Jou光

  • 親父
    彼は子供の時から絵が上手いと、親の欲目で思っている。目の前でさらさら描かれると、ついつい感嘆してしまう。世の中いっぱい絵の上手い人はいるが、この道で飯が食えるのはスポーツ選手と同じで極一部。でもとにかく趣味でも良いから絵を描くことは続けて欲しいと願っている。

春爛漫

  • ぼけの花
    柿茶の里は徳島県美馬郡つるぎ町に位置する。柿の葉の生産農家へ毎年春と秋に行く。春はことさら美しい。桜が咲き乱れ山の木々が新緑に包まれる。澄んだ青空に身も心も洗われる気がする。

アユタヤ遺跡

  • Pict0266
    1491年に建てられた王族の守護寺院。3つの大きな仏塔には、ラーマティボディ2世と父、兄の遺骨が納められています。 寺院ではありますが僧は居住せず、王の礼拝堂として王族の儀式に使用されていました。この寺院もまた、1767年ビルマ軍により破壊され、16mあったという金で覆われた仏像も金を奪われた後、壊されてしまいました。

暁の寺院 タイ

  • Pict0350
    トンブリ王朝時代の守護寺で最高位の寺院とか。きらきらと輝く陶器の破片に覆われた高さ約79mの大仏塔は、ラマ3世により5年がかりで改装された。朝日を浴びた大仏塔の神々しい姿が”暁の寺”の名前の由来。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

  • Pict0201
    セイロンへの留学から戻ってきた僧侶のために、1357年初代王ウー・トーンが建立しました。仏教寺院は瞑想の場として使用されていました。現在も多くの仏教徒が訪れ、週末は観光客でにぎわいます。

水上マーケット

  • Pict0116
    ダムナン・サダックの水上マーケット。その昔、”東洋のベニス”と言われたバンコクでは、日常的商取引には運河が利用されてきた。水上マーケットは、古き良き時代の情緒溢れるバンコクの生活を体感させてくれる。 

2008年7月 タイ王宮

  • Pict0429
    白壁に囲まれた20万㎡の敷地内には、1782年に建設された国王の宮殿、即位式の建物、王室守護寺院のエメラルド仏寺院などチャクリー王朝歴代の王により建造・改築された建物が建ち並んでおり、ラマ8世までは実際にここに住まわてていたとか。

涅槃寺

  • Pict0386
    タイ語で Wat Pho(ワット・ポー)と呼ぶこの寺は、ラマ1世が建立したバンコク最大の境内を持ち、バンコク最古の歴史を持つ寺院。本堂には写真のようなリクライニング・ブッダの愛称で親しまれている寝釈迦仏が横たわる。足の裏には螺細細工でバラモン教における108の宇宙観が表現されていると言う。

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金魚

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2014年9月

琉球温泉 瀬長島ホテル

「琉球温泉 瀬長島ホテル」が沖縄での宿泊先。

ここで3泊4日の予定。

全室、オーシャンビューがホテルの売り。

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↓ 玄関

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↓ ロビーからベランダへ出ると、海が広がる。

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↓ 部屋から見えるオーシャンビュー

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↓ 那覇空港がすぐ近く、飛行機がひっきなしに離着陸する。

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↓ 那覇市内

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このホテル、最近オープンしたばかり。

龍神温泉あり、部屋にはオーシャンビューを楽しみながら入浴できる露天風呂もある。

最高!生きていて良かった!

琉球

沖縄・・・南にあり過ぎて日本とは気候も人も文化もちょっと違う気がする。

そんな気がするのは、私だけだろうか?

現に昔は琉球と呼ばれ、琉球王国が存在した。

国際通りを脇にそれた道に「琉球政府」と書かれた地元の酒場があった。

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敗戦後、沖縄が日本に留まるか独立するかの住民投票が行われたと聞く。

