Jou光

  • 親父
    彼は子供の時から絵が上手いと、親の欲目で思っている。目の前でさらさら描かれると、ついつい感嘆してしまう。世の中いっぱい絵の上手い人はいるが、この道で飯が食えるのはスポーツ選手と同じで極一部。でもとにかく趣味でも良いから絵を描くことは続けて欲しいと願っている。

春爛漫

  • ぼけの花
    柿茶の里は徳島県美馬郡つるぎ町に位置する。柿の葉の生産農家へ毎年春と秋に行く。春はことさら美しい。桜が咲き乱れ山の木々が新緑に包まれる。澄んだ青空に身も心も洗われる気がする。

アユタヤ遺跡

  • Pict0266
    1491年に建てられた王族の守護寺院。3つの大きな仏塔には、ラーマティボディ2世と父、兄の遺骨が納められています。 寺院ではありますが僧は居住せず、王の礼拝堂として王族の儀式に使用されていました。この寺院もまた、1767年ビルマ軍により破壊され、16mあったという金で覆われた仏像も金を奪われた後、壊されてしまいました。

暁の寺院 タイ

  • Pict0350
    トンブリ王朝時代の守護寺で最高位の寺院とか。きらきらと輝く陶器の破片に覆われた高さ約79mの大仏塔は、ラマ3世により5年がかりで改装された。朝日を浴びた大仏塔の神々しい姿が”暁の寺”の名前の由来。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

  • Pict0201
    セイロンへの留学から戻ってきた僧侶のために、1357年初代王ウー・トーンが建立しました。仏教寺院は瞑想の場として使用されていました。現在も多くの仏教徒が訪れ、週末は観光客でにぎわいます。

水上マーケット

  • Pict0116
    ダムナン・サダックの水上マーケット。その昔、”東洋のベニス”と言われたバンコクでは、日常的商取引には運河が利用されてきた。水上マーケットは、古き良き時代の情緒溢れるバンコクの生活を体感させてくれる。 

2008年7月 タイ王宮

  • Pict0429
    白壁に囲まれた20万㎡の敷地内には、1782年に建設された国王の宮殿、即位式の建物、王室守護寺院のエメラルド仏寺院などチャクリー王朝歴代の王により建造・改築された建物が建ち並んでおり、ラマ8世までは実際にここに住まわてていたとか。

涅槃寺

  • Pict0386
    タイ語で Wat Pho(ワット・ポー)と呼ぶこの寺は、ラマ1世が建立したバンコク最大の境内を持ち、バンコク最古の歴史を持つ寺院。本堂には写真のようなリクライニング・ブッダの愛称で親しまれている寝釈迦仏が横たわる。足の裏には螺細細工でバラモン教における108の宇宙観が表現されていると言う。

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金魚

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2013年2月

早期発見

昨年夏頃より、ジョギングをすると息が上がり歩いてしまう、歩くと楽になり又走る、しんどくなって又歩く・・・の症状が出てきました。

昨年12月の高知安芸マラソンでその症状はピークとなり、沿道で応援してくれる人達を尻目に歩いてしまいました。

何とか10kmを完走しましたが、これは何かおかしい、年が明けたら一度病院へ行ってみようと思いました。

新年の行事も終わり、回生病院の心臓・血管センターを受診したのが123日(水)。前日の22日は丸亀競技場のトレーニングルームで約7Km走った後の話。

血液検査,心臓エコー検査の結果、カテーテル検査をしましょうと言われ、出た結果は、狭心症。心臓に栄養を運ぶ冠動脈が3か所も詰まっていて、一番詰まりのひどい血管を広げステントと呼ばれる金属管を挿入する手術を行いました。

根本的な治療は冠動脈のバイパス手術しかないと言われ、今の状態ではいつ心筋梗塞を起こすかも知れないと言われ、どうしますか?と。手術するなら岡山の病院を紹介するから、そこへ搬送しますから・・・と。

