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東京に来たのは一年ぶり? だろうか?
「柿茶®」前社長の存命中は「一緒に行こう」と良く誘われ、来たものだった。
今回の上京は、社長の遺志を受け継いだ「柿茶®の仲間の会」を開催するためである。
この会は、「柿茶」が商標かどうかを最高裁まで争った仲間が集う会、
時の流れに逆らえず、当事者はご高齢となり全員参加とまではいかなくなっている。
仲間の親交をあたためた翌日、息子達が東京にいるので東京見物でも・・・
と、長男が連れて行かれたのは名前を良く聞く明治神宮。
祭神はもちろん明治天皇(第122代)と皇后さまの昭憲皇太后
東京は首都で観光地ではない!とずっと思っていた。
でも外国へ行くとたいていの観光地は、その地の首都が観光地、
現に東京には外人の観光客が多い、今でこそ地方の景勝地へ行く人も増えたけれど。
定番だがハトバスに乗って東京見物も一度はしたいものだ。
息子達よ! 何とかしろ!
大相撲を生で見たことはなかった。一度は国技館とかで見たいとは思っていた。
そんなチャンスが突然やって来た。
前々から大相撲”丸亀場所”のポスターが街角にあって、地方巡業で丸亀にも相撲取りが来るんだとは知っていた。
まさかこの日のチケットを、急に行けなくなったので行くならあげると言われるとは・・・・。
行きます、行きます・・・一度は見たいと思っていたんだから・・・と二つ返事で快諾。
観覧席がまた一番前方のかぶりつき席、タマリ席と呼ぶんだそうな・・・。
矢印あたりの席。⇒
会場の丸亀市民体育館では、外でも力士の姿が見れて、中にはテレビで顔馴染の力士もチラホラ。
午前中は、番付の低い力士の取り組みがあり、大物の登場は午後から。
↓ 二階は小中学校の生徒達が招かれて午後からほぼ満席となった。
香川県出身の”琴勇輝”、玉鷲との取組でも勝ち名乗りをあげた。
行司と言い、呼出しと言い、力士と言い、テレビの画面でしか見なかった映像が現実のものとなって飛び出してきたような・・・
そんな思いをしながら 「・・・・これにて本日の打ち止め〜」となった。
こんな好機をくれた「柿茶®」の社長に感謝!感謝。
丸亀走友会のメンバー・黒木さんが入っている丸亀男性合唱団”コール。メル”の発表会が丸亀市民会館であった。
2年に一度練習の成果を公の場で披露しているらしい。そう言えば前回も聴きに行ったっけ。
無料ともあって、約1,000人は収容できる市民ホールはほぼ満席。
団員も、前回2013年10月の開催時より増え、念願だった30名となったそうな。
合唱団の名前「コール・メル」の”メル”が気になっていたが、丸亀ユネスコ協会の小久保さんから由来を聞いてすっきりした。
この合唱団、元々は三菱電機が母体のコーラスグループだった。
三菱電機が何故メルなのか?
は Mitsubishi Electric Corporation の製品愛称名 MELSEC (メルセック)に由来する。
今年は、普段の練習は楽しく全力で、そして、二十数曲ある歌を全員が暗譜し、歌い上げることをモットーにしたと挨拶にあった。
彼らの奏でるドスの効いた歌声は迫力満点、良く聞く黄色い声とは一線を画すものだった。
感動しながら会場を後にした。
”日経BPオンラインに面白い記事があったので送付します。”と知人から送ってくれた記事。
この記事の中に、 「柿にはカリウムのほか、疲労回復や風邪予防に効果があるペクチンも含まれ、 さらに渋に含まれるタンニンは血中アルコール濃度を下げ、二日酔いに効果が あると言われています。」、とあります。
とすれば、タンニンの塊のアスミンに二日酔い防止効果があっても不思議では ないですね。
と。
”小さな組織の未来学”と言うメルマガの10月8日号に女子栄養大学教授・蒲池 桂子氏執筆の『基礎体力がUPする「秋食」のすすめ』と言う記事だ。
「お酒を飲む時柿茶®を一緒に飲めば、悪酔いしない」と
66年間の製造・販売の歴史の中で言われてきましたが、一理あったんだ!と思った次第。
昔、屋島のはげ狸と阿波の狸がばけくらべをしました。
屋島のはげ狸は源平合戦の場面が得意、一方阿波の狸はいつも大名行列をみせるのが自慢でした。
さて、対決の日。はじめは屋島のはげ狸の番でした。
