Jou光

  • 親父
    彼は子供の時から絵が上手いと、親の欲目で思っている。目の前でさらさら描かれると、ついつい感嘆してしまう。世の中いっぱい絵の上手い人はいるが、この道で飯が食えるのはスポーツ選手と同じで極一部。でもとにかく趣味でも良いから絵を描くことは続けて欲しいと願っている。

春爛漫

  • ぼけの花
    柿茶の里は徳島県美馬郡つるぎ町に位置する。柿の葉の生産農家へ毎年春と秋に行く。春はことさら美しい。桜が咲き乱れ山の木々が新緑に包まれる。澄んだ青空に身も心も洗われる気がする。

アユタヤ遺跡

  • Pict0266
    1491年に建てられた王族の守護寺院。3つの大きな仏塔には、ラーマティボディ2世と父、兄の遺骨が納められています。 寺院ではありますが僧は居住せず、王の礼拝堂として王族の儀式に使用されていました。この寺院もまた、1767年ビルマ軍により破壊され、16mあったという金で覆われた仏像も金を奪われた後、壊されてしまいました。

暁の寺院 タイ

  • Pict0350
    トンブリ王朝時代の守護寺で最高位の寺院とか。きらきらと輝く陶器の破片に覆われた高さ約79mの大仏塔は、ラマ3世により5年がかりで改装された。朝日を浴びた大仏塔の神々しい姿が”暁の寺”の名前の由来。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

  • Pict0201
    セイロンへの留学から戻ってきた僧侶のために、1357年初代王ウー・トーンが建立しました。仏教寺院は瞑想の場として使用されていました。現在も多くの仏教徒が訪れ、週末は観光客でにぎわいます。

水上マーケット

  • Pict0116
    ダムナン・サダックの水上マーケット。その昔、”東洋のベニス”と言われたバンコクでは、日常的商取引には運河が利用されてきた。水上マーケットは、古き良き時代の情緒溢れるバンコクの生活を体感させてくれる。 

2008年7月 タイ王宮

  • Pict0429
    白壁に囲まれた20万㎡の敷地内には、1782年に建設された国王の宮殿、即位式の建物、王室守護寺院のエメラルド仏寺院などチャクリー王朝歴代の王により建造・改築された建物が建ち並んでおり、ラマ8世までは実際にここに住まわてていたとか。

涅槃寺

  • Pict0386
    タイ語で Wat Pho(ワット・ポー)と呼ぶこの寺は、ラマ1世が建立したバンコク最大の境内を持ち、バンコク最古の歴史を持つ寺院。本堂には写真のようなリクライニング・ブッダの愛称で親しまれている寝釈迦仏が横たわる。足の裏には螺細細工でバラモン教における108の宇宙観が表現されていると言う。

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金魚

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2017年2月

瀬底島最南端への道

瀬底島はラケットのような形。

その最南端(地図で★印)への道を探した。

何回かトライしてやっと見つけた。

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とにかく南へ南へ辿る。

ビニールハウスが見えて来たら左へ曲がる。

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↓ ハウスの前の道を真っ直ぐに。

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↓ 石垣が見えてくる

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↓ 遥か向こうに恩納村の山々が見える

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↓ ここから来た道を振り返ると

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↓ ここから舗装は途切れる

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↓ 舗装のない道

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↓ ★が終点。

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↓ 到着、車が一台止まっていた。来る人もいるんだ~。

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↓ 眼下に青い海が広がる。

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↓ 釣り人もいた。

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サトウキビ畑

沖縄のサトウキビ畑は今頃が、刈り取りと植え付けと成長途中が入り混じる。

↓ 刈り取りの終わったサトウキビ畑

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↓ 植え付け準備が終わったサトウキビ畑

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↓ 植え付けたばかりのサトウキビ畑

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↓ だいぶん大きくなったサトウキビ畑

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↓ 刈り取り時期を迎えたサトウキビ畑

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刈り取り時期はどうやって判るのか? 花が咲いたら刈り取り時期。

↓ ススキと見紛うサトウキビの花

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サトウキビは一年中栽培できる。

だから南国の国々では砂糖産業が主産物となるのだろうか? 

台湾しかり、サイパンしかり。

↓ サトウキビ刈り取り用マシン

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ウートートー

『 ご先祖さまにウートートー』 の記事を見て、昨日瀬底を散歩中に見た光景を納得。

それは、沖縄独特のでっかい墓の中でゴザを広げて宴会する光景。

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今日は一体何の日か? 法事ならともかく、ここもかしこも・・・とは?