手術するしか選択肢はない。かくして岡山の心臓病センター榊原病院に帰宅も許されないまま救急車で搬送された。

榊原病院での更なる検査の結果、詰まっている個所は全部で7ヶ所、おまけに大動脈弁が逆流していて心臓に大きな負担がかかっていると言う。弁の取替え手術も必要との事で、バイパス手術だけなら心臓を止めずに行うところ弁の取替えもあるので、心臓を止めます・・・と。

心臓を止めて行うリスクを長々と医師が説明しだした時、私は聞く耳を持ち合わせてはいませんでした。覚悟はもうできていました。アトは神と運に任せるしかないと思いました。

 手術は成功し生還しましたが、家内に聞くと8時間にも及ぶ大手術だったそうです。術後一週間は手術や薬の後遺症で臓器不全となり、最悪の状態が続きました。助かるには半々と告げられたそうですが、何とかそれも回復に向かいました。

 今は退院して、リハビリ・療養中です。それにしても普段ジョギングをやっていた私がこんな病になるとは、それこそ想定外で、医者に言わせると走っている時、狭心症の症状が出たら心筋梗塞であの世行きとの事、本当にびっくりしました。

 人間ドックや定期健診で心電図を取りましたが、異常があるとは一度も言われた事がなく、よもや私の心臓がこんなにボロボロだったとは・・・絶句です。

でも専門医に言わせると過去に軽い心筋梗塞を起こした痕跡があるとの事でした。いかに心臓専門医以外の診立てが頼りないかを実感しました。今まで20年以上続けてきた人間ドックの診断は何だったんだろうと思いました。

 そこで皆様も一度専門医で、せめて心電図を診てもらう事をお勧めします。心臓のエコー検査を加えれば完璧です。

 以上、長々と私の病気の事ばかり書きましたが、今回の私の経験を皆様にお伝えして、心臓病の早期発見に役立てばと思った次第です。

院内こぼれ話 【人生の決断】

眠れなくて、痛くて悶々と過ごしたICUで、聞きもれてきた話。

ICUはカーテンだけで仕切られている。だから、医師や看護師の動きや会話、収容された患者のうごめきやうめきや叫び、緊急患者の搬入・搬出、応急処置する物音・・・などなど筒抜け、一日中ザワザワざわざわして落ち着かない。

こちらの病状も悪いのに、そんな気が滅入るような物音や話は聞きたくない。手術前ならなおさらだが、述後だったので聞けたのかも知れない。

緊急入院してきたBさん、どうも出張先の岡山で心臓に異変を来たした。それで、いきなりICUのプリズナー【prisoner】となった。

緊急に手術が必要とか。その手術がかなり難しいらしい。するかしないか「決断」を迫られている様子。

その決断に九州?から家族を呼んでいるらしい。 ここまでのストーリが聞き取れて一時動きは中断。

何時間が経過しただろうか?、また聞こえてきた。どうも家族が到着したらしい。

本人と家族がどこか別室で話し合うのか、行き来する気配。

1時間くらい経っただろうか? 結論が出たのか出ないのか足音の気配がして、その後ピタリと動きが止まり、静かになった。

見知らぬひとりの男が家族と相談して、どんな決断を下したのか?

私も決断を迫られた人生の区切り、その決断過程のほんの一部を垣間見た思いだった。

院内こぼれ話 【上には上が】

入院していると、いろいろな人間模様が見えてくる。

私より2日前に冠動脈バイパス手術したAさん、私と同じく香川県から搬送されて来た。

丸亀在住のAさん、毎日土器川沿いを一万歩は散歩する。

歩いていると心臓が締め付けられるように痛くなり、10分程うずくまっていたそうな。

「これは何か変」と病院へ行く。

ひととおりl検査して、「問題ないと思います、様子見ですかね」と言われた。

でもおかしいと本人は思った。幸いAさんのご子息が医者、相談してみた。

丸亀から一番近い心臓専門医、榊原病院を推薦されたと言う。

手術も無事終わり、今はフロアー内を7千歩以上は歩いている。リハビリもしていて明日退院できると聞く。

驚いたのは、丸亀へ帰ると、胃がんの手術が待っていると言う。

榊原病院へ来る前に、2月7日が手術と決まっていた。

お気の毒と言うか、まぁ~何とも、上には上がいるものである。

闘病日記 2月14日(木)