独立を選んでいれば、今頃は琉球政府があるのかも知れない。

そうしたら普天間基地の問題も、また違ったものになっていた筈。

首里城の見学コースにある歴代王朝の説明を読んでいると、日本に併合された現状が、果たして沖縄にとってHappyだったのか?と思う。

スコットランドの独立是非を問う住民投票が行われたように、沖縄の独立を問う投票をすべきとの動きがある。

それはそれで良い事かも知れない。

沖縄は文化面でも人類面でも本土とは違う、と私は思うから。

沖縄ナンバー

沖縄へ行って改めて認識した。

当然と言えば当然だが、沖縄の車のナンバーは「沖縄」。

ここ香川だと、県外ナンバーを良く見かける。

北海道は見たことあるが、さすが「沖縄」ナンバーは見たことがない。

沖縄で県外ナンバーを捜した。駐車場、それに走行中の車両等々。

あった!県外ナンバーが、「岐阜」の車。

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フェリーで旅行に来たのか、岐阜の人が沖縄へ移り住んでナンバーをそのままにしているのか分らないが・・・。

旅行中、息子から教えられた、”わ”の付く車はレンタカーだと。

へぇ~そうなんだ!今迄知らなかった・・・・。

ステーキ

沖縄料理と言えばチャンプル、でも沖縄に行ったらステーキがうまいと息子から聞いた。

息子の友達に沖縄の人がいて、息子は彼から聞いたらしい。

そしてお店は八十八亭がお勧めとも。八十八亭と書いて「ヤスハチ亭」と読む。

沖縄旅行一日目、早速ステーキを食べに行く事にした。

当然目指すは八十八亭、ところが何を勘違いしたのか急いで飛び込んだ店は「牛屋」。

ギュウヤ(Gyu-Ya)と読む、ステーキー居酒屋と後で知った。

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メニューを見て頼んだのは1ポンド(453.6g)ステーキ、これが実に旨かった。

霜降りの肉ではないが、実に柔らかい。

お店の人にこの肉はどこの部位?と聞いたらハラミと言う。

ハラミの肉がこんなに柔らかく旨いとは? 

店の人に聞くと、根気良く筋を取った結果だという。

453グラムもあるから、4人でふたつと頼んだが、出てきたとたんペロッと食べつくした。

それで、もうひとつ追加し、大満腹して店を出た。

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ステーキはもういいと思っていたが、息子曰く、せっかく八十八亭を紹介されたのに、そこに行かないのは心苦しいと・・・。後で聞かれたら返事のしようがない・・・と。

それで3日目の夕食は八十八亭に行く事にした。

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八十八亭は沖縄で6店舗を展開するチェーン店。

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牛屋の方が美味かった。

ぶたりめ

「あたりめ」とはするめの事。

するめの”する”が博打でお金がなくなる意味の(擦る)や財布やお金を盗む意味の(掏る)に通じ、それでは縁起が悪いと思った人が「当たり」に換えて”あたりめ”と呼ぶようになったとか。

そんな言われなら、ヘリ屈を言わしてもらうと、「当たり」が宝くじや懸賞だったらいいが、車に当たったり石や木に当たった場合はどうなの?

まぁヘリ屈は置いといて、そんなあたりめの語呂あわせで”ぶたりめ”なる物が沖縄名物にある。もちろん素材は豚。

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我が息子、この名前がいたく気になったのか食べたいと言い出した。

そのままビールのアテに食すと旨い、ご飯にも合う。マヨネーズをかけると、これまた旨い。

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一度お試しあれ!

沖縄市場

国際通りから横道へ入る。

「市場本島通り」の名前が付いている脇道。

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その脇道に魚貝類や肉を専門に売る店が並び、沖縄ならではの品々が並ぶ。

↓ 魚の色がいかにも熱帯魚

他県ではなかなか見られない魚

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↓ 豚足 

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豚の耳も売っている、ミミガーと言うらしい。

豚の顔も売っている、カオガーと言うらしい。

↓ ついでに沖縄名物、サーターアンダギー

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このお菓子を見るとついつい買ってしまう。

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がじゅまる

那覇空港に向かう途中、大きな木の上にあるレストランを見つけ、思わずパチリ。

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”鳥野菜しゃぶしゃぶ がじゅまる”と書いてあった。

がじゅまるは南方へ行くと良く見かける木、ハワイでもサイパンでもタイでも見た。

枝から根が出て下へ垂れ下り、土にもぐる。

そんな木の上にレストランが乗っているから、えっ!と思う。

もちろん、つくりもののがじゅまるの木だとは分っているが・・・。

↓ 本物のがじゅまるの木

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↓ お店のHPより写真を借用

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「琉球あぐー豚しゃぶしゃぶコースがリーズナブルに味わえ、自慢の島野菜は自社農園で栽培された低・無農薬野菜を使用」

