九份 その1
二度目の台湾、5年ほど前に柿茶の井上社長と来て以来。
その時も九份へ行ったが、今回も何故か懐かしい思いがして行きたくなった。
アニメ 「千と千尋の神隠し」の舞台を彷彿とさせる街並みが好きだ。
ガイドによると、九份という地名は開墾した土地を9人で分けたところから付いたと言う。
九份は台湾北部に位置する一寒村に過ぎなかったが、19世紀末に金の採掘が開始された事に伴い、徐々に採鉱夫が各地から集まり、日本の統治時代に藤田組によりその最盛期を迎えた。
九份の街並みは今もその時代の面影を色濃くとどめている。
日本の台湾統治が終戦まで約50年も続いた事実を、今更ながら長い期間と再認識させられた。
今も、その間日本人がした良い事も悪い事も、現地人には語り継がれているに違いない。
第二次世界大戦後に金の採掘量が減りはじめ、1971年に金鉱が閉山されてから、町は急速に衰退し、元の一寒村に戻った。
その寒村が再び脚光を浴びたのは、それまでタブーとされていた二・二八事件を正面から取り上げ、台湾で空前のヒットとなった映画 『悲情城市(A City of Sadness)』(侯孝賢監督)のロケ地となったことによる。
映画を通じて、時間が止まったようなノスタルジックな風景に魅せられた若者を中心に多くの人々が九份を訪れ、メディアにも取り上げられるなど、台湾では1990年代初頭に九份ブームが起こった。
アニメ 「千と千尋の神隠し」の舞台との説はスタジオジブリは否定している。
↓ 九份の街並み
↓ 千と千尋の神隠しの舞台と似た茶楼 「阿妹茶楼(あめおちゃ)」
↓ 湯婆婆(ゆばぁば)の屋敷
千と千尋の神隠しの映画のキャラクターの顔のお守りを店で買えます。
と、書いてある。
日本統治時代、金の採掘量が一時下火になった時、藤田組はその採掘権を現地の”顔”氏に譲り渡した。
しかしその後、顔氏の努力でまた新しい金鉱が見つかり、採掘量が増えて顔一族は繁栄したとか。
その子孫が、今日本で活躍する歌手”一青窈”さんだと、ガイドさんは結んだ。
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