Jou光

  • 親父
    彼は子供の時から絵が上手いと、親の欲目で思っている。目の前でさらさら描かれると、ついつい感嘆してしまう。世の中いっぱい絵の上手い人はいるが、この道で飯が食えるのはスポーツ選手と同じで極一部。でもとにかく趣味でも良いから絵を描くことは続けて欲しいと願っている。

春爛漫

  • ぼけの花
    柿茶の里は徳島県美馬郡つるぎ町に位置する。柿の葉の生産農家へ毎年春と秋に行く。春はことさら美しい。桜が咲き乱れ山の木々が新緑に包まれる。澄んだ青空に身も心も洗われる気がする。

アユタヤ遺跡

  • Pict0266
    1491年に建てられた王族の守護寺院。3つの大きな仏塔には、ラーマティボディ2世と父、兄の遺骨が納められています。 寺院ではありますが僧は居住せず、王の礼拝堂として王族の儀式に使用されていました。この寺院もまた、1767年ビルマ軍により破壊され、16mあったという金で覆われた仏像も金を奪われた後、壊されてしまいました。

暁の寺院 タイ

  • Pict0350
    トンブリ王朝時代の守護寺で最高位の寺院とか。きらきらと輝く陶器の破片に覆われた高さ約79mの大仏塔は、ラマ3世により5年がかりで改装された。朝日を浴びた大仏塔の神々しい姿が”暁の寺”の名前の由来。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

  • Pict0201
    セイロンへの留学から戻ってきた僧侶のために、1357年初代王ウー・トーンが建立しました。仏教寺院は瞑想の場として使用されていました。現在も多くの仏教徒が訪れ、週末は観光客でにぎわいます。

水上マーケット

  • Pict0116
    ダムナン・サダックの水上マーケット。その昔、”東洋のベニス”と言われたバンコクでは、日常的商取引には運河が利用されてきた。水上マーケットは、古き良き時代の情緒溢れるバンコクの生活を体感させてくれる。 

2008年7月 タイ王宮

  • Pict0429
    白壁に囲まれた20万㎡の敷地内には、1782年に建設された国王の宮殿、即位式の建物、王室守護寺院のエメラルド仏寺院などチャクリー王朝歴代の王により建造・改築された建物が建ち並んでおり、ラマ8世までは実際にここに住まわてていたとか。

涅槃寺

  • Pict0386
    タイ語で Wat Pho(ワット・ポー)と呼ぶこの寺は、ラマ1世が建立したバンコク最大の境内を持ち、バンコク最古の歴史を持つ寺院。本堂には写真のようなリクライニング・ブッダの愛称で親しまれている寝釈迦仏が横たわる。足の裏には螺細細工でバラモン教における108の宇宙観が表現されていると言う。

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金魚

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2017年3月

スリランカ 四日目(仏歯寺)

ダンブッラ石窟寺院観光を終え、キャンディー市内へ移動。

市内は車や三輪車,バス,人人でごった返していた。

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↓ 老舗のホテルらしいが、この辺がメイン街なのか?

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キャンディはシンハラ王朝最後の都が置かれた町で、街全体が世界遺産として登録されている。

キャンディ湖という人造湖のほとりに整備された街並みが広がり、中心部には、コロニアル風の白い壁の建物が多く見られる。

↓ キャンディ湖

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キャンディーでの見どころは、仏歯寺(ダラダー・マーリガーワ寺院)

『大涅槃経』によると、仏陀(釈迦)の死後、歯は遺骨と同様にインド各地に分割された。

スリランカにはスリー・メーガワンナ王(301-328)の治世第9年にカリンガ国(東インドのオリッサ)からブラーマンの女性が右の犬歯を持ってきたとされ、アヌラーダプラのダンマチャッカ(法輪堂)に納められ祀られて王権の権威を保証する証になったという。

これ以後、王都が移動するたびに仏歯も移動し、現在はキャンディの仏歯寺に納められている。

仏歯は仏陀の聖遺物の仏舎利として崇拝されると共に、強い力を持つものとして神のように祀られている。

↓ 仏歯寺への道

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↓ 寺院内は裸足と無帽のルールはもう慣れた。

それと「仏像を背に写真は厳禁」のルールにも。

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年に一度、8月に行われるペラヘラ祭りの際には、仏陀の歯が象の背中に乗ってキャンディの街を練り歩きます。

↓ その様子が壁画に描かれている。

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仏歯は仏歯寺の中で象に乗せられるので、入口は象が入れるように高い天井となっています。

↓ 象も入る入口付近

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↓ 寺院内

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↓ 仏歯が納められているのは二階の鎧戸が並んでいる所。

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↓ 仏歯が納められた祭壇の前にお花を供えてお祈りする人・人・人

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↓ キャノンボール・ツリーと言う珍しい木

その名の通り、キャノンボール(砲丸)のような大きな実がぶら下がっている。

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仏歯寺では、1日に3回 (5:30分、9:30分、 18:30分) プージャと呼ばれる儀式が執り行われ、仏歯が納められた部屋の扉が開き、仏歯が入った金色の入れ物を見る事ができる。

これを見るためには開扉の相当前から並んでないと、間近かで見れないという。

スリランカ 四日目(ダンブッラ石窟寺院)

スリランカ旅も4日目、2日間滞在したシーギリヤ④を出発しキャンディー⑥へ。

途中、ダンブッラ石窟寺院の観光。

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↓ ダンブッラ石窟寺院へ向かう風景

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↓ こんな仏像が至る所にある。さしずめ日本なら入場料が要るかも。

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↓ 世界遺産・ダンブッラ石窟寺院の入り口。

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ダンブッラ石窟寺院は、ランギリ(黄金に輝くの意)の名を持つ岩山につくられた寺院。

そのため、正式には「ダンブッラの黄金寺院」という名がついている。

岩山に大小5つの石窟があり、その中に数多くの仏像が鎮座している。

↓ 第1窟の入口

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↓ 第1窟には14mもある涅槃像が横たわる。

あまりに大きく写真に収まらないが、収めようとすると足側から撮るしかない。

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↓ 足裏が赤いのは、お釈迦さまが赤土のスリランカへ来た事を表しているとか。

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↓ 石窟内の壁画や仏像

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↓ 第2窟”マハー・ラージャ・ヴィハーラ”へ向かう。

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第2窟は大きくて見応えのある石窟で、赤や黄色などさまざまな色で描かれた壁画と56体の仏像が並ぶ。

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↓ 居並ぶ仏像の数々

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この窟は、岩山のほぼてっぺんにあるにもかかわらず、天井から水滴が落ちていて、聖なる水として壺に溜められ、重要な儀式の際に使われているそうです。

↓ 天井壁画

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↓ こんな岩を彫って作っているとは・・・驚き!驚き!

