国分寺の鐘
昔、安原(高松市塩江町)の百々が淵(ドウドウガブチ)と言う底なし沼に人をさらう大蛇がおった。
困った村人は、別子八郎と云う弓の名人に大蛇退治を頼んだんや。
八郎は自慢の弓矢を持って、百々が淵に行った。
ばんげになると、ギラギラ光る大蛇の目が見えた。八郎はその頭めがけて矢を放ったんやが、カチンカチンと跳ね返る。
なんと大蛇は頭に鐘をかぶっとったんやがな。そいで八郎が信心しとる国分寺の観音様にお祈りして出直すと、今度は見事に大蛇を射とめる事ができた。
大蛇の死体は、その晩に降った大雨に流され、遠く香西の海にうかんどったそうや。観音様のおかげ、と八郎は大蛇のかぶっとった鐘を国分寺に奉納した。
その鐘の音はなんともええ音で、村中に響き渡ったんやと。
数年後、国分寺を参った高松城のお殿様がこの鐘の音をがいに気に入り、お城に持っていぬと言い出した。
寺はしぶしぶ差し出したんやが重うて動かん。五十人の大男が何日もかけて城まで運び、鐘をついてみたが、ならんのや。力自慢が何人もでついて、やっと音が出たが「こくぶへいぬ。こくぶへいぬ」と泣くように聞こえるんやそうな。
「鐘がものいうた国分の鐘が。もとの国分へいぬというた」
いう歌が城下にはやりだし、殿様は病気になった。困ったことが次々とおこるんで、鐘を国分寺へ戻すことにした。国分寺にはたった八人で、一日で運ぶことができたんやと。
国分寺に戻った鐘は前よりよう響いて、人の心を和ませた。ほんで、この鐘は不思議に冬でも汗をかいていることがあるそうや。
「鐘がなるなる 国分の鐘が 三里聞こえて 二里うどむ」
今でも土地の人々は、この鐘の音を聞きながら歌うそうじゃ。
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