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患者の取り違えによる手術ミス,治療ミス,輸血ミス,投薬ミス等の事故は数多く報道される。
人間が関わる限りミスはなくならないが、製造現場でも治療現場でも、間違えない仕組み,間違えても安全な仕組みが構築され、ミスが起こりにくくなって来ている事は確かだ。
その代表的なものが「フールプルーフ」と「フェールセーフ」の考え方。
前者は、人間が間違えても危険にならない仕組みにしておく事、後者は、機械が壊れても危険にならない仕組みにしておくこと。
ここ心臓病センター 榊原病院でもその仕組みがあった。私も入院して初めて医療現場の安全対策を知った。
1.手首に患者名を書いたワッカを入れる。
2.点滴の交換,薬の投与,検査では「名前を言って下さい」と看護師や検査員が患者に問う。
3.医師が同じ病棟に同姓がいる事を患者に知らせ、本人やその家族にもその事を認識させる。
今回、前田姓が2人、同じ西病棟に入院中、さらに”前”の付く人が近々入院するとも。
だから念のため、私を東病棟に移すと言う。
西と東は看護師他スタッフが全く別、人事異動もない。徹底している。
せっかく看護師の名前と顔も覚えたのに・・・と思うがこれも安全のため。
まだあった、同じ前田の手術日が同じだったので、私の手術日を一日早めたとも。
この病院の安全対策はすごい。
1月24日(木)16時半頃、一台の救急車がサイレンを鳴らしながら瀬戸大橋を渡っていた。
この日は風が強く、車高の高い社内はガタガタと音を立てた。
搬送用のベットに固定され、自動血圧測定器を腕に巻かれて横たわっていたのは、他ならぬこの私だった。
回生病院で狭心症の応急手術をした後、根本的な治療は心臓手術しかないと言われ、ここではできないとも言われ岡山の病院に搬送と相成った。
救急車に母の付き添いで乗った事はあるが、自分が主役は初めて。風が強いせいか乗り心地は悪く、サイレンの音もかまびしい。意識もなく死にそうな患者でもないのに、サイレンを鳴らして走ることもなかろうと思いながら。
妻も同乗してくれて、今からどうなるんだろうとの不安をよそに、心は穏やかだった。
救急車は流石に早い、40分ほどで心臓病センター 榊原病院に着いた。
本格的な闘病生活が今から始まる。
下関市阿弥陀町にある神宮
神宮と言うからには天皇と関係がある神社。それもそのはず安徳天皇をお祀りする。
1185年3月24日源平壇ノ浦合戦に入水せられた御八歳なる御幼帝をまつる天皇社にして、下関の古名なる赤間関にちなみて赤間神宮と宣下せらる。
境内に耳なし芳一で有名な「芳一堂」がある。
その昔、この阿弥陀時(現・赤間神社)に芳一といへる琵琶法師あり。
夜毎に平家の亡霊来たり、いづくへともなく芳一を誘い出けるを、ある夜、番僧これを見、あと追いければ、やがて行く程に平家一門の墓前に端坐し一心不乱に壇ノ浦の秘曲を奏す。
あたりはと見れば数知れぬ鬼火の飛び往うあり。その状、芳一はこの世の人とも思えぬ凄惨な形相なり。
さすがの番僧、愕然として和尚に告ぐれ一山たちまち驚き、こは平家の怨霊、芳一を誘いて八つ裂きにせんとはするぞとて、自ら芳一の顔手足に般若心経を書きつけるほどに、不思議やその夜半、亡霊の亦来りて芳一の名を呼べども答えず、見れども姿なし、暗夜に見えたるは只両耳のみ。
遂に取り去って何処となく消え失せにけるとど。是より人呼びて耳なし芳一とは謂うなり。
下関市一の宮住吉1-11-1 にある神社
住吉の大神は、神代の昔、イサナギノミコトが黄泉国(よみの国=死の世界)から帰って、穢れを清められた時、出現された神。
↓拝殿(重要文化財) 天文8年(1539年)に毛利元就が寄進したもの。 拝殿の奥が本殿。
↓本殿(国宝)は応安3年(1370年)大内弘世の再建で、室町時代の代表的建築。
↑九間社流れ造りと言い、五社殿を合の間で連結し、社殿上の正面屋根に千鳥破風をのせ、春日造りと流れ造りを組み合わせた特徴のある建物。
あらかじめ案内をお願いしていた宮司の説明は、予定時間をはるかにオーバ。
