坂出の昔話(三味線島のはなし)
今はもうすっかり陸続きになってしまっているのですが、番の州公園の北の方に二つの島がありました。
東の方の島を瀬居島、西の方の島を沙弥島と言いました。
ところが、大昔にはこの二つの島は、三味線島と呼ばれひとつの島でした。
何故このひとつの島が二つに分かれたのでしょう。
昔、三味線島には東西に二軒の金持ちがいました。東家と西家です。
どちらの家も大きな舟を持ち、大勢の奉公人を雇って堺や長崎の商人と商いをしていました。
東家には清吉、西家にはしのぶという娘がおりました。おそらく清吉としのぶが夫婦となって両方の家が益々栄えていくだろうと、みんな思っていました。
さて、東家の雇い人におみのという器量よしで働き者の娘がいました。東家の清吉は実はこのおみのが大変好きでした。またおみのもりりしく働く清吉が好きでした。
西家との婚礼話がおこった時、「私はおみのを妻にしたいのです。すいませんが西家さんに断ってくれませんか。」とお父さんに頼みました。
「馬鹿をいうな。おみのはうちの女中ではないか。東家と西家が結ばれるということは家にとってもお前にとってもいいことなのだ。おすみのことは忘れてくれ。」
それから間もなくして、東家からおみのの姿が見えなくなってしまいました。
清吉はたいそう悲しみました。
ある秋の夜のことです。朝からどんよりと曇っていた空から大つぶの雨が降り始めました。
風が強まってきました。台風です。何と七日間も嵐が続きました。
そして、それが収まったかと思うと今度は大地が大きく揺れる大地震がやってきました。続いて大津波がおそってきました。「逃げろ。逃げろ。」人々は島の高台に懸命に駆け登りました。
恐ろしい夜が明けました。
「あれ!。島が二つになっている。」
人々の指さす方を見ると三味線島はまっぷたつに分かれています。
人々は西の島を「しゃみ島」、東の島を「せん島」と呼びました。
二つの島を合わせると、元の「しゃみせん島」になりますね。
「せん島」はのちに「せい島」と呼ばれるようになりました。
また津波のためにできた州を「一晩でできた州」ということから、「ばん(晩)の州」と呼ばれるようになったということです。
この話、名前の由来が分かり、へぇ~と思ったが、肝心の清吉とおみのの恋物語はどうなったの???
島がふたつに分かれたのは、二人の仲を引き裂いた崇り? 一体誰のたたり?
« 初日の出 | トップページ | 健康への道しるべ 第118号 »
「昔ばなし」カテゴリの記事
- 坂出の昔ばなし(「蛸埼」のいわれ)(2016.04.06)
- さかいでの昔ばなし(与島の妙見さん)(2016.03.01)
- さぬきの昔ばなし(ぜんわん岩)(2016.02.28)
- 坂出の昔ばなし(大師泉)(2016.02.14)
- さぬきの昔話(おろくダヌキ)(2016.01.19)
コメント