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道の駅「空の夢もみの木パーク」にある神社で、世界最初の飛行原理を考えた二宮 忠八氏を祭神する神社。
何故ここに忠八神社があるのか調べてみたら、忠八がカラスを見て飛行の原理を着想したのは、この地 香川県まんのう町追上の樅ノ木峠であったと言われるから。
その故事にちなみ、同地には1966年に二宮飛行公園が、1991年には二宮飛行神社が整備開設された。さらに2006年3月17日、「道の駅 空の夢もみの木パーク」の隣接地に「二宮忠八飛行館」が開館した。玉虫形飛行器の複製模型をはじめとした再現模型や書簡などが展示されている。なお、同地への公共交通は平日のみ一日4本の旧仲南町町内巡回バスしかないため、訪問の際は注意が必要であるとの事。
天正13年(1585)、豊臣秀長は兄秀吉の命を受けて和歌山城の築城にとりかかった。しかし秀長は和歌山城の完成を見ずに大和郡山にあり、その後和歌山の地に戻ることはなかった。天正14年、秀長の家臣である桑山重晴が城代として3万石を領し和歌山城に入城。桑山氏は14年間の在城期間に、本丸部分を中心に築城を進めた。
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで軍功のあった浅野幸長が37万6千石を領して城主となり、浅野氏19年間の在任中に二の丸の整備や一橋門を大手にするなどその後の基礎となる築城工事を次々に行った。
元和5年(1619)、徳川家康の第十子、徳川頼宣が55万5千石を領して入城し、以後和歌山城は、御三家紀伊徳川家の居城となり「南海の鎮」として、幕府の西国支配の拠点となる。頼宣入城直後から城の大規模な整備工事や城下町の拡張整備が行われ、その後250年間続く和歌山の繁栄の基礎となった。
樹齢50年の南高梅
紀三井寺は今から1,240年近く昔(宝亀770年)、唐僧・為光上人によって開基されたお寺。西国観音霊場第二番札所でもある。
為光上人は仏教の志篤く、身の危険もいとわず、波荒き東シナ海を渡って唐より到来され、日本諸国を巡りました。上人がたまたまこの名草山の麓に一宿した折、山の頂上付近が白く光っているのを不思議に思い、上がってこられると、金色に輝く千手観音様と出会われました。
この地が、ご仏縁深き霊場と悟られた上人は、自ら一刀三礼のもとに十一面観音様の尊像を彫られて、これを草庵に安置し、この紀三井寺を開創された。
正式な寺名は「紀三井山金剛宝寺護国院」ですが、山内に三つの井戸(清浄水・楊柳水・吉祥水)があり、常に清浄な水が湧き出していたところから「紀三井寺」という名で呼びならわされている。
木造りの立仏像としては日本最大の総漆金箔張、大千手十一面観音菩薩が入佛されている。
本堂、江戸時代・宝歴9年(1759年)建立
護国院多宝塔(国指定重要文化財) 室町時代・文安6年(1449年)建立。
本堂まで、231段ある石段。
ここには結縁坂のいわれがある。
その昔、紀の国屋文左衛門は若き頃から孝心篤く、母を背負いてこの坂を登り、観音様へお詣りしました。途中、ぞうりの鼻緒が切れ、困っているところに玉津島神社の宮司の娘、かよが通りかかり、鼻緒をすげかえたのが縁となって二人は結ばれ、宮司の出資金によるみかん船で大儲けしたという、紀の国屋文左衛門ゆかりの坂。商売繁盛も良縁成就もその他なにごとも、先ずは信心からと申せましょう。観音様に心から願いをかけましょう。
クエ、食べに行く? どこへ?