と、宣伝している。また沖縄へ行けたら是非行きたいものだ。

犬のTシャツ

寒くなると服を着た犬がいる。

飼い主の自己満足、犬にとっては迷惑な話し。

国際通りに並ぶ店に犬の服を置いてある店があった。

服じゃなく、”背当て???”。

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おまけに人間のTシャツよろしく、文言まで書いてある。

これはもう行き過ぎ・・・としか思えない。

招き猫

国際通りに並ぶお店のひとつ、屋根に巨大な招き猫を見つけた。

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右手(前脚)を挙げている、この猫は金運を招く。

ちなみに、左手(前脚)を挙げている猫は人(客)を招くとされる。

招き猫で両手を挙げたものもあるが、“欲張りすぎてお手上げになる”とも言われる。

↓ 左手を挙げた人招きシーサー

悪霊を追い払い魔除けをせずに、お客を招く役に変えたの???

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↓太陽光で手を振る招き猫、電池交換が要らないので便利。

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シーサー

沖縄みやげにシーサーの人形をもらった事がある。

シーサーとは獅子を沖縄方言で発音したもので、伝説の獣の事。

↓ 那覇空港に降り立ったら早速石垣島の獅子が出迎えてくれた。

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沖縄はどこもかしこもシーサーだらけ。

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↑ レンタカーの待合室にも、

↓ ホテルの入り口にも

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↓ 首里城の門にも

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↑ 手洗いの蛇口にも

↓ 店先にも

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↑ お土産にも

↓ 招き猫ならぬ招きシーサー

ここまで崩すとシーサー本来の魔よけ機能はあっち向いてホイだ。

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本来のシーサーは、村に災いをもたらす悪霊を追い払う魔除けの意味を持ち、建物の門や屋根、村落の高台などに据え付けられる。

沖縄の文字

苗字を見て、沖縄だとすぐ分かる名前がある。

渡嘉敷とか具志堅とか嘉陽,安里,諸味里などなど。

そんな沖縄で”マエダ”を見つけた。

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私の名前も前田、この漢字以外想像した事も無かったので、”真栄田”がマエダなんだ!と認識するまで暫らくかかった。

真栄田・・・・うぅん!さすが沖縄って感じ。

まいった。

前田より真栄田の方が栄えそうでいいなぁ~と感心することしきり。

葛飾北斎

富嶽三十六景 凱風快晴

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有名な赤富士。この浮世絵、本物かな???

柿茶®販売所紹介ー「海の幸ふれあい市場」

シリーズ ”柿茶®” 販売所紹介・5店目は、坂出市にある「海の幸ふれあい市場」。

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ここは坂出・丸亀の魚市場を合併し、昨年オープンした新しい魚市場。

朝早くから魚セリが行われるのは勿論のこと、建屋内にある海鮮食堂では新鮮な魚料理が食べられる。少々高いが・・・。

売店では、その日獲れた魚貝類や海産物の販売の他、坂出ブランド認定品の販売も行われている。

柿茶®は認定品として当然置いてある。

2014年10月5日(日)ここで、ふれあいコンサートを開催する予定です。

是非来てください。

ひょうたんかぼちゃ

実弟の家に寄ったら、めずらしいかぼちゃをくれた。

「ひょうたんかぼちゃ」と言うらしい。

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鑑賞用じゃなく食べれると言う。

種は下部のふくらんだ所にしかない。

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普通のかぼちゃのように皮ごと炊いてみた。

甘くておいしいが、皮は硬くてうまくない。

それでスプーンで身だけすくってスープにした。

手間のかかるかぼちゃ!

