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一楽亭 栄水(いちらくてい えいすい・生没年不詳)
江戸時代の浮世絵師。
ウキペディアより
鳥文斎栄之の門人。一楽斎とも号す。姓名不詳。
寛政(1789-1801年)から享和(1801-1804年)期にかけて、50余点の錦絵作品を遺している。
同門の栄昌と比べると栄水の方が活動期間が長い。そのほとんどは、おっとりとした表情が特徴の美人大首絵である。
また、「美人五節句 扇屋内さかき わかは」に描かれている遊女滝川や、「松ばや内染之助」の顔を見ると、その太く黒々とした眉の描写がとても印象的である。
画風は栄之風というよりも、晩年の歌麿風である。
錦絵では揃物「美人五節句」、「美人合浄瑠璃鏡」シリーズなどが知られ、「兵庫や内 月岡」が重要美術品になっている。
歌?妓堂 画 私には読めない。
ネットで調べる、それらしきものは、
◯『浮世絵師伝』p22(井上和雄著・昭和六年(1931)刊)
「艶鏡」
【生】寛延二年(1749)・【歿】享和三年(1803)九月二十日-五十五
【作画期】寛政
彼は写楽の後、国政の稍前に出現せし俳優似顔絵師にして、歌舞妓堂と号しき、其の技見るべきものあるにも拘らず、彼が伝記は殆ど拠るに足るもの無かりしが、曩に(大正十五年五月『浮世絵之研究』第十七號)、落合直成氏の研究発表によつて、彼が狂言作者二代目中村重助と同一人なる事を明かにされたり。
即ち、中村重助は明和元年十六歳にして初めて中村座に入り、其後立役者となりて重きを成すに至りしが、寛政六年(四十六歳)以後の芝居番附には其の名見えず、恐らくは其の頃既に作者を辞して、専ら画筆に親しみしものなるベく、そは寛政七年九月より翌八年五月の間に、彼が俳優似顔絵の出版されし事と符合するものゝ如く。而して、彼が版画の全作数は極めて僅少なりしが如く、いま世に遺存するものとしては、僅かに左の七図を見るに過ぎず。
・・・後略
菊川 英山(きくかわ えいざん)-天明7年(1787年) - 慶応3年(1867年)
江戸時代後期の浮世絵師。菊川派の祖。
ウキペディアより
姓は菊川、名は俊信。
江戸市ヶ谷で造花業を営む近江屋の菊川英二の子に生まれる。
父の英二は狩野派の狩野東舎の門人でだったので、英山は父とついで鈴木南嶺に絵を学んだ。更に友人であった魚屋北渓を通して、葛飾派(北斎派)の画風も習得している。
最初の作品は享和(1801年 - 1804年)期の役者絵であったが、天保(1830年 - 1844年)中期になると大錦竪二枚続の美人画を創案、以降多くの美人画を描いた。
文化初期、英山17歳の頃には既に独立した浮世絵師で、その後没年の慶応3年(1867年)まで作画を続けた。
親子で健康を学ぶ会 第2回坂出合宿参加者募集のご案内
親子で健康を学ぶ会とは、未来ある子供たちが学校教育では学ぶ機会がないような食生活や健康に関する知識を親子で参加し勉強をする会
■ 日 時:2014年11月22日(土)~24日(月)
■ 集合場所:坂出健康会館 〒762-0011 坂出市江尻町1220番地
■ 参加対象者:子育て世代 親子で参加
■ 参加費:大人;11,000円、子供(小学生まで)3,500円
■ 募集人数:15名まで 先着順
■ 合宿の趣旨:親が子供達の健康を考え、正しい食生活とは何かなど子供達の健康に関する知識向上を合宿生活で学ぶ。
■ お申し込み・お問い合わせ:山田健康センター 担当;山田 真吾
Tel;072-997-6177、Fax;072-940-6108
柿茶®の里・半田へ行く道筋に「道の駅 ことなみ みかど温泉」がある。
良くトイレタイムに立ち寄る道の駅だが、周辺を散策した事はなかった。
後続車の待ち合わせで時間が取れ、渓谷とやらを散策する。
この渓谷は竜王山を源とする明神川の中ほどにあり、その清流がつくる滝,淵や奇岩などが見事に調和した風光明媚な景勝地で、雌雄淵は「美霞洞八景」のひとつ。