和歌山、クエのフルコース食べさす民宿。
行こう、行こう、行きたい・・・となった。
場所は和歌山県日高郡日高町方杭41 民宿波満の家(はまのいえ)。
阪和自動車道、海南湯浅道路、湯浅御坊道路、広川インター下車、国道42号線白浜方面、方杭岬を巡るとすぐのところ。
民宿と言っても4階建ての立派なお宿だ。
日高の海には、まだまだ大自然がいっぱいあります。これからもずっとずっとこの「青」と「緑」を、大切にしていきます。そんな素朴な自然の中に、つり宿として、料理宿として、小さな民宿があります。心のこもったおもてなしをモットーに、まるでふるさとの家にいるような気持ちになっていただき度く、私共一生懸命、努力いたします。 「はまのや」です・・・・宿主
クエ鍋は10月から3月までのメニュー。ここの主人が自分で釣った魚を出す。だから新鮮で美味い。聞くとクエは大きなもので1mにもなると言う。主人が今まで釣った中で一番大きいのが新聞にのった。広角レンズで頭部から撮ったクエの写真には迫力があった。
クエ鍋をつついていると宿の主人が挨拶に来た。ひとしきり宿のCMと釣り上げた魚の自慢話をして次のお客さんへ。
確かにうまかった。また来たいものだ。
今日は柿茶 ® の紹介。
私の友人が柿の葉茶を製造・販売している。社名は生化学研究所と言ういかめしい名前。
一昨年、ISO9001・14001を取得した。今そこの仕事を手伝っている。まずは商品の勉強、柿葉茶の効能を文献で調べてみた。
1、福岡医学雑誌・山下英文氏「柿の葉の利用に関する
研究」から
①著明な止血作用
②血圧下降作用
③利尿作用
④緩下作用
2、日本栄養・食糧学会誌 第52巻 第3号(1999)
「柿の葉熱水抽出物」から
3、「柿葉茶及び秋摘緑茶抽出液の腸管における糖質の
加水分解と吸収に及ぼす影響」から
①血糖値の上昇抑制に寄与
4、静岡県立大学名誉教授 薬学博士
富田 勲 先生の論文から
①”柿の葉タンニン”の強い突然変異抑制作用と
抗酸化作用
私達が柿の葉に注目したのは、その抽出物が、強い
突然変異抑制作用を持つことを、世界で始めて見出
したからです。
・突然変異や癌を誘発する変異原に対し、その作用を
弱める。
・変異原や癌原物質によって傷つけられた遺伝子に
対し、その回復を助ける。
・強い抗酸化作用によるストレス予防
②ビタミンC(アスコルビン酸)
・柿の葉タンニンと相加、相乗的に作用し、抗癌活性
や循環器系疾患のリスク低減
・鉄欠乏性の貧血を防ぐ
③柿の葉フラボノイドによる抗酸化作用、降圧作用
④子供やお年寄りに優しいノンカフェイン飲料
そこで、美味しいお茶の入れ方・飲み方と効能は、
例年、この時期になると、鼻がくしゅクシュし始める。それが今年はまだ来ない。柿茶 ®のせいなのか?
