年寄の墓
本島には年寄の墓が3カ所ある。
入江四郎左衛門の墓、宮本家の墓、吉田彦右衛門の墓。
もう一人の年寄、真木又左衛門の墓は不明とか。
■吉田彦右衛門の墓
泊(トマリ)から笠島へ入る旧道に面して6基の位牌形の墓がある。
↓ 写真右から、
①高さ228㎝、延宝7年(1679年)に建てられた高宮弥右衛門夫妻の逆修塔
②高さ342㎝,幅93㎝の年寄 吉田彦右衛門の墓
本島しまおこし実行委員会発行の冊子より。
年寄とは、塩飽を統治した人の役名で、老人の意味ではない。
年寄は名字・帯刀を許された塩飽の最高権力者。幕府の天領地(直轄領)であった塩飽は、船手奉行の支配を受けながら、同時に秀吉,家康から受けた朱印状により、1,250石の塩飽領を650人の船方が領有するという両面性を持っていた。
従い、幕府からの通達や島中からの諸届は、全て年寄を通じて行ったが、島の年貢や魚場からの運上賃などの収益は、幕府に納めることなく島中で自由に使用することが認められていた。
↓ 入江四郎左衛門の墓
高さ327㎝、幅53㎝の位牌形の花崗岩製で、下部に蓮華と相対する狛犬が彫られている。
↓ 宮本家の墓
塩飽の古くからの豪族で、水軍として海外でも活躍した宮本家歴代の墓11基と燈籠1基が建ち、塩飽勤番所跡と共に国の史跡に指定されている。
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