入院して3週目、手術後2週目。

歳を取ると早く目が覚める・・・と言うのは私には当てはまらない。

入院前の生活で、目覚ましで早く起きる事はあるが、6時前に自然と目が覚める事はなかった。

背中の痛みもあって、夜なかなか寝付けない。1時間くらいうとうとすると目が覚める、またうとうとする、目が覚める・・・の繰り返し。

夜が明ける頃、うとうとしていると、元気良く看護師が「採血しまぁ~す」と入ってくる。

貴重なうとうとタイムは、一瞬にして破られる。

朝の採血も毎日だったのが、今日から一日置きになった。

退屈な一日のメインイベントは、

・6:30 採血

・10:50 胸部レントゲン撮影

・13;00~14:00 リハビリ

・17:40~ 娘、孫見舞い

毎日娘と孫が見舞いに来てくれるのは気の毒に思うが、私には嬉しい。

よくぞ娘が岡山にいてくれたものだ。

今日はバレンタインデー、チョコレートをプレゼントしてくれた。

闘病日記 2月13日(水) リハビリ開始

今日からリハビリが始まった。 ここ榊原病院には立派なリハビリルームと設備が完備されている。1日2回、13時からと15時からのコースがある。

私の許可された行動範囲は病室がある6階フロアー内のみ、リハビリルームのある3階まで自分で行けるが、わざわざセラピストの大塚さんが私の部屋まで迎えに来る。

リハビリルームに入ると、まず血圧測定、運動中の心電図を測るための無線装置装着。

ルームには10人ほど先着者が椅子に座って待っていた。

セラピストの指導で準備運動が始まる。椅子に座ったまま足、肩、腰、首、腕のストレッチを約20分間行う。

次にサイクリング、セラピストが心電図を監視しながら、問題がなければ徐々にペダル負荷を上げていく。この日のMax.負荷は40ワット、初日とて様子見だが、20分もペダルをこいだら薄っすら汗が滲んでいた。

この後、準備運動と同じメニューの運動を行い、血圧測定してリハビリが終わる。

リハビリ約1時間、今日から毎日続く。

闘病日記 2月8日(金)

HCUでの3日間で、病状は大分良くなってきたが、背中は相変わらず痛い。

この日、一般病棟への帰還が承認され、やっと普通の病人になった。

一般病棟に入る都度、看護計画書をくれる。

目標に曰く、「2週間以内に退院する」と。

2週間として2月21日(木)には退院??? 丁度榊原病院へ来て4週目、キリもいいと勝手に決めた。

本当にそうなればいいなぁ~と思いつつ。

闘病日記 2月5日(火)

まだICUにいた。点滴は3本は常、朝夕は貧血気味とかで輸血も加わる。

健康講演会で聞いた「七色のチューブにつながれて・・・・」を正に地でいく有様。

肝臓、胆のうの機能は薬か点滴のおかげか、大分良くなった。

肩甲骨あたりの背痛は相変わらず続いていた。

背痛が内臓から来るものか、それとも筋肉痛なのか分からない。

入院前から最近背中が痛いなぁ~とは思っていたが、就寝中は痛くないから、内蔵から来る痛みではないと決め付けていた。

あまりに背中が痛いので、痛み止めの薬をもらう。医師に聞いても背痛の原因はあいまい。

つらいのはとにかく痛くて寝られない事。命は助かったが試練はまだまだ続く。

午後よりHCUに移るという。良くなっている証か。

闘病日記 2月4日(月)