もう少し様子を見てみよう。
縁にはいろいろある。夫婦の縁、家族の縁、親類の縁、友人、会社の縁、赤の他人でも「袖すり合うも多少の縁」と言うではないか。
私にも多くの縁がある。今日は会社の縁をご紹介。
今日2月14日、丸亀は魚よしで川重のOB会があった。名付けてピンピン会、「ぴんぴんころり会」が理想と提案すれど却下され、ピンピン会となった。
最高齢は81歳の芹生さん、大先輩である。
話題は尽きない、造船OBで亡くなった人に始まり、会社の思い出、戦時中の話・・・ついて行けない、でもおもしろい。
ラストは携帯電話の使い方。
またの再開を願い解散、心安らぐ会である。
昨日のマラソン日和が打って変り、一昨日に引き続き雪が深々と降る。
下の写真、クリックすれば雪が降っているのが分ります。
ピンピン会のメンバーは、敬称略で芹生、広岡、小西、富永、殿村、宮武、福田、香西、山下、前田の面々。
ぴんぴんころり会もある、メンバーは敬称略で冨上、横関、松本、香西、宮川、空本、薦田、前田。
今日は昨日の雪が嘘のように、晴れて暖かい。絶好のマラソン日和。
今年も天狗マラソンの日がやってきた。第1回から参加して、今年で17年目。昨年65歳を機に15kmを5kmに変えた。
歳のせいか長い距離を走るのが億劫になってきた昨今、種目を5Kmに変えて随分気が楽になった。20回大会まで、アト3年、節目の大会まで生きていたいものだ。
年々減っていた参加者も昨今のマラソンブームで1,200名を超えたらしい。いつまでたっても変わりばえのしない坂出の街で唯一全国から人が集まるのは、この天狗マラソンだけ。地元の我々が大会を盛り上げねば。
5Kmは小学生も参加できる。何人もの子供に抜かれた。何とか無事ゴール。
走り終わると天狗うどんのお接待がある。
”天”は英語の十、”狗”は【具】に置き換えて、具が10種類入ったうどん。
その昔、坂出は五色台の白峰山に日本全国より150余りの天狗が集い、いろいろ不思議な力を109日間にわたり競い合ったと伝えられております。
そのとき参加した大勢の天狗たちの旺盛な食欲を満たしたのが、天狗汁です。天狗たちは毎日、天狗汁を食べ、自分の持てる力を十分に発揮し競い合ったのでした。
その天狗汁に讃岐の特産物であるうどんを入れたのが「天狗うどん」、ランナーの常日頃の鍛錬の成果を発揮するよう願っています。
ちなみに10具は、銀杏・人参・サツマイモ・しいたけ・ゴボウ・山芋・大根・蓮根・栗・揚げ豆腐。
この度、「NPO法人健康を考えるつどい」を立ち上げる事になりました。今回はそのご説明と会員募集のご案内です。
柿茶®を製造販売する生化学研究所は、西 勝造先生が「医学の革命」として唱えた西式健康法を広く普及したいとの思いで、昭和57年に私的に「健康を考えるつどい」を立ち上げました。
その後、活動の拠点として平成5年に健康会館を建設し、西式健康法の他に太極拳気功健康法やヨ-ガ,丹田呼吸法なども含め、幅広く健康に関する講演会,講習会の開催等を行ってきました。
中でも特筆すべきは、平成15年より広く一般を対象に行ってきた講演会で、会を重ねるたび、坂出市,丸亀市,宇多津町,新聞各社,放送局など、多くの後援を得て今年で10回目を迎える事です。
こうして約30年間に及ぶ活動をしてきましたが、この度、これらの活動を発展的に解消、統合して、新たに特定非営利活動法人「健康を考えるつどい」を設立し、活動の安定性・継続性を確保していく事と致しました。
そこで今年1月に設立総会を開催し、2月7日設立認証の申請を行い、現在一般縦覧・審査中で、4月中旬には、特定非営利活動法人 健康を考えるつどいとして設立登記できそうです。
法人設立後は、従来行ってきた各種健康法の普及や講演会・講習会の開催、健康合宿の開催などに加え、新たに健康に関する衣・食・住や健康維持のための運動に関する情報を発信し、今以上に幅広い活動として展開していく所存です。また会員の皆様よりいろいろなご意見を賜り、活動内容に反映させたいと思っております。