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↓ 仏様には蓮の花、・・・に似たスイレン。

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スリランカ 三日目(ポロンナルワ その2)

ポロンナルワにある仏像の中でも巨大な一枚岩に刻まれた”ガル・ウィハーラ”は最高傑作と言われている。
仏像は4つあり、『2つの座像』・『立像』・『涅槃像』に分かれている。
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↓ 一つ目の座像は、精神集中して瞑想にふける表情。高さは4.6m。
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↓ 中央の洞窟内にあるヒンドゥー神像に囲まれた二つ目の座像、高さ1.4m。
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↓ 中央祭壇・右にある三つ目の仏像、悟りを開いた仏陀のお立像、高さ7m。
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↓ 四つ目の仏像・涅槃像、長さ14mもあり全体を写真に収めようとするとこんな遠景となる。
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とにかく巨大な一枚岩に刻んであると言うのがすごい!

スリランカ 三日目(ポロンナルワ)

シーギリア観光が終わり、ポロンナルワへ向かう道沿いに、椰子の実・ココナッツを売っていた。

ガイドが食べましょう!と車を止めた。

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↓ 一人一個、ストローでココナッツジュースを堪能。

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ジュースが飲めるのは椰子の実が熟してない時。熟すとヤシ油の原料となる。

↓ 今回のツアーで我々が乗った7人乗りのワゴン、トヨタの車。

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↓ ポロンナルワの町中風景、どこへ行っても三輪車が大活躍。

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↓ パラークラマ・バーフ一世の宮殿跡

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幅13m、奥行き31m、当時地上7階建ての宮殿だったが、今は3階部分までしか残っていない。

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レンガを積み上げて、良くもこんな高い宮殿をつくったものだ。

地震はなかったのだろう。

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↓ 奥に見えるのは閣議室跡

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1017年、古代シンハラ王朝は南インドのチョーラ王朝に攻め滅ぼされ、チョーラ軍は、ポロンナルワを首都とした。

その後1055年に、南部に逃れていたシンハラ王朝のヴィジャヤ・バーフ1世が、チョーラ軍を撃退し、1073年に、チョーラ軍の首都・ポロンナルワを王都とした。

ヴィジャヤ・バーフ1世の孫・パラークラマ・バーフ1世は、初めてスリランカ全島を統一、
灌漑設備など国力増強に努め、仏教にも力を入れた結果、ポロンナルワはビルマやタイからも仏教僧達が訪れる大仏教都市となった。

しかし13世紀後半、再びチョーラ王朝に追われ、スリランカ中央部に逃れる。

↓ パラークラマ・バーフ1世時代に造られた灌漑設備のひとつ、広大な貯水池。

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↓宮殿の北東にある 閣議室

日本ならこんな貴重な遺跡、雨ざらしにはしないだろう。
さしずめこの遺跡がすっぽり入る建屋で覆うだろう~と、思うが?

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↓ 閣議室入口

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↓ 入口には必ずムーンストーンがある

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↓ 狛犬ならぬ、なんだろう?

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↓ こんな遺跡が至る所に。 これだけ多いと雨曝しは仕方ないかも。

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↓ 仏教遺跡の中心地・クワドラングル

『クワドラングル』とは四辺形と言う意味、城壁に囲まれた中に11の建築物がある。

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↓ 「ランカティラカ」は13世紀にパラークラマ・バーフ3世によって建てられた寺院。

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寺院の高さは17mと巨大で、寺院の奥に仏像があり、頭はなくなっているにも関わらず、高さが13mもある。
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アフガニスタンのバーミヤンの仏像を思い出した。

↓ 遺跡の中には猿が。

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↓ こんな動物もまじかに見る事ができる。

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↑ これってイグアナだよね?

糖質制限食の是非 By 豊岡 倫郎 氏 2017年3月12日

.医学界を二分して論争中の糖質制限食

2005年に「主食を抜けば糖尿病は良くなる!」という本が発行された。著者は京都 にある高雄病院の江部康二医師、京都大学医学部卒業である。自らの糖尿病を2002年に糖質制限食を実施して治した体験を基にして、開発されたものである。それ以来話題となって、ブームが続いているが、その是非が医学界で論争を呼んでいて、いまだ結論らしきものはない。

. 糖質制限食とは

 1)糖尿病の人や肥満・メタボリックシンドロームの人にベストの食事療法で、それが「糖質制限食」である。血糖値を
 上昇させる、唯一の栄養素である糖質。
できるだけその糖質の摂取を低く抑えて、食後高血糖を防ぐのが糖質制限食の
 考え方
である。簡単に言えば、主食を抜いておかずばかり食べるというイメージになる。抜く必要がある主食とは、
 米飯・めん類・パンなどの米・麦製品や芋類、
砂糖の入ったお菓子類など糖質が主成分のものである。
 食べて好いものは、
食物繊維類、肉、魚、乳製品などの脂肪やたんぱく質はよいし、アルコールも日本酒はダメだが
 ウイスギー類は、飲んでも良いという。

 2)具体的には江部康二医師の病院では、3タイプの糖質制限食が有り、その治療目的に応じて使い分けられている。
 それは、

スーパー糖質制限食

朝食+昼食+夕食〈3食ごはんを抜く〉
もちろん糖質の多い食材(麺、パン、イモ類、根菜、果物、スィーツなど)や調味料も制限する。糖質の摂取量は、1食あたり1020gとし、13060gを目標にする。

【三大栄養素摂取の目安】 糖質12%、脂質56%、たんぱく質32%

糖尿病の食事療法向き。最も効果がはやく確実に現れる。

ダイエットやメタボ対策の目的でも、はじめにスーパー糖質制限食をすることで、脂肪を燃焼しやすい体質へ変えて、適正体重になったら、スタンダード糖質制限食かプチ糖質制限食に切り替えることを奨めている。


