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1月31日、心臓手術をした。勿論全身麻酔だ。
麻酔がかかってから目覚めるまでの約8時間、全く記憶はない。
もし、止めた心臓が動かなければ、そのままあっちへ行ったかも知れない。何も分らないままに。
この麻酔中の時間、私は死んでいたんじゃないかと思う。
これは死の体験だろうか?
それとも本当に死んだ時は麻酔中であろうと、幽体離脱が起こり、お花畑があって先に逝った父母が迎えに来て・・・あぁ~私は死んだんだと分るのだろうか?
死ぬのはこわい・・・と若い時から思っていた。
でも考えてみると脳と言うハードがあるから、脳が「こわい」と思うのではないか。
そのハードの脳が機能しなくなったら、怖いとは思いようがないのではないか。
だから死ぬのは怖くないと、今回の経験を経て思い始めた。
麻酔中、私の脳は機能してなかった、だから死んでいたと同じ・・・と考えるのは変???
心臓手術後の経過観察で「心臓に水が貯まっている」と言われた。
抜けないようだと、また水抜きの手術をすることになる。
またメスで胸を開けるのはイヤ! 嫌だ!嫌。
取り敢えず退院してもらって2週間後もう一度検査しましょう・・・と。
3月4日がその日、どうか水が減ってますように・・・手術しましょうと言われないように・・・と祈るばかり。
心臓レントゲン検査、CT検査、血液検査の結果は?
減ってもないけど増えてもいないと言う結果。
医師曰く、もう2週間様子を見ましょう・・・と。
3月18日が2週間目、結果は同じ。減ってもないが増えてもいない。
どうして水が貯まるのか?原因は3つ。
手術後の自然経過か?心膜炎を起こしているのか?または心不全のためか?
■ 手術後の自然経過というのは、手術操作で心膜を開くという外科的侵襲のために炎症が起こる。これは手術直後からみられ、時間が経てば治るとある。
これなら安心。
■ 心膜炎というのは、心臓手術後に起きるもので、数週間たってから起こる。原因は良く分からないが、自己免疫説や、ウイルスなどの感染説がある。
時間が経てば自然に治癒する・・・とあり、これも安心。
■ 心不全というのは、心臓が弱った状態を意味し、心筋梗塞が広い範囲に起こっていたために、心臓の働きが損なわれてしまったと考えられる場合。これだと、治療には難儀します・・・とある。
私は心筋梗塞は起してないから「心不全」は当てはまらないだろうと勝手に思う。
アト一か月、様子を見ましょう・・・と言ってくれた。やれやれ良かった・良かったと思う。
ちなみに「心臓に水が貯まる」というのは正確な表現ではない。
心臓は薄い膜(=心膜)でつつまれており、その心膜と心臓とは本来ほとんど隙間はないが、病的な状態ではその隙間に水分が貯留することがあり、これを「心臓に水が貯まる」と言っているのであって、心臓の中に水が貯まるのではない。
きびじつるの里はタンチョウの保護と繁殖を目的に、平成15年7月1日に隣接する国民宿舎「サンロード吉備路」と一体の施設として同時オープンした。
ツルにはマナヅル,ナベヅル,クロヅル等、世界に15種類いるらしいが、タンチョウだけが「タンチョウヅル」とは言わず、単に「タンチョウ」と呼ばれる・・・と言うのも面白い。
漢字で書くと「丹頂」・・・”丹”は赤い,”頂”はてっぺんを意味する。
↓ 宿舎の中庭にもツガイの丹頂のレプリカを置いている。
↓ 宿舎から見たきびじつるの里の全景、約3haの敷地面積がある。
↓ こちらは本物のタンチョウ
岡山県と丹頂の縁は昭和48年に1羽が飛来してきたことによる。岡山市と総社市が市のシンボルとしてタンチョウを市の鳥として制定している。
のどかな田園風景が広がる田んぼのど真ん中を国道429号線が割って走る。
その国道沿いに切妻屋根が15,6棟つながった こじゃれた建物が見えて来る。
そこが今回の湯治の宿泊所、サンロード吉備路だ。
岡山県総社市にあるこの宿泊所周辺は、かって「古代吉備王国」の中心地だったらしい。