この事業を通じて元気で長生きできる人達を増やし、ほんの少しでも医療費の削減に貢献できればと考えています。
特定非営利活動法人の設立に当たり、上記の趣旨に一人でも多くの方にご賛同頂き、会員となって頂くよう、ここにご案内申し上げます。加入して頂いた方々には、柿茶®製品購入時の会員割引など、いろいろな会員特典を考えておりますので、是非この機会にご入会をご検討下さい。
ご参考に特定非営利活動法人における正会員は、法人の最高の意思決定機関である総会において議決権を持ち、営利法人で言えば株主のような存在ですが、株主とは違い配当はありません。
以前ハイテクこたつを紹介した。
開発した友人から、もう少し詳しい苦労話を聞いたので、紹介する。
私が、コタツと玄関テレビの生産を行なっていた松下寿電子の坂出事業所に転勤になった当時、玄関テレビは西条工場で生産していたビデオと同じ映像機器だったから、全く興味が無く、コタツの方が自分にはカルチュアショックでした。木材の世界は新鮮で、マレーシアやタイまで合板工場の視察,買い付けにも行きました。
とは言え、昔のままのローテクコタツではつまらないので、何とかハイテク技術を導入したいと考えました。正に、企画から私自身が発案し、研究部門に働きかけて開発しました。技術部長のくせに、玄関テレビの開発は課長に任せ、ローテクこたつも係長に任せ、私は電波コタツだけに係りっきりで、事業場長からは好かれませんでしたが、私は燃えていました。
先日、我家に来てくれた時、テレビリモコンと同じやろ?と聞かれた時、うっかりそうやと言いましたが間違いです。テレビリモコンは電波ではなく赤外線です。開発名【手モートコタツ】は2.3GHzのマイクロ波を使っています。
電波が飛び過ぎてもいけない(2階の部屋のコタツが、1階のコタツ操作で動くといけない)ので、当時研究所で別の目的で開発中の、1m位飛ぶ電波を使いました。当時の坂出の技術者はこの技術関連で特許を数十件出しました。
当時、水戸黄門の番組でCMもしました。日経 他の新聞広告もしました。
松下寿社内でもコタツの売り上げは小さく、余り評価されませんでしたが、自分としてはコタツのノーベル賞ものや、と自負していました。
が、如何せんコタツの時代ではなく、Panasonicとして 数年前にコタツから撤退しました。
本社では当時、私を次期事業場長にと言われていて、私の耳にも入っていましたが、当時の事業場長は、数の出るローテクこたつのコストダウンに懸命で、それに関心を示さない技術部長を快くは思わず、本社の意向を拒否し、それで私は出世出来ませんでした。(もう少しゴマを擂れば良かったかも?)
しかし、技術屋として何の面白みも無いものを設計する気は全く無く、【手モートこたつ】を世に出す事に専念し、それが実現したので後悔は全くありません。まさに技術者冥利に尽きる仕事が出来、満足しています。
5年間坂出事業所に居ましたが、2年かけて【手モートこたつ】を世に出し、2年後には西条事業所に戻りました(戻されました)。
西条では、「HDR」(Hard Disk Recorder)と言う、HDDを記録媒体に使い、インターネットで その地域のテレビ番組を夜中に自動ダウンロードする映像機器を、アメリカのシリコンバレーのベンチャー企業と共同開発する技術責任者になりました。この製品はアメリカでPanasonicブランドで出荷しました。
このため、2年間アメリカにも度々 出張し、お陰でアメリカ人の友人(男・女)も出来、今でもメールの交換をしています。坂出の事業場長になっていたら、この経験は出来なかったわけで、アホな上司に嫌われて良かったですワ。
あの時の熱い思いを忘れかけていましたが、今になって思いがけず前田君から高い評価を頂き嬉しく思っています。有難うございました。
以上、ご報告まで。
開発、ご苦労さまでした。2階の部屋のこたつが・・・云々は、安全面から私もなるほどと思い、技術者としてのきめ細かな配慮は、さすがと感心しました。