あくる日の朝刊でやっと分かった。

2月12日は、グソー(後世=あの世)の正月とされる旧暦1月16日の「十六日祭」に当たる日。

仏壇や墓前にごちそうを供え、先祖を供養する行事らしい。

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スリランカ 二日目(アヌラーダブラ・イスルムニヤ精舎)

アヌラーダブラは、スリランカ中央部の文化三角地帯内の北に位置する③。

シンハラ王朝の最初の都であり、スリランカの仏教はここから始まった。

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紀元前5世紀、北インドからシンハラ人の先祖に当たる人々がここに移住し、建国したシンハラ王朝・アヌラーダブラ王国の都。ヴィジャヤ王がここに都を置いたと言う。

紀元前4世紀に街が開かれ、9~10世紀に南インドのチョーラ朝による侵略を受けるまでの約1,400年間首都だったと云うからすごい。

また、紀元前250年、インドから仏教が伝来したのもここで、シンハラ人にとってここは仏教の聖地。

聖地とあって仏教遺跡が多い。

ガイドのレナードさんが仏教遺跡見学のマナーを教えてくれた。

① ミニスカートやショートパンツ、タンクトップはダメ。

② 寺院など聖地に入る時は裸足。靴など履物を預かってくれる所があるが有料。

③ 仏像と一緒の記念写真はダメ。即ち仏さまにお尻を向けての撮影はダメ。

↓ 世界遺産「アヌラーダブラ・イスルムニヤ精舎」へ到着

スリランカ最初の仏教寺院

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↓ 本堂横の岩山に彫られた馬と火の神とも言われる男のレリーフ

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↓ 池に面した岩山の像のレリーフ

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本堂の中に入るとまず目に飛び込んでくるのは、巨大な涅槃像

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その他にも色鮮やかな仏様が並ぶ。

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↓ 天井も極彩色に彩られる。

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寺院内には博物館(と、言っても一間だが)もあってインドの影響を受けたレリーフ石像が展示されていた。

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↓ 中央がドゥッタガーマニ王で右に王の妻、王の左はサーリア王子。

   妻の横に小さく彫られているのは、サーリヤ王子の妻・マーラ。
   マーラが低い身分のカーストだったため小さく描かれているらしい。

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この日は満月で休みの日、多くの参拝者で賑わっていた。

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↑ ガイドのレナードさんが教えてくれた。

涅槃像の足親指がピタリと合っているのはご逝去された後のお姿、亡くなる前の像は離れているとか。

へぇ~そうなんだ。

スリランカ 二日目(ネゴンボ)

到着2日目の旅程は、

ネゴンボ ② ➡ ③ アヌラーダブラ  ➡ ④シーギリアへ

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昨夜、空港からホテルまでの車中、ガイドさんが話してくれたスリランカ情報。

1、満月の日は祝日だそうで、明日が満月とか。

2、現地語のこの2っは覚えておいて。

   ① ”アーユーボワァン”=”こんにちは”

   ② ”エストゥーティー”=”ありがとう”

3、ポルトガル、オランダ、イギリスの植民地を経て1948年セイロンとして独立、
  1972年現在のスリランカとなった。

↓ 初日のホテルは「キャメロット ビーチホテル」

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見かけは立派だが、案外、ボロホテル。

↓ ビーチの名だけあって、プールの向こうに海岸が広がる。

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6時間ほどの睡眠で眠気は何とか収まり、ホテルの朝食後アヌラーダブラへ向け出発。

↓ アヌラーダブラへの道筋に見たスリランカの生活風景あれこれ。

1、移動手段の代表は三輪車、スリーホイーラーと呼ばれる。

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↑ インド製、4輪車は値段が高く普及してない。あっても中古車が多くその殆どは日本製。

↓ 街中風景

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2、仏像

↓ 70%の人が仏教というだけあって、至る所に巨大な仏像がある。

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↓ スリランカの象徴的な動物は象とライオン

ライオンは王、象は仏様の乗り物として崇められている。

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↓ 田舎風景

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ネゴンボ からアヌラーダブラへ約5時間。やっと着いた。

Go to スリランカ

いざスリランカへ!