●スタンダード糖質制限食

朝食 or 昼食+夕食〈2食ごはんを抜く〉
1
日の糖質の摂取量は、70100gを目標にする。

【三大栄養素摂取の目安】 糖質27%、脂質45%、たんぱく質28%

1食だけ主食(GI指数の低い玄米など)を食べることができる。継続しやすいため実践している人が多い制限方法である。


●プチ糖質制限食

夕食〈1食ごはんを抜く〉
1
日の糖質の摂取量は、110140gを目標にする。

【三大栄養素摂取の目安】 糖質41%、脂質38%、たんぱく質21%

1食抜くだけの軽い制限なので、糖尿病の食事療法には不向きである。

 3)一方、北里大学北里研究所病院の山田悟・糖尿病センター長は201311月、キリや江崎グリコ、ローソンなど
 企業9社の協力を得て低糖質食品の開発と普及を
目指す団体「食・楽・健康協会」を設立し、低糖質食品の種類を
 増やし、糖尿病
や肥満を予防するとして、それを「ロカボ」と称している。食後の血糖値を上げないようにすることを
 強調している。

 4)アトキンス・ダイエットというものが、1970年代にアメリカのロバート・アトキンス博士によって、提唱されて
 当時アメリカでブームとなった。やはりこれ
も糖質摂取を制限することによって、痩せるというダイエット法で、
 これを紹介
した本が世界で1、500万部も売れた。しかし今はすたれてしまった。

 5)和田式食事法というものが、1956年に和田静郎という人物が、ご飯やパンなどを摂らずに痩せられることを発表した。
 日本での糖質制限食のはしりで、当時婦人
雑誌やマスコミでも大きく報道されていた。実行者も大勢いたが、
 今は忘れ去ら
れてしまった。

 6)リチャード・バーンスタイン医師(アメリカ)が推奨するバーンスタイン式ローカーボ・ダイエットがある。
 バーンスタイン医師は12歳の時に糖尿病を発症
し、自らあれこれ暗中模索して、研究に研究を重ね、
 バーンスタイン式糖尿病治
療法を編み出すが、医学界からは認められず、一念発起し、医師になることを決 意し、
 医学大学に入り、1983年に開業して、患者の治療に当たり、今も患者
を救っているという。
「糖尿病の解決」という本も出版している。

.糖質制限食の特徴

 ●そもそも糖質制限食は糖尿病患者の食事療法による治癒を目的としたものである。

 ●それが痩せられると云う事でダイエット効果が大きく前面に出てきて、現在ブームとなっている。子供からお年寄りまで実行者の年齢層の幅が広い。

 ●糖質を摂取しないから、血糖値を短期間で下げることが出来る。従来の糖尿病の食事による治療といえば、カロリーを管理制限することが中心であった。

 ●では何故痩せられるのかと云えば、脳をはじめとして、体の活動エネルギーは糖質が燃えて作り出されているのにも拘わらず、糖質を摂取しないから、体内に糖質がない事態に直面すると、体内では脂肪を燃焼させて、ケトン体というものを産生して、糖質に変えるため、脂肪分が減ってゆく理論である。

 ●糖質以外の食品なら何を食べてもよいし、腹いっぱい食べるから食欲を満足させるからイライラしない、ストレスとならない。

 ●この療法を支持する人たちが、医師、栄養士、医学界など医療関係者まで浸透し、従来の健康療法のケースと異なる。

 ●ある特定の単品だけを食べるとか、逆に控えるという健康療法と異なり、摂取できる食品の範囲が広いので飛びつきやすい。

 ●その効果が医学界を二分する位、功罪が分かれているといことは、客観的な明確なエビデンスが確立していないからと、食事療法というものは、複雑な利害関係を含み対立するのは常識。

.糖質制限食に対する危惧の声

 ●自然界に長年生き抜いて形成された、食性を否定している。

  ・その1・・・ゴリラ、チンパンジー,猿が果物や木の葉、根を食べて生きて来た。元来炭水化物,糖類を主食にして
       きた。人間の歯は、奥歯20本は穀物を
すり潰す臼歯、前歯8本は野菜や果物をガブリと食べる門歯、
       残りの4本は肉
や魚肉をかみ切る犬歯であることからも証明できる。

  ・その2・・・人類の肉食は、ヨーロッパの方へ移動した先祖が農業もままならない極寒の地で食糧を確保するために
       始めた牧畜生活に由来するものである
が、アメリカでは1940年代に経済が発達し、肉、卵、乳製品の
       生産が増え、
一方今迄の穀類やイモ類の摂取が減少すると共に、心筋梗塞やガンが増加した為、
       今は政府が肉、卵、乳製品の過剰な摂取を警告している。

  ・その3・・・日本の風土で培われてきた日本人には日本人の体質が備わっている。胃の形、消化酵素、腸内細菌などは

         独特である。ところが欧米食の過食によってガンを始め、生活習慣病が増加した。ファミリーレストラン

         の品揃えは獣肉のおかずか並んでいる現実は恐怖。

 ●食べ物には酸性食品とアルカリ性食品に分けられる。中性食品もあるが、糖質制限食の殆どは酸性食品である。
ところが血液は弱アルカリ性に維持するように体
の生命維持機能が働き、自動的に調節している。
酸性に傾きかけると体内の骨の
カルシュウムを動員して、酸性を中和させるために、骨が脆くなってゆく。
酸性化現象と云えば、前述した脂肪を燃焼させてケトン体を作るが、ケトン体は超酸性物質である為、酸血症という症状が出る。めまい、はきけ、意識不明など起きる。

 ●肉類を消化する過程で、胆汁が分泌されるが、それが腸内で二次胆汁酸となって、ニトロソアミンを発生させる。
これが大腸がんの原因のひとつで、日本人の
大腸がん増加の原因。

 ●若干の食物性繊維を摂るにしても、腸内に流れ込む大量の動物性食品は、悪玉菌を発生させて腸内環境が悪くなる。
  インドール、アミンや硫化水素などの毒素が
発生し、腸壁から血液の中に吸収されて、体内に侵透するから、
  体臭や呼気が臭
くなる。おならも臭いのが出る。

 ●タンパク質の消化や分解には、糖質に比べて、二倍のエネルギーを消耗する。その代謝過程でアンモニアや尿素の
  処理のために働く腎臓や肝臓が疲弊。特に腎臓
の弱い人はタンパク質の摂取量が多くなると腎臓機能低下が顕著となる。

  又消化の為の体内酵素の浪費につながる。

 ●胃腸などの消化器系統が弱い人は脂肪やたんぱく質の消化には時間がかかるし、炎症を起こしやすい。胆嚢にも結石が発生し易い。膵臓にも脂分の消化が大きな負担となる。

 ●大量の脂肪が体内に入れば、活性酸素によって、過酸化脂質に変わり、臓器や組織に侵透してゆき、機能を狂わせる。その恐ろしさは世界的に有名な活性酸素の権威である丹羽靭負博士の本を読まれると、その恐ろしさが判る。

