鬼ヶ島大洞窟
鬼ヶ島の洞窟へは昔々行った事がある。
記憶では「洞窟」だけ、何も人工的なものはなかった。
洞窟に入るのは無料だったが、今はお金が要る。
↓ まず洞窟道案内に、赤鬼・青鬼の看板
この鬼ヶ島謎の洞窟は、人の手によって造られた洞窟といわれています。
また洞窟は、古代中国の要塞に似せて構築されており、ここ玄関口から中ほどにかけては、防御しやすい構造に、また中ほどから出口にかけては、逃げやすい構造になっています。
昭和6年に公開された砦の形態をそなえたこの洞窟は、その巧妙な手法と規模の広さなどにおいて、他に類を見ないものです。
まだまだ解明されてない謎もあり大変興味深いものです。
玄関は、2本の柱と二つの鬼番人の控室によって構成され、大手門の形態を整えている。
桃太郎征伐の童謡の発詳は菅原道真公が讃岐滝宮に6年間在任中に執筆されたと云われ、
桃太郎は第七代孝霊天皇の第八皇子雅武彦命、犬に備前岡山犬島の住民、
猿は讃岐陶村猿王の住民、鶏は讃岐鬼無鶏ヶ谷の住民、
鬼は往時、瀬戸内海一円に猛威を奮った海賊と云われている。
この鬼大将の会議室では、鬼達が毎夜酒盛りを行い、その大きな夢を語りあったと云われている。
昔の瀬戸内は、大陸(中国)からの文化が入ってくる大変重要な経路でした。
当時、大陸への交通手段としては船が唯一のものであり、中でも高度な航海技術をもつ彼らは、ロマンの帆をいっぱいに膨らませ、豊かな恵みを受けたと思われる。
↓ 鬼大将の部屋入口
鬼の大将が住んでいたと云われている大広間で、抜け穴や飾り棚などが配置されている。
↓ 幻想的な仏様???
出口から入ればタダ?
と、せこい考えが思い付いたが、「ここから入ると洞窟内の電気が消えますのでご注意!」とある。
これ、たぶん嘘、だって正規に入った人が困るでしょう・・・・。
桃太郎伝説のある大洞窟は、島の中央・鷲ヶ峰の中腹にあり、広さ 4,000㎡、奥行き400m。
女木島が「鬼ヶ島」とされる由縁は、香川県の桃太郎伝説にある。この桃太郎は吉備津彦命の弟「稚武彦命(ワカタケヒコノミコト)」がモデルで、吉備の国から讃岐の国に来た時、土地の住民が鬼(海賊)の出没で苦しんでいるのを知り、イヌ・サル・キジを率いて鬼を征伐した。
イヌは備前の犬島(岡山県)、サルは陶の猿王(香川県綾南町)、キジは雉ヶ谷(香川県鬼無町)に住む勇者だったと言われる。
鬼が住んでいたのが女木島で、桃太郎が鬼を退治して鬼がいなくなったことから「鬼無(キナシ)」という地名ができたと言われている。
大正3年に橋本仙太郎が大洞窟を発見したことによって、桃太郎伝説と女木島が結びつき、以来、女木島は「鬼ヶ島」と呼ばれる。
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