■ 旅程

・2017年1月11日(水)関空11:00発 タイ・バンコク行 By タイ国際航空

・1/11日 18:45分 タイ・バンコク空港着(約8時間のフライト)

・1/12日 01:15分 タイ・バンコク発(待ち時間 約6時間半・・・長すぎ)

・1/12日 03:40分 コロンボ空港着(約2.5時間のフライト)

以上、日本時刻で記載。

国際的な通称はコロンボ空港だが、国内的にはバンダラナイケ国際空港と呼ばれている。

着いたのは現地時間で午前0時10分。

実に関空から約17時間もかかった。成田空港から直行便だと8時間くらい。

成田まで行く手間を惜しんだため、倍の時間を要した。

こんなに遅いのに、ちゃんとガイドと運転手が迎えに、

当たり前だが・・・・ご苦労さまです。

↓ コロンボ空港・到着ロビー 、深夜とて人もまばら

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この日の宿は、空港から車で一時間ほどのネゴンボにあるホテル。

下の地図で ①⇒②へ

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現地ガイドさんの名はレナードさん、運転手はジャーさん。

覚えておかねば。

明日、ホテルロビーへ午前8時集合ね、と言われる。

あぁ~疲れた! 眠たい!眠たい! 早くベットで寝ねば。

大阪万博記念公園

1970年大阪で開催された日本万国博覧会(略称・大阪万博)、もう47年前なのに、私の中ではまだ記憶に新しい。

岡本太郎の太陽の塔は、当時も今も見るたびに不思議な感動が沸き上がる。

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独身時代に出くわした、大イベントだったから? そして入場したせい?

博覧会場の正門に建つテーマ館のど真ん中、屋根を突き破ってそびえ立つこの塔は、来た人を圧倒させた。

今思うと、この時代から始まる日本経済の急成長を象徴する巨大な土偶だったのかも知れない。

アジアで開かれた初の国際博覧会とて、入場者数6,421万人は以降40年間にわたり世界一だったとか。

高さ70m・胴体根元の直径20m・片腕の長さ25mのこの塔は、博覧会のテーマ『人類の進歩と調和』を表現するテーマ館の一部として制作された作品。

当時も今も圧倒的なエネルギーを宇宙に向け爆発させ放射しているように思える。

↓ 一番上にある黄金の顔

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↓ 太陽の顔

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↓ 裏側にある「黒い太陽」

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↓ 「地底の太陽」・・・この太陽、私は見た事がない。

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太陽の塔内がパビリオンになっていて、
原生生物から人類に至る生命の進化を、
オブジェ ”生命の樹” として展示されていたとは・・・とは、今知った。

↓生命の樹

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↓ エスカレーターで30mも上がれるとか。今は修復中なり。

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万博の思い出は、何と言ってもアポロ11号が持ち帰った月の石。

炎天下の中、その石があるアメリカ館にできた長い長い行列に加わり、

待った時間の長さと立ち止まる事を許されない”石”見の時間差、

あっけないと言うか苦労のかいがないと言うか・・・今も思い出せる。

ラ コリーナ近江八幡

八幡山からの帰り道、近くにバームクーヘンのお店があるので、寄ろうと娘が言う。

ラ コリーナ近江八幡』、近江八幡市に本店をおく、たねやグループのお店。

ここがバームクーヘンの店??? と思うような不思議な建物。

↓ 屋根に芝生が生い茂る、なんともロマンティックな景色。

これ、メインショップ。

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↑ この写真、パクリ。 今は ↓ 芝生が枯れて茅葺き屋根の装い。

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ネット検索したら、

ラ コリーナ近江八幡は、自然を愛し、自然に学び、人々が集う繋がりの場。

八幡山から連なる丘に、緑深い森を夢み、自ら木を植え、ホタル舞う小川を作り、生き物たちが元気に生きづく田畑を耕しています。

このような環境の中に、和・洋菓子のメインショップをはじめ、たねや農藝、本社、飲食店、マルシェ、専門ショップ、パンショップなど、ゆったりとした自然の流れに寄り添いながら、長い年月をかけて手がける壮大な構想。

これからの人と自然、共に生きる“いのち”の在り方をわたしたちは見つめ、

ラ コリーナ近江八幡から世界へと発信してゆきます。ご期待下さい

とある。

↓ ここが本社のオフェイス、ジブリの世界観があるみたい。

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敷地内はそのまま美術館のよう

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↓ お店の中もモダン

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この会社1872年(明治5年)創業、145年もの歴史がありと言うからすごい。

ここは、お店か?遊園地か?美術館なのか?スタジオ”ジブリ”の世界なのか?