よほど、しゃべりたくてうずうずしていたに違いない。話の最後はこの神社の防犯システムの説明にまで至り、そんな説明聞かなくてもいいのに・・・・もういいかげんにしてくれないと次の名所が暗くなる・・・との我々の心配をよそに。
思い起こせばその症状は昨年夏頃から出始めたに違いない。
走り始めて2Kmぐらいで胸が苦しくなって、つい歩く、治まるとまた走る、また苦しくなる、また歩く・・・の繰り返しが常になってきた。
長年ジョギングをしているが、それまで途中で歩く事なんてなかった。苦しくなった事はあるが、速度を落とせば楽になり、また走れた。
待てよ、最近は走るのをサボりがち、そのツケかもなぁ~と思った。
昨年12月の高知安芸マラソンで10kmを走った時、その症状はピークに達した。とにかく走りが長続きしない。沿道で多くの人が応援してくれる中、歩くのはランナーとして恥ずかしいが体が言うことを利かない。
歩いては走り、走っては歩き、それでも完走できた。タイムは80分くらいだっただろうか。
毎週木曜日に行く丸亀競技場のトレーニングジム、ランニングマシンの設定速度は時速7Kmだから、それを1Kmも上回る8Kmで走った事になる。
大したもんだと、まだまだやれる・・・と思っていた。
でも一度は循環器内科へ行って調べてもらおう・・・とは思っていた。
それが実現し、診断結果は狭心症だった。
手首または足の付け根の動脈から細いプラスティック管(カテーテル)を心臓まで挿入し、造影剤を流して冠動脈を撮影する検査を「心臓カテーテル検査」と言う。
回生病院、心臓・血管センターにて、私の心電図を見た先生、「過去に軽い心筋梗塞を起こした形跡がありますね、カテーテル検査をしてみましょう」と。
有無を言わさず、下半身は曝け出され、陰毛を剃られ、麻酔が打たれ、右足のつけ根からカテーテルを入れられた。
3本も細くなっている血管があると言う。取り急ぎ一番細い血管を拡げ、ステントと呼ばれる金属製の筒を入れる手術?をしてくれた。
10時半頃から始まった問診、それに続く血液検査,心電図検査,心臓エコー,カテーテル検査、その結果に基づく応急処置のステント挿入、終わったのは14時頃だった。
一体、私の体に何が起こったのか、ゆっくり考える暇も無く、ただオロオロしながら時は過ぎた。駆けつけた妻も同じ思いだったに違いない。
血液サラサラの薬を処方され、「しばらくは様子を見ましょう」との軽い診断結果しか描いてなかった私は、この日から完全に病人になった。
前の日に丸亀競技場のトレーニングジムで7Km強も走った元気な私がである。
下関市長府宮の内町3番8号
明治天皇に殉死した乃木希典(マレスケ)を祀る神社。
乃木将軍の殉死後、追慕の念高揚し、乃木神社建立の儀が起こり、広く有志の協力を得て大正8年12月御祭神ゆかりの台湾の有山の檜を用いて社殿が竣工し、大正9年4月鎮座祭が行われた。
学問の神様としても有名で、昭和天皇はじめ皇族方の教育に全身全霊を打ち込まれ、その教育の事実と実践は学習院教育の上に残っている。
境内には乃木将軍が育った家も復元され夫婦の銅像もある。
↓乃木夫妻の銅像、昭和37年殉死50年祭に当たり、静子夫人の神霊合祀を記念して銅像を建立、以て百世崇敬の象徴となる。
乃木神社は全国六ヶ所に創建され、そのひとつが我が香川県の善通寺にもあると言う。
知らなんだ。
↓乃木家旧邸 10歳から16歳まで起居した屋敷を復元、中にも入れるらしい。
今日は丸亀ユネスコ協会の新年会、丸亀の住人が多い中、坂出駅前の美膳で行われた。
会費1,000円と安い。男性9名、女性10名、やはり活動が活発なのは何時も女性だ。
お酒もないのに、賑やかな会話が弾む。
会食後は東山魁夷せとうち美術館鑑賞がプログラムされている。
このへんはさすがユネスコ、高尚である。
65歳以上は無料、私も含め今日集まった大方の人はタダ。無料なんだから何時でも来れるのに、ここへ来たのはもう一年ぶりだろうか。
2012年度 第3期テーマ作品展と題し、一階展示室は「樹木との語らい/自然との対話」、
二階展示室は「日本の古都/四季の風景」がテーマ。
魁夷の風景画にはいつも癒される。
