ハイテクこたつ 開発秘話
以前ハイテクこたつを紹介した。
開発した友人から、もう少し詳しい苦労話を聞いたので、紹介する。
私が、コタツと玄関テレビの生産を行なっていた松下寿電子の坂出事業所に転勤になった当時、玄関テレビは西条工場で生産していたビデオと同じ映像機器だったから、全く興味が無く、コタツの方が自分にはカルチュアショックでした。木材の世界は新鮮で、マレーシアやタイまで合板工場の視察,買い付けにも行きました。
とは言え、昔のままのローテクコタツではつまらないので、何とかハイテク技術を導入したいと考えました。正に、企画から私自身が発案し、研究部門に働きかけて開発しました。技術部長のくせに、玄関テレビの開発は課長に任せ、ローテクこたつも係長に任せ、私は電波コタツだけに係りっきりで、事業場長からは好かれませんでしたが、私は燃えていました。
先日、我家に来てくれた時、テレビリモコンと同じやろ?と聞かれた時、うっかりそうやと言いましたが間違いです。テレビリモコンは電波ではなく赤外線です。開発名【手モートコタツ】は2.3GHzのマイクロ波を使っています。
電波が飛び過ぎてもいけない(2階の部屋のコタツが、1階のコタツ操作で動くといけない)ので、当時研究所で別の目的で開発中の、1m位飛ぶ電波を使いました。当時の坂出の技術者はこの技術関連で特許を数十件出しました。
当時、水戸黄門の番組でCMもしました。日経 他の新聞広告もしました。
松下寿社内でもコタツの売り上げは小さく、余り評価されませんでしたが、自分としてはコタツのノーベル賞ものや、と自負していました。
が、如何せんコタツの時代ではなく、Panasonicとして 数年前にコタツから撤退しました。
本社では当時、私を次期事業場長にと言われていて、私の耳にも入っていましたが、当時の事業場長は、数の出るローテクこたつのコストダウンに懸命で、それに関心を示さない技術部長を快くは思わず、本社の意向を拒否し、それで私は出世出来ませんでした。(もう少しゴマを擂れば良かったかも?)
しかし、技術屋として何の面白みも無いものを設計する気は全く無く、【手モートこたつ】を世に出す事に専念し、それが実現したので後悔は全くありません。まさに技術者冥利に尽きる仕事が出来、満足しています。
5年間坂出事業所に居ましたが、2年かけて【手モートこたつ】を世に出し、2年後には西条事業所に戻りました(戻されました)。
西条では、「HDR」(Hard Disk Recorder)と言う、HDDを記録媒体に使い、インターネットで その地域のテレビ番組を夜中に自動ダウンロードする映像機器を、アメリカのシリコンバレーのベンチャー企業と共同開発する技術責任者になりました。この製品はアメリカでPanasonicブランドで出荷しました。
このため、2年間アメリカにも度々 出張し、お陰でアメリカ人の友人(男・女)も出来、今でもメールの交換をしています。坂出の事業場長になっていたら、この経験は出来なかったわけで、アホな上司に嫌われて良かったですワ。
あの時の熱い思いを忘れかけていましたが、今になって思いがけず前田君から高い評価を頂き嬉しく思っています。有難うございました。
以上、ご報告まで。
開発、ご苦労さまでした。2階の部屋のこたつが・・・云々は、安全面から私もなるほどと思い、技術者としてのきめ細かな配慮は、さすがと感心しました。
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