 ●コレステロールや中性脂肪が多いと言われている人が多い。これらの人達に果たしてさらに悪化するという危険性がないのだろうか。動脈硬化が進み、脳梗塞や心筋梗塞が心配になる。

 ●炭水化物を摂取すれば便の量も多く、快便を得られるが、前述したように腸内環境が悪い上に便も細くなると、便秘を招く。免疫力も低下する。腸の内視鏡を開発して、今までに30万人の患者の腸を観察してきた新谷弘実博士の本によると、「・・・肉や乳製品などの動物食を常食していると、消化吸収が悪くなり、みるみる腸内環境が悪化してゆきます。・・・そんな人達の腸は柔軟性がなく、硬く、内壁の色はどす黒くなっている・・・」と。

 ●糖質制限食は食費が高くなり、お金がかかる。

 ●成長盛りの青少年がこれを実行すると、三栄養素とミネラル、ビタミンのバランスが崩れ、成長が歪められる。特に少女が行うと、生理が無くなるという報告もある。

 ●そもそもこの療法を実行する人達は、糖尿病の糖が出ないようにしたいのか、ダイエット目的で痩せたいのか。中途半端に行っていたり、長期間続けていると、想定外の危険性をはらんでいる。この人達はそもそも食べ過ぎなのである。何故この方法を選択するのだろうか。外に幾つもの選択肢が有る。例えば西式甲田療法などが適当だと思う。

 ●このやり方に警鐘を鳴らす人達の本がある

 この3冊以外にも多くの反論の本が出ているが、3氏の経歴を紹介すると。いずれの方々も長年食事療法一辺倒で病気に対峙してきた人達であるから、その理論的主張には説得力がある。

  ★石原結實・・・2年ほど前まで昼の思いっきりテレビに出ていた。長崎大学医学部卒。伊豆で断食療法や東京でクリニックを開院、今迄多くの業界の人達が治療に訪れている。

  ★幕内秀夫・・・東京農業大学栄養学科卒。帯津三敬病院、御茶の水クリニックなど多くの病院の食事療法を30年以上指導してきた。

  ★松生恒夫・・・東京慈恵医科大学卒。松生クリニック院長。大腸内視鏡検査を4万軒以上行ってきた権威。

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.まとめ

 1)この糖質制限食が発表されてから、10数年経過したが、この論争が何時まで続くのか見当がつかない。平行線が続く可能性大である。しかしこの食事療法が現代医学の薬一辺倒の医者達に興味が持たれだしたと云う事は異例だ。

 2)ただ怖いのは、前述したように、本来持つその土地の人達の食性を根本から否定するような要素が有るため、ひとつ間違えると、身体に大きなダメージを負う危険性をはらんでいるから決断は慎重を要する。人生何事も重大な決断を下す時は、双方の意見をよく比較検討して、選ばないといけない。

3)糖が出ないようにするのならば、短期間実行して、達成した後も、継続するのか、それとも従来の悪食に戻るのか。そもそも糖尿病や肥満になるのは、間違った食習慣に原因があったわけだから、それを改めるのが正論で本筋である筈。都合の悪い事に眼をつむるのはよくない。

4)ブームも10数年経過すると、これからはこの療法によって、害をこうむった人達の声が段々多くなるのが世の常である。どうなることか、興味深く推移を見守りたい。

5)健康管理の基本原則を列挙すると。

 ●健康法というものは生涯継続するものである。

 ●どんな人にも適用できて、障害が起きない事。食事療法にしても、健康体操にしても。

 ●自然の摂理に順応し、かつその土地の風土に育った人には、その土地にて摂れる食物で生かされていること。
   即ち身土不二、全体食、旬の食物が基本。キリ
ン,象、牛や馬に主食の草を食べさせるのを止めさせて、
   肉食をさせる様なこ
とは出来ますまいに。

  ●食品の構成は、日本人には、三分づき玄米、緑の葉物、根菜類、ゴマや豆類、小魚、海藻、味噌や漬物、梅干し、季節の果物など。生水。そして少食が基本であること。

  ●生きたものを摂る。即ち生野菜、大根おろし、長芋のおろし、果物、味噌、納豆や漬物類の発酵食品。生物界の大原則は「生きたものは生きたものに養われる」である。

  ●食事の量は、腹八分とする。今我々が罹っている病気は全て食べ過ぎが大きな原因である。

 6)糖質制限食を上述した基本原則に照らしてみても、矛盾を感じないだろうか。どこに肉類ならOK、アルコールもOKはおかしい。チェックすべきことは、こんなことで、きれいな血液が作れるのか、柔軟な血管になるのか、腸に悪玉菌が増えないのか、便秘せずに快便であるのか、皮膚がきれいであるのか、過食と過飲、腸内腐敗で活性酸素を増産していないのか。 

おわり  2017-3-12 豊岡倫郎

 

 

スリランカ 三日目(カウダラ国立自然公園)

二日目、シーギリアへの道筋、ガイドのレナードさんが、スマホで撮った象の群れを見せてくれた。

これ何処?と聞いたら、シーギリア近くのカウダラ自然公園と言う。

観光スケジュールにはなかったが、是非行きたいと言ったら、行っても象に出会うかどうか運しだいと言う。

一人70ドル(約8,000円)と結構お高い。でも二度とないチャンスなので行こう行こうと決まった。

三日目にシーギリアからポロンナルワへ行くのでその帰りに寄りましょう!と決まった。

スリランカ国内には20ヶ所以上の国立公園と100を超える自然保護区があり、カウダラもそのひとつ。

スリランカにしか生息しない固有種や絶滅危惧種を含む多種多様な動植物が生息していることから「シンハラージャ森林保護区」「スリランカの中央高地」の2件は世界自然遺産にも登録されている。

↓ カウダラ自然公園(中央)

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↓ 公園入口、ここでジープに乗り換える。いわゆるジープサファリ。

このジープ、個人タクシーと同じで運転手は登録制、客から受け取る入園料の何割かを国に納める。

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ジープの屋根はホロをのけると立って見学できる。

↓ いよいよ出発

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↓ 象が見れる草原まではこんな道

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↓ 目の前が開けて象との出会いにわくわく

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↓ ラッキー!   象・象・ぞう・ゾウ

狭い檻の中で見る象とは違う自然の生息風景。 

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動物園でしか見た事のない生き物を、自然の中で見る事の感動はまた格別だった。