柿茶®販売所紹介ー「うたづ海ホタル」

シリーズ ”柿茶®” 販売所紹介・4店目は、宇多津町にある「うたづ海ホタル」。

瀬戸内海が一望できる風光明媚な海岸沿いに、こじゃれた建物がある。

その中に宇多津町が運営する売店があり、ここでも柿茶®を売っている。

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↓ 海ホタル入口

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↓特産品販売コーナ正面に柿茶®コーナが。

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この建屋の中にはラジオ局エフエム・サンの公開スタジオや軽食喫茶もあって、休日には多くの人で賑わう。

産直の野菜や果物なども販売していて、これが結構安い。

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海ホタルの向かいには塩づくりが体験できる入浜式の塩田がある。

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是非一度行ってみて下さい。

Tシャツ その2

家族で沖縄へ行った。

毎年息子達がカレンダー上の盆休みが取れないから、いつもずらして取る。

まぁその方がどこかへ旅するには混んでなくて好都合だ。

今年は沖縄へ連れて行ってくれた。

那覇の国際通りを歩いていると、お好みの文字をプリントしてくれるシャツ屋があった。

その店先に並んだシャツの言葉は実に面白い。

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上の写真の右側真ん中、「このくそいそがしいのに おまえは沖縄か」には笑ってしまった。

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と言うのも、下の息子が直前まで、忙しくて行けないかも・・・と言っていたから。

今頃彼の上司や同僚はさぞかし「このくそ忙しいのに・・・・」と、がなっているかも・・・

と思うと、なおおかしい。

この”沖縄”を長野や山口に変えてもちっとも面白くない。

沖縄が観光や遊びで行くところ・・・と言う世間認識があるからこそ笑えるのだ。

だから、沖縄を北海道に変えても成り立つ。

観光地に行くといろんな語句のTシャツがあって微笑ましい。

「毎日が地獄です」とか「困った息子です」とか「ここが俺の死に場所だ」とかとか。

Tシャツ(ラコステ)

Tシャツに入っている文字とか絵柄に面白いものがある。

そんな絵柄で面白いTシャツを見つけた。

↓お店に並んだTシャツ、下段真ん中のワニのマークのあるシャツ。

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一見、ワニのマークで知られるブランド物”ラコステ”かと思った。

良く良く見ると、ワニが逆さまになっている。

ラコステの文字の代わりにオコシテの文字。

うまいなぁ~と思う。こんな発想はどうしたら生まれるのだろう?

↓ 正規のマーク(左)をひっくり返すと、右図のようになり、しっぽの向きは下にくる。

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ここまで計算してラコステを皮肉っているとしたら、考えた人はすごいなぁ~。

ちなみに、ラコステ(Lacoste)は、1933年に設立された、フランスのアパレルブランドである。

被服、バッグ、履物、香水、時計、眼鏡などを取り扱い、特にポロシャツのメーカーとして有名である。緑色のワニの商標で知られる。

私もラコステのシャツが好きである。ナイキのマークより親しみが持てるから・・・。

柿茶®販売所紹介ー「産直市 うたづ」

シリーズ ”柿茶®” 販売所紹介・3店目は、宇多津町にある産直市。

「産直市 八幡」と同じく、ここも昔はスーパーマーケット”マミー”だった。

ここの産直市が坂出より先にオープン、ここが順調だったから坂出にも開いたのだろう。

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↓ 柿茶®コーナー

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スーパーマーケット時代は業績不振で撤退、産直市になって成功らしくお客も多い。

産直は生産者が自分で持って来て自分で値段を付けて、自分で並べて売る。

だから店側の人件費はレジ打ちくらいなもの。

営業時間も午前7時から午後4時までと短く、経費はマーケット時代より大幅ダウンし、ビジネスが成り立ったのか。

毎週日曜日、丸亀走友会の集まりの帰り道、ここに立ち寄り買い物をする。

なくてはならないお店だ。

兵郷(セルフうどんの店)

うどん屋の紹介・・・「さぬきうどん 兵郷」

坂出市宮下町にあるセルフのお店。

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道路から離れ、奥まった所にあるから、一般客には分かりづらい。

口コミで知る人ぞ知る店で、お客は結構多い。

セルフはここ香川県ではポピュラーな販売スタイルだが、このうどん店、うどんを入れる空鉢も客が運ぶ。

ひと玉用,ふた玉用,みたま用とうどん鉢が分れていて、それを選んで自分で持って行く。

その鉢に店の人がうどんを入れてくれる。

↓ うどん鉢が入った箱

左端がひと玉用、真ん中の深緑がふた玉用、右端の黄色い箱がさん玉用

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↓ 食堂もあるが狭いので、多くの客は外の長椅子に座ってでうどんをすする。

