和歌山城
天正13年(1585)、豊臣秀長は兄秀吉の命を受けて和歌山城の築城にとりかかった。しかし秀長は和歌山城の完成を見ずに大和郡山にあり、その後和歌山の地に戻ることはなかった。天正14年、秀長の家臣である桑山重晴が城代として3万石を領し和歌山城に入城。桑山氏は14年間の在城期間に、本丸部分を中心に築城を進めた。
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いで軍功のあった浅野幸長が37万6千石を領して城主となり、浅野氏19年間の在任中に二の丸の整備や一橋門を大手にするなどその後の基礎となる築城工事を次々に行った。
元和5年(1619)、徳川家康の第十子、徳川頼宣が55万5千石を領して入城し、以後和歌山城は、御三家紀伊徳川家の居城となり「南海の鎮」として、幕府の西国支配の拠点となる。頼宣入城直後から城の大規模な整備工事や城下町の拡張整備が行われ、その後250年間続く和歌山の繁栄の基礎となった。
樹齢50年の南高梅
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