↓ 雌雄淵
その昔、大蛇が住んでいたと言われる雌雄淵は、大干ばつの時に弘法大師が雨乞い祈願をした所とも言い伝えられている
↓ その祈雨の神を祀っていると言う龍王社
近年、渓谷の中心地から良質の温泉が湧き出し、多くの利用者で賑わっている。
道の駅 ことなみにあるみかど温泉の事である。
NPO法人健康を考えるつどいでは、横津町にある幸神さんの夏祭りに合わせ、コンサートを開いている。
今年で4回目を迎えた。
この日は朝からどしゃ降りの雨が降っていた。
それで神社の境内でやる予定のコンサートを、早々と健康会館に変更すると決めた。
昨年も夕立が来そうな気配で、開始直前に会館内に変更、2年続けて屋内コンサートとなった。
今年はサクソフォン奏者・青木精一氏による音楽会を企画、健康会館でオカリナやコーラスを教えている赤尾 陽子先生の紹介だ。
香川テレビ放送網(KBN)からも取材に来てくれた。
サクソフォンだけで一曲を構成するのは難しいのだろうか、旋律は青木氏の奥方がDVDから流していた。
サクソフォンの音色は耳に心地よく、曲と曲の間にしゃべる青木氏の話術と相まって、コンサートはあっと言う間に、盛会のうちに終了した。
今年5月の講演会で演奏してもらった二胡と言い、今回のサクソフォンと言い、琴線に触れる音楽を奏でる奏者がこんな田舎にもいるもんだと、改めて感心した。
コンサートが終わり、神社の境内では獅子舞の奉納が行われていた。
で見た。
笠山の近くを歩いていたら、「笠山龍王親鸞聖人 二十四輩御霊場 参道口」と書いた石碑があった。
親鸞聖人二十四輩とは何なのか?
ネットより、
浄土真宗の開祖親鸞聖人は越後に流刑され、赦免された後も北関東で精力的な布教を行ったが、この間に浄土真宗のバイブルともいえる「教行信証」を草した。
こうした親鸞聖人の教えに共鳴した北関東の門弟24人、
あるいはその門弟の遺跡寺院を「親鸞聖人二十四輩」という。
24人を列記した表の順序に従って札番がつけられている。
それぞれの弟子にゆかりの寺院が同じ札番でくくられているが、寺は違うのに同じ寺名が多いのでややこしい。
坂出市立瀬戸大橋図書館に隣接する郷土資料館、図書館へ行くたびに何度も見た建物。
じっくり見たこともないから、単に昔の古い建屋としか認識してなかった。
市立病院から帰る途中、黄昏にたたずむ古風な立ち姿に改めて新鮮さを覚えた。
坂出郷土資料館とあるが学校のような・・・と思っていたら、事実、学校として建てられたものだった。
説明看板より引用
この建物は大正8年に郡立綾歌商業学校が県立に昇格した際に建設されたもので、途中火災に遭いながらも、翌年大正9年に完成した木造学校建造物です。
木造二階建て瓦葺寄棟造りで、南北10.9m、東西23.66mの大きさとなっています。
上下引き上げ窓など当時の建築様式をよくとどめています。南に位置する花崗岩製の門柱も含めて近代建築の遺産として保存されております。
資料館としては昭和53年11月に開館し、市内に残る民具や考古・歴史資料をはじめ、坂出市の名誉市民であります、故津島寿一先生の遺品も展示しております。
津島先生は坂出出身で政治・文化・体育面で大変活躍されました。先生の業績を後世に伝えるため、資料館では市に寄贈された先生の遺品を展示することで、先人の業績を偲んでおります。
↓ 東西23.66m
敷地内には、坂出市にあったこんぴらさんへの案内石碑や金毘羅灯籠も集められている。
↓ これは何??? 水門みたいだが・・・。
KBN(香川テレビ放送網株式会社)のグルメ情報番組「のりこのまるごと食べちゃうぞ」の収録が坂出の魚市場であった。
坂出市の広報7月号にさかいでブランドの記事が掲載され、それを見ての取材依頼がKBNから来た。
さかいでブランドの知名度を上げるためにはベストチャンスだ。
さかいでブランド認定制度は3年前に坂出市が地域活性化策のひとつとして制定、現在60品目が認定されている。
