スリランカ 三日目(シーギリヤロックへ)
↓ 3日目スケジュール
ホテル・ALIYA RESORT AND SPAから天空の宮殿「シーギリアロック」へは目と鼻の先。
ホテルからも見える。
↓ ネットから拝借したシーギリアロックの歴史はこうだ。
アヌラーダブラを統治していたダートゥセーナ王(在位459~477 )の長男・カーシャパ王子の母親は平民出身であり、腹違いの弟・モッガラーナ王子の母親は王族出身であった。
長男・カーシャパ王子は次の王が弟になるのを恐れ、父王を監禁し、王位継承を迫るが、拒まれた為に父王を殺害する。この時、異母弟はインドに逃れた。
父親殺害の罪悪感か、弟の反撃への恐怖からか、新王カーシャパは、、憑かれたように 難攻不落のシーギリヤ・ロックの宮殿建造にのめり込み始めた。
7年後に、アヌラーダブラからシーギリヤの新宮殿に移り住んだ。
シーギリヤ・ロックは、、古代から仏教の修験場であった為に、隣の北の山に立派な修験場を造り、僧呂達を移した。
移住から11年後、インドから復讐に戻った弟モッガラーナとの戦いに敗れ、自ら命を絶った。
モッガラーナは首都をアヌラーダブラに戻した為に、、その後シーギリヤロックは忘れ去られた。華やかな宮殿時代は、僅か11年の間だけだった。
この短さが、、この巨大で特異な自然と宮殿廃墟、そして華麗な宮殿社会を想像させるシーギリヤ・レディの鮮やかさを際立った存在にしている。
イギリス統治時代の1875年に、イギリス人によってシーギリヤ・レディが再発見されるまで、眠ったままであった。
・・・と言う歴史を持った地形と言いその全容と言い、何とも不思議で魅力的な世界遺産の山。
↓ 宮殿案内地図
↓ ②入口
↓ 宮殿へ入ると水浴したと言われるプールが木々の間に点在する。
よくぞこんな所に宮殿を造ったものだ。
↓ こんな高い所にも水浴プールがある。 一体何人の人を動員して造ったのか?
↓ やっと”Lion's Paw Terrace”到着、Pawとは、かぎづめのある四つ足獣の足。
ここからまだ上に登る。
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