Jou光

  • 親父
    彼は子供の時から絵が上手いと、親の欲目で思っている。目の前でさらさら描かれると、ついつい感嘆してしまう。世の中いっぱい絵の上手い人はいるが、この道で飯が食えるのはスポーツ選手と同じで極一部。でもとにかく趣味でも良いから絵を描くことは続けて欲しいと願っている。

春爛漫

  • ぼけの花
    柿茶の里は徳島県美馬郡つるぎ町に位置する。柿の葉の生産農家へ毎年春と秋に行く。春はことさら美しい。桜が咲き乱れ山の木々が新緑に包まれる。澄んだ青空に身も心も洗われる気がする。

アユタヤ遺跡

  • Pict0266
    1491年に建てられた王族の守護寺院。3つの大きな仏塔には、ラーマティボディ2世と父、兄の遺骨が納められています。 寺院ではありますが僧は居住せず、王の礼拝堂として王族の儀式に使用されていました。この寺院もまた、1767年ビルマ軍により破壊され、16mあったという金で覆われた仏像も金を奪われた後、壊されてしまいました。

暁の寺院 タイ

  • Pict0350
    トンブリ王朝時代の守護寺で最高位の寺院とか。きらきらと輝く陶器の破片に覆われた高さ約79mの大仏塔は、ラマ3世により5年がかりで改装された。朝日を浴びた大仏塔の神々しい姿が”暁の寺”の名前の由来。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

  • Pict0201
    セイロンへの留学から戻ってきた僧侶のために、1357年初代王ウー・トーンが建立しました。仏教寺院は瞑想の場として使用されていました。現在も多くの仏教徒が訪れ、週末は観光客でにぎわいます。

水上マーケット

  • Pict0116
    ダムナン・サダックの水上マーケット。その昔、”東洋のベニス”と言われたバンコクでは、日常的商取引には運河が利用されてきた。水上マーケットは、古き良き時代の情緒溢れるバンコクの生活を体感させてくれる。 

2008年7月 タイ王宮

  • Pict0429
    白壁に囲まれた20万㎡の敷地内には、1782年に建設された国王の宮殿、即位式の建物、王室守護寺院のエメラルド仏寺院などチャクリー王朝歴代の王により建造・改築された建物が建ち並んでおり、ラマ8世までは実際にここに住まわてていたとか。

涅槃寺

  • Pict0386
    タイ語で Wat Pho(ワット・ポー)と呼ぶこの寺は、ラマ1世が建立したバンコク最大の境内を持ち、バンコク最古の歴史を持つ寺院。本堂には写真のようなリクライニング・ブッダの愛称で親しまれている寝釈迦仏が横たわる。足の裏には螺細細工でバラモン教における108の宇宙観が表現されていると言う。

最近のトラックバック

2024年10月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
無料ブログはココログ

金魚

  • 金魚

ウェブページ

« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »

2013年1月

四之宮神社・大國神社

↓ 日本三景 宮島のもみじ歩道にある神社、誰を祀っているのやら?

Dsc01594

もみじ歩道と言うだけあって、紅葉の美しさは格別だった。

Dsc01602

Dsc01606

Dsc01596

医療ミス防止

患者の取り違えによる手術ミス,治療ミス,輸血ミス,投薬ミス等の事故は数多く報道される。

人間が関わる限りミスはなくならないが、製造現場でも治療現場でも、間違えない仕組み,間違えても安全な仕組みが構築され、ミスが起こりにくくなって来ている事は確かだ。

その代表的なものが「フールプルーフ」と「フェールセーフ」の考え方。

前者は、人間が間違えても危険にならない仕組みにしておく事、後者は、機械が壊れても危険にならない仕組みにしておくこと。

ここ心臓病センター 榊原病院でもその仕組みがあった。私も入院して初めて医療現場の安全対策を知った。

1.手首に患者名を書いたワッカを入れる。

2.点滴の交換,薬の投与,検査では「名前を言って下さい」と看護師や検査員が患者に問う。

3.医師が同じ病棟に同姓がいる事を患者に知らせ、本人やその家族にもその事を認識させる。

今回、前田姓が2人、同じ西病棟に入院中、さらに”前”の付く人が近々入院するとも。

だから念のため、私を東病棟に移すと言う。

西と東は看護師他スタッフが全く別、人事異動もない。徹底している。

せっかく看護師の名前と顔も覚えたのに・・・と思うがこれも安全のため。

まだあった、同じ前田の手術日が同じだったので、私の手術日を一日早めたとも。

この病院の安全対策はすごい。

搬送

1月24日(木)16時半頃、一台の救急車がサイレンを鳴らしながら瀬戸大橋を渡っていた。

この日は風が強く、車高の高い社内はガタガタと音を立てた。

搬送用のベットに固定され、自動血圧測定器を腕に巻かれて横たわっていたのは、他ならぬこの私だった。

回生病院で狭心症の応急手術をした後、根本的な治療は心臓手術しかないと言われ、ここではできないとも言われ岡山の病院に搬送と相成った。

救急車に母の付き添いで乗った事はあるが、自分が主役は初めて。風が強いせいか乗り心地は悪く、サイレンの音もかまびしい。意識もなく死にそうな患者でもないのに、サイレンを鳴らして走ることもなかろうと思いながら。