肝機能障害は投薬で改善に向かう。

尿の出が悪く、透析が必要かも知れないと言われたが、この日になって少量ずつ出ているとの事。

確実に回復に向かっていたが、私は相変わらず死んだほうがましの痛みが続いていた。

加えて24時間ざわつくICUで、寝られない苦痛もあった。

闘病日記 2月3日(日)

手術後3日目、この日は最悪。

とにかくしんどい、、死んだほうがましだと思う程しんどい、身の置き所がない、仰向けに寝ても横向きに寝ても背中が痛い!痛い!いたい。

昨日ICUから一般病棟へ移されたばかりだが、この日またICUへUターン。

私は聞いてないが、家内が主治医に聞いた話では、血圧低下・肝機能障害(薬の副作用???)・胆のう炎の疑い。

胆のう炎だと手術が必要と言われた。

原因は心タンボナーデの疑い。 この時点で助かる確率は五分五分と宣告されたらしい。

心タンポナーデとは、心臓と心臓を覆う心外膜の間に液体が大量に溜まることによって、心臓の拍動が阻害された状態をいい、容易に心不全に移行して死に至るため、早期の手術が必要となる。

その後、CT,心臓エコー検査が行われ、この疑いは否定的で、すぐ手術の必要はないであろうと。

夕方もう一度CT,心臓エコー検査。結果、心タンボナーデの進行はないであろうと。

五分五分と言われた事も知らない私は、CTやエコー検査の度に検査すらしんどいと思いながら横たわっていた。

主治医が見つかる診療所

昨日、テレビ東京の番組で「主治医が見つかる診療所」なる番組が放映された。

血管の病から九死に一生を得た芸能人の証言を通し、血管を破裂させない、詰まらせないためにはどうしたら良いか・・・がテーマ。

脳出血を起こした宮川大助氏、心筋梗塞を起こした今くるよ氏、大動脈弁逆流で弁を取り替えたドン小西氏をゲストに、経験段を聞く番組。

私も体験した内容で身に詰まされた。

特に、私も行った大動脈弁取替え手術に挑んだドン小西氏のケースは、心臓を一時停止させて臨む手術への恐怖、それを乗り越えて決心するまでの心の葛藤、手術前日の床に就くまでの不安等が赤裸々に放映され、大いに共感するものがあった。

所詮は経験してみないと分からない自分との戦いが、切々と読み取れた。

人工心肺装置につないだ後、心臓の動きを徐々に止めていく過程、弁を取替える手術の様子、そして心臓を再稼動させる過程が映し出され、私の麻酔で眠らされている間にどんな手術が行われたか良く分り、改めて大変は手術だった事が分かった。

術前の家族の心配や術中の不安、術後の安堵感なども録画され、私の家族も経験したであろう感情に胸が熱くなった。

ドン小西氏の場合は弁の取替えだけで約3時間の手術だったが、私の場合はそれに加えて7箇所も詰まった冠動脈のバイパス手術もあって8時間を超えたから、執刀医はじめ多くのスタッフはさぞかし大変だったと思う。

本当に生還できて、皆様に感謝・感謝・感謝である。

宮島サービスエリア

山陽自動車道を九州方面に下り、広島県廿日市に入ると「宮島サービスエリア」の看板が見えてくる。

昼近くでもあり、食事を兼ねて寄ることに。

「宮島  」を見下ろす眺望が自慢のこのサービスエリア、園地には、厳島神社の大鳥居を模した大鳥居があった。

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↑この大鳥居、厳島神社の1/3スケールの大きさだとか。

↓遥か彼方の厳島神社に手をあわす。厳島神社の遥拝所の位置づけ?