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↓ この日食べた釜玉うどん 右側はふた玉

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うまかった! 是非行ってみて下さい。

柿茶®販売所紹介ー「産直市 八幡」

シリーズ ”柿茶®” 販売所紹介・2店目は、坂出市八幡町にある産直市。

昔ここはスーパーマーケット”マミー”だった。

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↓ お茶の販売コーナだから仕方ないが、高瀬のお茶の横に置いてくれている。

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産直市 八幡の場所は、こちら http://yahoo.jp/YgQMh5

荒神社

坂出市川津町の蓮尺自治会館のすぐ隣にある神社

周辺は住宅地が広がっている。 社叢は大きくはないが環境は良い所。

2009年に、社殿の改築と鳥居が取り換えられたのだとか。

      由緒(香川県神社誌による)      川津村郷社八幡神社境外末社

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柿茶®販売所紹介ー「JR坂出駅」

シリーズで柿の葉茶 ”柿茶®”を販売しているお店をご紹介。

一店目はJR坂出駅構内にあるキヨスク。

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↓ Kiosk

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柿茶®のペットボトルを販売。

坂出駅から電車に乗る時は、売上に貢献しようと一本買っていく。

ここへ柿茶®のペットボトルを置いてもらうに、友人のコネを頼ってやっと実現。

最近キヨスクとセブンイレブンが業務提携したとか。

この店もゆくゆくセブンイレブンに変わる。

変わっても従来どおり、柿茶®のペットボトルを置いてくれるのだろうか?心配。

LNG船

瀬戸内海を航海するLNG(液化天然ガス)船が見えた。

あっ! あの船は川重坂出工場で建造した船かなぁ~ と、OB根性が出る。

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日本初のLNG船を建造したのは、何と川重坂出工場、1981年9月引き渡し。

もう33年も前になる。船名は忘れもしない ”ゴーラースピリット号”

船主はノールウェイーのゴッタスラーセン社、この会社、今もあるのかどうか定かでない。

この船の建造には思い出がいっぱいある。当時電装工事の担当は私だった。

洋上での試運転が長かった。

船の性能試験に加え、マイナス162 ℃の液化天然ガスを実際に積んだりおろしたりする試験もあって、海上運転は約1カ月に及んだ。

現在、海上試験の運転日数は格段に短縮されたようだが、当時はなにせ初のLNG船で、未経験だったから、試験には万全を期した。

LNG船の建造は、若かった頃の懐かしい思い出として船を見るたび思い出す。

ギネス認定書

ギネスと言う言葉は今や万民の知るところ。何でも世界一になるとギネスBookに載る。

世界一と思えば、ギネスに申請し、認められれば認定書が交付される。

そんな認定書のひとつを身近なところで見た。場所は瀬戸大橋記念館の中で。

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1988年開通の瀬戸大橋が”道路・鉄道併用橋”としては世界最長と言う記録。

・・・ the longest road and rail bridge at 12.3km(7 miles1,132 yd).と英文で書いてある。

ギネスの認定書を見たのは初めて。

改めてギネスについて調べてみた。

ギネスは1756年創業のビール醸造会社。

創業者はアイルランドのアーサー・ギネス (Arthur Guinness) 。

ギネス世界記録の発行は、ギネス醸造所の代表取締役だったサー・ヒュー・ビーバーが、仲間とアイルランド狩りに行った時、狩りの獲物のうち、世界一速く飛べる鳥はヨーロッパムナグロライチョウか、という議論になり、なかなか結論が出なかった。

そこで彼は、もしこういう事柄を集めて載せた本があれば評判になると発想し、1955年にギネスブックの初版が発売された。

 

このギネス世界記録は毎年9月に発行され、世界一のベストセラーとして自らギネスワールドレコーズに登録されているとか。

健康への道しるべ第111号

静岡の増田 桂子氏が編集・発行する雑誌、健康への道しるべ111号が発刊されたのでご紹介。

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私のブログの記事を掲載して頂いた。それも2つも、嬉しい限りだ。

題して”家族”「父が集めた浮世絵」と「第4回鎮守の杜のコンサート」

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NPO法人健康を考えるつどいが主催した第7回夏期合宿で習ったパステル画の作品(右)と私の愚息が書いた猫の絵も掲載してもらった。