休暇村 近江八幡

休暇村は国定公園の中にある事が多い。

だから景色は抜群。

ここ『近江八幡』も、すぐ目の前に琵琶湖が広がる絶景の地に位置している。

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↓の地図の矢印の位置、すぐ前に沖島が見える。

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↓ 沖島

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この休暇村は東館と西館に分かれていて、今回宿泊したのは東館。

↓ 西館まで行ってみた。

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↑ 鳥瞰図(休暇村HPよりパクリ)

↓ 館内(東館)

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1月1日の朝、餅つき大会があった。

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八幡山へ

日牟禮八幡宮のすぐ近くから八幡山(標高・約272m)頂上までロープウェーがある。

約4分の乗車。

関白秀次により1585年築城された城跡がある。

最頂部に本丸を置き、二の丸・西の丸・北の丸等が配置された一大要塞。

今は石垣のみを残すが、本丸跡に瑞龍寺がある。

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ロープウェーに乗り山頂へ。

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↓ 村雲「お願い地蔵堂」を抜け、

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↓ 金生稲荷堂の横をすり抜け、

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↓ 山門をくぐり、

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↓ 村雲御所瑞龍寺門跡へ到着。

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村雲御所と称し、日蓮宗唯一の門跡寺院。

当門跡は秀次公の生母・智の方こと、瑞龍寺殿日秀尼公が秀次の菩提を弔うために創建されたもの。

後陽成天皇から村雲の地と瑞龍寺の寺号及び寺録一千石を賜り、また紫衣着用と菊の御紋章を許され勅願所となった。

歴朝の尊崇も浅からず寺格は黒御所と定められ、これに依り『村雲御所』と呼ばれるようになった。

↓ どこにでもある「恋人の聖地」 at 西の丸跡地

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日牟禮八幡宮

日牟禮八幡宮(ヒムレ)は、滋賀県近江八幡市の八幡山(約272m)の南麓にある神社。

祭神は

・誉田別(ほんたわけのみこと)

・息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)

・比賣神(ひめかみ)

の三柱。

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12月31日のこととて、初詣ののぼりが並ぶ。

初詣ならぬ年末詣でに手を合わせた。

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多景島

彦根城から琵琶湖を見渡すと小さな島があった。

カメラの望遠で見たら、仏舎利塔のようなものが見える。

神秘な島に思えた。人は住んでいるのだろうか?

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調べると無人島との事だが、彦根港から観光船が一日一便出ているという。

島名の由来は、元々島内に竹が多く自生していることから「竹島」といっていたが、江戸時代に荒神山から土を運び植林した結果、島を眺める方向によって多様な景色に見えることから「多景島(タケシマ)と呼ばれるようになった・・・とか。

周囲約600メートルの島で、島全体が日蓮宗見塔寺の境内。

島に興味のある私としては是非行ってみたい島。

彦根城 その2

彦根城内への案内

↓ 内堀

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内堀を渡ると大手門が見えてくる。

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↓ 太鼓丸へいざなう大手参道 

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↓ 天秤櫓が見えてきた

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↓ 太鼓門櫓

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↓ 門をくぐると正面に天守の雄姿が。

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お城もそうだが遺跡なる巨大建造物を見るにつけ、重機も何もない時代に、どうやって造ったのか?・・・と、同じ質問を繰り返す。

人海戦術のみ??? 

今なら重機を使って簡単にできるのだろうか?

ゆるキャラ”ひこにゃん”も「赤備え」をまとう。

その赤備えとは?