妻も同乗してくれて、今からどうなるんだろうとの不安をよそに、心は穏やかだった。

救急車は流石に早い、40分ほどで心臓病センター 榊原病院に着いた。

本格的な闘病生活が今から始まる。

赤間神宮

下関市阿弥陀町にある神宮

神宮と言うからには天皇と関係がある神社。それもそのはず安徳天皇をお祀りする。

1185年3月24日源平壇ノ浦合戦に入水せられた御八歳なる御幼帝をまつる天皇社にして、下関の古名なる赤間関にちなみて赤間神宮と宣下せらる。

Dsc01328

Dsc01334

↓ 右が「水天門」

Dsc01335_2

Dsc01339

Dsc01341_2Dsc01340

境内に耳なし芳一で有名な「芳一堂」がある。

その昔、この阿弥陀時(現・赤間神社)に芳一といへる琵琶法師あり。

夜毎に平家の亡霊来たり、いづくへともなく芳一を誘い出けるを、ある夜、番僧これを見、あと追いければ、やがて行く程に平家一門の墓前に端坐し一心不乱に壇ノ浦の秘曲を奏す。

あたりはと見れば数知れぬ鬼火の飛び往うあり。その状、芳一はこの世の人とも思えぬ凄惨な形相なり。

さすがの番僧、愕然として和尚に告ぐれ一山たちまち驚き、こは平家の怨霊、芳一を誘いて八つ裂きにせんとはするぞとて、自ら芳一の顔手足に般若心経を書きつけるほどに、不思議やその夜半、亡霊の亦来りて芳一の名を呼べども答えず、見れども姿なし、暗夜に見えたるは只両耳のみ。

遂に取り去って何処となく消え失せにけるとど。是より人呼びて耳なし芳一とは謂うなり。

Dsc01348_2Photo_3

Photo_2

住吉神社

下関市一の宮住吉1-11-1 にある神社

住吉の大神は、神代の昔、イサナギノミコトが黄泉国(よみの国=死の世界)から帰って、穢れを清められた時、出現された神。

Dsc01312

Dsc01314Dsc01313_4

Dsc01315

↓拝殿(重要文化財) 天文8年(1539年)に毛利元就が寄進したもの。 拝殿の奥が本殿。

Dsc01319_2

↓本殿(国宝)は応安3年(1370年)大内弘世の再建で、室町時代の代表的建築。

Dsc01323_3

↑九間社流れ造りと言い、五社殿を合の間で連結し、社殿上の正面屋根に千鳥破風をのせ、春日造りと流れ造りを組み合わせた特徴のある建物。

あらかじめ案内をお願いしていた宮司の説明は、予定時間をはるかにオーバ。

よほど、しゃべりたくてうずうずしていたに違いない。話の最後はこの神社の防犯システムの説明にまで至り、そんな説明聞かなくてもいいのに・・・・もういいかげんにしてくれないと次の名所が暗くなる・・・との我々の心配をよそに。

Photo

長府功山寺

毛利邸を出てほんの少しで、重要文化財 国宝 功山寺へ至る。

功山寺は鎌倉時代(1327年)に創建され、長福寺と号した。

Dsc01287

Dsc01289

Dsc01290

↓国宝の佛殿

Dsc01293

曹洞宗(そうとうしゅう)のお寺、嘉暦2年(1327年)の創建。

当初は臨済宗だったが、1602年毛利秀元が曹洞宗に転宗、それ以来、長府毛利家の菩提寺となった。

長府の街並み

↓長府毛利邸へと続く街並み、紅葉がひときわ古の道を引き立てる。

Dsc01265

↓菅家長屋門

Dsc01267

↓毛利邸への入り口

Dsc01270

↑ 長府毛利邸は、十四代当主の毛利元敏公が東京から帰住し、この地を選んで建てた邸宅。明治31年に起工し明治36年6月に完成した後、大正8年まで長府毛利家の邸宅として使用された。