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↓高速道路の鳥居だけに、鳥居の看板には交通安全、なるほど。

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白鳥神社

九重”夢”大吊橋を渡ると、この神社の案内看板が見えてくる。そこから近いと思いきや、数分は歩くことになる。

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大分県玖珠郡九重町大字田野字中尾山1974番地

御祭神 日本武尊(白鳥様) 品陀和気命(八幡様)

境内社 朝日長者社

由緒 神功皇后三韓征伐に軍功のあった浅井藤彦(アサイ トウゲン)はその功績により、玖珠・速見両郡の領地を賜り、宇佐八幡の神職となり、後に玖珠郡田野に館を構え、欽明天皇の御宇(540~571年)には、近江國 浅井郡より一族の産土神である白鳥大明神を当地に勧請奉り、代々の氏神として尊崇した。

用明天皇の御宇(580~587年)に、17代 浅井 長冶は朝日長者の称号を賜り、一族ますます繁栄し、白鳥大明神の御恵に感謝するとともに、宇佐八幡大神をも合祀し、白鳥神社として末永くおまつりを続けた。

後の人々は、この朝日長者の業績をたたえ、境内にご夫妻をまつる小祠を建て、白鳥神社と併せて尊崇し続けている。

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九重"夢"大吊橋

所在地:大分県玖珠郡九重町大字田野1208番地

主塔間の長さ:390m、高さ:173m、標高:777m、歩道幅員:1.5m、主塔の高さ:43m。

Dsc01093 平成16年6月着工、平成18年10月完成、日本一の人道の大吊橋なんだそうな。

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ど真ん中にこだわる日本人、ここにもその表示があった。

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橋の上からの絶景

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往復500円也、橋を渡っても、そのアトに続く観光地はない、渡って戻るだけの純観光用目的。

長い意味で、本当に町おこしになるのだろうか?と要らぬ心配をしつつ別れを告げた。

関門トンネル

海峡にトンネルや橋はつきもの。関門海峡にもトンネルがある。

↓この橋のすぐ下に関門トンネルが走っている。

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↓この人道のすぐ上に自動車道がある。ここは海面下51m。

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どこにでも走る奴はいる。何もトンネルの中で走らなくても???と思うが・・・・でも雨の日は絶好のコースかも知れない。

↓ 門司まで400m、下関まで380mの県境

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関門トンネルは昭和12年に計画され、戦争による中断があったものの、21年の歳月をかけて昭和33年3月に完成。

海面下約58mにあるトンネルは、人道(海底部780m)と自動車道(3,461.4m)で構成され、昭和48年に開通した関門橋と合わせ、本州と九州を結ぶ大動脈となっている。

海底トンネルのため、絶えず海水がトンネル内にしみ出す、その量一日4,800t・ドラム缶24,000本分。 このため海水が溜らないよう下関,門司側の二か所に水抜き専用の立抗を設け、排水ポンプでくみ上げている。勿論停電に備えて一般家庭1000軒分をまかなえる自家発電設備がある。

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↓ 人道入口 門司側  下関側に比べ、えらくひっそりしていた。

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和布刈神社

和布刈神社と聞いて松本清張の推理小説を思い出した。どんな小説だったかは覚えていないが・・・。

和布刈神事で有名、そのわかめを奈良時代から朝廷に献上していたとの記録がある。

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和布刈神事は毎年旧暦の大晦日の深夜から元旦にかけての干潮時に行われ、三人の神職がそれぞれ松明、手桶、鎌を持って海に入り、わかめを刈り取って神前に供える。

神事当日、神職の者がその用意をしていると、海翁と海士女が神前に参り「海底の波風の荒い時でも、和布刈の御神事の時には竜神が平坦な海路をおつくりなさるから出来る」と神徳をたたえて立ち去った。

