さかいで昔話し(金山鯛)
坂出の東寄りの海は、春さき金色に輝く立派な鯛が獲れる事で有名です。
この鯛を金山鯛といい、この魚のたくさん獲れる魚場を『かなて』と呼んでいました。
この『かなて』には坂出や丸亀の漁師ばかりでなく、東の高松からも香西の漁師をはじめ大勢の漁師がやってきては金山鯛を獲っていました。
金山鯛は高いお金で商いされるものですから、この『かなて』をめぐって、前々から争いが続いていたのです。
「”かなて”は、もともと坂出や丸亀の漁師のものだ。」
「何を言うか、”かなて”は高松の殿様の領地にあるのだから俺たちが獲って何が悪いんだ。」
こうした争いが毎年金山鯛が獲れる春先になると必ず起こっていました。
ここ数年は、高松の漁師たちは見張りの船まで出して、坂出・丸亀の漁師たちが”かなて”に近づかないようにしていました。
「もうがまんならぬ。」
「裁判に訴えて、白黒はっきりさせよう。」
こういって、坂出・丸亀の漁師達は江戸に訴え出ることにしました。
高松の漁師も負けていません。
「こちらからも訴えてやる。」
江戸では『かなて』をめぐって両方の言い分について裁判が行われました。
三年がかりで裁判が行われました。
判決が出ました。判決では『かなて』の境を瀬居島、小瀬居島、室木島の東端を一直線に結ぶ線とする。」というものでした。
高松が徳川将軍家の親類だったものですから、高松側に有利な判決となりました。
この判決文には、有名な大岡越前をはじめ八名の奉行の署名と判が押されています。
このことから八っの判・八判(ハチハン)と言うことばが生まれ、「何をしてもとがめられない。」という意味に、この辺りでは使わるようになりました。
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