↓見事なもみじ

Dsc01286

狭心症

思い起こせばその症状は昨年夏頃から出始めたに違いない。

走り始めて2Kmぐらいで胸が苦しくなって、つい歩く、治まるとまた走る、また苦しくなる、また歩く・・・の繰り返しが常になってきた。

長年ジョギングをしているが、それまで途中で歩く事なんてなかった。苦しくなった事はあるが、速度を落とせば楽になり、また走れた。

待てよ、最近は走るのをサボりがち、そのツケかもなぁ~と思った。

昨年12月の高知安芸マラソンで10kmを走った時、その症状はピークに達した。とにかく走りが長続きしない。沿道で多くの人が応援してくれる中、歩くのはランナーとして恥ずかしいが体が言うことを利かない。

歩いては走り、走っては歩き、それでも完走できた。タイムは80分くらいだっただろうか。

毎週木曜日に行く丸亀競技場のトレーニングジム、ランニングマシンの設定速度は時速7Kmだから、それを1Kmも上回る8Kmで走った事になる。

大したもんだと、まだまだやれる・・・と思っていた。

でも一度は循環器内科へ行って調べてもらおう・・・とは思っていた。

それが実現し、診断結果は狭心症だった。

心臓カテーテル検査

手首または足の付け根の動脈から細いプラスティック管(カテーテル)を心臓まで挿入し、造影剤を流して冠動脈を撮影する検査を「心臓カテーテル検査」と言う。

回生病院、心臓・血管センターにて、私の心電図を見た先生、「過去に軽い心筋梗塞を起こした形跡がありますね、カテーテル検査をしてみましょう」と。

有無を言わさず、下半身は曝け出され、陰毛を剃られ、麻酔が打たれ、右足のつけ根からカテーテルを入れられた。

3本も細くなっている血管があると言う。取り急ぎ一番細い血管を拡げ、ステントと呼ばれる金属製の筒を入れる手術?をしてくれた。

10時半頃から始まった問診、それに続く血液検査,心電図検査,心臓エコー,カテーテル検査、その結果に基づく応急処置のステント挿入、終わったのは14時頃だった。

一体、私の体に何が起こったのか、ゆっくり考える暇も無く、ただオロオロしながら時は過ぎた。駆けつけた妻も同じ思いだったに違いない。

血液サラサラの薬を処方され、「しばらくは様子を見ましょう」との軽い診断結果しか描いてなかった私は、この日から完全に病人になった。

前の日に丸亀競技場のトレーニングジムで7Km強も走った元気な私がである。

乃木神社

下関市長府宮の内町3番8号 

明治天皇に殉死した乃木希典(マレスケ)を祀る神社。

乃木将軍の殉死後、追慕の念高揚し、乃木神社建立の儀が起こり、広く有志の協力を得て大正8年12月御祭神ゆかりの台湾の有山の檜を用いて社殿が竣工し、大正9年4月鎮座祭が行われた。