スリランカ 三日目(シーギリヤロックへ その2)

シーギリアロック頂上の宮殿跡の写真をもう少し。

↓ ロック全体の空撮写真(パクリ)

こんな断崖絶壁のロックがある事もビックリだが、こんな所に宮殿をつくった発想と実現が凄い。

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↓ ロック頂上より見た辿って来た宮殿内の道

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↓ 沐浴池:当時、水は下から運んできたらしい。今は雨水だが・・・。

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↓ 王の椅子

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↓ 頂上から見たライオンテラス

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↓ 降り口

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↓ 昇降が交差する階段模様

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↓ 遥か向こうに白い仏像が見える

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↓ ズームアップすると、華麗なお姿が・・・ここへも行ってみたい

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↓ シーギリアロックに王宮建設のため僧坊を移した山を眺める

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↓ 右がロック、左が僧坊移設山

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↓ コブラ岩

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↓ やっと地上に降りてきた。

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↓ 反対側からみたロック

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沖縄キャンプ

沖縄でキャンプする球団がこんなにもあるとは思わなんだ。

何と9球団、3球団を除く日本プロの全球団が来ている。

おまけに韓国から”サムスンライオンズ”も来ていた。

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そのせいか、2月の沖縄は観光シーズンでもないのに飛行機はほぼ満席。

今年沖縄県は1,200万人の観光客を誘致したい意向。

なので、プロ野球のキャンプも確実にその一役を買っている。

その証拠にたまたま野球場で出会った若者は香川県から来たと言う。休日でもないのに・・・・。

2月25日、阪神のキャンプを見に行こうとなって、宜野座村野球場へ出かけた。

えらく駐車場がガラガラと思いきや、運悪くこの日は練習が休みの日、どうりで・・・。

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↓ 甲子園と同じ土を入れたという宜野座村球場、村も力が入っている。

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近くの食堂でこんなメニューを見つけた、面白い。

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甲子園球場の近くでこのメニューを出したらすぐに売り切れる???

阪神勝つめし、阪神勝つカレー・・・一度食べたいものだ。

誰もいない球場にいても仕方ない・・・、次に向かったのは日本ハムがキャンプしている名護市営球場。

この日の午後から韓国のプロ ”サムソンライオンズ”と練習試合があると言う。

日ハムと言うと二刀流の大谷 翔平・・・が、ケガで顔を見せる事はなかった。

名護市営球場もきれいな球場である。

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↓ ネット裏の入りはこの程度、空きが目立つ。

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↓ 選手をテレビ越しに見るのと間近に見るのとは大違い。

背は高いしがっちりしているし・・・さすが。

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この試合、日ハムが勝利。練習試合は力も入らない?

健康への道しるべ 第125号のご紹介

健康への道しるべ 第125号のご紹介。

平成29年2月25日発行。

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健康への道しるべのお問い合わせは下記へ。

電話:054-245-8141  健康生活研究会 増田氏まで。

柿茶スィーツ

『平成28年度 柿の葉・柿茶の粉末 産官学連携プロジェクト 調理&商品開発ゼミ』

と題して、約1年前から取り組んだレシピ開発の成果が2月27日、香川短期大学食物栄養実習室で行われた。

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この日は朝日新聞.四国新聞,香川テレビ放送網(KBN)など、報道陣も取材に来てくれた。

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↓ この日の調理担当は春休みともあって少人数。

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↓ 柿茶の粉茶 水まんじゅう

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↓ 三色吸い物

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↓  柿茶の粉茶 マフィン

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↓  柿茶の粉茶 ゼリー

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↓  柿茶の粉茶入りクッキー

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↓  柿茶の粉茶 ようかん

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↓  柿茶の粉茶 チーズケーキ

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↓  柿茶の粉茶 パンケーキ

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↓  柿茶の粉茶 うどん

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↓  柿茶の粉茶 タルト

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↓ 開発して頂いた先生とその生徒さん

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ありがとうございました。

どれも美味しかったけど、柿茶ようかんとチーズケーキが私には新鮮だった。

お店で売らなきゃ!

全四国男声合唱フェスティバル2017

”全四国男声合唱フェスティバル 2017”が去る3月5日(日)丸亀市民会館大ホールにて開催された。

今年でこの市民ホールは新しく建て替えとなる。

その最後の記念行事として四国にある男声合唱団がこの丸亀の地に集結、華を飾ってくれた。

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我が丸亀走友会、今ほとんどのメンバーが歩こう会となっている中、ただ一人走る貴重なメンバー・黒木さんが出演する。

彼が所属する「丸亀男声合唱団 コール・メル」の合唱から幕を開けた。

指揮・三木 伸哉氏、ピアノ・鈴木 知明紀氏

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最初の曲目「元気なわたしたち」は老人の日常や行動を歌詞にしたもので、合唱と言う静粛に聴くべき場ながら、始終客席から笑い声が耐えなかった。

↓ グリークラブ香川(高松市で活動しているグループ)

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↓ TURKEY’S CLUB(高知市)

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↓ えひめグリークラブ(松山市)

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↓ 男声合唱団「我夢」(西条市)

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↓ 同志社グリークラブOBシンガーズ(京都府)

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わざわざ京都から来てくれた。

さすが同志社、人数は50人を超える大合唱団である。

数の力はものすごく、これだけ集まれば迫力満点、広い会場に男の声が響き渡った。

↓ 更にすごかったのは、今日出演したほぼ全員が歌う合同演奏、130人くらいの人員。

整列するのにもお時間拝借、指揮者自らどんちょうの前てお断りするほど。

「この星の上で」のタイトルで谷川 俊太郎 作詞・松下 耕 作曲の、

”はる”・”地球の客”・”ほほえみ”・”今年”の四曲を合唱してくれた。

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↓ 合同合唱の指揮者・高嶋氏、香川出身らしい。

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こうして大合唱の興奮醒めやらずのうちに幕を閉じた。

我々同世代のメンバーがこのように頑張って歌う姿をみると、力をもらえる。

黒木さん、お疲れさまでした。

来年もまた歌って下さい。

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スリランカ 三日目(シーギリヤロックへ)

↓ 3日目スケジュール

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ホテル・ALIYA RESORT AND SPAから天空の宮殿「シーギリアロック」へは目と鼻の先。

ホテルからも見える。

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↓ ネットから拝借したシーギリアロックの歴史はこうだ。

アヌラーダブラを統治していたダートゥセーナ王(在位459~477 )の長男・カーシャパ王子の母親は平民出身であり、腹違いの弟・モッガラーナ王子の母親は王族出身であった。