屋島の沖一面に船を浮かべ、海には平家、陸には源氏の軍勢が押し寄せます。
屋島のはげ狸は自分の演技にすっかり満足して勝ったものと得意になっていました。
いよいよ阿波の狸の番です。
向こうの道から大名行列がやってきました。大勢の家来を引き連れています。あまりに上手だったので、屋島のはげ狸は感心して、「これは阿波の狸どの、でかした。」と、行列の前にのこのこ出ていくと、なんとそれは本物の行列だったのです。
屋島のはげ狸はたちまち捕らえられてしまいました。(高松市)
ずーっと昔、飯野山の近くにある島田寺(丸亀市飯山町)に「ゆうへんさん」ちゅうものすごい力の強いおしょうさんがおったんや。
ある時、ゆうへんさんが高松の弘憲寺に用があって来とった。用がすんだけん、いのうとしたら(帰ろうとしたら)、弘憲寺のおしょうさんがゆうへんさんの力をためそうとしたんか、「うちの大門をあげましょう。どうぞお持ち下され」と言うたんやと。
ゆうへんさんは喜んでその大門を軽げに肩に担いで帰ってった。
弘憲寺のおしょうさんは、なしなった大門の跡に呆然と突っ立って、ゆうへんさんの後ろ姿を見送ったんやと。
ゆうへんさんは額坂峠まで来て、ちょっと休もうと大門をおろし、大きな松の木を折り曲げて腰かけとった。
ほんだら馬子が来て、馬の手綱をゆうへんさんの腰かけた松の木にくくりつけようとしたけん「これ。この木につなぐとわしが折り曲げて座っとるきん、立てったら馬がつりあがるぞ」と言うたんやと。
「おしょうさん、てんご(冗談)いうたらいかんわ。そななほっこげな(馬鹿げた)ことあるかいな」言うて馬をその松にくくりつけた。
「そろそろ帰るは」いうてゆうへんさんがひょいと腰を上げたとたん、馬は宙づりになってしもうた。
馬子は手をついて「もういらんこと言わんけに、こらえて(許して)いた」と頼んで、馬をおろしてもろたんやと。
ゆうへんさんが担いできた大門は「一荷かつぎの門」いうて、今でも島田寺に残っとるんやて。
弘憲寺に行くときについていた鉄のつえや、碁を打って帰った碁石の跡が深うひっこんだ碁盤や力試しした大きな石も弘憲寺には残っとるんやと。
国際標準規格 ISO9001及び14001の2015年度版が、9月25日に発行された。
その規格改定セミナーが鳥取であると言うので、同僚と一緒に車で出かけた。
途中、三佛寺に寄りたいと言うので、ふたつ返事でOK!・・・どんな寺か、どんな所にあるのかも知らずに・・・・・・。
断崖絶壁の窪みに建っていると聞いても、まぁ道路から見上げるくらいのもんだろうとタカをくくっていた。
着いて驚いた、一番高いところに建つ投入堂は駐車場のある県道から、さらに登る事200mくらいと云う。
しかも、その道は険しく、滑り易く、岩だらけ。聞けば役行者が開いたとされる行場で登るに必要な人工物は一切ない。
600円の入山料を払う所で、同行人数のチェック、靴のチェックを受ける。
ひとりでは入らせてくれない、靴も底がギザギザでなければダメと言う。
おまけに、一昨日と昨日、滑落事故があって救急車で運ばれたと聞いた。
この10年で3人も死んだらしい。往復1時間半はかかるとも。
えっ! どうする? 行く? 行きましょう、行きましょう、せっかくここまで来たんだから。
幸い靴もOK、ひとりでもない。
ここにおられる方が同行しても良いかと聞かれていますが、どうされます?
いいですよ!もちろん。
と言う事で、3人で登る事になった。不帰のチェックにタスキを各人渡される。
いざ、200m登らん!
さて、三徳山(みとくさん)は、鳥取県東伯郡三朝町にある標高899.6メートルの山。
山名は、
「法身」=美しい
「般若」=にごりのない
「解脱」=働きのある心
の3つの徳に由来すると言う。
この山に天台宗の仏教寺院”三仏寺”があり、古くは山全体が三仏寺の境内となっていたらしい。
↑ 後で分かった事だがこの参道口に置いてあったオートバイの人が
同行を頼まれた人だった。
↓ 参詣受付案内所⑧
ここで服装や靴、同行人数の最終チェック。タスキもくれる。
↓ この門をくぐると宿入橋があり、登山開始となる。
↓文殊堂の縁台から下を見る・・・縁台には手摺も何もない。
↓ 地蔵堂 ④
↓ 鐘楼堂 ③ この鐘、どうやってここまで引き上げたのだろうか???