学問の神様としても有名で、昭和天皇はじめ皇族方の教育に全身全霊を打ち込まれ、その教育の事実と実践は学習院教育の上に残っている。

Dsc01244

境内には乃木将軍が育った家も復元され夫婦の銅像もある。

Dsc01246

Dsc01251Dsc01252

↓乃木夫妻の銅像、昭和37年殉死50年祭に当たり、静子夫人の神霊合祀を記念して銅像を建立、以て百世崇敬の象徴となる。

Dsc01250

乃木神社は全国六ヶ所に創建され、そのひとつが我が香川県の善通寺にもあると言う。

知らなんだ。

↓乃木家旧邸 10歳から16歳まで起居した屋敷を復元、中にも入れるらしい。

Dsc01256

八坂神社

忌宮神社の境内社

明治末年の神社合祀推進に伴い、長府においても明治37年4月より明治44年2月にかけて神社合祀が進められ、八坂神社にまとめられた。

Dsc01238

Dsc01235

Dsc01236Dsc01237

こんぴらウォーク

2013年1月15日、今年最初の奥社までのこんぴらウォーク。初詣時期も過ぎ、成人の日を含む三連休の翌日ともあって、さすが参拝客はまばら。

785段ある本殿の手前、旭社前でいつも休憩する。

Dsc06202

旭社から上る事133段、本殿にたどり着く。

折りしも初詣用のスロープが解体されようとしていた。

えらくぶっとい枕木があらわになっていて、強度上このくらいの太さは要るなぁ~と思いながら参拝。

Dsc06204

関東地方に降ったゲリラ雪の痕跡が、ここは香川のこんぴらさんの奥社にも残っていた。

Dsc06205

ユネスコ新年会

今日は丸亀ユネスコ協会の新年会、丸亀の住人が多い中、坂出駅前の美膳で行われた。

会費1,000円と安い。男性9名、女性10名、やはり活動が活発なのは何時も女性だ。

お酒もないのに、賑やかな会話が弾む。

会食後は東山魁夷せとうち美術館鑑賞がプログラムされている。

このへんはさすがユネスコ、高尚である。

65歳以上は無料、私も含め今日集まった大方の人はタダ。無料なんだから何時でも来れるのに、ここへ来たのはもう一年ぶりだろうか。

2012年度 第3期テーマ作品展と題し、一階展示室は「樹木との語らい/自然との対話」、

二階展示室は「日本の古都/四季の風景」がテーマ。

Dsc06216 Dsc06217

魁夷の風景画にはいつも癒される。

こんな絵が描けたらなぁ~と来る度に思う。

1階から2階へ、2階から1階へと降りてくると瀬戸大橋が一望できる空間がある。ガラス張りで喫茶店にもなっている。

ここからの風景もまた一幅の絵となる。こんな風景が描けたらなぁ・・・とまた思う。

Dsc06221

折りしも川崎汽船のバルクキャリアーと見える巨大船が航行中、こんな船、川重時代にたくさん造ったなぁ~と思いながら・・・。

Dsc06224

対岸のサノヤス造船のガントリークレーンもくっきりと見える。

Dsc06223

美術館手前のサッカー場では、何の大会か?試合中。

Dsc06226

忌宮神社(いみのみや)

山口県下関市の城下町長府のほぼど真ん中に、忌宮神社と言う、ちょっと変わった名の神社がある。下関市長府宮の内町。

第14代仲哀天皇が九州の熊襲を平定のためご西下、この地に皇居 豊浦宮を興して七年間政治を行われた旧址で、天皇が筑紫の香稚で崩御せられたのち、御心霊を鎭祭す。

その後、聖武天皇の御代に神功皇后を奉斎して忌宮と称し、さらに応神天皇をお祀りして豊明宮と称す三殿別立の古社であったが、中世における火災の際、中殿忌宮に合祀して一殿となり、忌宮をもって総称するようになった。

忌とは斎(サイ)と同義語で、特に清浄にして神霊を奉斎する意味だそうな。

「忌み嫌う」の概念から”忌”の字は、てっきり悪い意味と思っていたが、全く違っていた。浅はか浅はか!!!

Dsc01224

Dsc01231

Dsc01227

↓境内社 荒熊稲荷神社

Dsc01226

桃・栗三年柿八年

家族旅行の時、故事・諺の話題になって「桃栗三年柿八年」が出た。

「桃栗3年柿8年」とは、実を結ぶ時期のこと。何事も、時期が来なくてはできないと言うたとえ。

柿八年の後に「柚子の大馬鹿十八年」ってあるよ、と聞いた。

えっ!そうなんだ、柚子は実が成るまで18年もかかるから、ももや栗に比べ「あんた何やってんだ!大バカめ!」・・・と言う訳か???

18年もかかるのか?と調べた。

ポットや鉢植えの場合、根張りが制限されて2~3年くらいで実が成るものもあるが、露地植えだとやはり10年~15年はかかるらしい。

ももくりのアトだが、もっと言葉が続くと言う。でもアトの文章は地方によって違うらしい。

【桃栗3年柿8年、梅はすいすい13年、柚子は大馬鹿18年、林檎ニコニコ25年、女房の不作は60年、亭主の不作はこれまた一生】

【桃栗3年柿8年、柚子の大馬鹿18年、銀杏の気違い30年】

大林監督の「時をかける少女」によると、

【桃栗3年柿8年、柚子は9年でなり下がり、梨のバカめは18年】

故事・ことわざは、実に面白く意味深長である。

皇帝ダリア

去年の成果。

8本の苗を育てたが、内2本は十分成長せず、花を付けずに枯れた。

1本は大風の時、支えの紐が切れて根っこから折れた。

残った5本は見事な花を付けた。

Dsc01669

さて今年は昨年の茎から何本の芽が出るか? 楽しみだ。

多くの芽が出たらお裾分けもできそう。

Dsc01665

さばを読む

丸亀走友会の冨上さんに、「さばを読む」って語源は何?って聞かれた。

調べてみた。

数字をごまかす意味として江戸時代から使われていた言葉らしい。

鯖は数も多く傷みやすかったため、早口で数えられ、実際の数と合わないことから、いい加減に数える事を「鯖を読む」と言うようになり、都合の良いように数や年齢をごまかす意味で使われるようになったのが定説とか。

なるほど。

寒霞渓 その2

往きは歩き、帰りはロープウエィに乗った。

ロープウェイから見る寒霞渓もまた圧巻。

Dsc01893

Dsc01894_2

Dsc01895

Dsc01896

Dsc01897

Dsc01898

血圧測定 その2

↓ 血圧の目安

Dsc06200

2013年1月12日(土)血圧測定結果。

上からジョギング前、ジョギング直後、落ち着いてからのデータ。ジョギング直後はさすが高いが、ジョギング前と落ち着いてからは正常値、これも降圧剤のおかげ?

