心配
今日、昨日起した交通事故のブログを書いた。
早速、丸亀走友会の会長、梶原さんから電話があった。私を心配して。
嬉しかった。
私の拙いブログをいつも見てくれる嬉しさ、私の体を心配してくれる嬉しさ。
人生まんざらじゃない!
父母も含め、親しい人があっちの世界に増えたとは言え、まだまだこっちにも未練は残る。
それが無くなったら勇んであっちへ行こう。
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今日、昨日起した交通事故のブログを書いた。
早速、丸亀走友会の会長、梶原さんから電話があった。私を心配して。
嬉しかった。
私の拙いブログをいつも見てくれる嬉しさ、私の体を心配してくれる嬉しさ。
人生まんざらじゃない!
父母も含め、親しい人があっちの世界に増えたとは言え、まだまだこっちにも未練は残る。
それが無くなったら勇んであっちへ行こう。
一瞬何が起こったのか分らなかった。それこそ頭が真っ白になった。えらいことをしてしまった・・・。
時は、2012年6月29日、午前7時40分頃。
信号待ちで停車する車の列が見えた。速度を落としブレーキをかけた丁度その時、車が暴走した。
ブレーキを踏む間もなく、前の車に思い切り追突した。
てっきり、私の車が何かの故障で暴走し、追突したと思った。
急いで車を路肩に寄せ、追突した車に謝りに行く。「すいません、大丈夫ですか???」
その時だった、うしろから若い男が頭を下げながら近寄って来るのが見えたのは。
「すいません、すいません、大丈夫ですか?」と。
それでやっと状況が理解できた。そうか私の車が追突されから、前の車にぶつかったんだ・・・と。
どこにでもある玉突き事故。まさか自分が巻込まれるとは想像だにしなかった。
結局、私が追突した車がその前の車にも追突、3台の玉突き事故となった。
↓ 私の車に追突された車、ひどいムチ打ちになったに違いない。
↓ 追突され、追突した私の車
↓事故の 元凶車、 今年4月に下ろしたばかりの新車 気の毒と云う他ない。
事故のショックでおろおろしている若い男に、とにかく110番して・・・と。
事故を起した車の数だけ警察官が来て、それぞれの車の車検証や免許証のチェック、事故状況の調査をする。
外傷のある怪我人もなく、後は当事者で示談してね、今、他の交通事故が入ったから行くね・・・と、捨て台詞を残し、ポリスはそそくさと引き上げてしまった。
私も事故には慣れてない、何をしたら・・・取り敢えず保険屋と車屋に連絡。
追突された場合は、追突した車の保険で全てが仕舞されるとか。
私の体の方はと言えば、首は何ともなし、数日前から気になりだした腰痛がこの事故で顕在化されたようだ。
邪魔くさいが、病院へは行ってみよう。
↓ ちなみに事故現場は県道33号線、貞光線への交差点がすぐ近く。
前を見てなかったと言う。
前は良く見て運転しなきゃ・・・運転中の捜しものは絶対ダメと、自分に改めて言い聞かせた。
6月17日は札幌西会の講演会、あくる日18日は札幌市内の観光としゃれ込んだ。
定期観光バスには色々なコースがある。札幌おまかせ満腹コース、白い恋人パークと場外市場コース、ふらのラベンダーストリートコース等々。
一番無難そうな「札幌一日コース」をチョイス。平日月曜日のこととて、ガラガラと思いきや、20数名の観光客が集まった。それでも40数名乗れる大型バスはゆとり十分。
バスに乗って分かったが、札幌一日コースはおまかせ満腹コースと同じツアー。後者は朝昼晩の食事付きと言うだけ。
バスはまず、中央卸売市場場外市場へ。
場外市場は仲卸人と小売店の取引を行う為の場として昭和35年にできたと言う。
カニ,ウニ,イクラ,タラコなどの海産物をはじめ、夕張メロンやすいか、とうもろこし等の果物・野菜を売る店もあり、ざっと60の店舗が軒を並べる。
↓ ここでの主役はやはりカニ。
観光ツアーはまだ始まったばかり。朝から荷物になるのに買う気は起こらない。
せっかく来たのだからと、にぎり寿司を頂く。さすが新鮮でうまい!