1600年、天下分け目の関ヶ原の戦いにて徳川軍の先鋒を務めた井伊家は、戦いにて藩主から足軽に至るまで着用する甲冑具足や旗指物などを赤一色に統一、勇猛果敢な戦いぶりを見せた。

特に井伊家初代藩主「井伊直政」は、赤備えの具足の上に黒色の衣装を身にまとい、いざ戦いと見るや、衣装を脱ぎ捨て「赤備え」で戦場を駆け巡り「井伊の赤鬼」と恐れられた。

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この戦において井伊家は徳川軍の先鋒として絶大な功績をあげ、東海道・中山道・北国街道の要となる彦根を治めるよう命じられ、以後江戸時代を通じ、一度の国替えもなく、その居城は国宝彦根城としてその雄姿を今に伝える天下の名城となった。




彦根城

ゆるキャラ”ひこにゃん”で有名な彦根市にある国宝のお城。

彦根城に行くとこのゆるキャラに会えると言う。

長い石段をのぼり太鼓門櫓を抜け、天守が建つ広場に”ひこにゃん”がいた。

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このゆるキャラ、

彦根藩二代当主である井伊直孝公をお寺の門前で手招きして雷雨から救ったと伝えられる"招き猫”と、

井伊軍団のシンボルとも言える赤備えの兜を合体させて生まれたキャラクター。

赤備えとは、戦国時代の軍団編成の一種で、あらゆる武具を朱塗りにした部隊編成のこと。

「ひこにゃん」は、全国公募で選ばれたもの。巷ではひそかに「モチ」という愛称も……ある。

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■ 彦根城について

関ヶ原の戦いで武功をたてた褒賞として、井伊直政には佐和山城(在 彦根市)が与えられた。

直政はその後、城を彦根山に移そうとしたが病死、その子・直継が父の遺志を受け継ぎ、1603年に着工。

時の将軍・家康のはからいで、7ヶ国12大名の応援を得て、着工から約20年の歳月を要し、1622年に完成した城地面積約0.25K㎡、周囲約4Km、高さ50mの彦根山に築城した平山城である。

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新日本観光地百選のひとつとして琵琶湖八景「月明彦根の古城」。

東映太秦映画村 その2

映画村で見たびっくり風景 前とアト

1、御利益大明神

■ 前 ↓

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■ アト ↓

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普段は岩山にお隠れ、召され時間が来ると厳かにお姿をお現し下さいます。

見る者を・・・・・・

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2、怪獣プール

■ 前 ↓

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■ アト ↓

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このプールを運河に見立てて、その一角の河岸を再現したもの。

江戸は運河が発達し、大店の倉庫も運河沿いに多く建っていて、廻船問屋や倉庫があり海にも川にも利用できる港町の風景をつくっており、撮影の際は猪口船や屋形船を浮かべ水辺のシーンを撮るという。

撮影のない時は5分おきに怪獣が顔を出すアトラクション。

東映太秦映画村

京都駅から約20分の所にある東映太秦(ウズマサ)映画村、

毎年恒例となった年末年始家族旅行で、娘が行先のひとつにチョイスしてくれた。

孫が大いに喜びそうな場所で、いろいろなアトラクションをやっているらしい。

この施設は、東映京都撮影所の一部を分離し、一般公開した施設。

時代劇の撮影に使う江戸の街並みや明治・大正・昭和の街並み等が再現され、殺陣ショーや殺陣講座などの体験、俳優のトークショー・撮影会・握手会などが行われている。

その他、時代劇とはがらっと違う仮面ライダーショーやスーパー戦隊シリーズ等のキャラクターショーなども行なわれていると聞く。

↓ 正面玄関

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↓ 村内案内図

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↓ 玄関を入ると孫が喜びそうなキャラクターが並ぶ

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↓ 花魁が歩いてきそうな花街セット

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↓ 長屋のセット

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↓ 忍者の渡り、本物かと思いきやロボットだった。

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映画村だけあって、映画に出てくるような現場が随所に見られ、老人にも結構楽しい場所だった。

子供には、からくり忍者屋敷やお化け屋敷、トリックアート館など・・・・入れば楽しそうな施設が充実している。

家族で入らなければ、ひとりでは絶対に来ない場所に違いない。

娘にThanks. 

スリランカ 

実弟が旅先に選んでくれたのが、スリランカ。

えっ!スリランカ。 

昔の国名は確か「セイロン」、インドの南東・ポーク海峡沖にある紅茶で有名な?