2013112

脈拍数

毎週木曜日に行く丸亀競技場のトレーニングルーム、ランニングマシンや筋トレマシン、ウエイトリフティング等が並ぶ。

ランニングマシンに目標脈拍数目安表なるものが貼ってある。

65歳以上の脈拍目安

・100以上: 40% さあこれからだ

・110以上: 50% 少し汗が出てきた

・120以上: 60% しんどくなってきた

・125以上: 70% 脂肪が燃えてるぞ

・135以上 :80%  体力UP

・145以上 :90% ヘトヘト

・155以上 :100% もうダメ

先週木曜日、時速8.3Km/Hで走った後の私の最高心拍数は131、まだ76%。

もっと頑張れるのかも、でも最近脈拍数を上げると胸が苦しくなって、ついつい速度を落とす。

血管にコレステロールが詰まって石灰化しているせいかも ???

阿豆枳島(あずきじま)神社

寒霞渓ロープウェイの山頂駅を降りて三笠山へ道を辿ると、阿豆枳島(あずきじま)神社拝殿参道の石碑が見え、白い鳥居が青空に映えて神々しい。

Dsc01890

鳥居を見ると心がさわぐ。

鳥居をくぐり、急な斜面を登るとまたも鳥居さん↓

Dsc01892

これもくぐってしばらく行けど、神社らしきものはない。「三笠山山頂へ1.8Km」の標識があるだけ。

待てよ!この三笠山が御神体で本殿はないのか・・・と勝手に判断して山を下りた。

後でやっぱり山頂に拝殿があることを知った。残念! またこの次にチャンスがあれば・・・・。

二十四の瞳映画村

小豆島へは何度も来たけれど、映画村ははじめて。

二十四の瞳映画村は、1954年と1987年の2度にわたり映画化されたご存知、壺井 栄氏の小説「二十四の瞳」をテーマとする施設群。

岬の分教場の校舎には「苗羽 尋常高等小学校田浦分校」の看板がかかる。

Dsc01909

校舎の中は、↓

Dsc01912_2

子供の頃、良く描いた懐かしい電灯があった。↓

Dsc01911_2

ここで、今NHKの大河ドラマ「八重の桜」で脚光を浴びる会津若松藩の「什の掟」に似た道徳も教えられていたのだろうか?

一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ

一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ

一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ

一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ

一、弱い者をいぢめてはなりませぬ

一、戸外で物を食べてはなりませぬ

一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ

ならぬことはならぬものです

この掟、7番目を除いて現代にも非常に有効だと思うのだが。いかが?

「ならぬことはならぬものです」は実に良い。

血圧測定

昨日NHKで放映された「ためしてガッテン!」、テーマは「見逃し高血圧で脳卒中 血圧に潜む落とし穴」。

誰もが家庭で行っている血圧測定、そのやり方に問題有り!と警告する。

毎日ほぼ同じ時刻に測定していたAさん、記録を見る限り正常血圧、町医者でも「大丈夫ですよ」といわれる範囲。

ところがそのAさん、脳梗塞で倒れた。専門医曰く、高血圧が原因ですね、と。

一体何故???が今回のテーマ。

要は測定の仕方に問題有り・・・と専門医は指摘する。

結論から言うと、両手・両足を同時に測定するのが理想的な測定法。

足の測定は市販の血圧計では測れない。で、一般家庭では2台の血圧計で右腕、左腕を同時に測るのが理想、でも2台も血圧計を買うのは馬鹿らしい。

そこで、一台で右(左)を測り、一呼吸置いて左(右)を測る。

左右の血圧が正常値で、なおかつその差が10%以内だと正常と言う訳。

私もジョギング前とその直後と、ジョギング後落ち着いてから測ってみた。

Photo

ジョギング前の最高血圧は130以下で正常、差は5で124×10%=12.4以内だから○、最低血圧差は7で65×10%=6.5だから×。

ジョギング直後の最高血圧は異常、差は12で、160×10%=16以内だから○、最低血圧差は10で75×10%=7.5だから×。

ジョギング後落ち着いてからの最高血圧は130でギリギリセーフ、差は無しで○、最低血圧差は7で71×10%=7.1で○。

この結果ってどうなの???