長男・カーシャパ王子は次の王が弟になるのを恐れ、父王を監禁し、王位継承を迫るが、拒まれた為に父王を殺害する。この時、異母弟はインドに逃れた。

父親殺害の罪悪感か、弟の反撃への恐怖からか、新王カーシャパは、、憑かれたように    難攻不落のシーギリヤ・ロックの宮殿建造にのめり込み始めた。

7年後に、アヌラーダブラからシーギリヤの新宮殿に移り住んだ。

シーギリヤ・ロックは、、古代から仏教の修験場であった為に、隣の北の山に立派な修験場を造り、僧呂達を移した。

移住から11年後、インドから復讐に戻った弟モッガラーナとの戦いに敗れ、自ら命を絶った。

モッガラーナは首都をアヌラーダブラに戻した為に、、その後シーギリヤロックは忘れ去られた。華やかな宮殿時代は、僅か11年の間だけだった。

この短さが、、この巨大で特異な自然と宮殿廃墟、そして華麗な宮殿社会を想像させるシーギリヤ・レディの鮮やかさを際立った存在にしている。

イギリス統治時代の1875年に、イギリス人によってシーギリヤ・レディが再発見されるまで、眠ったままであった。

・・・と言う歴史を持った地形と言いその全容と言い、何とも不思議で魅力的な世界遺産の山。

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↓ シーギリアロックに王宮建設のため僧坊を移した山

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↓ 宮殿案内地図

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↑ ②が宮殿入口、⑭が宮殿跡

↓ ②入口

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↓ 宮殿へ入ると水浴したと言われるプールが木々の間に点在する。

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↓ 朝日を背にしたシルエットのロック

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↓ ここからロック頂上への階段が始まる。

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よくぞこんな所に宮殿を造ったものだ。

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↓ こんな高い所にも水浴プールがある。 一体何人の人を動員して造ったのか?

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↓ やっと”Lion's Paw Terrace”到着、Pawとは、かぎづめのある四つ足獣の足。

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ここからまだ上に登る。

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↓ やっと頂上

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↓ 1,200段の階段を登った成果の宮殿跡

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↑ 記念写真を撮りたい気持ちは良く分かる。

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写真は今日はここまで、また続きあり。

スリランカ 二日目(シーギリヤへ)

スリランカ、二日目の宿はシーギリヤ。

アヌラーダプラー③からシーギリヤ④へ車で約1.5時間。

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ホテルの名前は「ALIYA RESORT AND SPA」

↓ 広い敷地内にコテージが点在し、そこが宿所となったホテル。

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↓ コテージへの道

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まずは受付のある本館へ。

↓ 本館への階段

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↓ 受付カウンター

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いたるところに象がいる。

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↓ 庭にも

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↓ 本館にはプールもあって、原野の緑に映えてひときわきれい。

遥か向こうにシーギリアロックが見える。

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↓ コテージ室内

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ここに2泊できるとは、素晴らしい!

↓ 敷地内の風景あれこれ

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よくぞこんな山の中に、こんな立派なホテルをつくったものだ~。

スリランカ 二日目(アヌラーダブラ:ルワンウェリ・サーヤ仏塔)

ルワンウェリ・サーヤ仏塔は紀元前2世紀、ドゥッタガーマニー王により建立された高さ55mの仏塔。

レンガの上にしっくいを塗ったもので、中に仏舎利が納められている。このような塔をインドでは”ストゥーパ”と言って日本でもおなじみだが、スリランカでは”ダーガバ”と言うらしい。

スリーマハー菩提樹のある所から仏塔へは徒歩の道。

↓ その仏塔への参道

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↓ 白い巨大な塔が見えてきた。

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↓ 入口

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↓ 塔の建つ台座には象・象・ゾウ・ぞう

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毎年純白に塗り直されるらしく、青空にまぶしい。

この塔は三大仏塔の1つで、仏塔の周りをグルグルと回りながら祈る人たちで賑わっていた。

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境内の中は祈る人々で満ち溢れていた。

↓ 出口

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アヌラーダプラーの観光が終わり、この日のホテル・ALIYA RESORT AND SPAがあるシーギリアへの道すがらマンゴーを売る露店に立ち寄る。

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マンゴーには苦い思い出がある。

フィリピンへ行った時、マンゴーがウルシ科の植物とは知らず、美味ゆえ食った食った。

二日ほどして唇の周りに違和感を覚えたら、だんだん腫れてきた。

うるしにカブレたとは帰国して皮膚科の先生から聞いた。

・・・で、おいしいとは分かっていたが、我慢・がまん。

スリランカ 二日目(アヌラーダブラ:スリーマハー菩提樹)

イスルムニヤ精舎を後にして向かったのは、スリーマハー菩提樹のある寺院。

スリーマハー菩提樹は、仏陀がその下で悟りを開いたといわれるブッダガヤの菩提樹の分け木。

アショーカ王の娘サンガミッタ王女が持ち帰り、紀元前288年にデーワナンピヤ・テイツサ王が首都アヌラーダプラに植樹、現存する最古の菩提樹といわれ、多くの信仰を集めているとか。

↓ その菩提樹がある寺院への入り口。

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↓ 満月の休日でお祈り人であふれていた。

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↓ これが信仰を集める菩提樹(写真、中央の樹)

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菩提樹は野生の象などの動物から守るため、柵が設けられ、近づく事はできない。

菩提樹の周りには、病気の平癒を願う布を多くの信者が奉納している。

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↓ ムーンストーン

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満月の日は休み・・・とは関係ないが、寺院の門・階段など入口にはムーンストーンと呼ばれる満月を半円形にカットした敷石がある。

宇宙の真理を表すという半円形の図柄には、象や牛の図柄が入っている。

彫刻された模様は多くの参拝者の足ですり減り、角が取れ丸みを帯びていた。

歳月の長さを彷彿とさせる。

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↑ 祈りの人々 ↓

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百寿者の条件 By 豊岡 倫郎 氏 2011年10月

.日本の百寿者数

 昨年の調査では、今日本の百寿者(百歳以上の人)の人数は、65,692 人になった。ここ10年で急激に増えてきて、今後更に増加していくと見込まれている。男女別の割合は男性が20%、女性が80%となっている。そして80%の人は寝たきりで、何らかの介護をうけている。今では百歳まで生きることは夢ではない時代かも。しかし確率的には一万人にひとりと厳しい。

