三徳山
国際標準規格 ISO9001及び14001の2015年度版が、9月25日に発行された。
その規格改定セミナーが鳥取であると言うので、同僚と一緒に車で出かけた。
途中、三佛寺に寄りたいと言うので、ふたつ返事でOK!・・・どんな寺か、どんな所にあるのかも知らずに・・・・・・。
断崖絶壁の窪みに建っていると聞いても、まぁ道路から見上げるくらいのもんだろうとタカをくくっていた。
着いて驚いた、一番高いところに建つ投入堂は駐車場のある県道から、さらに登る事200mくらいと云う。
しかも、その道は険しく、滑り易く、岩だらけ。聞けば役行者が開いたとされる行場で登るに必要な人工物は一切ない。
600円の入山料を払う所で、同行人数のチェック、靴のチェックを受ける。
ひとりでは入らせてくれない、靴も底がギザギザでなければダメと言う。
おまけに、一昨日と昨日、滑落事故があって救急車で運ばれたと聞いた。
この10年で3人も死んだらしい。往復1時間半はかかるとも。
えっ! どうする? 行く? 行きましょう、行きましょう、せっかくここまで来たんだから。
幸い靴もOK、ひとりでもない。
ここにおられる方が同行しても良いかと聞かれていますが、どうされます?
いいですよ!もちろん。
と言う事で、3人で登る事になった。不帰のチェックにタスキを各人渡される。
いざ、200m登らん!
さて、三徳山(みとくさん)は、鳥取県東伯郡三朝町にある標高899.6メートルの山。
山名は、
「法身」=美しい
「般若」=にごりのない
「解脱」=働きのある心
の3つの徳に由来すると言う。
この山に天台宗の仏教寺院”三仏寺”があり、古くは山全体が三仏寺の境内となっていたらしい。
↑ 後で分かった事だがこの参道口に置いてあったオートバイの人が
同行を頼まれた人だった。
↓ 参詣受付案内所⑧
ここで服装や靴、同行人数の最終チェック。タスキもくれる。
↓ この門をくぐると宿入橋があり、登山開始となる。
↓文殊堂の縁台から下を見る・・・縁台には手摺も何もない。
↓ 地蔵堂 ④
↓ 鐘楼堂 ③ この鐘、どうやってここまで引き上げたのだろうか???
↓ 納経堂 ② 鎌倉時代の春日造り、本殿建築、投入堂と同じく慶雲三年(706年)の
創建と云う。法華経、華厳経の写経が多数納めてある。
↓ 観音堂・本尊十一面観世音菩薩、正保五年(1648年)鳥取藩主池田光仲により再建
↓ 投入堂・三佛寺奥院=慶雲3年(706年)役行者の創建と伝えられる。
この投入堂には大感激!
険しい山道を登ってきた甲斐があった。それにしても、誰がこんな所にお堂を造ろうと思い、どんな手段で器材を運び、何年かかって完成したのだろうか?
とにかく昔の人のやる事はすごい! ドギモを抜かされる!
パンフレットより、
投入堂は三徳山三佛寺の奥の院であり、日本でも代表的な懸造り建築。
本尊は金剛蔵王大権現。
堂全面は断崖で近づく道さえない垂直な崖に、浮かぶとも建つとも表現し難い優美な姿をかもしている。近年の科学的調査により、平安後期の作であるとされ、現存する神社建築では日本最古級と言われる。
慶雲三年(706年)、役行者が法力をもって岩窟に投入れたといわれ、「投入堂」と人々は呼ぶようになったと云われる。
三徳霊場 読人不知
慶雲三年開かれし役の行者の面影を偲び尊ぶ三徳山、
春は緑につつまれて、夏は青葉の蔭の下、秋は紅葉の眺めよし、
梢にさけぶ百舌鳥の声、冬は山なす銀世界、香の煙や立ちのぼる、
昼尚暗き本堂を、過ぎて注連掛大杉や、宿入橋で口そそぎ、六根清浄ありがたや、
登れば断崖絶壁に建てる御堂は文殊堂、のぞき岩には小鷹松、西に大山船上山、
関の燈台よく見える、少しのぼりて地蔵堂、祈れば子宝授かれる、
鐘つき堂や納経堂、胎内くぐり観音堂
元結掛堂少しすぎ、天下に誇る奥の院、一大奇観の投入堂、
南無ありがや御本尊、アァありがたや大権現、
霊顕日々にあらたかに、訪ずる人の数知れず、
雨の日雪の日風の日も、授かる福や知慧寿命
これが三徳の霊場なり
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