↓ 納経堂 ② 鎌倉時代の春日造り、本殿建築、投入堂と同じく慶雲三年(706年)の
創建と云う。法華経、華厳経の写経が多数納めてある。
↓ 観音堂・本尊十一面観世音菩薩、正保五年(1648年)鳥取藩主池田光仲により再建
↓ 投入堂・三佛寺奥院=慶雲3年(706年)役行者の創建と伝えられる。
この投入堂には大感激!
険しい山道を登ってきた甲斐があった。それにしても、誰がこんな所にお堂を造ろうと思い、どんな手段で器材を運び、何年かかって完成したのだろうか?
とにかく昔の人のやる事はすごい! ドギモを抜かされる!
パンフレットより、
投入堂は三徳山三佛寺の奥の院であり、日本でも代表的な懸造り建築。
本尊は金剛蔵王大権現。
堂全面は断崖で近づく道さえない垂直な崖に、浮かぶとも建つとも表現し難い優美な姿をかもしている。近年の科学的調査により、平安後期の作であるとされ、現存する神社建築では日本最古級と言われる。
慶雲三年(706年)、役行者が法力をもって岩窟に投入れたといわれ、「投入堂」と人々は呼ぶようになったと云われる。
三徳霊場 読人不知
慶雲三年開かれし役の行者の面影を偲び尊ぶ三徳山、
春は緑につつまれて、夏は青葉の蔭の下、秋は紅葉の眺めよし、
梢にさけぶ百舌鳥の声、冬は山なす銀世界、香の煙や立ちのぼる、
昼尚暗き本堂を、過ぎて注連掛大杉や、宿入橋で口そそぎ、六根清浄ありがたや、
登れば断崖絶壁に建てる御堂は文殊堂、のぞき岩には小鷹松、西に大山船上山、
関の燈台よく見える、少しのぼりて地蔵堂、祈れば子宝授かれる、
鐘つき堂や納経堂、胎内くぐり観音堂
元結掛堂少しすぎ、天下に誇る奥の院、一大奇観の投入堂、
南無ありがや御本尊、アァありがたや大権現、
霊顕日々にあらたかに、訪ずる人の数知れず、
雨の日雪の日風の日も、授かる福や知慧寿命
これが三徳の霊場なり
ここの公園の入口から見える山は聖通寺山といいます。聖通寺が建てられているところから、聖通寺山と言うのです。
ここは昔、細川氏の領地でした。その頃、国のいたる所で領地の取り合いをしていました。
細川氏は海から敵が攻め込まないよう、聖通寺山に見張りをするためのお城を築くことにしました。
この山の頂上付近に大きな岩がありました。
近くの人々は山に登ってはこの大きな岩を拝んでいました。
「家族みんなが無事でありますように。」
ところが見張りの城を造るためには、頂上にあるこの大岩を除かなければなりません。
それでこの大きな岩を下の方に転がすことにしました。
なにしろ20トンをゆうに超える大きな岩です。大勢の人が何日もかかり、やっと下に転がす事ができました。
ところが、城を造る工事が始まったとたん、毎日、毎日、けが人が出るのです。中には死人も出ました。
その上、聖通寺山のふもとの村々でも稲が枯れたり、野菜や果物、それに漁に出ても小魚一匹獲れなくなったのです。病気もはやり始めました。
人々はいつしか「大岩のたたりじゃ。」
「神さんが怒っておいでじゃ。」と、うわさしました。
人々は相談して、大岩にご馳走を供え、神主さんを呼んで祓いをし、許しを乞いました。
その時です。大岩は「ごとん。」「ごとん。」と音をたててゆるぎました。
「よい、よい。許してつかわそう。」
大岩はこういっているようでした。
この大岩は、ゆるぎ岩といって、今も聖通寺山に残っています。
今日は、新聞記事より”早食い”についてのお話し。
私は若い時から、かなりの早食いである。家族からも食事を一緒にした人からも何回、同じセリフを聞いたことか!