かあさんの歌を作詞・作曲した、窪田 聡さんが宇多津へ来て、よしむらカフェで歌うと言う。行かない?と誘われた。
題して「歌のある風景」窪田 聡といっしょに歌う会、行ってみた。同年代とおぼしき男女約50人が集合。
氏がアコーデオンで演奏しながら、みんなで歌う。久しぶりに童謡やロシア,アメリカ民謡を大声で歌った。2時間があっという間に過ぎた。
歌もうまいが、トークも上手。氏が昭和33年に発表した「かあさんの歌」を歌う時、面白い話をしてくれた。
この歌が生まれた人生背景や”かあさんが夜なべをして・・・”と思っていた歌詞が、正しくは”かあさんは夜なべをして・・・”だったとか。ガリ版印刷が主流の時代「は」を「が」と間違えたのがそのまま世に広がったとか。
氏の作詞・作曲した「あたりまえの地球」を紹介する。初めて聞き、初めていっしょに歌った。
1、海に魚がおよぎ
空には鳥が飛ぶ
そんなあたりまえの地球
いつまで残るだろう
わたしたちの海と 海の魚たちと
わたしたちの空と 空の鳥たちと
そんなあたりまえの地球
いつまで残るだろう
そんなあたりまえの地球
いつまで残せるだろう
2、土には花が咲き
街を子供が駆ける
そんなあたりまえの暮らし
いつまで残るだろう
わたしたちの土と 土の花たちと
わたしたちの街と 街の子供たちと
そんなあたりまえの暮らし
いつまで残るだろう
そんなあたりまえの暮らし
いつまで残せるだろう
こんぴら街道を丸亀へ帰る途中、仲間に遅れた私は道端で一服する地元の人に呼び止められた。どこまで行くのかと。
毎月郡家から奥社まで参拝する旨、先に行く仲間との距離があくのを気にしながら話相手になった。
これは麦踏みのローラ? と分っているのに聞いた。
麦踏みを長年見たことは無い、今もやっていた。しかもこんな麦踏み専用の農機具で・・・。初めて見た。
ついでに麦踏みの効用を聞いた。踏むと根が張って株分けも促進され収穫増になるとか。へぇ~。
どうせ歩くんなら麦の上を歩いてくれんかの~と言われた。
歩いて見た。
アスファルト道を歩くよりはふぁふぁして気持ちがいい。
如何せん麦畑はとぎれとぎれ、やっぱり歩きにくい。
昭和63年(その21)
・退院のかなわぬ身には
吾庭のバラの一つに連想豊か
・同室の病友去りて淋しかり
長き一日を短歌に慰さむ
・雨に煙る遥かな道を往き来する
車の影のおぼろなる日よ
・明けやらぬ病棟の廊にこつこつと
松葉杖つく音幽鬼めきたり
・病室に白バラの香の満ちみちて
闇にただようほの甘き感触
前田 百花 本名:前田 ゆり子
1914年12月02日 香川県坂出市生まれ
1993年04月06日 没
宇多津町に今でっかいスーパーマーケットが建っている。昔は松下寿電子のコタツ工場があった。つい先日、この工場に勤めていた友人に会った。
招かれて彼の自宅に行く。和室に通され、冬のこととて真ん中に電気こたつがでんと居座る。どこの家庭でも良く見る風景。
だがそのコタツ、変わっていた。こんなハイテクコタツ、世にある事も知らなかったし電気店でも見た事がない。
リモコン操作、天板の隅っこに操作パネルがあり、そのパネルで電源の入り切り、温度調節ができる。
聞くと、彼が開発設計した逸品である。デジタル表示,タイマーは勿論、チャイルドロックまで付いている。
電源コードに通電を知らせるランプまで付いて、なかなか凝った設計。
ひとしきり設計開発の苦労話を聞かせてもらった。
この商品、発売当時はテレビCMも打ち、日経新聞でも全面広告し、1億円くらいの宣伝費をかけて話題になりましたが、価格が5万円近くしたから、コタツとしては値段が高すぎて期待したほど売れなかったとか。
さらに彼から聞いた、ハイテクこたつ開発秘話はこちら ⇒ 開発秘話
開発し製品化したのに、世にデビューできなかった物は実に多い。私が現役時代に上司と一緒に開発したマットレス洗浄脱水機(写真)もそのひとつだ。
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