紀三井寺
紀三井寺は今から1,240年近く昔(宝亀770年)、唐僧・為光上人によって開基されたお寺。西国観音霊場第二番札所でもある。
為光上人は仏教の志篤く、身の危険もいとわず、波荒き東シナ海を渡って唐より到来され、日本諸国を巡りました。上人がたまたまこの名草山の麓に一宿した折、山の頂上付近が白く光っているのを不思議に思い、上がってこられると、金色に輝く千手観音様と出会われました。
この地が、ご仏縁深き霊場と悟られた上人は、自ら一刀三礼のもとに十一面観音様の尊像を彫られて、これを草庵に安置し、この紀三井寺を開創された。
正式な寺名は「紀三井山金剛宝寺護国院」ですが、山内に三つの井戸(清浄水・楊柳水・吉祥水)があり、常に清浄な水が湧き出していたところから「紀三井寺」という名で呼びならわされている。
木造りの立仏像としては日本最大の総漆金箔張、大千手十一面観音菩薩が入佛されている。
本堂、江戸時代・宝歴9年(1759年)建立
護国院多宝塔(国指定重要文化財) 室町時代・文安6年(1449年)建立。
本堂まで、231段ある石段。
ここには結縁坂のいわれがある。
その昔、紀の国屋文左衛門は若き頃から孝心篤く、母を背負いてこの坂を登り、観音様へお詣りしました。途中、ぞうりの鼻緒が切れ、困っているところに玉津島神社の宮司の娘、かよが通りかかり、鼻緒をすげかえたのが縁となって二人は結ばれ、宮司の出資金によるみかん船で大儲けしたという、紀の国屋文左衛門ゆかりの坂。商売繁盛も良縁成就もその他なにごとも、先ずは信心からと申せましょう。観音様に心から願いをかけましょう。
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