吉備の国を平定するため、吉備津彦命が来られた時、この地方の賊 温羅(ウラ)が村人達を苦しめていた。温羅と戦を行ったがなかなか勝負がつかない。
その時、天から声がして命がそれに従うと、温羅はついに矢尽き刀折れて自分の血で染まった川へ鯉となって逃れた。
すぐ命は鵜となり、鯉に姿を変えた温羅をこの場所で食べてしまった。それを祭るため村人たちはここへ鮎喰神社を建立した・・・とある。



↑ この回廊の横に鐘楼がある、神社にあるのは珍しくない?
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