『前田さん、食べるの早いですね! はや終わったの?』、
『もっとゆっくり食べなきゃ、体に悪いですよ。』と。
分かっちゃいるが、もう長年の習慣、そう簡単には直らない・・・そんな思いのところに ”早食い、なぜ良くないの?” の記事がたまたま目に入った。曰く、
早食いの習慣は、「脂っこい食事を好む」 や「満腹まで食べる」といった習慣よりも肥満になるリスクが高いと・・・。
早食いの人が肥満になりやすい原因は過食だけではない・・・食べる事はエネルギーを摂取すると同時にエネルギーを消費する。食べる事による消費量は総エネルギー消費量の10%を占め、早食いはそれより当然ぐっと低くなる。
早食いは良く噛んで食べる人に比べ、年間で1.5Kgもの体脂肪が付くことになる。
また、早く食べると血糖値が急上昇するので、それを抑えようと膵臓から大量のインシュリンが分泌、この状態が長く続くと膵臓が疲れてしまい、糖尿病になりやすくなるのではないか・・・と。
以下、詳しくは2015年10月3日(土)日経新聞プラス1をご覧ください。
少し考えさせられた。
よし!これからゆっくり噛んで食べる努力をしよう・・・と。
長続きするかなぁ~???
月刊誌に掲載された柿茶®の宣伝のお話し。
”美ST”は光文社が発行する女性月刊誌のひとつ。
2015年11月号に『私のシミ、取れますか?』の特集で、”内側から漂白するシミ取り栄養素の効かせるとり方ありました!”に柿茶®を登場させてくれた。
掲載の話しがあった時、てっきり例によって有料かと思いきや無料との事、掲載主旨を聞いて 「どうぞ、どうぞ」とふたつ返事。
≪特集1≫
40代の肌悩み第1位。
「クリニック経験率は過半数」「でも、取っても再発する」
「さわっちゃダメ」「コスメは実は効く」
世界一詳しく検証
「私のこのシミ、取れますか?」
↑ 矢印が
『習慣にしやすいビタミンCティ』 として柿茶®が紹介されている。
シミ取りに興味がある方は、是非 本屋さんでお買い求め下さい。
掛川観光 その3
掛川花鳥園は、9,000㎡の大温室に美しい花々と楽しい鳥達を一同に集めた癒し空間。
檻に入った鳥を見るだけだろうと思っていたら、思いのほか楽しい場所だった。
↓ 大名屋敷みたいな門構えの正門から中に。
入園料・大人 1,080円と結構高い、でも60歳以上のシニアー割引があって865円也。
入園すると、檻に閉じ込められたフクロウが眠そうな顔で並んでいた。
↓ 大温室の入口は、インパチェンスやゼラニユウムのテルテル坊主で彩られていた。
人に寄って来るには訳がある。100円で売っている餌を食べに来るだけ。
エサを持たない人には飛んで来ない。
でも可愛い鳥たちが手や肩にとまったら何か嬉しい。
そんな嬉しさがこの園の魅力なのかも知れない。
↓ インコのスイレンプール
↓ オオオニだけあって花も巨大
残念ながらお花の下ではお食事しなかったが、実に楽しい場所だった。
静岡での講演会あくる日、増田さんが掛川へ観光に連れて行ってくれた。
掛川市は全国屈指のお茶処で、古くから東海道の宿場町でもあり、山内 一豊に代表される城下町として栄えて来たところと言う。
山内 一豊と言えば高知城しか知らなかったが、調べてみると秀吉から小田原征伐の功として、ここ掛川に5万石強の所領を与えられ、城の修築と城下町づくりを行った、とある。
今回、掛川城には行けなかったが、東海の名城として掛川市のシンボルとなっている。
まず最初に行った所は「掛川道の駅」、国道1号線の日坂バイパス沿いに位置し、掛川地場産の農作物が勢ぞろいすると聞いた。
年中賑わっているらしいが、この日は連休とも重なって事の他大勢の人でごったがえしていた。こんにゃくが美味しいと、出来たてホヤホヤを大量に買占め。
次に向かった先は「事仕八幡宮(コトノママ)」、”コトノママ”の名が「願い事が意のままに叶う」の意味を持つ事から、多くの人が旅の安全や願い事成就を祈るために立ち寄る神社という。
清少納言の「枕草子」や十返舎一九の「東海道中膝栗毛」などにも「願い事が叶う神社」として登場するとか。
↓ 折りしも秋祭りの最中
以下 その2へ続く。
2015年9月18日(金)、静岡の増田 桂子氏毎年実施している講演会に参加してきた。
会場はいつもの静岡県男女協同参画センター「あざれや」。
主催は「健康への道しるべ」を発行している「健康生活研究会」、共催は我が「NPO法人健康を考えるつどい」。
講演会場では、ミニギャラリーやバザー、おにぎり・パンなどの販売も行われていた。