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香風園

JR坂出駅近くにある香風園、名前は知っているがその歴史は知らない。

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園内に入ると香風園の由来の説明看板があった。

曰く、

香風園の歴史は古く、坂出市が生んだ実業界・政界の重鎮 鎌田勝太郎氏(淡翁)が明治41年より43年にかけ、南方に聳える名峰飯野山(讃岐富士)・笠山・角山等を借景に取り入れ鎌田家別邸として築庭された。

築庭の設計者は、宮内庁庭園技師 市川之雄と東京大学 本郷高徳の両氏によるものであり、施工にあたっては、一木一石に至るまで施主 淡翁の思いが名工 岡田伊三郎によって形造られた。

園の構成は、西部域に池泉廻遊式の日本庭園、東部域は芝生広場を中心とした洋風庭園にまとめられた。

庭園は変化に富む汀線を持った池泉に豪快な中島を配し、汀の石組は荒磯の景に見立てつつ、中島に架かる橋は庭園のどの位置からも実に優美な姿を見せるなど多くの大名庭園をも凌ぐものであった。

一方、築山とその外周域には見事な自然形仕立てのクロマツとウバメガシが適所t機所に埴栽され、木々の間には雄大な滝が落ちていた。

時代も移り、昭和30年2月、この香風園を鎌田家より坂出市が買受け、児童公園として、また街なかの公園として広く市民に開放されることになった。

その後、平成元年着工の鉄道高架化事業に伴い、公園の南側一帯が市道坂出宇多津線の道路敷地として利用されることとなり、築庭当時の姿は大きく様変わりした。

市では、坂出駅周辺主要プロジェクト事業の一環として、平成11年度から二か年をかけ香風園を築庭当時の名園に復元し、市街地中心部の公園として広く市民に利用頂けるよう大規模な修復工事を行うこととした。

特に園西部域の日本庭園では南側一帯の汀石及び滝組の復元、併せて西門や庭門、枝折戸、休憩所、露地、園路の新設、築山の大滝の修復、遣水の開設と石橋の架設そして、翠松閣前に芝生の広庭開設などを行う一方、園東部域には、洋風庭園を考え芝生と花木、花壇を中心とした芝生広場とし、園路並びに要所要所に東屋、ベンチ、水飲み場など便益施設を設置した。

この園は和風と洋風の庭を併設した実に優れた地割りであり、日本庭園は池泉を廻遊しながら一歩一景を楽しむことが出来、なかでも茅葺きの時雨亭と茶亭からの眺めは昔時の借景は見られないものの、茶亭の目前には所々に配置された、雪見灯篭・手水鉢・池に浮かぶ見事な亀石、反りをもった土橋、雄大な滝の水落ち、趣のある見事な景石、池泉の汀石、庭内の一木一石にいたるまで築庭当時の景を可能な限り復元整備したものである。

西暦2001年3月吉日 坂出市

↓ 茅葺きの時雨亭

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↓ 池越しに茶亭を望む

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↓ 滝の水落ち

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↓ 池の鯉

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↓ 芝生広場

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個人の庭としては、広すぎる庭だが観光客に来てもらうには狭い庭、イベントするにも付近に駐車場はないし・・・と、使い勝手は悪い。

観月会が毎年ここであるそうだが、そんな使途が一番良いのかも。

里山歩き ”常山”

”つねやま”じゃなく”じょうやま”と呼ぶらしい。

別名”春日山”、高さ283mの山。

金山・常山登山口の標識があるところから登る。

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↓ 標識の登山ガイドのとおり、舗装道路を南に進むと、左手に横潮神社が見えて来た。

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↓コンクリート舗装の残る軽トラがかろうじて通れる山道が続く。

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↓ 金山方面と常山方面への分れ道(曲がらず真直ぐ行くと金山山頂)

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常山方面へ道を辿ると下りになり、やがて視界がぱぁ~と開けて笠山越しに瀬戸の景色が広がる。

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この辺りが金山と常山の鞍(くら)部なのだろう。ここからまた上り道になる。

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↓ 登山口の標識が見えた。標識に矢印を書いてないから、山頂はこっちだろうと推測するしかない。