やがて竜女が現われて舞い、沖から竜神も現れて波を退け、海底は穏やかになった。神主が海に入って和布を刈り終ると波は元の如くなり、竜神は竜宮に飛んで入る。

以上、謡曲「和布刈」と和布刈神事より。

↓ここで、わかめを刈るのか。

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手術

手術は1月31日(木)と決まった。

1月24日に坂出から搬送されてきたから丁度1週間後、手術まで長い。

でもその間、手術に必要ないろいろな検査を行う。これを待機手術と言うらしい。

待機手術の安全性は98~99%、救急車で運ばれすぐ手術する緊急手術は80%以上。

98~99%安全と言われても、絶対生還できると限らない、後は神様と運に任せるのみと、もう覚悟はできていた。

手術以外に選択肢はないのだから。

バイパスに使う血管は両足の静脈を使う。

静脈は体の奥にも走っているから皮膚表面の静脈を切り取っても大丈夫なんだそうな。

人間の体って良くできている。だから静脈瘤の手術はその静脈を焼き切ることで終わる。

大動脈弁は人工弁に置換するが、この人工弁に機械弁と生体弁(牛の心膜を利用したもの)の2種があり、私は生体弁の使用を選んだ。

手術は8時間以上かかると言う。

私は麻酔で眠らされ何も分からないが、その術中に待機する家内や娘の心情を思うと心穏やかではない。

狭心症 その2

ジョギングが趣味のこの私に、まさか心臓病が巣くっていたとは、それこそ想定外。

走っている時に症状が出て、心筋梗塞で死んでいてもおかしくないと言う、運の強さと言うか、まだ生かされているんだと言う思いが込上げる。

心臓病センター榊原病院での診断結果は、狭心症+大動脈弁逆流症(重症)。

7箇所も冠動脈が狭くなっている、50%詰りが3箇所、75%詰りが2箇所、90%詰り1箇所,99%詰り1箇所。

回生病院で応急処置として、99%詰まっている所に血管を膨らませた後ステントと呼ばれる金属の筒を入れた。

根本的な治療はバイパス手術しかない。

もうひとつ厄介な症状は”大動脈弁逆流症”、弁の機能が悪く送り出した血液が心臓へ逆流していると言う。だからその分効率が悪く心臓に負担がかかっている。

バイパス手術だけだと心臓の動きを止めずに行う「低侵襲手術」となるが、私の場合は大動脈弁を人工弁に取り替える手術も行うので、心臓を止めて「人工心肺装置」を使った手術になる。

立石稲荷大明神

国道9号線にへばりつくように山に向かって鎮座まします大明神。

向こう側の上り口には歩道がなく、反対側の歩道から渡るしかない。横断歩道があって、押しボタン式の信号機がある。

信号機でもないと、交通量が多く、とても渡れない。

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この神社、平家一門が都から下ってきた時に、京都伏見稲荷の分霊を祀ったと言われる。

国道9号線をはさんですぐ海が広がっており、神社正面の海の中に、注連縄をつけた岩【烏帽子岩(立石)】がこのお稲荷さんのご神体と言われている。

毎年12月10日には「しめなわ祭り」が行われ、赤間神宮の宮司らが、船から岩に登り大注連縄を張り替えて祈祷を行うそう。

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ご神体の烏帽子岩とは後から知った。で、ネットから無断借用しました。ごめんなさい。

Photo

このしめ縄、波にさらわれないの?

関門海峡 冬景色

火の山山頂から見る関門海峡は、瀬戸内海の穏やかな海がキラキラ光ってきれい。

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行き交う船もまた旅人なり。

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下関戦争(馬関戦争)の舞台ともなった、海峡の下関側には砲台が並ぶ。