この王国は、弥生時代末期から古墳時代の5~6世紀にかけて繁栄し、大和・出雲と並ぶ強大な勢力を誇っていたと言う。
近辺には古代吉備の繫栄を物語る多くの文化遺産が点在する。
都会と違い土地はたっぷりあるから、宿泊客の人数を稼ぐに建屋を高くする必要はない。
そう言えばアメリカの田舎で見たホテルも、平屋かせいぜい2階建だった。
宿泊客は3階の和室か2階の洋室に振り分けられ、1,2階部分はロビーや温泉,レストラン,産直市が占拠する造り。
↓ 産直市、その名も「サン直広場」
↓2階より1階のロビーを見る
心臓手術後、湯治へ行こうと家内が計画してくれた。
術後だけに榊原病院から近いところと決めて、吉備路にある国民宿舎に逗留する事にした。
坂出北インターから瀬戸大橋に乗る。
ゆっくりした旅とて、久しぶりに与島SAに寄ってみた。
瀬戸大橋が開通した25年前は山の賑わいだったが、今は閑散としている。
第2パーキングもあったが閉鎖された。
パーキングエリア周辺に遊歩道がある。ぐるっと一周できるのか?とリハビリを兼ねて歩くことにした。
↓巨大な橋げたを見上げる。
しばらく歩くと与島の住民エリアに出てしまった。こんな所を歩けるなんて思いもしなかった。
↓ここから見上げる与島SAに降りてくるループ橋は圧巻。
結局、一周は出来なかった。
戻った来た所は与島SAのバス停、遊歩道と思っていたが、与島の住民がここからバスに乗るアクセス通路だった。
↓与島から見る瀬戸大橋はまた違って見えた。
ずっと遠くに飯野山が見える。
坂出のすぐ対岸にある児島、車でもJRでも通過点に過ぎない町。
ここに、こんな見ごたえのある国指定の重要文化財があるとは知らなかった。
野崎家は、製塩業と入浜式塩田開発で財をなした野崎武左衛門がその気宇(度量)に合わせて天保から嘉永年間に次々と築いていった民家。
敷地面積は約3,000坪(約1万㎡)、建物延床面積は1,000坪近くもある。武左衛門の全盛期に次々と建てられたこの建物は、創建当時の建築技術の粋をこらしたもので、独特な平面の主屋、意匠に優れた表書院など庭園と共にそのまま今日に伝えられており、雄大な規模を有する当時の大事業家の居宅として貴重。
↓正面玄関
↓ 野崎家平面図
↓玄関から入るとすぐ右側に倉が建ち並ぶ。
とにかく部屋でも庭でも玄関,台所,便所に至るまでスケールが違う。
こんな広い屋敷に一体何人の下男・下女を引き連れて住んでいたのだろうか。
今でもジーパンと呼ばれるが、一般にはジーンズ(JEANS)と言うらしい。
ジーパンは、敗戦後の占領下、アメリカ軍の軍人(俗称GI)が履いていたパンツだったから「Gパン」と呼ぶようになったという説や、ジーンズを日本に紹介した人物が、ジーン (jean) のパンツの意味で「Jパン」と名づけようとしたが、元の発音に近い「Gパン」を代用したという説、「ジーン生地のパンツ」を略して「ジーパン」となり、「ジー」に「G」を当てて「Gパン」となった説もあるとか。
JR児島駅の前で「ジーパンカーを見つけた。
世界一の塩田王”野﨑武左衛門”の野崎家旧宅付近に桃太郎ジーンズのお店が並ぶがそこのお店の車かも知れない。
13時から始まるリハビリは約1時間で終わる。
病室へ帰る途中、2階のホールで講演会や講習会が開かれている時がある。
暇つぶしにうってつけ。
2月16日、この日はAEDの使い方講習会。心臓病センター榊原病院にピッタリのテーマだ。
AEDとは、自動体外式除細動器(Automated External Defibrillator)の事。
日本におけるAEDの普及は世界一なんだそうな。そう言えば最近、多くの人が集まる施設にはたいてい置いてある。
この日は人形を使っての心臓マッサージとAEDを使っての心室細動を止める実習。
AEDは機器が自動的に解析を行い、必要に応じて電気的ショックを与え、心臓の働きを戻すことを試みる医療機器で、除細動器のひとつ。動作が自動化されているので施術者は医師である必要がない。
私も体験して一応習得したつもりだが、実際の現場に出くわすと果たして?????
