久米通賢
瀬戸大橋の壮大な姿を望む坂出市は、塩田の町で知られる。
今は跡かたもないが、その昔は、ここに見渡す限りの塩田が広がっていた。
その塩田を開墾したのが、久米栄左衛門通賢であり、技術的に優れたこの塩田は「久米式塩田」と呼ばれ、その後の塩田開発のモデルとなった。
通賢は調査を重ねた結果、坂出の海岸が塩づくりに適していると確信し、財政難にあえぐ高松藩を救う手だてとして、切腹覚悟の建白書という形で藩に申し出た。
藩の役人となってからは、私財や身内親戚からかき集めた資金までも投入し、塩田開発に心血を注いだ。
その功績は計り知れず、香川の塩田を語るときには、久米栄左衛門または親しみを込めて「通賢(つうけん)さん」という。
その通賢さんが、東かがわ市の生まれ・・・と言うのは坂出市民はあまり知らない。
かく言う私もつい最近知った。
彼のお墓が東かがわ市馬宿にあると聞いた。
近くに生家もあったが、今は四国民家博物館・四国村に移築されているとか。
↓ お墓
この跡地の所有者は誰でしょう?
何と坂出市! へぇ~知らなかった・・・である。
久米通賢がらみで東かがわ市と関係があるなんて、坂出市民はあまり知らない。
今、坂出市と東かがわ市でタックルを組んで、双方の物産品を両市で販売しようと動き出した。
その販売拠点は、坂出市は入浜町の魚市場、東かがわ市は引田にある東かがわ市歴史民俗資料館(讃州 井筒屋敷)を計画中。
その実現に向け、「さかいでブランド認定事業者連絡協議会」の会長として役割を果たさねば・・・と意気込んでいる。
↓ 生家跡地にある看板
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