こんな絵が描けたらなぁ~と来る度に思う。
1階から2階へ、2階から1階へと降りてくると瀬戸大橋が一望できる空間がある。ガラス張りで喫茶店にもなっている。
ここからの風景もまた一幅の絵となる。こんな風景が描けたらなぁ・・・とまた思う。
折りしも川崎汽船のバルクキャリアーと見える巨大船が航行中、こんな船、川重時代にたくさん造ったなぁ~と思いながら・・・。
対岸のサノヤス造船のガントリークレーンもくっきりと見える。
美術館手前のサッカー場では、何の大会か?試合中。
山口県下関市の城下町長府のほぼど真ん中に、忌宮神社と言う、ちょっと変わった名の神社がある。下関市長府宮の内町。
第14代仲哀天皇が九州の熊襲を平定のためご西下、この地に皇居 豊浦宮を興して七年間政治を行われた旧址で、天皇が筑紫の香稚で崩御せられたのち、御心霊を鎭祭す。
その後、聖武天皇の御代に神功皇后を奉斎して忌宮と称し、さらに応神天皇をお祀りして豊明宮と称す三殿別立の古社であったが、中世における火災の際、中殿忌宮に合祀して一殿となり、忌宮をもって総称するようになった。
忌とは斎(サイ)と同義語で、特に清浄にして神霊を奉斎する意味だそうな。
「忌み嫌う」の概念から”忌”の字は、てっきり悪い意味と思っていたが、全く違っていた。浅はか浅はか!!!
↓境内社 荒熊稲荷神社
家族旅行の時、故事・諺の話題になって「桃栗三年柿八年」が出た。
「桃栗3年柿8年」とは、実を結ぶ時期のこと。何事も、時期が来なくてはできないと言うたとえ。
柿八年の後に「柚子の大馬鹿十八年」ってあるよ、と聞いた。
えっ!そうなんだ、柚子は実が成るまで18年もかかるから、ももや栗に比べ「あんた何やってんだ!大バカめ!」・・・と言う訳か???
18年もかかるのか?と調べた。
ポットや鉢植えの場合、根張りが制限されて2~3年くらいで実が成るものもあるが、露地植えだとやはり10年~15年はかかるらしい。
ももくりのアトだが、もっと言葉が続くと言う。でもアトの文章は地方によって違うらしい。
【桃栗3年柿8年、梅はすいすい13年、柚子は大馬鹿18年、林檎ニコニコ25年、女房の不作は60年、亭主の不作はこれまた一生】
【桃栗3年柿8年、柚子の大馬鹿18年、銀杏の気違い30年】
大林監督の「時をかける少女」によると、
【桃栗3年柿8年、柚子は9年でなり下がり、梨のバカめは18年】
故事・ことわざは、実に面白く意味深長である。
丸亀走友会の冨上さんに、「さばを読む」って語源は何?って聞かれた。
調べてみた。
数字をごまかす意味として江戸時代から使われていた言葉らしい。
鯖は数も多く傷みやすかったため、早口で数えられ、実際の数と合わないことから、いい加減に数える事を「鯖を読む」と言うようになり、都合の良いように数や年齢をごまかす意味で使われるようになったのが定説とか。
なるほど。
毎週木曜日に行く丸亀競技場のトレーニングルーム、ランニングマシンや筋トレマシン、ウエイトリフティング等が並ぶ。
ランニングマシンに目標脈拍数目安表なるものが貼ってある。
65歳以上の脈拍目安
・100以上: 40% さあこれからだ
・110以上: 50% 少し汗が出てきた
・120以上: 60% しんどくなってきた
・125以上: 70% 脂肪が燃えてるぞ
・135以上 :80% 体力UP
・145以上 :90% ヘトヘト
・155以上 :100% もうダメ
先週木曜日、時速8.3Km/Hで走った後の私の最高心拍数は131、まだ76%。
もっと頑張れるのかも、でも最近脈拍数を上げると胸が苦しくなって、ついつい速度を落とす。
血管にコレステロールが詰まって石灰化しているせいかも ???
小豆島へは何度も来たけれど、映画村ははじめて。
二十四の瞳映画村は、1954年と1987年の2度にわたり映画化されたご存知、壺井 栄氏の小説「二十四の瞳」をテーマとする施設群。
岬の分教場の校舎には「苗羽 尋常高等小学校田浦分校」の看板がかかる。
ここで、今NHKの大河ドラマ「八重の桜」で脚光を浴びる会津若松藩の「什の掟」に似た道徳も教えられていたのだろうか?
