さかいで昔話(御供所の鶏石)
大昔、日本の国は、大和と筑紫の豪族によって治められていました。
大和の国を治めていたのは景行天皇で、九州の筑紫を治めていたのは熊襲でした。この二つの国はにらみ合っていました。
景行天皇には大変強い日本(ヤマト)武尊(タケル)という息子がいました。
ある日、景行天皇は、武尊に命じて九州の熊襲を討つよう命じました。
大和の国と筑紫の国の境目がちょうど瀬戸内海のまん中ほどになっていました。
武尊は大勢の軍勢を率いて大和の国の西の端にある坂出の御供所の浜へやってきました。
武尊に味方する兵士が続々集まって来ました。
「軍勢が整い次第、一挙に筑紫の国に攻め込むとしようぞ。」
「今夜はゆっくり休んでくれ。」
武尊軍は、御供所の浜にたくさんの天幕を張り巡らし、出陣の用意を整えました。
さて、筑紫軍では、武尊の動きをつかんでいました。それは、筑紫の国に味方する瀬戸内海の豪族たちが次々に岬にあるのろし台からのろしをあげて筑紫の国に知らせていたからです。
筑紫軍は先手を打って武尊軍のいる御供所浜を攻める事にしました。
筑紫軍は真夜中に船団を組んで沖から一挙に御供所浜を目指しました。
御供所浜にいた武尊軍はどうでしょう。皆んな明日の戦いのために寝入っていました。
暗い闇が、水平線から昇って来る太陽の光で白みはじめました。
その時です。
「コケコッコー コケコッコー」とかん高い鶏の声が浜から聞こえてきました。
武尊軍はいっせいに目覚めました。
見ると沖のかなたに筑紫軍が見えます。
武尊軍も、もうすっかり戦争の準備を整えていましたから、十分に戦えます。しかも昨夜はしっかり眠って休養もとっています。
それに引き換え筑紫軍は夜通し海を渡ってきたのです。戦いの結果はもう言わなくてもわかりますね。
戦いが終わって急を知らせてくれた鶏を探したのですが、見つけることができませんでした。
「鶏の声がしたのはこの辺だ」と人々がいう所には鶏の形をした石が二つ並んでいました。
「そうじゃ。この石が鳴いて武尊軍に知らせたに違いない。」
現在も御供所には二つの鶏石が残っています。
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