次の観光地は大倉山ジャンプ場、昭和47年冬期オリンピック札幌大会90m級ジャンプ(現ラージヒル)の舞台となった場所。
テレビで見るのと実物を見るのでは大違い、こんなに急な坂をよく平気で飛ぶものだと思う。35度の滑走路は想いのほか急斜面だった。
次の観光地は羊が丘
↓ クラーク博士像の眼下に広がる牧歌的な景観は北海道農業研究センターの敷地。
ラーメン横丁で腹ごしらえした後、藻岩山へ向かう。頂上までL字のため、ロープウエィーも途中乗り換え。
↓ 藻岩山から見る札幌市街の風景
この後、白い恋人パークへ行き、サッポロビール園にて解散。
なかなか充実した観光旅行だった。レンタカーで廻るより観光バスがお得。
北海道へ来たらビールはサッポロビールを飲まないとね。地域経済の活性化に貢献しなきゃ・・・。
で、サッポロビール園に予約を入れた。愛媛県にもアサヒのビール園があるが、予約がなかなか取れない。
幸いサッポロビール園はOK。
トラディショナルジンギスカン・焼き野菜セットと生ラムジンギスカン・焼き野菜セットをオーダ。
久しぶりに大ジョッキでビールを飲む、うまい! 何でビール工場のビールはこんなに美味いのか。
4人でたらふく飲んで食って一人3,000円也、美味くて安い。
↓ 以下ビール園のHPよりCM
元祖さっぽろラーメン横丁、地下鉄南北線 すすきの駅近くに位置する。
味噌ラーメン発祥の地として全国に「さっぽろラーメン」の不滅の伝説を作り上げた名横丁。僅か40mの狭い路地に17店がひしめく。
ここ数年景気が悪く、夜しかやってない店が5軒もあるとか。
店が多すぎてどの店が美味いのか分からない。えぃ!どこでもいいや・・・と入ったのが「来々軒」。
店のおやじが話し好き、ラーメンを作る間、口も手も休む事はなかった。
↓ ラーメン横丁オリジナル千社札
来々軒のおやじ曰く、暇な時は外国へラーメン作りの助っ人で出かけるとか。ハワイやサンフランシスコ、シンガポール他多数。英語も堪能で、この日我々と同じバスのツアー客でハワイ在住の日本人家族とバイリンガル並みの会話。すご~い。
日本三大がっかり名所のひとつ、札幌時計台へ行きました。正式名称は旧札幌農学校演武場。
明治11年(1878年)教頭W.S.クラーク博士の構想により札幌農学校演武場として建設され、旧五千円札でおなじみの新渡戸 稲造氏ら890名の先人が卒業しました。
建設当初、時計台はなく開拓長官 黒田清隆の指示により3年後の明治14年に時計塔が付けられた。
アメリカの開拓時代の建築スタイルを取り入れており、北海道開拓史上の貴重な建物として昭和45年に国の重要文化財に指定、2009年8月には国内に現存する最古の塔時計として機械遺産第32号に認定された。
歴史を聞くと、がっかりどころか「えっ~」って思う。札幌市街の中心地になり、近代ビルに囲まれて存在感が薄れたとは言える。
明治時代の時計台の風景(パンフレットより)
この時計台、羊が丘に建っていたらまた違った評価だったに違いない。
ちなみに日本三大がっかり名所は、第1位土佐のはりまや橋、第2位札幌時計台で決まり。第3位が長崎のオランダ坂とも沖縄の守礼門とも言われる。
もう一つ因みに世界の三大がっかりは、ブリュッセルの小便小僧、コペンハーゲンの人魚姫、シンガポールのマーライオンと言われているが、日本3大がっかりと同じように、いくつかの説があり、ドイツのローレライ、ローマの真実の口、シドニーのオペラハウスとも言われる。
6月に台風が上陸したのは8年ぶりとか。
そのおかげで岡山から坂出まで帰ってくるのに、510円のところが5,800円かかり、17分のところ20時間もかかった。
岡山駅で瀬戸大橋は運休との情報を聞き漏らし、児島駅に着いてから気付いた。 以前、橋の上で制限風速を超え、何時間も止ってさんざん苦情を言われたJRは、さすが懲りたのかえらい早めに運休を決めたようだ。
昨日(6月19日)児島駅に着いたのは14時頃、雨こそ降ってはいたものの風は殆んどなく、運休しているのが信じられなかった。
でもそのまま駅を出発し橋の上で風が強くなったら、同じミスを2度も犯したと前にも増してひどいバッシングを受けるのは明白。
それで強風警報が出たとたんに運休したよう。
おかげで広いお風呂で北海道旅行の疲れを癒し、元気はつらつ帰って来た。
これもまたしたくても出来ない経験に違いない。
私が理事を務めるNPO法人 健康を考えるつどいで、オーロラ写真家の中垣哲也先生を招いて講演会を開催した。
坂出市内の小学校にオーロラ動画鑑賞会の案内を出したが、希望したのはたったの6校。
教育現場の実態は知らないが、学校によってかなり温度差がある事は確か。
一番に手を上げた林田小学校の大平校長は、ご自身が天文に興味があり大変喜んでくれた。
↓ 小学校6校目、香川大学教育学部附属坂出小学校での鑑賞会風景。
小学生でも低学年にはまだ難しいので、5,6年生に限った。
オーロラに魅せられアラスカへ37 回以上も旅して撮られた映像は、何回見ても感動に値する。
「地球上すべての生命が調和・共生することで、この惑星はもっと美しく輝けるはず」
私が中学2年の時、父が府中に家を建てた。
丁度、いとこ(母方の兄の子)が大工さんで、彼に建ててもらった。
中学2年から高校3年生までの5年間と、川重坂出工場に勤務した25年間住んだ家。
その間父母もあっちの世界へ旅立ち、子供らも巣立っていった。
家も古くなり建て替えを考えていた矢先、たまたま坂出市が売り出した西大浜の土地が抽選で当たった。妻の強運のおかげ。
主を失って15年、その間台風で床上浸水も味わい、家は荒れに荒れた。時たま草は刈ってくれるが、朽ちるのにへの突っ張りにもならない。
建物の一部が隣へ飛散する事実が、解体を決定づけた。
思い出がいっぱい詰まった家も、たったの一週間で目には見えなくなった。
今、府中の家は私の心の中に建っている。昔のまんま・・・・。
Before
After
解体途中
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