二十四の瞳天満宮

二十四の瞳映画村の中にも神社があるとは知らなんだ。

ずばり、「二十四の瞳天満宮」

Dsc01916

Dsc01904

平成3年御社殿を創建し、九州大宰府天満宮より、御祭神菅原道真公の御分霊を勧請す。同年6月9日の浄暗のうちに遷座祭を斎行し二十四の瞳映画村鎮守の神様としてお祀す。

初出

1月7日は明石の会社の初出。

毎年の恒例行事、魚住にある住吉神社へ商売繁盛と安全祈願のお祓いに行く。

Dsc06185

ここ数年、会社業績が厳しい厳しいと言いながらも乗り切ってこられたのも、神頼みのおかげ。

人間なかなか毎年の恒例行事をやめるのは難しい。

特に神様や仏様に関する行事は猶更。

今年も社員全員が安全でつつがなく一年過ごせますように・・・と。

Dsc06179

↓ 会社内の神棚へお祀り

2013_3

水木の「荒神社」

江戸時代中期の明細帳にも記されており、創建は更にさかのぼると言われている。

現在の社殿は昭和58年8月に改築されたものである。この神社の境内にはかって立派な茅葺の舞台があり、祭日には里人によって芝居や踊り等が催された。まが境内には土俵が作られ、若者達の相撲が行われもした。

舞台は昭和30年の台風で倒壊し今はない。社殿の周囲には「足の神」「五神列記」の石坂、山の神の遥拝所が祀られている。

Dsc01785

Dsc01781_2

立派な茅葺の舞台があったとは想像もできないくらい境内は荒れていた。

オストラキシモス

写真はオリーブ記念館前のイベント広場にあるモニュメント。

古代ギリシャのオストラキシモス(陶片追放)に使用された投票片をモチーフにしてあるとか。

Dsc01704

市民の投票で、公職に就く人を選んだり、ふさわしくない人を追放したり、また裁判で陪審員が投票する際に用いたもので、中央の心棒があれば「無罪」なければ「有罪」を示す。

このモニュメントの投票片には心棒があり、罪のないことをあらわし、平和の島小豆島にふさわしいモニュメントだそうな。

なんか、危なっかしい投票制度ではある。

Dsc01795

オリーブ発祥の地

オリーブと言えば小豆島。

碑に曰く、

明治41年、香川県は農商務省指定オリーブ栽培試験の委託を受け、この地にオリーブを栽埴、水野邦次郎他地元民の協力により、幸いにこれが成功をみ、我が国オリーブ発祥の地となる。以後、官民一体の努力が実り、オリーブは香川県の県花・県木に選ばれた。