一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです
この掟、7番目を除いて現代にも非常に有効だと思うのだが。いかが?
「ならぬことはならぬものです」は実に良い。
昨日NHKで放映された「ためしてガッテン!」、テーマは「見逃し高血圧で脳卒中 血圧に潜む落とし穴」。
誰もが家庭で行っている血圧測定、そのやり方に問題有り!と警告する。
毎日ほぼ同じ時刻に測定していたAさん、記録を見る限り正常血圧、町医者でも「大丈夫ですよ」といわれる範囲。
ところがそのAさん、脳梗塞で倒れた。専門医曰く、高血圧が原因ですね、と。
一体何故???が今回のテーマ。
要は測定の仕方に問題有り・・・と専門医は指摘する。
結論から言うと、両手・両足を同時に測定するのが理想的な測定法。
足の測定は市販の血圧計では測れない。で、一般家庭では2台の血圧計で右腕、左腕を同時に測るのが理想、でも2台も血圧計を買うのは馬鹿らしい。
そこで、一台で右(左)を測り、一呼吸置いて左(右)を測る。
左右の血圧が正常値で、なおかつその差が10%以内だと正常と言う訳。
私もジョギング前とその直後と、ジョギング後落ち着いてから測ってみた。
ジョギング前の最高血圧は130以下で正常、差は5で124×10%=12.4以内だから○、最低血圧差は7で65×10%=6.5だから×。
ジョギング直後の最高血圧は異常、差は12で、160×10%=16以内だから○、最低血圧差は10で75×10%=7.5だから×。
ジョギング後落ち着いてからの最高血圧は130でギリギリセーフ、差は無しで○、最低血圧差は7で71×10%=7.1で○。
この結果ってどうなの???
ここ香川で後楽園と言えば岡山の・・・と言う事になるが、東京にも後楽園はあるらしい。
それで岡山の後楽園は正式には「岡山後楽園」と言うそうな。日本三名園のひとつ。
岡山藩主、池田綱政の命で1687年に築庭が始まり1700年に完成した。
1919年に岡山県に譲渡され、一般開放された。広さは13.3千㎡で東京ドームの約3倍ある。
↓ 唯心山より沢の池を望む
↓結婚式の前撮り?に出くわした。この日は晴天で風もなく、良きかな・・・。
↓後楽園内から岡山城を望む
後楽園内に神社がある事をはじめて知った。
↓残念ながら、由加神社の名前しか分らない。
↓???神社
↓???神社
↓まだ紅葉が残っている??? 近づいてみると数珠なりの柿の実だった。
↓ 後楽園に鶴がいるとは知らなかった。
本当に久しぶりに回転寿司店に行った。 くら寿司東岡山店。
回転寿司のシステムは人件費削減と売上UPをねらって、大きく変化、進化していた。
まず、お醤油皿が置いてない、醤油さしから直接にぎり寿司に振りかける。
次にお茶、前はティーバックだったのに、今は粉茶。
お湯は以前と同じく給湯口から何杯でも注げる。
ワサビは寿司についてない、お客が好みに応じてつけて食べる。
↓ 右からお醤油さし、粉茶、ワサビ、湯のみ、手前の青いベルトはお椀の封印用。
↓ 回転している皿を取るのは以前と同じだが、寿司の乾きを少しでも遅らせるのと見た目の清潔感をアピールするためプラスティクの蓋がしてある。
この蓋、皿を取るとパカッと開いて皿がスムースに取れる。誰が考えたのかテコを利用したうまい仕掛け。
回転している寿司を取るのが普通の食べ方、加えてディスプレー付きのタッチパネルでも注文できる。
注文品は回転寿司とは別のリニアー新幹線みたいな高速ライン???で運ばれてくる。
赤だしを頼んでみた。青いベルトで封印さてたお椀が、リニアーラインで運ばれて来て、到着の合図が鳴る。受け取りの押しボタンを押すと合図が鳴り止む。
↓ 究極は食べた皿をテーブル横の投入口に入れると、枚数のカウントと、
5枚毎に抽選でおまけが出てくる仕組み、子供には大受けだ。ガチャポンまがいの玉が出てきて、その中にゼンマイ式の動く寿司おもちゃが入っている。
うちの孫は大喜び。
娘曰く、このシステムは実に良くできている、食べた皿のカウント数が表示されるので、後1皿食べたら抽選権があると思えば食べるだろうと・・・。
