興津・清見寺(セイケンジ)
講演会の翌日は静岡観光。 楽しみ、たのしみ。
3回目の静岡だが、まだまだ見るべき観光地や遺跡がいっぱい残っている。
まずは市内清水区にある清見寺へ案内された。キヨミデラではなくセイケンジと呼ぶらしい。
静岡は場所柄、家康公にかかわる遺跡が多い。ここ清見寺もそのひとつ。
↓ 総門
ネットより引用。
『この寺の歴史は古く、約1300年前の天武天皇朝の頃、朝廷の支配の及ばない東北地方の蝦夷(えみし)の侵入に備え、この地に清見関(きよみがせき)と呼ばれる関所が設けられ、その傍らに関所の鎮護(ちんご)として仏堂が建立されたことが、清見寺の始めと伝えられている。
室町幕府を開いた足利尊氏は、深く清見寺を崇敬し、日本を代表する寺として「全国十刹(じっせつ)」に定め保護した。
江戸時代には、徳川家康が、今川家の人質として駿府に滞在した幼少時代に、当時の清見寺住職より教育を受けたと言われている。
現在でも、お寺の至るところに、徳川家の三葉葵の紋をみることができる。』
階段を上り、総門を入ると、JRの線路が見える。
線路が総門と山門を引き裂くように通っている、少々興ざめ。
何でこんな風に遺跡を引き裂いたのだろう? と思う。
線路の高架橋を渡ると、また階段があって山門に至る。
↓ 山門
↓ 山門の彫り物、左甚五郎の作とガイドが言う。
階段の両側にびっしり、そのまた上にも並ぶ。
江戸時代中期に仏典の編集護持に功績のあった釈迦如来の御弟子の石像。
この羅漢尊者の群像は、島崎藤村の小説”桜の実の熟する時”にも登場するとかで、寺内の案内板に小説の一節が掲載されている。
”起ったり座ったりして居る人の形は生きて物言うごとくにも見える。誰かしら知った人に逢へるといふ”とある。
五百羅漢を横目に裏山の坂道を登っていくと「琉球王子」の墓石があると言う。
沖縄へ旅したばかりで、興味をそそられたが、残念ながらお参りする時間はなかった。
その琉球王子のお墓について書かれた静岡新聞のコラムを増田さんから頂いた。
曰く、
葬られているのは江戸時代初期、琉球から将軍謁見に向かう途上、病没した琉球国の中山王尚寧の弟・具志頭王子尚宏。
後略
↓本堂
↓「お寺の至るところに、徳川家の三葉葵の紋をみることができる」のひとつ、框にも、のれんにも。
もっとじっくりと境内を廻って見たかったがタイムリミットにて、おいとました。
また次回。
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