どんな国なのか調べた。

・ 国の正式名称は「スリランカ民主社会主義共和国」

・ 首都はコロンボと思いきや、スリジャヤワルダナプラコッテとの事。

・ 1948年2月、イギリスから自治領(英連邦王国)のセイロンとして独立。1972年にはスリランカ共和国に改称し、英連邦内の共和国となり、1978年から現在の国名。スリは「輝く」、ランカは「島」と言う意味らしい。

・ 人口は約2,000万人、国民の7割が仏教徒。アト、キリスト教,イスラム教,ヒンドゥー教徒。

・ 面積は九州と同じくらい、約 65,000 km²。

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・ 国旗は、15世紀から19世紀にかけてPhoto_5
セイロン島中央部に存在したキャンディ王国(カンディ朝)の旗が原型。

旗に描かれたライオンはスリランカの最大民族シンハラ人の始祖がライオンの血を ひくという神話から来ている。

・ 公用語はシンハラ語とタミル語

シンハラ語:ශ්‍රී ලංකා ප්‍රජාතාන්ත්‍රික සමාජවාදී ජනරජය

タミル語:இலங்கை சனநாயக சோஷலிசக் குடியரசு

パット見にはアラビア語に似ているが、少し違う。

・ 1948年独立後、1983年からシンハラ人とタミル人との大規模な民族対立が起こり、2009年5月の終結まで何と26年間内戦が続いた。

何か内戦があったとの記憶から、治安が悪いと勝手に思っていたが、全く違った。

もう一つの記憶、2004年12月に発生したスマトラ島沖地震の津波被害も新しい。

沿岸部に死者3万人以上という大きな犠牲を出したこの地震の跡形は、すっかり復旧していた。

・ビザが必要だと言う。昔はビザが当たり前だったが、最近は私には珍しい。

因みに、ビザとは、国家が外国人に対して、その人物の所持する旅券が有効であり、かつその人物が自国に入国しても差し支えないと示す証書の事。入国時に提示する必要がある。

・時差は3時間半 behind、30分の半端がつくのは煩わしい。

・通貨はスリランカルピー、100 Rs(ルピー)=約78円、ざっと100円と思えばいい。

・チップが要る。合計金額の約10%、枕銭は100Rs、ポーターへ100Rs、トイレは20~50Rs。

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いざ! スリランカへ。

室戸へ (ジオパーク)

ジオパークとは、地球の活動の様子を留めていて、地球科学的に重要な地質や地形をテーマにした自然に親しむための公園の事。

室戸は、そんな地球の動きを実感できる場所だ。

室戸ユネスコ世界ジオパークは、大地が盛り上がり続ける場所で人々がどのように賢く暮らして来たかをテーマにしている。

国道55号線に沿って海辺にジオパーク散策用の歩道が整備されている。

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↓ ビシャゴ岩

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ビシャゴ岩は斑レイ岩でできており、約1,400万年前マグマが地層に貫入して固まったとされる岩で、水平に貫入したものがその後の地殻変動により、ほぼ垂直に回転した。

この岩には『おさご』という絶世の美女伝説がある。

↓ ポットホール 

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岩石の小さな窪みや割れ目などに入った小石が、波による渦に巻かれて岩石を削ることによってできた丸い穴。

↓ 行水の池

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約宇1,200年前、弘法大師が修行中に行水したと言われる池。

行水の池や池に面する岩には窪みがあり、くぼみの上部には波打ち際に住む生物(ヤッコカンザシ)の巣の化石が残っている。

このヤッコカンザシの巣は、約2,700~1,000年前に波打ち際でつくられたもの。

これは約1,000年前に巨大地震が起こって室戸岬が約5m盛り上がり、その後も地震のたびに大地が盛り上がってきた証拠。

↓ ホルンフェルス

サメのひれの形をした岩は冷えて固まったマグマ(斑レイ岩)

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ホルンフェルスは、いわば「岩のやけど」の痕。

1,000度を超えるドロドロに融けたマグマが泥岩や砂岩の地層に入り込むと、それらが熱せられ、固くなる。

このように高温のマグマに焼かれて性質が変わった岩石は変成岩の一種で「ホルンフェルス」と呼ばれる。

↓ エボシ岩(斑レイ岩)

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武士や貴族の帽子・烏帽子に似ていることから名づけられた。

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約30分のジオパーク散歩道、国道には「歓迎」ならぬ『歓鯨』のモニュメント。

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嫌な女

タイへ行く飛行機の中で、暇つぶしの映画を見て、その主題歌の文言に感動!

