首里城
琉球王国のグクス及び関連遺産群として、2000年12月に日本では11番目にユネスコ世界文化遺産に登録された。
グスクとは漢字で書くと一目瞭然 『御城』、奄美群島から八重山諸島に多数存在する古琉球時代の遺跡の事。
首里城に来たのは今回で2度目、大学の同窓会ゴルフに来たついでに観光したのが最初。
↓ 守礼門
首里城の創建は14世紀頃と言われるているが、詳しい事は分かっていない。
1406年に尚巴l志が琉球王国支配のための居城として以来、1879年、最後の国王・尚泰が明治政府に明け渡すまで、約500年にわたって琉球王国の政治・外交・文化の中心として栄華を誇った。
1945年の沖縄戦で灰燼に帰したが、1992年に沖縄が本土復帰20周年を記念して復元された。
↓ 歓会門
別名「あまへ御門(ウジョウ)」、”あまへ”は沖縄の古い言葉で「歓んで迎える」という意味。
首里城の城郭内に入る第一の門。中国皇帝の使者を歓迎するという意味で付けられた。
1500年前後創建、1945年沖縄戦で焼失、1974年復元。
↓ 左右の一対の獅子像(シーサー)魔除け
↑瑞泉門
瑞泉とは”立派なめでたい泉”と言う意味。門の前にある湧き水「龍桶」にちなんで命名。
別名「ひかわ御門(ウジョウ)」
↓ 漏刻門
漏刻とは中国語で水時計の事、
櫓の中に水で時間を計る水槽があって、その水時計で時刻を計っていた事で命名された門。
駕籠で登城を許されていた身分の高い役人も、国王に敬意を表してここで駕籠を降りたことから、別名「かご居せ御門」とも呼ばれる。
創建は15世紀頃、老朽化のため昭和初期に撤去されていたものを、1992年に復元。
↓ 広福門、別名「長御門(ナガウジョウ)、現在、券売所として使われている。
↓ 広福門を内側から見る
↑ 広福門を入ると広場があって、いよいよ正殿への最後の門
↓「奉神門」へと導かれる。
門には3つの入り口があり、中央の門は国王や身分の高い人だけが通る門、別名「君誇御門(キミホコリウジョウ)」。
↓ 奉神門を入ると、祭事や儀礼を行ったと言われる「御庭(ウナ)」に出る。
「旅に出よ」カテゴリの記事
- 帝釈峡 その1(2024.12.25)
- 保養所の思い出(2024.12.16)
- 東京見物(羽田空港)(2024.12.18)
コメント