シルバー川柳 その2
まだまだありますシルバー川柳
■あちこちの骨が鳴るなり、古希・古希と
■寂しくて、振り込め犯と長電話
■誕生日、ローソク吹いて立ち眩み
■起きたけど、寝るまで特に用もなし
■延命は不要と書いて、医者通い
■留守電に、ゆっくりしゃべれと怒鳴る父
■年重ね、くしゃみするのも命がけ
■「お歳です」それが病気か、藪医者め
■持病には、医者顔負けの知識あり
■何故消える、眼鏡と鍵のミステリー
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まだまだありますシルバー川柳
■あちこちの骨が鳴るなり、古希・古希と
■寂しくて、振り込め犯と長電話
■誕生日、ローソク吹いて立ち眩み
■起きたけど、寝るまで特に用もなし
■延命は不要と書いて、医者通い
■留守電に、ゆっくりしゃべれと怒鳴る父
■年重ね、くしゃみするのも命がけ
■「お歳です」それが病気か、藪医者め
■持病には、医者顔負けの知識あり
■何故消える、眼鏡と鍵のミステリー
丸亀走友会の冨上さんが、全国老人ホーム協会がまとめた今年のシルバー川柳なるものを持ってきてくれた。
我が身と照らし合わせて、大いに笑ってしまう。
その一部をご紹介。
■忘れ物、取りに戻れば又忘れ
■俺・俺と名乗って妻に、すぐ切られ
■来世でも、一緒になろうと犬に言い
■バラに似て妻も花散り、トゲ残す
■化粧品、無駄だと妻にまだ言えず
■味のある字とほめられた手の震え
■無病では話題に困る老人会
■できました、老人会の青年部
■捜し物、やっと捜して置き忘れ
■なあお前、はいてるパンツ俺のだが
元宇多津町長の谷川さんが、わざわざ会社までマコモダケを持ってきてくれた。
それで去年もくれた事を思い出した。
珍しい食材なので、どんな風に調理して食べるのか覚えていない。そうでしょうと察して、ちゃんとレシピのメモが入っている。そのへんが何年も宇多津の町長を務めた谷川さんの優しさである。
改めて調べてみると、マコモダケは池や沼などに茂生するイネ科の水生植物「マコモ」の花芽 に黒穂菌が寄生し、根元が筍状に肥大したもの。2メートル以上に伸びた草丈の 根元が3~5センチに肥大した部分を食用とする。
どこにで栽培しているのか見たことはないが、想像するに水はけの悪い田んぼで、とうもろこしやサトウキビのように茂っているのだろうか。
レシピは素焼き、天ぷら、炒め物にむくと言う。
癖のない淡白な食材ゆえ、料理法でどうにも味付けできるらしいが、私はもっぱら味噌汁に入れる。
丸亀市にも蓬莱橋があるが、越すに越されぬ大井川にかかる蓬莱橋はさすが長い。
1997年12月30日、『世界一長い木造橋』としてギネス登録されたと言う。
全長897.4m、通行幅2.4mの橋だが、欄干が低いため危なっかしい感あり。
1879年(明治12年)に完成。
水が流れる部分の橋脚はコンクリート製で、全て木造ではない。
ちゃっかり通行料を取られるが、わずか100円。
それを払ってでも、向こう岸がどうなっているんだと渡りたくなるのが人情。
途中、橋板がぐらつく所もあるが、100円の通行料では修理が追っかないのかも。
とにかく、大切にしたい橋である。
通行チケットに書かれた蓬莱橋の由来
1869年(明治2年)7月、最後の将軍慶喜を護衛してきた幕臣達が大井川右岸にある牧之原を開拓してお茶を作り始めた。当初は大変厳しい環境の中で、苦労の連続だったが、そのかいあってお茶の生産は順調に伸び生活も安定するようになった。
それに従い対岸の島田宿へ生活品や食料品を買い出しに出かけるようになり、また島田宿からも山林・原野を開墾するものが大井川を往来するようになった。
当時満々と流れる大井川を小舟で渡ることは非常に危険で、島田宿の開墾人総代達は橋を架ける事を時の県令に陳情し、許可されてできたのがこの蓬莱橋。
橋の名前は、静岡藩主となった徳川亀之助が1870年(明治3年)4月に牧之原を訪れた際、開拓する幕臣達に「ここは蓬莱・宝の山」と激励して事がいわれと伝えられている。
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