タイトルは『嫌な女』、女優の黒木瞳さが監督した初作品。

今、旬の女優・吉田羊さん演じる弁護士と木村佳乃さん演じる詐欺師が繰り広げる人間模様を描いたドラマ。

その主題歌の歌詞に涙した。

後で調べたら、竹内まりやが歌う「いのちの歌」だと分かった。

ddddddddddddddddddddddddddddddddddd

生きてゆく事の意味 問いかけるそのたびに

 

胸をよぎる愛しい人々のあたたかさ

 

この星の片隅で巡り会えた奇跡は

 

どんな宝石よりも大切な宝物

 

泣きたい日もある 絶望に嘆く日も

 

そんな時そばにいて 寄り添うあなたの影

 

二人で歌えば 懐かしくよみがえる

 

ふるさとの夕焼けの 優しいあのぬくもり

 

本当に大事なものは隠れて見えない

 

ささやかすぎる日々の中に かけがえのない喜びがある

 

いつかは誰でも この星にさよやらをする時が来るけれど

 

命は継がれてゆく

 

生まれてきたこと 育ててもらえたこと

 

出会ったこと 笑ったこと

 

そのすべてにありがとう

この命にありがとう

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室戸へ (青年大師像)

国道55号線沿いに、巨大な白い太師像がそびえる。

この像、空の青と山の緑に映え、並々ならぬ存在感でドライバーの目に焼き付く。

何回も室戸へ行ったが、この像が建つお寺を一度は訪ねてみようと思いながら果たせなかった。

やっと今回行けた。

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このお寺の名は真言宗・豊山(ぶざん)派「明星来影寺」。

境内にあるこの像は、1984年(昭和59年)に建立、下部の基壇を含めて高さ21メートルという国内最大の“青年大師像”だ。

若き日の弘法大師・空海は、ここ室戸岬で厳しい修行に励み、悟りを開いたとされている。

↓ 境内入口、門を見張る仁王像

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↓ 台座に立つ巨大な真っ白い立像、青空にまぶしい。

この像、塩害に強いニューセラミックで造られているとか。

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高さが5mもある基壇には空海の業績を記した銅碑が項目ごとにしるされている。

■ 『綜芸種智院の設立』:

庶民のための学校を京都に建てた。これが私立学校の始まりとか。(教育の機会均等)

■ 『心経講賛』:

太師は般若心経秘鍵という本を著し、多くの人々に般若心経の教えを説いた。この功徳により疫病がおさまり、人々が安心して生活するようになった喜びの姿を描いている。

■ 『万濃池の改修』:

嵯峨天皇により満濃池の堤の決壊を止めるよう命ぜられた空海は、誰が考えても三年はかかると思われた改修工事をわずか三か月で終えた。その工法は現在でもダムの作り方の理にかなった驚くべき工法だと言われている。

■ 明星来影、■ 金剛定額、■ 密教相承 ・・・・説明 略

太師像の後ろには、これまた巨大な金箔張りのお釈迦さまの涅槃像がある。

この像、我が国最初の金張り露座涅槃像と記されている。

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お釈迦さまが八十歳の生涯を閉じられたのは、今から約2,500年前の2月15日、沙羅双樹の林の中。 北を枕にして静かにこの世を去られたと伝えられている。

涅槃像はその時のありさまを再現したもの。

この由来で「北枕で寝てはいけない」とされているとか。 

えっ~知らなかった なぁ~ 。

もう一つ余談、スリランカでガイドさんに聞いた話、

涅槃像の足の親指がピタリとくっついているのは亡くなった後、

開いているのはまだ生きている時のお姿とか。

この像の親指がどうだったかは覚えていない。

大師が見渡す太平洋。

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室戸へ(民宿・ 室戸荘) 

柿茶のペットボトルは高知県の「室戸マリンフーズ」に委託し、製造・販売している。

名前からも明白、場所は室戸。

朝から作業に取り掛かるため、お茶の原料・柿の葉を一番に届けねばならない。

だから、いつも前日、工場近くの民宿に泊まる。

常宿は、国道55号線沿いにある民宿 『室戸荘』。

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↓ 宿から中岡 慎太郎の像が見える。

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場所は、室戸岬の一番とがった部分。

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宿のすぐ後ろが山で、大津波の時はそこへ避難すれば・・・と思うが、如何せん!登る道がない。

この民宿の良いところは、料理がうまい事、品数が多い事、宿賃が安い事、おかみが饒舌な事。

↓ 食堂 

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それに、日の出が美しい事。

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今回は、3年前に来て以来の訪問。

あそこへは一度行ったからいいわ!との思いを反省する新たな感動があった。

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