認定事業者数も23事業者と多くなった事から、市はその運営活力を民間から得るべく、昨年11月に「さかいでブランド認定事業者連絡協議会」を立ち上げた。
その初代会長である私は当然テレビ収録にかり出され、プログラムどおりの役を演じた。
この日(2014年7月8日)は、坂出市のマスコットキャラクター”さかいでまろ”も出演。
さかいでブランドの他にも、魚市場で売られているお惣菜の取材もあった。マイクを向けられているのは、魚市場の社長。
ここのお惣菜は、魚市場で売られているお魚を使ったもので、新鮮で安い。私も良く買いに来る。
テレビ出演なんて気恥ずかしかったが、楽しくもあった。
静岡の増田桂子氏が発行する新聞、今回で110号と言うからすごい。
正に継続は力なり。
県道33号線の坂出市から宇多津町に入ったところに、大衆中華”まんぷく亭”がある。
看板の第2駐車場の方向に道があって、入口に「親鸞聖人 二十四輩御霊場」のいしぶみが立っている。
どんな霊場なのか、見たいと思った。
茶臼山の方へ道を辿ると、石仏がずらりと並ぶ光景が飛び込んできた。
これが二十四輩?
数えてみたら53もの仏様がおわした。二十四とはなんだろう?
お顔を拝顔するに、どの御仏も実に良いお顔をなさっている。
へぇ~、こんな身近なところに・・・・こんな石仏が・・・。
ひっそりと佇まれている様は、世俗の喧騒から無縁との自負を湛えているようにも見える。
石仏を過ぎ、行きついた先に親鸞聖人の像が「我ここにあり」と立っていた。
本島には年寄の墓が3カ所ある。
入江四郎左衛門の墓、宮本家の墓、吉田彦右衛門の墓。
もう一人の年寄、真木又左衛門の墓は不明とか。
■吉田彦右衛門の墓
泊(トマリ)から笠島へ入る旧道に面して6基の位牌形の墓がある。
↓ 写真右から、
①高さ228㎝、延宝7年(1679年)に建てられた高宮弥右衛門夫妻の逆修塔
②高さ342㎝,幅93㎝の年寄 吉田彦右衛門の墓
本島しまおこし実行委員会発行の冊子より。
年寄とは、塩飽を統治した人の役名で、老人の意味ではない。
年寄は名字・帯刀を許された塩飽の最高権力者。幕府の天領地(直轄領)であった塩飽は、船手奉行の支配を受けながら、同時に秀吉,家康から受けた朱印状により、1,250石の塩飽領を650人の船方が領有するという両面性を持っていた。
従い、幕府からの通達や島中からの諸届は、全て年寄を通じて行ったが、島の年貢や魚場からの運上賃などの収益は、幕府に納めることなく島中で自由に使用することが認められていた。
↓ 入江四郎左衛門の墓
高さ327㎝、幅53㎝の位牌形の花崗岩製で、下部に蓮華と相対する狛犬が彫られている。
↓ 宮本家の墓
塩飽の古くからの豪族で、水軍として海外でも活躍した宮本家歴代の墓11基と燈籠1基が建ち、塩飽勤番所跡と共に国の史跡に指定されている。
国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている笠島の町並み内にある、築140年の古民家民宿「やかた船」。
一泊2食付き、8,500円也。
丸亀走友会の面々に、「本島一泊飲み会」を募集したら、8人の応募があった。
夕食飲み会(18時前後)までに現地集合の事、それ以外は自由行動とした。
8人も宿泊可能?と思っていたら、2ケ所に分れて寝て下さいと言う。
3人が母屋↑、アト5人が離れ↓ 離れは母屋の斜め前に位置する。
母屋も離れも広い事、8人どころか詰めたら20人は泊まれる。
夏休みになると海水浴も兼ねて多くの人で予約は埋まると聞く。
料理も美味しく、酒もうまく、楽しくくつろげた小旅だった。
後日四国新聞にやかた船の記事が掲載された。今島々がブームなんだそうな。
笠島の町並みは、集落内に網目のように広がる通路・密集する伝統的建造物と周囲の自然景観から構成されており、通路は見通しが効かないよう工夫され、建物は港に背を向けて正面を構えるなどの特徴がある。
