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JR四国や西日本,東日本の列車と比べ、JR九州の列車は個性のあるものが多い。
乗務員の服装や帽子もどこか違って見える。
JNR(日本国有鉄道)が民営化され、国鉄時代とは何もかも大きく変わった。駅員の対応しかり乗務員の対応しかりだ。従業員が国の組織にあぐらをかいて威張っていた時代が今は懐かしいほど。
電電公社も郵便局も民営化されて正解。いまだに郵政民営化に異を唱える国会議員もいるが、時代遅れもはなはだしい。
警察だって消防だって民営化すれば良い。きっとやり方が変わるに違いない。今よりは良い方へ。
話しがそれた。今日はJR九州の個性ある列車の紹介。
SEA SIDE LINER
885LIMITED EXPRESS
下の電車はハウステンボスから長崎行き、”V・ファーレン長崎”の応援一色。
佐世保市にあるハウステンボスはオランダの街並みを再現したテーマパーク。
子供達がまだ小さい頃、家族で行ったことがある。ハウステンボスがオープンして間もないころの事。
1992年開園と言うから約20年、その間入場者数の減少により経営破綻、会社更生法の適用を受け甦った。東京ディズニーランドとほぼ同規模の敷地ながら、ここはヨーロッパ風の街並みが並ぶだけで、遊戯設備がほとんどないため、家族連れや若者にはあまり魅力は感じられないのかも知れない。少なくとも子供には退屈なところに違いない。
前に来た時の事はあまり覚えていない、変わったと言えば820万個のLEDを使ったイルミネーション、日暮が早い冬のこととて午後5時頃から点灯したその光は圧巻である。
山下高志氏が経営する「あーとらんどギャラリー」では、いろいろな芸術家の作品展を開いている。今日は大島由起子さんの石彫展のご紹介。彼の紹介文をそのまま掲載する。
あーとらんどギャラリーでは、2月5日(日)から26日(日)まで大島由起子さんの石彫展を開催致します。
大島さんは大阪府堺市に生まれ、武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒業後、彫刻家として東京を拠点に国内外で活躍しておられ、あーとらんどギャラリーでは2008年の「小さな石彫展」に続いての出品となります。
また、初日の2月5日(日)は午後2時より大島さんを迎え、当画廊にてささやかなオープニングを行います。皆様お誘い合わせの上、ご来廊いただきますようご案内申し上げます。
■□ 大島由起子 展 ■□
会期:2012年2月5日(日)~26日(日)
時間:午前10:00-午後6:30
休廊:火曜(予約営業)、水曜
会場:あーとらんど ギャラリー
出品:石 彫 ‥‥‥17点
作家在廊日:2月5日
ささやかなオープニングを行いますので、お気軽にご出席下さい。
■ 日 時 : 2月5日(日) 午後2時 ~
■ 参加費 無料
千畳敷から元来た道を少し後戻りすると、名勝「三段壁」に出る。
エレベータで地底へ36m下がると、洞窟がある。かって熊野水軍の船隠し場だったとか。
三段洞窟の由来が書いてある、曰く
第五十代桓武天皇の頃、熊野鬼ケ城を本拠とした海賊多賀丸なるものがいた。三段壁もその頃は「みだん」と呼ばれて海上を運行する船の状況を偵察したり、果ては魚群の様子等を岩頭に立ってみる壇だった事から、見だん→三段になったと云われている。
太平洋の荒波が狭い洞穴に押し寄せ、津波の如く高さを増して岩肌にぶつかる。波しぶきが舞い上がり歩道をぬらす。
打ち寄せる波の圧力で空洞のある岩盤から海水が吹き上がる様は、鯨が潮吹く様と似て豪快である。
洞窟から海の方を見る。こんなに狭い穴に太平洋の波が押し寄せるのだから、時化の時はどんなにすごい事だろうか。