13時より講演会開始、増田 桂子氏による開会挨拶の後、介護福祉士の熊代 維勢子先生のご講演「あきらめないで!認知症」。
熊代先生は名古屋で在宅介護・家事支援センター「てとてと」を運営しておられる。
↓ 熊代先生の講演風景
14時からは、西式健康法を取り入れた日本でも数少ない医師のおひとり・渡辺 完爾先生によるご講演「細胞を若返らせ、健康寿命を延ばそう!」。
健康寿命を延ばすための、いろいろな因子についてお話しを頂きました。
その中のひとつ・お通じがいかに大事かでは、便通がお肌のトラブルにも QOL(Quality of Life は、『生活の質』と訳され、人間らしく、満足して生活しているかを評価する概念)にも深く関わっているとの説明があった。
講演会の後、同会館で講師の先生方を囲んで懇親会が開かれ、健康法についてのさらなる知識を深め合った。
講演会を主催された健康生活研究会の増田 桂子代表はじめ、サポートして頂いた多くのスタッフの方々に御礼申し上げます。
有限会社『生(セイ)化学研究所』とは勿論会社名である。
何をしている会社かと言うと、柿の葉のお茶を製造・販売している会社。
「どこにお勤めですか? 生(セイ)化学研究所です」
「えっ! 性科学研究所? ですか?」
そんな話しもあって社長曰く、
電話対応時は「はい、生化学研究所」とは言わず、「はい、柿茶です。」と言いましょう。
賛成です。賛成。
でも長年、電話で「生化学研究所の柿茶です。」と言ってきた。
が、今はもちろん「柿茶です。」と言っている。
今日、電話がかかってきた。普段は取らないのに、他に誰もおらず出た。
「はい、柿茶の前田です」と。
「えっ!セイカガクじゃないの?」
「ハイ、生化学です。」
「なんだ!そうですか、それじゃ、柿茶の注文、お願いします」
これを聞いて考えさせられた、長年の習慣の恐ろしさを。
柿の葉茶は多くのメーカがつくっている。
生化学研究所もそんなメーカのひとつ。
ずっと柿の葉茶を買ってくれたお得意様は、生化学研究所のお茶でないと、安心でいない・・・のでは。
「柿茶」は柿の葉を原料としたお茶、でも普通名詞とは違う、普通名詞は”柿の葉茶”と言う。
(有)生化学研究所の前社長が「柿茶」をめぐる商標闘争で最高裁までいって勝ち取った商標。
価値ある名前なのだ。
だから、安易に普通名詞として「柿茶」を一般的に使わないように・・・
と気をつけている。
ちなみに、「生化学研究所」の命名は西式健康法を編み出した西 勝造先生によるもの。
生化学研究所の創業者・井上信夫氏が、西先生指導下で柿の葉茶を製造・販売し始め、会社組織にした時、西先生から賜った名前だと聞いている。
↓ 創業者・井上信夫氏
↓ 二代目 井上 信幸氏
二代目は私の高校時代の友人。ドリーマーズでテレビ出演もした有名人。
やっぱり、「柿茶の生化学研究所です」と電話で言うのが良いのかなぁ~と悩む日々である。
もうすっかり芸術祭として定着した瀬戸内国際芸術祭、
3年に一度しか開催されない事が、マンネリ化させない集客効果を維持している。
その芸術祭のポスターが早くも出回っていた。
香川・岡山両県の熱の入れようがわかる。
今回のテーマは「海の復権」。
開催期間 2016年
◆ 春:3月20日(日・春分の日)ー4月17日(日) 29日間
◆ 夏:7月18日(月・海の日) ー9月 4日(日) 49日間
◆ 秋:10月8日(土) ー11月6日(日) 30日間
*会期総計: 108日間
◆ 会場
全会期・・・直島、豊島、女木島、男木島、小豆島、大島、犬島、
高松港周辺、宇野港周辺
春会期のみ・・・沙弥島
秋会期のみ・・・本島、高見島、粟島、伊吹島
古来より交通の大動脈として重要な役割を果たしてきた瀬戸内海。
行き交う船は島々に立ち寄り、常に新しい文化や様式を伝えてきました。
それらは、個々の島々の固有の文化とつながり、育まれ、美しい景観とともに伝統的な風習として今に残されています。
今、世界のグローバル化・効率化・均質化の流れの中で、島々の人口は減少し、高齢化が進み、地域の活力の低下によって、島の固有性は失われつつあります。
私たちは、美しい自然と人間が交錯し交響してきた瀬戸内海の島々に活力を取り戻し、瀬戸内海が地球上のすべての地域の『希望の海』となることを目指し、瀬戸内芸術祭を開催します。
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