病院と言う檻の中で、やれる事は限られる。
一周220mの廊下をリハビリを兼ねて歩く、エレベータで1階へ行き買う気もないのにローソンに入る、2階の受付や待合室をうろうろする、たまたま出くわした講習会に参加する・・・など等。
それでもまだ昼間はまし、室外に出てうろうろできるから。
苦痛は夜の長い長い時間をどうつぶすか、廊下のあかりは就寝モード、廊下を歩くわけにもいかず病室に閉じこもざるを得ない。
昼間もうとうとする、動いてないから疲れてない、で、眠たくもない。寝られない。
テレビ番組は下らないバラエティーばかり、国会中継が異色だが、同じ質問ばかりでヘキヘキ。
深夜に目が覚める、二度と寝られないのでラジオをつける。
丸亀走友会の梶原さんや冨上さんが良く話題にするNHKの「ラジオ深夜便」がかかっていた。初めて聞いた。
午前4時代の「明日へのことば」はなかなか聞きごたえのある番組。
拉致被害者の蓮池 薫氏へのインタビュー、拉致された人生ドラマ、聞く人を圧倒させる。
震動の滝は、飯田郷 田野村に在り、玖珠川の源なり。九重大船の水、ここに至りて滝となる。
震動の滝には、「雄滝」と「雌滝」がある。
↓雄滝
↓雌滝
↓震動滝龍王社
『震動の滝 竜神伝説』
昔々、この震動の滝には年老いた竜神が住んでいました。
年々、神通力が衰えてきた竜神は、不老長寿の薬として、若い女を食らうことにしました。
釣りに事寄せて、北方部落の、ある里人を招き寄せ、「お前の娘を差し出せ、さもないとお前を食べるまでだ」と迫ったのです。
里人は恐ろしさのあまり、娘を奉げる約束をして逃げ帰りました。
約束を果たさずにおりますと、竜神は怒って神通力で部落の底を抜いて水を干し上がらせてしまいました。
田畑の作物は枯れ、井戸水も無くなり、部落は大干ばつに見舞われました。
さらに竜神は最期の力を振り絞り、断崖をよじ登り、部落に火を吹きはじめました。
この時、娘の恋人は一計を案じ、部落総出で懸命に詫びて、不老長寿の薬として「餅」を捧げて、竜神の怒りを静める事ができました。
この時から、天災や大火の度に部落では餅を滝壺に捧げて、竜神の機嫌をうかがう習わしとなりました。
しかし、老いた竜神には部落の水を元に戻す力はもうありませんでした。
その後、部落の難儀を見かねた日田代官 塩谷 大四朗によって、天保3年、千町無田より水路が設けられ、昔のように稲を作ることができるようになりました。
その水路記念碑が北方部落の白鳥神社境内にあります。
竜神が岩や木をかきむしって、這い登った跡が白鳥神社のそばに残り「竜神崩え」又は「百崩え」と呼ばれて今も里人に恐れられています。
以上 日本の滝選 「震動の滝」より。
看護婦さんの世界に男性が参入し、呼び名も「看護師」と呼ばれるようになった事は前から聞いていたが、実物に遭遇したのは初めて。
男の看護師は新しい職業のように思っていたが、昔は男性の仕事となっていたと言うから驚き。
1886年に日本で初めての看護婦養成所が出来、1900年あたりから現場には看護婦が定着し始め、これを機に看護は女性の仕事という感じになった。
看護師が女性の仕事として定着してからも男性の看護師は存在していたとは、始めて知った。
ここ榊原病院にも男性の看護師が多くいて、病院で白衣の男性は医者と思い込んでいる私を惑わせる。
確かに看護の仕事は力仕事も多いから、男性の方が適しているのかも知れぬが、男患者の身では、正直看護婦さんの方がなんか安らぐ。
男性看護師はICU(集中治療室)やHCU(高度治療室)に多く、一般病棟ではあまり見かけない。
今回の入院で、とにかく看護師さんには大変お世話になった。
榊原病院の看護師さんは当然全員血圧計を持っているが、病院からの支給品でなく、すべて自前なんだそうな。
入れ替わり立ち替わり看護師が血圧を測りに来てくれる、その度血圧計が違う。
こんなにも、色とりどりで種類も多いことを始めて知った。
左:エコと節電の使者「バナナマン・ブラック」、 右:愛と正義の使者「バナナマン」
↓門司港レトロにあるこれらの人形? これって何???