Dsc01747

オリーブ記念館の売店にはオリーブづくし、オリーブソフトクリーム、オリーブ茶、オリーブケーキ等々。

Dsc01685_2


Dsc01686

Dsc01702

最近ではオリーブハマチやオリーブ牛も有名になった。

ギリシャ風車

小豆島には異国情緒がある。その一つがこの風車。
Dsc01706
小豆島と姉妹島提携を結ぶギリシャ、ミロス島との友好の証しとして、平成4年に建設された。

Dsc01719

Dsc01740

↓もうひとつの異国情緒 

Dsc01692_2

後楽園

ここ香川で後楽園と言えば岡山の・・・と言う事になるが、東京にも後楽園はあるらしい。

それで岡山の後楽園は正式には「岡山後楽園」と言うそうな。日本三名園のひとつ。

岡山藩主、池田綱政の命で1687年に築庭が始まり1700年に完成した。

1919年に岡山県に譲渡され、一般開放された。広さは13.3千㎡で東京ドームの約3倍ある。

↓ 唯心山より沢の池を望む

Dsc06099

↓結婚式の前撮り?に出くわした。この日は晴天で風もなく、良きかな・・・。

Dsc06106

↓後楽園内から岡山城を望む

Dsc06162

後楽園内に神社がある事をはじめて知った。

↓残念ながら、由加神社の名前しか分らない。

Dsc06110

↓???神社

Dsc06130

↓???神社

Dsc06132_2

↓まだ紅葉が残っている??? 近づいてみると数珠なりの柿の実だった。

Dsc06159_2

↓ 後楽園に鶴がいるとは知らなかった。

Dsc06168

くら寿司

本当に久しぶりに回転寿司店に行った。  くら寿司東岡山店。

回転寿司のシステムは人件費削減と売上UPをねらって、大きく変化、進化していた。

まず、お醤油皿が置いてない、醤油さしから直接にぎり寿司に振りかける。

次にお茶、前はティーバックだったのに、今は粉茶。

お湯は以前と同じく給湯口から何杯でも注げる。

ワサビは寿司についてない、お客が好みに応じてつけて食べる。

↓ 右からお醤油さし、粉茶、ワサビ、湯のみ、手前の青いベルトはお椀の封印用。

Dsc06080

↓ 回転している皿を取るのは以前と同じだが、寿司の乾きを少しでも遅らせるのと見た目の清潔感をアピールするためプラスティクの蓋がしてある。

この蓋、皿を取るとパカッと開いて皿がスムースに取れる。誰が考えたのかテコを利用したうまい仕掛け。

Dsc06076

回転している寿司を取るのが普通の食べ方、加えてディスプレー付きのタッチパネルでも注文できる。

Dsc06079

注文品は回転寿司とは別のリニアー新幹線みたいな高速ライン???で運ばれてくる。

赤だしを頼んでみた。青いベルトで封印さてたお椀が、リニアーラインで運ばれて来て、到着の合図が鳴る。受け取りの押しボタンを押すと合図が鳴り止む。

↓ 究極は食べた皿をテーブル横の投入口に入れると、枚数のカウントと、

Dsc06077

5枚毎に抽選でおまけが出てくる仕組み、子供には大受けだ。ガチャポンまがいの玉が出てきて、その中にゼンマイ式の動く寿司おもちゃが入っている。

Dsc06082_2

うちの孫は大喜び。

娘曰く、このシステムは実に良くできている、食べた皿のカウント数が表示されるので、後1皿食べたら抽選権があると思えば食べるだろうと・・・。

実にそのとおり。商売上手極まりない。

小豆島ラーメン

小豆島に旨いラーメン店があると言う。小豆島製麺所が経営する小豆島ラーメン。

Dsc02036

正月ともあって長い列ができていた。腹もへって今更他の店に行く気にもならぬ。

待つこと約40分、やっと呼んでくれた。

↓ メニューはHISHIOお正月限定『生醤油ラーメン』・・・これしかない。

Dsc02040

なかなか旨いラーメン、麺はソーメンのように細く、濃厚なダシに良く合う。

替え玉無料と書いてある。ラーメン店で替え玉タダとは太っ腹だ。

子供達が替え玉を頼んだ。

替え玉はどんぶりに入れられ、ネギと海苔とチャーシューも添えられている。

これで汁が入ればまるまる2杯分注文したのと同じ。

小豆島へ行ったら是非寄ってみたらどうでしょう。

こんぴらさん

1月4日、かみさんと次男を連れてこんぴらさんへ。

正月も4日目、参拝客も少なかろうと思っていたが、意外に人が多い。

普段はガラガラの駐車場もいっぱい、それに一回千円と正月料金。

駐車するのにその値段を払う価値が今日はあるか・・・と判断したが、少々馬鹿らしい気もする。

Dsc06064

本殿で、いつもの朱印帳を取り出して書いて下さいと言ったら、封筒に入った朱印済みの紙を出し、今日はこれなんです・・・と言われた。

せっかく朱印帳を持ってきたのに、この場で書いてくれないのか・・・と何か物足りぬ。結局パス。

↓本殿から見た飯野山、今日はすっきりしてクッキリ。

Dsc06065

Dsc06060

寒霞渓

小豆島は瀬戸内海では淡路島の次に大きな島で、古生代(約2億年以前)の堆積岩や花崗岩、海成堆積層、火山噴出岩類からできている。

基盤の大部分が花崗岩で、その上に広く分布しているのが火成砕屑岩と溶岩類。

寒霞渓は、集塊岩の浸食が著しく、奇岩,怪石の絶景が見られる場所なのだ。

寒霞渓の頂上までロープウェイがついている。こううん駅(紅雲亭)がその乗り場だが、運動不足を少しでも解消しようと、行きは歩いて山頂駅まで行くことにした。道程約1.8Km。

その山道に表12景と呼ばれる景勝地がある。寒霞渓へ過去何回か訪れたが、こんな道があるとは知らなんだ。

12景とは、通天窓、紅雲亭、錦屏風、老杉洞、蟾蜍岩(せんじょがん)、玉筍峰(ぎょくじゅんぽう)、画帖石、層雲檀、荷葉岳、烏帽子岩、女蘿壁(じょらへき)、四望頂。

↓錦屏風橋

Dsc01841

Dsc01836

Dsc01837_5

Dsc01854_3

↓老杉洞のあたりで野生の猿を発見、落ち葉の中から木の実を捜していた。

Dsc01848

↓玉筍峰(ぎょくじゅんぽう)