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↓ やがて、赤白鉄塔

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↓ 二つ目の標識

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↑ この標識にも矢印はない。標識の右へ行く道が山頂。

↓ 急こう配の道が続く。

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↓ 頂上到着と思いきや、ここで初めて矢印標識が出てた。

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でもそこからほどなく頂上へ到着

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わずかに視界が開け、手前に造船所、その向こうに瀬戸大橋が見えた。

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↓ 山頂にある龍玉神社

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↓ 下りは元来た道を戻るつもりが、金山とは反対の飯野山方面に降りてしまった。

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↓ 川津霊園を通り川津小学校を過ぎると「常山登山口」の標識があった。

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↓ 標識に曰く

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常山へは川津からと福江から登れる事が分った。

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休暇村 讃岐五色台

坂出市側から見る五色台に、茶色の屋根に白い壁の宿舎が山の緑に映えて良く見える。

義母の四十九日の法要が終わったその足で、家族全員集合を機に休暇村へ宿泊。

8月最後の土日で予約は無理かと思ったが、運よく取れた。

義母の思し召しだろうか?

バイキングの夕食会場から、夕日がまさに沈まんとする風景が広がっていた。

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今年は瀬戸内海国立公園が、昭和9年(1934年)3月16日に指定されて、80周年を迎える。

世界に美しい海は多いが、瀬戸内海が一番!

中国人が日本にも大きな川があるじゃない!

と言われたことに、どうコメントすべきか?は置いといて、本当に穏やかな大きな流れの海。

↓目覚めると、朝日に映える瀬戸の海 

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↑ 休暇村全景

家族団欒、楽しい一泊旅行が過ごせた。

こんなに近場でこんなに素晴らしい時が流れるありがたさを忘れまい。

久米通賢 その2

坂出市と宇多津町にまたがる聖通寺山。

その中腹にある鹽竈神社の境内に久米通賢の銅像がある。

鹽竈神社は、1828(文政11)年,坂出塩田の安全・繁栄を祈願して宮城県塩竈市の鹽竈神社から,中湛甫の地に勧請したもの。

この神社も久米通賢も塩田に関係あるので、境内に銅像をたてたのだろう。

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大阪で天文・暦学・測量を学んだ久米通賢は、その知識を地形測量に応用し、伊能忠敬より以前に、香川最古の実測地図を完成させた人物。

さぬきにも偉い人はいっぱいいる。

里山歩き ”角山”

角山に登った。高さ184mの山。

↓ 登山口

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ここから登っていくと、広い道路に出くわす。そこを横断するとまた登山口の看板がある。

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坂出シニアライオンズクラブが作ってくれた看板に曰く、

頂上まで急な坂道が続く。

途中には高松の浄願寺山から来た狸の石像、ミニ八十八カ所の石仏、久米通賢の汐見場等がある。

頂上は南北に長く、中央に石鎚神社・剣神社の祠、南側は日の出スポット、北側は瀬戸大橋・備讃瀬戸が望める。

昔は津ノ山,新浜山,山上さんとも呼ばれていた。

↓ 浄願寺から来たと言う狸

高松市四番町にある浄願寺に住んでいた狸で、白ハゲ狸と呼ばれ、現在も「正一位白禿大明神」として浄願寺に祭られている。

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↓ この狸の手前に石の天保通宝があって、そこにこんな文言が書いてあるのだとか。

私ハ、高松浄願寺ノハゲ狸デ、博覧会ニ出サレ、山上サン(角山の事)ニカクレテ来マシタ

高イ所カラ町ヲ見ルト、人間ノナマケ物ガ居ル 

改心シテ職業オハゲミ、学生ハ勉強シ、正直ト親孝行ヲ頼ミマス

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↓ ミニ八十八カ所の石仏像

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↓ 久米通賢が塩田開発の際に坂出を一望したと伝えられる場所に立つ”久米翁汐見場の碑

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汐見場からの眺め ↓

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↓ 山頂へ到着

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↓ 山頂から北を望む

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登山道は山頂の北へ出る、そこから南へ行く道がある。

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↓ 視界が開け、正にお椀を伏せたような飯野山が正面に。

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この場所は日の出の眺望が良いらしく、日の出見台の看板が。

一度早朝登山してみたいものだ。

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