国宝 松本城
文禄時代(1593~1594)に建てられた五重六階の天守を中心に、連結複合式と呼ばれる独特の構成をもった5棟の櫓が連なる天守閣は、四百年の風雪に耐え、戦国時代の優れた築城技術を今に伝える。
↓ 外堀
↓ プロが撮った松本城(パンフより)
■ 創始
松本城は戦国時代の永正年代初めに造られた深志城が始まりとされる。
戦国時代になり世の中が乱れてくると、信濃府中と言われた松本平の中心地・井川に館を構えていた信濃の守護・小笠原氏が、館を東の山麓の林地区に移した。するとその家臣らは林地区を取り囲むように、支城を構えて守りを固めた。この深志城もそのひとつで、林城の前面を固めるために造られた城だった。
その後甲斐の武田信玄が小笠原長時を追いこの地を占領、信濃支配の拠点とした。その後天正10年(1582年)に小笠原貞慶が、本能寺の変による動乱の虚に乗じて深志城を回復し、松本城と改名した。
■ 天守築造
豊臣秀吉は天正18年(1590年)に小笠原城に北条氏直を下し、天下を統一すると徳川家康を関東に移封した。この時松本城の小笠原氏は家康に従って下総へ移ったため、秀吉は石川数正を松本城に封じた。
数正・康長父子は、城と城下町の経営に力を尽し、康長の代には天守三棟はじめ、御殿・太鼓門・黒門・櫓・塀などを造営。
また城下町の整備をすすめ、近世城郭としての松本城の基礎を固めた。天守の築造年代は、康長の文禄2年から3年(1593~1594年)と考えられている。
以上、パンフレットより。
↓ お堀のほとりには白鳥・・・、丸亀城にもいる白鳥、お城と白鳥は似合うのかも知れない。
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