広い通りに面して正面を格子構えとし、ツシ二階に虫籠窓(ムシコマド)、格子窓を設けた町屋形式の建物が立ち並び、狭い通りには入母屋造りで農家風の建物も見られる。
伝統的建造群は、江戸時代後期から昭和初期にかけてのもので、伝統的な構造、意匠を良く受け継いでおり、周囲の豊かな自然環境とあいまって高い評価を受けている。
以上、説明看板より引用。
朝日日本歴史人物典の解説より引用(内藤 正人氏)
勝川 春潮 (生没年不詳)
江戸中後期の浮世絵師。俗称を吉左衛門。
住居は江戸の馬喰町、日本橋大工町、晩年は瀬戸物町。
画号にはほかに紫園,雄芝堂,中林などがある。
勝川春章の弟子で、天明3年(1783年)ごろ画壇に登場。
作画のピークとなる天明(1781~1789年)後期から、寛政(1789~1801年)前期までの間、
師匠の春章風ではなく、そのライバルの鳥居清長の画風を模した美人錦絵を多数発表した。
その一方で,並行して手懸けた肉筆美人画では春章風を忠実に守り、
二通りの画風を版画と肉筆画とで器用に使い分けた異色の絵師。
寛政中期には浮世絵師をやめ、窪俊満の門人となって俊朝と改号、
文政期(1818~1830年)ごろまで狂歌などに親しんだといわれる。
私の父は、私が学生時代に脳溢血で他界した。65歳だった。
思えば父とは大人の会話をした事がない。
父がどんな人間だったのか、どんな性格だったのか、どんな人生を辿ってきたのか、さっぱり分らない。
私が18歳で実家を出て、私が社会人になる前に父は既に亡くなっていた。
だから、じっくり向き合った事もなかったし、酒でも飲みながら人生を語る事はなかった。
切手とか古銭を収集するのが趣味だったようで、新しい切手が出るとシート単位で購入していたのを覚えている。
もうひとつ、父の収集物の中に、ここに紹介する浮世絵が多くある。
父が残した浮世絵の価値は”何でも鑑定団”にお任せするとして、作者を見ると葛飾北斎とか歌麿の名前があるので、我がブログで紹介しようと思う。
収集品の中には所謂「春画」と言うのだろうか、今で言うポルノ絵もたくさんある。
私の親父も案外スケベだったのかも知れない。
↓ 鳥居 清長
鳥居 清長 【宝暦2年(1752年)~文化12年5月21日(1815年6月28日)】
江戸時代の浮世絵師で鳥居派四代目当主、鳥居派の代表的な絵師。
鈴木春信と喜多川歌麿にはさまれた天明期を中心に活躍し、後の写楽・北斎・広重と並び六大浮世絵師の一人。
特に堂々たる八頭身の美人画で、今日世界的に高く評価されている。
余談
ネットの浮世絵検索で調べると、これと同じ図柄の絵が7枚ほど紹介されているが、
鼓を打つ姿や笛を吹く姿はあるが、太鼓をたたく図柄は無かった。
この絵はまだ世間に稀有な存在?????
さかいでブランドの記事が掲載された。
さかいでブランドとは、坂出にこだわった坂出ならではの
地場商品。
市のホームページには、
坂出市にゆかりのある商品を「さかいでブランド」として認定し,市内外に情報を発信することにより,本市の知名度の向上,産業の振興および地域の活性化を図ることを目的とする。
と、ある。
この認定制度は平成23年7月に発足、現在60品目が認定されている。
「さかいでブランド」に認定された商品には、こんなマークが付いている。
このマークは、坂出の里山を背景に、古をモチーフにして、やまと絵風の
の雲と中央にかもめが大空に向かって羽ばたく姿をイメージした。
とある。
さかいでブランドが大きく羽ばたくことを祈願したとか。
わが『柿茶®』も2番目に認定された。
認定事業者が23社にもなった事から、市は昨年11月、さかいでブランド認定事業者連絡協議会が発足させ、運営を民に任せた。
あろうことか、私がその協議会の会長に選ばれたのである。
坂出市の広報7月号、初代会長として紹介された。
任期は2年、果たして重責を全うできるか??? 頑張らねば!
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