ずっとずぅーっと若い頃、この光景を見たような・・・前に確か来たことがあるなぁ~。
本州最南端にある灯台、潮岬灯台。灯台内をお金を払えば上まで登れる。
北緯33度26分15秒、東経135度45分16秒、 地上よりの高さ23m
この灯台は慶応2年(1866年)江戸幕府がイギリス、フランス、オランダ、アメリカの四カ国と締結した江戸条約で建設が決められた観音埼,釼埼,野島埼,神子元島,樫野埼,潮岬,伊王島及び佐多岬の八灯台のひとつ。
当初のものは英人技師ヘンリーブラントンが設計し、明治2年(1869年)4月着工、一年余り要し翌3年6月完成、同月10日仮点灯した日本初の様式木造灯台だった。
その後、明治6年9月15日正式点灯して業務を開始、明治11年4月15日現在の石造りに改装された。
灯台からの風景
吉野熊野国立公園の天然記念物。
その昔弘法大師が紀州行脚の際、この地に立ち寄り向かいの大島へ渡るため天邪鬼に手伝わせて橋をかけ始めたが、天邪鬼がくたびれて鶏の鳴き声をまねたので大師も夜が明けたと思って中止したため、その橋杭だけが残ったと言われる。
25の橋の杭のように連なる島と岩。
左から元島・ゴロゴロ島・黒岩・タコ島・海老島・コボレ岩・折岩・蛭子島・平岩・ハサミ岩・ポオス岩・大オカガミ岩・小オカガミ岩・ビシャコ岩・童子岩・弁天岩・イガミ島・小メ戸コオシ島・辰欠島・馬乗島・大メド沖ノ島・四ノ島・三ノ島・二ノ島・一ノ島
1400万年前の火成活動に伴い、北北西ー南南東へのびる地層の割れ目にそってマグマが上昇して冷えてかたまり、橋杭岩のもとになったと言われる。泥岩層の間に石英斑岩が貫入、貫入後に差別侵食により、柔らかい泥岩部が速く侵食され、硬い石英斑岩が杭状に残された。
西国第一番札所 天正18年(1590年)建立 熊野地方で一番古い建造物、世界文化遺産。
説明看板に曰く
当山は仁徳帝の頃(313~399年)インドより裸形上人が熊野の裏に漂着、現在の堂の地に庵を結んだのに始まると伝えられている。
生仏上人が来山し玉椿の大木をもって、現在の本尊(御大約4m)を彫り裸形上人感得の観世音菩薩を胸仏として納め安置す。後推古帝の勅願寺となり、那智霊場の中心として熊野信仰を育んできた。
従って御本尊如意輪観世音菩薩の霊験を受けんとして、日夜礼拝修行する者その数を知らず、又天皇上皇の尊宗も深く、殊に平安時代、人皇六十五代花山上皇が滝の上の山中に庵を造り、三ケ年御修業の後、当山より西国三十三ヵ所観音霊場巡拝の旅に出られた。当時より長きに亘り巡拝のお寺として親しまれている。
当山は古くより那智山如意輪堂と称していたが、明治の神仏分離によってその形態が変わり以来青岸渡寺と称するようになった。
現在の建物は天正十八年、豊臣秀吉公が発願再建されたもので桃山時代様式の建物として南紀唯一の重要文化財である。
三重塔と那智の御滝
那智の奥、大雲取連山から流れ出る流水が大滝となっていて全山に48もの滝がある。一番高いのがこの那智の御滝で高さ133m、幅13m、滝壷の深さ10m以上とか。 落口の岩盤の切れ目によって三筋に分かれているため「三筋の滝」とも言われる。滝そのものが飛瀧神社の御神体となっている。
この日は水量が少なく迫力に欠けていた。
正月の朝、自宅外で迎えたのはもう何年前だろうか。
生憎の曇り空、初日は望めそうもない。今にも雨が降り出しそうな空模様。
ホテルで朝食バイキング、元旦のバイキングは豪華だ。当然お雑煮もあるが、香川のあん餅雑煮は望むべくもない。
いかに大勢の人が宿泊しているかが、バイキング客で分かる。
世界遺産 熊野三山 熊野那智大社へ初詣に出かける事に。那智の滝でも有名な所。
途中、昨年大きな被害の出た台風の傷跡に出くわす。テレビの映像とは比べ物にならない自然の驚異が目の前に広がり、唖然とさせられる。大きな家が傾きいまだ修復もおぼつかない。3.11もしかり、自然の前に人間はなす術もない。