.今までの長寿者になるための条件

 1)日本の長寿村の山梨県の棡原村(ゆずりはらむら)の場合

 今は山梨県上野原市棡原町となっている場所が有る。昭和43年に甲府市の古守病院長の古守豊甫氏と東北大学医学部の近藤正二教授によって調査されて、長寿村の折り紙が付けられ、全国的に有名になった村である。古守豊甫氏の本に掲載された記事によると、

 「鶴川の河岸段丘に発達した棡原は山紫水明、耕して山頂に到る。古来、村人は健康で人情に篤く、粗衣素食、耕雲種月の日々を楽しみ、穀菜食を主とし、肉食を嗜まず、女性は多産且つ母乳豊富、老人は皆天寿を完うし、家々は山の斜面に沿うて建ち、昔から田を作ることが出来ず、食生活は麦を中心としたアワ、キビ、ヒエ、トウモロコシ、小豆、大豆、ソバなどの雑穀とジャガイモ,サトイモ、サツマイモ、ヤマイモ、コンニャクと豊富な野菜、山菜が中心である。保存食として昆布、ワカメ、ヒジキを良く食べる。味噌や豆腐は自家製である。斜面の耕作地を登り降りして、体力を養い、粗食と労働が長寿の素因となっている。人の寿命は食べた野菜の量に比例する。」。8,90歳まで元気な秘訣がここにあった。勿論ガンになる人も認知症になる人も居なかった。

  ところが昭和28年に立派な道路が開通すると、その後20年もしないうちに、物質文明という悪魔がやってきて、今まで食べたこともない白米、肉だ卵だ牛乳だ、ハム、ソーセージ、バター、チーズ、パン、カップラーメンだ、ポッキー等々に若者は飛びついた。しかしいまさら老人たちはそんなものは食べない。若者たちには肥満、高血圧、糖尿病を発症して、そして更に10年経つと、「逆さ仏」という悲劇が始まった。老人は元気なのに、子供が先に死ぬという現象である。こうして長寿村は崩壊してしまったのである。

村に立つ長寿村棡原の石碑(左)・棡原のお年寄りを診察中の古守豊甫医師(右) 

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) 東北大学医学部の近藤正二教授の著書「日本の長寿村・短命村」より  

近藤正二教授は昭和12年から昭和47年までの36年間、北海道から沖縄まで全国990の町村をリュックを背負い訪ね歩き、生活習慣と寿命の関係を調査し、まとめたのが、この本である。当時ロングセラーとなる。近藤博士は勲二等瑞宝章も受賞されている。

 この本によると、結論として日本の長寿村の生活をまとめると、陸中と、海岸部では食生活に違いがあるが、
総じては、

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●自給自足で野菜を作り、多く食べている。なかでもニンジン、カボチャ、ヤマイモ、
 さつまいも等。

 ●小魚を食べている。

 ●大豆料理が豊富にある。

 ●海藻やゴマを食べている。

 ●白米を大量に食べない。雑穀やイモ類を食べている。

 ●肉は少量、それもゆでこぼして、脂肪を減らして食べる。

 ●年を取っても良く働く。地形が傾斜地に長寿村が多い。私見だが脚の裏側が伸びると、血流も良くなるし、脚に来ている多くの経絡を刺激して、特に便通が良くなる。

 ●空気がきれいで、日当たりがよく、ストレスが少なく、明るい性格の人が多い。

 ●この本では、短命村のことも書かれているので、比較してこそ問題点が浮かびあがっている。

3)世界の長寿村からのヒント

 これまで世界の長寿村として有名な場所は三か所ある。日本からも多くの医学者たちが調査に赴いていることで有名になった場所である。その場所とは、

 (1)南米エクアドルにあるビルカバンバ・・・インディカ米、トウモロコシ、芋、ヒエ、アワ、、発酵させた大豆,良水、生野菜など食べている。山岳地帯にある。

 (2)ロシアと中国の国境近くに位置するパキスタンのフンザ・・・新鮮な果物、雑穀パン、生野菜、豆、牛乳、乾燥させた果物、肉少々、自家製ワインなど。ここもまた山岳地帯で坂多し。

 (3)カスピ海と黒海に囲まれたグルジアのコーカサス地方・・・カスピ海ヨーグルトの発祥地、未精白の雑穀類、トウモロコシから作ったパンやナン。生野菜、チーズなどの発酵食品、肉少々。ここも山岳地帯。

 これら三か所の長寿村の共通点は、

 ●山岳地帯で空気がきれい。坂を上り下りして、高齢になっても働く。

 ●水がきれいで、ミネラル分が多い。

 ●自家製の新鮮な生野菜を食べる。果物も食べる。

 ●精製されてないとうもろこし、雑穀類を食べている。

 ●発酵した乳製品を摂る。

 ●肉はあまり食べない。

 ●豆やナッツ類を食べる。

 ●砂糖は摂らない。

.最近の研究で明らかになった百寿者の条件

 近年老化防止や長寿の研究がいろんな機関で盛んになって、テレビでも時々この問題について放映されている。それらの中からこれはと思われる参考事例を以下紹介すると。

 1)百寿者の健康診断から解ったこと

  ●慢性炎症の程度を表すCRPの数値が低い。炎症には怪我をした時などに腫れ上がって起きる急性炎症と、加齢と共に細胞が老化してくると、炎症性サイトカインによって引き起こされる炎症が身体至る所に起きるが自覚症状はない。これを慢性炎症と呼んでいる。

  ●微小循環が良好である。微小循環とは毛細血管の中で起きている目に見えないレベルの細かな血流の事。以前説明した毛細血管やグロミューがボロボロになっていない。

  ●CTRA遺伝子群を持っている。この遺伝子は何かストレスを受けた時に働きを強める。満足感を得た時はその働きが弱まるが、働きが弱まった時に、慢性炎症が抑えられるという。

   そして満足感でも食欲、買い物、性欲、娯楽などの快楽型の満足感は炎症を促進し、生きがい型満足感の時は、炎症を抑える。生きがい型満足感とは、ボランティア活動とか、家族を大切にするとか、前向きにクリエイティブなことをすることである。

