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ハワイに出雲大社の分院があるのをご存知だろうか。
乗り降り自由のJTB’OLI 'OLIカードが使えるバス(ウォーカー・トロリー)のルートに”ハワイ出雲大社”の名前を見つけた。
神社好きの私、早速出かけた。
バスを降りると川を挟んですぐの所に鎮座していた。
↓ 狛犬もいかにもハワイらしい
ふぁ
ぁfkk
kk
jjjjds
↓ IZUMO OFFICE(社務所)
ちゃんと朱印帳も書いてくれた。
朱印帳を持参していれば💲2.00(ab.200円)、
紙に書いてもらうと💲3.00(ab.300円)、
日本では持参しようと紙でもらおうと300円。
まぁ~こんなものか。
明治39年(1906年)鎮座と言うから、110年もの歴史ある神社だ。
曰く、
出雲大社(島根県出雲市鎮座)の分院、1906年広島県の神職・宮王勝良氏によって日系移民への神道布教を目的とした出雲大社教会所が開設された事に始まる。
<御祭神> 大國主大神・ハワイ産土神
(合祀) 沖縄神社・波上宮・普天満宮の御分霊、
恵美須神社、ワイアナエ氏神、稲荷神社、祖霊社
大国主命の「因幡の白兎」の話は有名、でもそれに続く物語に
「赤猪抱き(アカイダキ)」と言う話があるのを↓の案内パンフで知った。
因幡の国の八上姫が他の兄弟の神々の求婚を断り、大国主大神様に嫁ぐと決められたので、兄弟の神々が怒ってしまい大国大神様を亡き者にする話。
赤い猪を追い落とすから、それをしっかりつかまえる様に、と言い聞かせ赤い猪に似ている真っ赤に焼けた熱い大石を山の上からころがしたのです。
そうとは知らない大国主大神様は、その大石をしっかり抱き止め大火傷により死んでしまわれたという話です。
正しい道を歩んでいる大国主大神様が、間違った道を歩んでいる兄弟の神々のために赤猪を抱かされて死んでしまう。
何ともむごく不公平で道理に合わない・・・・アト略
この話のお諭しは、
この赤猪抱きの示していることは、当たり前のこと、正しいこと、世のためになることを行うものは、すぐには世間で認められたり、褒められたりしないものだ、と言うこと。
↓ 「赤猪抱き」の話
この因幡の白兎に続く「赤猪抱き」の話、外国のハワイで初めて知ったとは!
夜になると、ワイキキのメイン通り・カラカウア通りには、
いろんな路上パーフォーマーや、出し物が出てくる。
アクセサリーなど小物を売る人、お客の顔を描く似顔絵イラストレーター、路上芸人・・・・ 等々。
そんな中でひときわ人目を引くのが、生の人間演ずる紛い像。
全身を金色や銀色に塗りたくり、台の上で微動だにせず、
ロダンの考える人になったり、直立不動になったりする。
その微動だにしない姿に感動した観光客が、托鉢の鉢にお金を入れる。
ハワイ旅の仲間が、10💲入れた。
その結果は↓
台の上にあがれとのジェスチャー、写真も撮れと・・・。
そこで記念にパチリ。
托鉢に入れるドルの額で、態度が変わる。
これぞ!ハワイ名物。面白い!
♪ この樹~なんの樹~気になる樹 ♪♪♪~のCMソング、
日本人なら誰でも一度は聞いたことのあるメロディー。
この木のある公園・モアナルアガーデンが、JTBよくばり一日観光ツアーのコースに入っていた。
高さ 25m、幅 40mもあるでっかい森のような樹、
幅が広いのが日本では見られない大きさだ。
ガイドがパンフレットを持ってきてくれた。”日立の樹”と書いてある。
てっきり、観光パンフと思ったら、日立製作所が作ったものだった。
考えてみると当然ちゃ、当然!
この樹を見に日本人が多く訪れるのを、最初、現地人や外国人は不思議に思ったそうな。
それもその筈、♪ 名前も知らない樹ですから~ ♪♪と歌われているが、
ハワイにはどこにでもある ”モンキーポッド”と言う名の木。
パンフより
「日立の樹」はモンキーポッドと呼ばれる、中南米を原産とする豆科の植物です。
一般にモンキーポッドは広く広く熱帯各地に分布しており、
高さは20~25mほど、枝を広げた直径は時に30m以上にもおよびます。
その枝の広がりから公園などの日陰樹として植栽されています。
和名はアメリカネムノキ。
地元の人々や観光客の憩いの場として長年にわたって親しまれているモアナルア・ガーデン。
広大な敷地には、樹齢100年を超える巨木が点在し、カメハメハ5世の時代(1850年代)に建てられたコテージも現存するなど、ハワイの歴史と文化を今に伝える。
↓ 日立の樹以外にも周りには同じような大木がいっぱい。
↓ 樹の中に入ると
瀬戸芸春会期も早いもので4月17日で閉幕。
まだ見に行ってなかった、旧沙弥小学校の教室で展示するアート作品を見に行った。
今回の沙弥島のアートは神戸芸術工科大学の”沙弥島アートプロジェクト”が企画・制作したもので、テーマは『三つの赤』
坂出市の特産物・「金時人参」「金時いも」「金時みかん」に由来する。
1、『ハレの日、金時への道 』 By かわいひろゆき
14㌧の工業用の塩が山のように積まれ、瓶詰めされた金時ニンジンのピクルスが塩に埋まる。
金時人参栽培は、塩田の砂地を利用した経緯があり、沙弥島や地域の特徴を伝える重要な産物。
また、瀬戸内の歴史を遡り、縄文・弥生からの遺跡や土器の破片が残る沙弥島において、脈々とつながる人間の営みを思うとき、焼き物や火や人間の血の「赤」が想起される。
プロジェクトによるこれら作品は、沙弥島の位置する坂出市の歴史や特徴を捉え、そこに現代的な視点を加え、来場者にそれぞれの思いを伝える。
・・・とある。
雑談・・・使用した塩14トンはどうするの?と聞いた人がいる。
海へ返すのか?