途中雨もパラついたが、神社へ到着した頃には時折太陽が顔をのぞかせた。
熊野のクマとは「奥まった処」「隠れたる処」との意味があり、そこは上座であり、聖なる地と位置づけている。「クマ」と「カミ」とは同じ意味で「クマノ」は「カミの野」で神々の住まえる地だそうな。
初詣客で賑わう境内
熊野那智大社のすぐ隣には西国第一番札所「那智山青岸渡寺」がある。いざお寺へ。
久しぶりの家族旅行。それも年末年始にかけて。
昨年9月頃そんな計画が持ち上がって、すぐ国民休暇村を当たった。半年前から電話予約ができるらしい。
で、早速娘希望の富士山が見える休暇村に電話。なんともう予約でいっぱい。えっ~そんな。それで候補と思われる休暇村に片っ端から電話した。
結果は同じ。あきらめました、またにしようと。
ある日駄目元で息子に連絡、どこかホテルはないかと。幸い彼の会社と提携するホテルがかろうじて取れた。値段は少々お高いがラッキー。
行き先は南紀白浜。ホテルは「南紀串本ロイヤルホテル」、 初日の出がきれいと聞く。
坂出から串本まで陸路はきつい。それで徳島まで車、そこから和歌山まで船旅と決めた。
船に乗るのは本当に久しぶり。
朝7時半に坂出出発、徳島港に10時前到着、11時発のフェリーで和歌山港到着13時、そこからはひたすら串本まで車を走らせる。紀三井寺や風車を後にして。串本のホテルに着いたころには日も暮れ始めていた。
大きなホテルで部屋も広い。
さあ、明日は元旦、日の出が見られるだろうか。
「チョンガー」って知ってる?と会社の若い人に聞く。 何?それ!と返事が返ってくる。
あぁ~もうこの言葉も死語になっているんだ・・・と知らされる。
昭和42年(1967年)川重に入社した時、”エレチョン会”なるアフター5の会があった。
エレチョン会って何?と聞いた。
先輩曰く、この部署は電気の設計集団、だから電気の英語、エレクトリックの「エレ」と独身の男性を意味する「チョンガー」を合成して「エレチョン」会。
当時はインターネットもなかったから、チョンガーが独身者と言われる訳を知る由もなかった。
今になって調べてみた。
チョンガーとは
へぇ~、そうか朝鮮語だったんだ・・・。
ついでに死語辞典なるものがネットにあって見てみた。
エグい、色男、いの一番、イチコロなど・・・懐かしい言い回しが並んでいた。そう言えば最近「イケメン」とは言うけど「色男」とは言わない。
話し言葉もその解釈も時代の流れで変わるものだ。「姑息な」の本来の意味は「その場しのぎ」だが今は「卑怯な」と多くの人が解釈している。だから今、姑息はそのような意味で使うしかない。
「イケメン」もそのうち何それ?って言われる時代が来るんだろう。
本年の宜しくお願いします。
昨年は友人の柿茶の社長とNPO法人 健康を考えるつどいを4月に起ち上げました。坂出市江尻町にある健康会館で、太極拳,自彊術,ヨーガ,絵手紙,フラダンス,フラワーアレンジメント,オカリナ教室等のスクールの運営に加え、西式健康法の普及の為の健康合宿や一般対象の講演会活動等を行って来ました。当法人への入会者の顔ぶれと数の多さは、友人がこれまで培ってきた人財の賜物であり、私の知らない彼の偉大な足跡を垣間見た思いでした。今年は、入会して良かったと喜んでもらえる活動や健康に関する情報を幅広く発信していきたと思っています。この奇跡とも言える青い地球に誕生したありとあらゆる命が、大げさですが、毎日元気で笑って過ごせるような世になるよう、僅かでも貢献できればと思っております。
このひし形の干支デザインを使って、今年で丁度ひとまわりしました。早12年が経った・・・て、感じです。
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