  ●血液中の生理活性物質のアディポネクチンの量が多い。その働きは糖尿病、動脈硬化、炎症などを抑える効果が有る。内臓脂肪の多い人は分泌量が少ない事が判っている。

 2)百寿者の生活習慣

  ●高齢になっても体を動かしている。このことを身体活動と表現している。地形が斜面になっている地区に住んでいる。体に一定の負荷をかけている。

  ●その土地の風土に合った伝統的な食べ物を摂っている。

  ●幸せの感情を抱いている。ブツブツブツとグチをこぼさない。悲観的な考えを持たない。

  ●胃腸が丈夫で食欲が有る。これは活動しているから空腹になるのかもしれない。結果的に腸内環境が良好である。便秘や宿便のある人は少ない筈だ。

.日本人には日本人の体質がある。それを活かした健康法とは

 1)最近出版された奥田昌子著「欧米人とはこんなに違った日本人の体質」という本が有る。副題は「科学的事実が教える正しいガン・生活習慣病予防」となっている。著者の経歴は京都大学大学院医学研究科修了、医学博士,内科医。

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 2)

 

欧米人とはこんなに違う日本人の体質

  ●内臓脂肪が付きやすい体質、一方欧米人は皮下脂肪が付きやすい。内臓脂肪が多いと、血糖値が上がる、血圧が上がる、動脈硬化、心臓病になり易い。

  地中海食が健康に良いと勧める人がいるが、オイレン酸のオリーブオイルには悪玉コレステロールを上げにくいとかいうが、しょせん油であるから摂り過ぎは良くないし、オイレン酸は肝臓で合成しているので、意識して摂る必要はない。以前地中海食を欧州のイタリヤ、フランス、ドイツ、イギリスの人達に摂ってもらい、実験したところ、イギリス人には効果は無かった。何故ならイギリスは地中海に面しておらず、風土が異なり、体質が違ったからだった。

  ●日本人はアルコールの分解酵素の少ない人が4割いて、酒を飲むとすぐ赤くなる人は発ガンなどのアルコールの害を受けやすい。ところが欧米人は100パーセント近く酒に強い酵素を持つ。日本人は赤ワインのポリフェノールが動脈硬化を防ぐとか言われて飲むか、或いは発ガンを選ぶか、あなたはどっちにしますか。

  ●日本人には牛乳の乳糖を分解するラクターゼ酵素を7割の人が持っていない。乳糖不耐症というが、下痢やアレルギーなどになり易い。遠い先祖の時代から遊牧民族でなかったから備わっていない。乳製品の混じったヨーグルトを飲んでいると、眩暈、抑うつ、下痢、肌荒れなどの症状が出てくることが有る。医者でも疲れやストレスとして診断を下すことが有るが、これを遅延型食物アレルギーという。

  ●日本人には腸内細菌の善玉菌が多く、悪玉菌が少ない。これは遠い先祖の時代から農耕民族で穀物中心の食生活だったことによる。肉や乳製品は腸内で腐敗しやすく、悪玉菌が増える。

  ●日本人は遺伝的にカフェインによって、情緒不安定になる体質を持つ人が半数以上いる。4人にひとりが150mg摂取で不安定になる。欧米人はそんな人は少数派である。ご存知の様にカフェインの害は恐ろしく、利尿作用で水分が抜けて肌荒れ、副腎疲労、交感神経亢進し、情緒不安定、胃炎、老化を早めるなど多くの害がある。一時的に疲労が抜けた感じがするだけである。

  ●日本人は欧米人よりも糖尿病になり易い体質をもつ。インスリンの分泌量が欧米人の半分から4分の1である。今日本に予備軍を入れて糖尿病の人が2200万人いる。

  ●日本人の胃は肉を消化する力が弱い。日本人の胃は釣鐘型に対し、欧米人はすっきりした形で、胃壁も厚く、胃酸の分泌量も日本人の倍位と多く、食べたものを速やかに処理して、腸へ流す。これに対し日本人の胃は出口も高く、しっかり溜めて消化するタイプになっている。これも太古からの食生活の違いによるものである。6


 

 3)体質とは何か

  ●体質を決める要因はふたつあり、ひとつは持って生まれてきた遺伝的体質、もう一つは環境的体質である。このふたつがミックスされてその人の体質が決まっている。だから人種や風土、生活環境が違えば体つきも精神的性質も発症する病気も異なって当然なのである。

  欧米人は髪の毛の色、眼の色、肌の色、体つき、背の大きさも日本人とは異なる。それらを作り上げた遺伝子も、内臓器官も働きは日本人とは同じではなかったのである。

  ●遺伝的要因も変えられることが出来る。例えば病気になり易い遺伝的要因を持っていても食生活を含む生活環境要因を改善すると、遺伝子のスイッチを切り替えることが出来る。これをエビジェネティクス現象という。双子の兄弟がかけ離れた別々の環境で生活しているケースによっても、証明されている。しかしすべての遺伝子に適用できるかは今後の課題だという。

.まとめ

 1)結論として言える事は、日本人には日本人の伝統的な生活習慣から、長所となっていることは、今後も生かしてゆかねばならない。欧米式の食生活の鵜呑みがけっしてわれわれの長寿を約束してくれてはいない。飽食して、やれ肉や牛乳や砂糖や酒が強いとかは、皆今ガンを始め、高血圧、動脈硬化、糖尿病、アレルギー疾患の原因であることに、早く気付いてほしい。

2) 福沢諭吉は「肉食之説」という一文を書いている。その一部分を意訳すると、「・・・いまわが国民は肉食しないために、体の活力を落とすものが多い、これは一国の損亡である、・・・肉と牛乳を摂るべきだ・・・」と。福沢諭吉は生涯に三度欧米に行っているが、欧米人の大きい体格に圧倒されて、彼らの常食している肉食が活力の源であると信じたようだ。学問のすすめならぬ肉食のすすめを書いてしまった。

3)長寿の条件と裏腹になるのが、短命者の条件で、列挙すると、*大食、*タバコや酒の過飲、*甘いもの過食、*身体活動不足、*骨格の歪み、*ストレスに弱い、*偏食、野菜不足で肉食や油分の摂り過ぎ、*進取の精神に欠ける、*肥満又は痩せすぎ。

4)体の色々な臓器や器官は全て繋がって、生命活動を行っている。トータルシステムであるから、何か一つの事だけすれば改善されるほど単純ではない。健康管理はトータルバランスが大事。

5)「これ位なら大丈夫だろう」と薬を服用しながら、自分の置かれている状況を軽く見て、誤食に口を染めていては、根本解決にはならない。体の悲鳴に耳を貸す心のやさしさを持とう。

 6)今回出てきた慢性炎症とアディポネクチンのことは、別の機会に詳細説明したい。

おわり

街中美術館

坂出の街中に時々キリンやラクダが出現する。

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この日は坂出元町商店街入口の喫茶店前で見つけた。

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