浜松観光(龍潭寺)
井伊直虎ゆかりの寺。(リョウタンジ)
井伊家二十四代・井伊直政は徳川家康に任え、井伊の赤鬼と恐れられ、家康を支え続けた徳川四天王の一人。
その直政の養母が直虎。
えっ~ ”直虎”って女なんだ。
今川の門下に下った井伊家は、男達が次々と戦死・殺害される中、直虎は次期当主・直政を後見人として養育しつつ、龍潭寺二世南渓和尚の計らいで女城主として井伊家を支え、お家断絶の危機を救った。
直虎が龍潭寺で出家した際は「次郎法師」と名乗っていた。
その後、井伊家からは、井伊直弼が排出され、幕府の要職である大老に就任し、開国を決したのはあまりに有名。
龍潭寺は奥浜名湖を代表する5つの名刹「湖北五山」の一山。
境内・堂内には国指定名勝にもなっている小堀遠州作の庭園や、江戸の名工の左甚五郎作と伝わる鴬張りの廊下や龍の彫像などがある。
↓ 入口
↓ 小堀遠州作の庭園
江戸時代初期に造られた池泉鑑賞式庭園。昭和11年に国の名勝記念物に指定された。
↓ 直虎の像がある部屋
↓ 井伊氏歴代墓所
井の国を本拠としてきた井伊氏は、平安時代より室町時代まで、遠江の代表的国人領主として西遠地方治めてきた。
井伊介(イイノスケ)を名乗り、鎌倉幕府に仕え、南朝方の皇子宗良親王を迎え、北朝軍と戦った経緯がある。
室町時代に入り、今川軍が遠江に侵攻すると、敢然と立ち向かいましたが破れ、戦国時代は井伊家にとって受難の連続だった。
今川義元に従い出陣した井伊家二十二代当主・直盛は桶狭間で戦死。
永禄五年には養子・直親が今川の手で殺害され、やむなく龍潭寺の南渓和尚は直盛の娘・井伊直虎(次郎法師)を「女性地頭」に立て、井伊家の急場をしのぐ。
永禄11年、家康が遠州に侵攻、井伊領を押領した家老を追放し井伊谷を平定。
天正三年、井伊家二十四代直政が浜松城で家康に仕え、見事井伊家を再興した。
この墓所には、こうした井伊氏元祖・共保(モトヤス)より六百年の歴史が静かに眠っている。
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