台、消防隊員多数の大騒動。こんな近くで見たのは初めて。
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