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空砲のサービス付き。

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西へ東へと一日四回その流れの向きを変える関門海峡、

狭い所では700mあまり、潮流は最高10ノット(時速18km)にもなる。

瀬戸内海の入り口に位置する地理的条件から、今も昔も交通の要所で、日本の歴史の節目を刻む舞台ともなっている。

ご存知、平家と源氏の壇之浦の合戦は有名なり。

当時数え八歳の安徳天皇が入水、平知盛も後を追って海峡に身を投じ平家一門が滅亡した。これにより、貴族政治から武家政治へと移行した。

日本の歴史を刻む場所に立ち、感慨深いものがこみ上げる。

神楽の舞

高舞台の神楽の舞。

ちょうどこの日は結婚式があって神楽の舞を遠目だが見物できた。

結婚式には舞が付いていて、居合わせた観光客は舞がタダで見れるラッキーチャンス。

ガイドによると普通の日でも10万円出せば、舞ってくれると言う。

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神楽(かぐら)は、日本の神道の神事において神に奉納するため奏される歌舞・・・だそうな。

厳島神社

いよいよ目的地、厳島神社参拝。 安芸国 一の宮 世界文化遺産の神社。

一方通行でお願いします・・・と書かれてある。

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参拝入り口から国宝である廻廊を歩く。この廻廊の床板には透き間があり高潮時に波の浮力をやわらげたり、床に上がった海水を抜く。

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↓宮島のシンボル、海の中の大鳥居

現在の大鳥居は平安時代から数えて8代目にあたり、明治8年7月再建。高さ16m、棟の長さ24m。社殿から向かって左側の主柱は香川県の楠が使われていると言う。ちなみに右側は宮崎県。ここにも香川県とゆかりがあるんだ!

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↓現地ガイドお薦めの撮影スポット

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この神殿、地球の上に置いているだけ、地面に杭を打ってその上に建っているのではない・・・言われてみれば、へぇ~・・・

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↓ついつい海の中の鳥居さんへ目が向くが、本殿は反対側。

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団体旅行、しかも現地ガイド付きなので、朱印帳を書いてもらう余裕がない?と諦めかけた時、同趣味の仲間が、今ならすぐ書いてもらえる、とアドバイスをくれた。

↓通行不可の”反橋”  重要文化財 

御鎮座際など重要な祭事に当たり、勅使あるいは上卿職が参向した折に、橋の中央に階段のようなものを設けて渡った橋、勅使橋とも言う。

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↓反橋を過ぎると出口、長い参拝道からやっと抜けた。

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千畳閣(豊国神社)

五重塔のすぐ隣にある千畳閣、ここも今回初めて存在を知った。

天正十五年(1587年)、豊臣秀吉公が安国寺恵瓊に命じて建立したもので、俗に「千畳閣」と言われる。

桃山時代の豪放なもので秀吉の気風を良く現した建物だが、途中で秀吉が逝去した為、未完成のまま。

千畳閣は元来、大経堂(読経所)として建てられたもので仏像を安置してあったが、明治初年、神仏分離の際、仏像は大願寺に移し、秀吉公を祀って豊国神社と称した。

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↓内部

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たたみ、千畳分とはさすがに広い。

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↓千畳閣の中に秀吉を祀った豊国神社がある。

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五重の塔

宮島に行った事がある人に聞きたい。

厳島神社のすぐ傍に五重塔がある事をご存知だろうか。

かく云う私も、宮島には何回か来たことがあるが、五重塔があることを今回初めて知った。

現地ガイド曰く、お客さんから「あの五重の塔、いつできたのですか?」と良く聞かれますよ、と。

それほど、観光客の目には朱塗りの厳島神社に圧倒されて、同じ色の塔には目がいかないものかも。

あんなに高くそびえ建っているのに・・・と今更ながら反省。

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重要文化財、高さ27.6m、応永14年(1407年)に建立されたものと伝えられている。

和様と唐様を巧みに調和させた建築様式で、桧皮葺の屋根と朱塗りの柱や垂木のコントラストが美しい塔。

内部は一般の見学はできませんが、

完全な唐様で、内陣天井に龍、外陣天井には葡萄唐草、来迎壁の表には蓮池、裏には白衣観音像などが極彩色で描かれています。塔内にあった仏像は、明治元年の神仏分離令により、大願寺に遷されました。またこの五重塔が建つ塔の岡は、厳島合戦で陶軍が陣を構えたと伝えられています。(宮島観光HPより)