実にそのとおり。商売上手極まりない。
小豆島は瀬戸内海では淡路島の次に大きな島で、古生代(約2億年以前)の堆積岩や花崗岩、海成堆積層、火山噴出岩類からできている。
基盤の大部分が花崗岩で、その上に広く分布しているのが火成砕屑岩と溶岩類。
寒霞渓は、集塊岩の浸食が著しく、奇岩,怪石の絶景が見られる場所なのだ。
寒霞渓の頂上までロープウェイがついている。こううん駅(紅雲亭)がその乗り場だが、運動不足を少しでも解消しようと、行きは歩いて山頂駅まで行くことにした。道程約1.8Km。
その山道に表12景と呼ばれる景勝地がある。寒霞渓へ過去何回か訪れたが、こんな道があるとは知らなんだ。
12景とは、通天窓、紅雲亭、錦屏風、老杉洞、蟾蜍岩(せんじょがん)、玉筍峰(ぎょくじゅんぽう)、画帖石、層雲檀、荷葉岳、烏帽子岩、女蘿壁(じょらへき)、四望頂。
↓錦屏風橋
↓老杉洞のあたりで野生の猿を発見、落ち葉の中から木の実を捜していた。
↓玉筍峰(ぎょくじゅんぽう)
↓ 烏帽子岩
↑ 登ること約1時間、やっと山頂駅に着きました。
「美しの原大観峰」に四方指と呼ばれる場所があって、そこに三等三角点「前ノ田」がある。
三角点について学校で教わったが、正確にはどんな役割をするのか忘れてしまった。それで調べてみた。
三角点とは、三角測量を行う時に地表に埋定された基準点の事。しからば三角測量とは???
地図を作成するための計測を行う時に使う測量法のひとつ。
即ち、三角形の一辺の距離と二角の角度を知ることにより、他の二辺の距離を計算で求める方法。
三角点には一等から四等まであって、ランク付けみたいに思うがそうではない。
一等は45Km間隔で設置されているが、二等は8Km、三等は4Km、四等は2Km間隔で設置されている。
即ち四等の方が一等より精度が良くなると言う事だ。
小豆島にも大観音があると聞いて行ってみた。
土庄港へ続く県道26号線を走ると、観音様が見えて来る。寒空に凛とそびえる白いお姿は実に神々しい。
小豆島大観音佛歯寺はスリランカの仏教聖地、キャンディに位置する佛歯寺(ダラダー・マーリガーワ寺院)から1985年に釈迦の犬歯を寄贈されたのをきっかけに1994年竣工、1995年公開された。
大観音像の高さは明らかにされていないが、約68mと推測されている。
正月4日まで拝観料無料と書いてある。ラッキーだ。
最上階でエレベータを降り、胎内仏が所狭しと並ぶらせん階段を上りつめると、6畳間くらいの狭い釈迦殿に入る。そこには、ご本尊の釈迦像が鎮座されていた。展望室にもなっていてそこから瀬戸内海の美しい風景が望める。
展望室が観音様のどのへんにあるのか、中にいる間は分らない、冠の中か?
降りるときはエレベータに乗らず、寄贈された胎内仏が上下3段にらせん状に並ぶ階段を使った。
一体この胎内仏、何体あるのか?一階まで続いているのだろうか?の疑問がエレベータを使わなかった理由。
胎内仏は約1万体、一階までずらりと並んでいた。
首飾りのあるところだと外へ出てはじめて分った。
なかなか見ごたえのある大観音でした。
引き潮の時のみ歩ける道が小豆島にある。エンジェルロードと呼ばれるそうな。
小豆島へは、春の「小豆島オリーブマラソン全国大会」や秋の「瀬戸内海タートルフルマラソン大会」参加のため、何回も行ったことがある。
でも観光で来たのははじめて。こんなロマンチックな名前のついた道があると知らなんだ。
エンジェルロードとは、弁天島(写真左端)から中余島、小余島、大余島へと続く、一日2回の引き潮の時のみ渡れる約500mの砂浜の道。
普段は海によって隔てられている陸地と島が干潮寺に干上がった海底で繫がる現象をトンボロ現象と呼び、日本では8ケ所しかない。その内2ケ所が、ここ小豆島にあると言うからびっくり。
おまけ・・・エンジェルロードの終点・大余島は島全体が神戸YMCAの私有地のため歩いて行けるのは大余島の手前まで。
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