手紙
前略
田中君の訃報に接し、奥様に手紙を書こう書こうと思いながら遅くなってしまいました事、お許し下さい。
訃報に、大いに驚き,悲しみ,やがて今から私も含め、同期生がぽつりポツリとあっちの世界に行くのは運命とあきらめ、覚悟して過ごす日々です。
思えば数年前、箱根の同窓会で奥様同伴で来られた田中君にお会いしたのが彼の顔を見た最後だったと悔やまれます。狭心症で治療中との話を年賀状?で聞いたことがあり、メールで病状について数回やりとりした事が思い出されます。亡くなられたのは、その病に派生したものと友人から聞きましたが、そうなのでしょうか。
申し遅れましたが、私は田中君とは徳島大学工学部電気工学科・昭和38年入学の同期生です。高校を卒業し初めて親元を離れ、ひとり暮らしが始まる不安の中、私が下宿先で出会った最初の友達が田中君でした。
そこは新築されたばかりの定員4名の下宿で、たまたま私と同じ電気工学科の新入生が4人入居致しました。
田中君とはふすま一枚で仕切られた隣同士の部屋で、最初に襖越しに聞こえてきたのは西田佐知子の歌声でした。それまで受験勉強で音楽などほとんど聞かなかった私には、とても新鮮で、LPレコードとプレーヤーを持っている田中君にも驚きました。彼は大の西田佐知子ファンで、毎日レコードを聞かされるうちに彼女の歌はやがて私の大好きな歌謡曲となり、学生時代の思い出となりました。最近めったに行かなくなったカラオケへ行くと、懐かしさで時には涙ながらに歌うこともあります。
そんな学生時代を一緒に過ごした田中君の思い出は数えきれないほどですが、中でも人とは違う価値観を持っていたような気がします。その顕著な例は卒業時に「僕はもう一年勉強するから」と卒業できたのに留年した事で、これには私も驚きました。
お互い卒業し就職してから、会う機会もないままでしたが、還暦の同窓会で何十年ぶりかで徳島で会ったことが、つい昨日のように懐かしく思い出されます。ここに田中君へ深く哀悼の意を表し、心よりご冥福をお祈り申し上げます。
早々
2016年1月20日
« さぬきの昔話(おろくダヌキ) | トップページ | 第5回健康観音フロントコンサート »
「日々生活の中で」カテゴリの記事
- 聖通寺山(2023.11.16)
- LINE乗っ取り(2023.11.02)
- 白髪染め(2023.10.02)
- 格差(2023.10.03)
- 2023年度 四国ブロック・ユネスコ活動研究会 in 四国中央市(2023.09.05)
コメント