門司駅がこれまたレトロな建物、残念ながら修復作業中で中には入れない。
↓この門司駅、現役バリバリ。駅長室、駅事務所、待合室がある。
↓「帰り水」と名付けられた水道蛇口
大正3年、門司駅が開設された頃に設置されたもので、以来、旅行者に門司の「おいしい水」を供給しつづけている。
特に戦前の海外旅行帰国者をはじめ、終戦後の復員や引揚の人達が、門司に上陸して安堵の思いで喉を潤したところから誰言うことなく「帰り水」と呼ばれるようになった。
↓関門連絡船通路跡
この通路を通って連絡船に乗っていたんだ、トンネルや橋ができる前は。
誠に不埒な事に、祖父や曽祖父の名を今まで知らなかった。
調べたいと思った時には、父も叔父も、叔母も亡くなっていて聞く伝がなかった。
つい最近、従兄の法事の席でやっと分かった。
分かったが、私の先祖は、曽祖父までしか遡れない。
曽祖父:前田 総三郎 ⇒ 子:イト,民湧,友記(高尾)
祖父:高尾 友記 ⇒ 子:澄,信敬(前田),○○,泰(須崎),厚子
父:前田 信敬 ⇒ 子:敬昭(私),伸子(池田)、正敏(片山)
お参りするお墓に書いてる名の相関関係がこれでやっと分かった。
なんか安心した。
沖縄旅行のお土産をくれた。シーサーの置物。
シーサーは沖縄県などでみられる伝説の獣の像。
建物の門や屋根、村落の高台などに据え付けられ、家や人、村に災いをもたらす悪霊を追い払う魔除けの意味を持つと言う。
↓ 「親子シーサー」 頭に子シーサーが乗っていて、家庭円満でありますようにと。
雄は幸せを吸い込む神様、雌は幸せを逃がさない神様、どちらが雄?雌?
対になると、神社の狛犬と同じで、向かって右側の獅子像が「阿形(あぎょう)」で口を開き、左側の狛犬像が「吽形(うんぎょう)」で口を閉じている。
シーサーにはいろいろあって、親子の他に、あしながシーサー,山猫シーサー,にんまりシーサー等々があるらしい。
沖縄へ行きたかったなぁ~。
榊原と言う名前は聞いたことがあるような、何か心臓病で有名な・・・ぐらいの認識。
まさか自分がここへ厄介になろうとは!
昨年9月18日に同じ岡山市内から新築移転してきたばかりの大きくて真新しい病院だ。
この病院では患者の事を「病客」と呼ぶ。
「患者」と呼ぶと医師の方が偉いみたいに考えての事らしいが、昔ならいざ知らず、最近では医師がえらいと思う人はそうはいないのではないか。
病室はほとんどが個室、4人部屋もあるが部屋数は少ない。
個室は、特室・A個室・B個室の3種類あり、それぞれ一泊が、 36,750円・13,500円・9,700円と高級ホテル並み。私立とは言え、少々高過ぎるのではないかと思う。
私はB個室。ちなみにAとBの違いはシャワーが付いているかどうかと、付き添い用の長椅子の幅が違うだけ。
6階と7階が病室で、同じ階では真ん中から東病棟と西病棟に分かれ、スタッフステーション(昔はナースステーション)も其々の病棟にある。
東病棟の部屋は花の名前、西病棟は鳥の名前が付く。フロアー内の通路は幅広く、一周すると220mもあって、患者のリハビリ散歩道となっている。
↓ 散歩道、私もリハビリでここを何周も廻ったものだ。
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