NO ! no !
海へ返すと部分的に塩分濃度が高くなって、生態系に影響するかも知れない、
で、産業廃棄物としてごみ処理する のだそうな~。
↑ 不要の赤いボタンが地域から集まり、一つのハート形絨毯になって空間に浮かぶ。
その地面には白いボタンの砂浜が広がる。
赤いボタンは一個一個天井から釣り糸で吊るし、その長さを調整するのは大変だったと思われる。
↓ 『赤いネジ』 By しりあがり 寿
↑ 力を表す巨大な複数の赤いネジが教室の床に食い込むように回り続ける。
学校だったという過去の力と、それを忘れさせようとする時の力が
赤いネジとなって、しまったりゆるんだりしながら
ただ、回り続けるのであった!!
この瀬戸芸、経済効果はいかばかりなものか?
人が集まるしかけを創出するのは知恵の出しよういかん。
2016年4月8日(金)
廃線となった鉄道線路跡を歩いたのは、はじめて。
旧JR福知山線の武田尾線。
武田尾線は廃線以降、トンネルや鉄橋が整備されておらず老朽化しているため、正式なハイキングコースとしては認めらていない。
区間のあちこちにも「告」の看板ありて、
「落石や事故があっても自己責任です」
と、書いてある。
でも、比較的平坦な道のりであることと、梅田から電車で約40分と地理的にも近いこともあって、関西で人気のハイキングコースのようだ。
SHの創立記念日イベントで、このハイキングを企画してくれた。
JR福知山線・新三田行で生瀬駅下車、ハイキング開始。
約7Km、昼食を入れて約2時間半のコースだ。
↓ スタートはJR生瀬駅から武田尾駅まで。
↓ コースは線路跡がはっきり分かる枕木の並ぶ道
↓ 武庫川沿いの道は列車が走っていた頃を想定するに、
さぞかし車窓から眺める風景に癒されたと思われる。
この日は昨日降った雨で、普段は水量が少ない川にとうとうと水が渦巻いていた。
↓ 北山第一トンネルを抜ける
↓ トンネルを抜けると雪国だったではなく、鉄橋だった。
↓ 鉄橋横の保線通路がハイキングコースに化けた。
↓ 「さくらの名所・たけだお」で昼食
金沢在住の豊岡氏から石川県でも百年祭をやるとの案内がありました。
公益社団法人自彊術普及会と言うのが東京にあり、全国に53,000人もの会員がいる。
↓ 普及会のホームページはこちら
http://www.jikyou.com/index.html
自彊術を考案した中井房五郎氏の地元・坂出市では、その会員はゼロに近い。
『蛸埼』のいわれ
この公園のあたりは、昔海岸で、蛸埼と呼ばれていました。
なぜ、蛸埼と呼ばれるようになったのでしょうか。
昔、この海岸では牛を放して、牛たちが休む場所としていました。
牛たちは田を耕したり、荷物を運んだりと今のトラックの役目をしていました。
おおかたの家で牛が飼われていました。
でも、牛は生き物ですからリラックスさせないといけません。それでこの海岸で牛を放して自由に遊ばせていたのです。
さて、この海岸の沖には、蛸がたくさん棲んでいました。
ある日のこと、ものすごく大きな蛸が突然現れて、遊んでいた牛に飛びついて来ました。
牛はびっくりして、蛸を振り落とそうとしましたが、大きな吸盤で吸い付いたものですから、なかなか離れません。
牛は一生懸命走りに走って自分の牛小屋に逃げ帰りました。
家の人は、この有様をを見て、
「大変だぁ。大蛸が牛に乗っているー。助けてくれ。」と叫びました。
近所の人たちが総出で、やっと大蛸を退治することができました。
その大蛸は、300人以上の村人たちが三日間かかっても、食べることができなかったという事です。
このことがあってから、この海岸を蛸埼と呼ぶようになったということです。
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