Dsc01858

↓画帖石

Dsc01861_2

↓層雲檀

Dsc01866

↓荷葉岳

Dsc01873_4

↓ 烏帽子岩

Dsc01881

Dsc01884_2

↑ 登ること約1時間、やっと山頂駅に着きました。

三角点

「美しの原大観峰」に四方指と呼ばれる場所があって、そこに三等三角点「前ノ田」がある。

Dsc01991_2

三角点について学校で教わったが、正確にはどんな役割をするのか忘れてしまった。それで調べてみた。

三角点とは、三角測量を行う時に地表に埋定された基準点の事。しからば三角測量とは???

地図を作成するための計測を行う時に使う測量法のひとつ。

即ち、三角形の一辺の距離と二角の角度を知ることにより、他の二辺の距離を計算で求める方法。

三角点には一等から四等まであって、ランク付けみたいに思うがそうではない。

一等は45Km間隔で設置されているが、二等は8Km、三等は4Km、四等は2Km間隔で設置されている。

即ち四等の方が一等より精度が良くなると言う事だ。

内海八幡神社 2013年初詣

今年の初詣は小豆島の内海(うちのみ)八幡神社。家族7人で詣でた。

Dsc01943

Dsc01945

Dsc01949

家族が安全でありますように、世界が平和でありますように、戦争がなくなりますように・・・

と祈る。

四方指からおさるの国(銚子渓自然動物園)を過ぎ、下り道を大きくカーブしたとたん、猿たちの群れに出くわした。

小豆島には野生の猿が多いと聞いたが、なるほどね。

普段は動物園のオリ越しでしか見ない猿達がこうも身近にいるのは何とも不思議な感じだ。

そう言えばお寺でも「猿がいたずらするので戸はきちんと閉めて下さい」の看板があった。

Dsc02019

スピードを落とすと猿達が近づいて来る。食べ物をねだりに来たに違いない。

轢き殺さないかとノロノロ運転で通過。やれやれ!

Dsc02022

小豆島大観音佛歯寺

小豆島にも大観音があると聞いて行ってみた。

土庄港へ続く県道26号線を走ると、観音様が見えて来る。寒空に凛とそびえる白いお姿は実に神々しい。

Dsc02023

小豆島大観音佛歯寺はスリランカの仏教聖地、キャンディに位置する佛歯寺(ダラダー・マーリガーワ寺院)から1985年に釈迦の犬歯を寄贈されたのをきっかけに1994年竣工、1995年公開された。

大観音像の高さは明らかにされていないが、約68mと推測されている。

正月4日まで拝観料無料と書いてある。ラッキーだ。

最上階でエレベータを降り、胎内仏が所狭しと並ぶらせん階段を上りつめると、6畳間くらいの狭い釈迦殿に入る。そこには、ご本尊の釈迦像が鎮座されていた。展望室にもなっていてそこから瀬戸内海の美しい風景が望める。

展望室が観音様のどのへんにあるのか、中にいる間は分らない、冠の中か?

降りるときはエレベータに乗らず、寄贈された胎内仏が上下3段にらせん状に並ぶ階段を使った。

一体この胎内仏、何体あるのか?一階まで続いているのだろうか?の疑問がエレベータを使わなかった理由。

胎内仏は約1万体、一階までずらりと並んでいた。

Dsc02025

展望室は?

首飾りのあるところだと外へ出てはじめて分った。

なかなか見ごたえのある大観音でした。

エンジェルロード~天使の散歩道~

引き潮の時のみ歩ける道が小豆島にある。エンジェルロードと呼ばれるそうな。

小豆島へは、春の「小豆島オリーブマラソン全国大会」や秋の「瀬戸内海タートルフルマラソン大会」参加のため、何回も行ったことがある。

でも観光で来たのははじめて。こんなロマンチックな名前のついた道があると知らなんだ。

Dsc02033

Dsc02034_2

エンジェルロードとは、弁天島(写真左端)から中余島、小余島、大余島へと続く、一日2回の引き潮の時のみ渡れる約500mの砂浜の道。

普段は海によって隔てられている陸地と島が干潮寺に干上がった海底で繫がる現象をトンボロ現象と呼び、日本では8ケ所しかない。その内2ケ所が、ここ小豆島にあると言うからびっくり。

おまけ・・・エンジェルロードの終点・大余島は島全体が神戸YMCAの私有地のため歩いて行けるのは大余島の手前まで。

Photo

2013年年賀状

2013_2

「2013.doc」をダウンロード

« 2012年12月 | トップページ | 2013年2月 »