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↓厳島神社から見た五重塔

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幸神社

宮島上陸で早速見つけた神社 「幸神社」

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かっては疫病の神・牛王が祀られ、社殿の背後には陰陽石があり道祖神のご神体といわれ、道祖神社とも呼ばれていた。

神社前の通りは東町から厳島神社に参詣する道筋に当たり未完の「金鳥居」があり、この辺りは島内でも屈指の賑わいを見せ、1800年代初めごろから神社の名前も幸神社と呼ばれるようになって、町の名も「牛王町」から「幸町」に変わった。

幸町の住民は疫病封じや火難・水難の神、子宝の神、日々の幸をもたらす神として大切に祭っている。

宮島の中央部にある標高535 mの山を弥山(みせん)と言い、古くからの信仰の対象になっている。

神の島の位置付けか、宮島の住民はこの島で葬式を出せないし、お墓は島の外に造らねばならぬらしい。

金刀比羅神社 in 宮島

宮島にもありました、金刀比羅神社

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御由緒、御鎮座の年月不詳

大正四年に留守口恵比須神社を昭和三十八年に大願寺鎮守住吉神社をそれぞれ合祀した・・・とある。

こんぴらさんって何処にでもある。すごいなぁ~。

宮島の鹿

宮島には鹿がいる。奈良にもいるが・・・。

↓餌をねだっているのか?観光客に近づく鹿。

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観光客の皆様へお願い の看板

宮島の鹿は野生動物です。優しく見守りましょう。

●いじめない、触らない

●食べ物を与えない

●ゴミを捨てない

人から餌をもらう事に鹿が馴れ、次第に餌を求めて市街地に下りてきた。餌の匂いからゴミをあさってビニールなどを食べてしまい、胃の中に堆積して長生きできなくなっているそうだ。

それで廿日市市では鹿を自然に戻す試みを行っている。

なるほど、ごもっとも。

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常識

世の常識を皆が知っていると問題はないが、知らない人にとっては失礼な場合がある。

私も知らなかったから、そう偉そうには言えない常識の一例がある。

それは香典返しを貰った時に、お礼を言う必要はないと言う常識。

そんな常識を知らない会社勤めの時、香典返しをくれた人に、わざわざお礼をしに行ったものだ。

「香典返しにお礼をするのは非常識」と聞いた時は目からうろこだった。

でも良く調べると、郵送などでお返しをもらった時は、確かに届いたということで「たしかに頂戴いたしました。お心遣い、いたみいります」というような言い回しで先方に連絡するものだそうです。

なるほどその方が、全く届いたことを言わないより、相手に優しいかな~と思う。

ノック

ドアを開ける時、ノックする。

ホテルのドア,トイレのドア,病院の部屋等々、中にいる人に合図を送るため、中に人がいるか確認のため。

何回ノックする?なんて考えた事もなかったが、家内からトイレは普通2回と聞く。

トイレ外は3回以上するのが常識なんだそう。 えっ~、そうなの?

今入院中の病院、幸い個室、ノックの数が気になってきた。

2回の人,3回の人,それ以上の人、まちまちだ。

それで調べてみたら、これまた書いてある事がまちまち。

その中のある一説。

日本では2回が一般的だが、これは日本だけで、「ノック」には回数で意味が違う。

1、2回……トイレノック。トイレに人が入っているときはこれ。

2、3回……プライベートノック。恋人や夫婦の部屋に入る前にはこちら

3、4回……正式ノック。仕事や人の家を訪ねたとき

公式な場所や海外では4回ノックが正しいと。

この他にもトイレ以外は、2回叩いて1拍休み、また2回叩くのが良いとの説もある。

トイレは2回が常識らしい事は分かった。

ノックひとつにも調べるといろいろ説がある・・・こんな日常的な常識でさえすべて知るのは不可能、奥が深い・・・と言うべきか?

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