上高地
上高地へ行くに、マイカーは使えない。年間を通じて乗り入り規制があるからだ。
地球温暖化ガスを抑制し、貴重な自然環境と美しい景観を守るためだと言う。
だから手前の沢渡(サワンド)でマイカーを捨て、低公害車のシャトルバスに乗り換える。
大正池のバス停で降りる。そこから梓川沿いに河童橋まで歩く事にした。約1時間の道程。
↓ 大正池
大正4年(1915年)に焼岳の大噴火により生じた火山泥流が梓川をせきとめ造られた池、年々流れ込む土砂の堆積により浅くなっているとか。
↓焼岳 噴火の跡が生々しい。
焼岳(標高:2,455m)は今なお噴火活動を続ける活火山で、約2,300年前のマグマ噴火により現在のような山体となった。焼岳のようなドーム形の火山を鐘状火山=トロイデと言う。
最近では昭和37年6月に水蒸気爆発があり、泥流が大正池まで押し出したと。
↓ 立ち枯れたカラマツ
↓ 田代池
池の正面にある六百山や霞沢岳といった山々に降った雨が砂礫層を通る伏流水となり、田代池に湧き出している。
池の底には枯れた水草などが少しずつ積り、また大雨によって大量の土砂が流れ込んだ結果、大正4年に最深5mあまりあった池の大部分は湿原化したと。
↓ 広大な湿原
↓ 梓川の流 とにかく水の色がきれい!
↓ 六百山と霞沢岳
英人牧師、ウォルター・ウエストンは、明治21年(1888年)から明治28年までの日本滞在中に槍ヶ岳や穂高の山々を数多く歩き、我が国に近代的な登山意識をもたらし、日本山岳会結成のきっかけを作った。
また、その間の紀行文「日本アルプスの登山と探検(明治29年)」で、中部山岳を世界に紹介するなど、その業績は高く評価されている。
↓ やっと河童橋までたどり着いた。
↑ 河童橋は上高地のシンボルとして有名。幅:3.1m、長さ:36.6mの吊橋。
芥川龍之介の小説「河童」は、この周辺を舞台として書かれた。
河童の名前の由来は、その昔、梓川にかっぱが住んでいたから、あるいはまだ橋のない時代に荷物を頭に結わえた人々が川を渡る姿が河童に見えたからなど諸説あるものの、定かでない。
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