Jou光

  • 親父
    彼は子供の時から絵が上手いと、親の欲目で思っている。目の前でさらさら描かれると、ついつい感嘆してしまう。世の中いっぱい絵の上手い人はいるが、この道で飯が食えるのはスポーツ選手と同じで極一部。でもとにかく趣味でも良いから絵を描くことは続けて欲しいと願っている。

春爛漫

  • ぼけの花
    柿茶の里は徳島県美馬郡つるぎ町に位置する。柿の葉の生産農家へ毎年春と秋に行く。春はことさら美しい。桜が咲き乱れ山の木々が新緑に包まれる。澄んだ青空に身も心も洗われる気がする。

アユタヤ遺跡

  • Pict0266
    1491年に建てられた王族の守護寺院。3つの大きな仏塔には、ラーマティボディ2世と父、兄の遺骨が納められています。 寺院ではありますが僧は居住せず、王の礼拝堂として王族の儀式に使用されていました。この寺院もまた、1767年ビルマ軍により破壊され、16mあったという金で覆われた仏像も金を奪われた後、壊されてしまいました。

暁の寺院 タイ

  • Pict0350
    トンブリ王朝時代の守護寺で最高位の寺院とか。きらきらと輝く陶器の破片に覆われた高さ約79mの大仏塔は、ラマ3世により5年がかりで改装された。朝日を浴びた大仏塔の神々しい姿が”暁の寺”の名前の由来。

ワット・ヤイ・チャイ・モンコン

  • Pict0201
    セイロンへの留学から戻ってきた僧侶のために、1357年初代王ウー・トーンが建立しました。仏教寺院は瞑想の場として使用されていました。現在も多くの仏教徒が訪れ、週末は観光客でにぎわいます。

水上マーケット

  • Pict0116
    ダムナン・サダックの水上マーケット。その昔、”東洋のベニス”と言われたバンコクでは、日常的商取引には運河が利用されてきた。水上マーケットは、古き良き時代の情緒溢れるバンコクの生活を体感させてくれる。 

2008年7月 タイ王宮

  • Pict0429
    白壁に囲まれた20万㎡の敷地内には、1782年に建設された国王の宮殿、即位式の建物、王室守護寺院のエメラルド仏寺院などチャクリー王朝歴代の王により建造・改築された建物が建ち並んでおり、ラマ8世までは実際にここに住まわてていたとか。

涅槃寺

  • Pict0386
    タイ語で Wat Pho(ワット・ポー)と呼ぶこの寺は、ラマ1世が建立したバンコク最大の境内を持ち、バンコク最古の歴史を持つ寺院。本堂には写真のようなリクライニング・ブッダの愛称で親しまれている寝釈迦仏が横たわる。足の裏には螺細細工でバラモン教における108の宇宙観が表現されていると言う。

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金魚

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2017年5月

さかいでブランド

『さかいでブランド認定事業者連絡協議会』なる会がある。

平成25年11月に発足、約3年半が経過した。私はそこの会長だった。

坂出市にゆかりのある商品を「さかいでブランド」として認定し,市内外に情報を発信することにより、坂出市の知名度の向上・産業の振興および地域の活性化を図ることを目的としている。

さかいでブランドとして認定を受けることができる商品は,次のいずれかに該当する商品。

1) 市内の特産品,農産物等を原材料として使用し,製造される食品または加工品
2) 市内の事業所において製造される食品または加工品 
3) 市内の事業所において製造される伝統的な製品

現在26事業者、57品目が認定されている。

柿茶も認定制度発足当初に申請し、承認された。

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ここまでは単なるさかいでブランドの説明、ここからが私のブログ。

造船所で船を造っていただけの男が、平成25年11月に開かれた連絡協議会発足総会で、何とこの協議会の初代会長に就任したのだ。

事前に会長就任の話しがあったのは当然だが、実は柿茶の当時の社長・井上 信幸氏への打診だった。

井上社長が固辞した結果、私にそのお鉢が回って来た。

商売の事を何も知らない、何も分からない私が、恐れ多くも良くそんな役を引き受けたものだ。

あれから三年半・・・、ろくな実績も出せず会長退任となった。

言い訳すると、名前が”連絡協議会”で連絡以上の事も以下の事もできなかった。

母体となる坂出市役所の産業課が入手するイベント情報の出店案内だけがこの会の役割と言えた。

肝心なブランド品の認定業務もブランド品の活用業務もブランド品の広報業務も、役割外だった。

これでは何もできない。

そんな実情を市長にも副市長にも何回かは答申した事があるが、進展はなかった。

まぁ~次は若い会長に引き継いだので、何か違う事をやってくれるだろう。

国家でも会社でも団体でも、その組織が新鮮さを保つには、TOPの任期は4年くらいが一番適当ではないだろうか?

雨上がり

カテゴリー「ほのぼの展」へは、久々の投稿です。

神戸市垂水区在住の中村文子氏の作品。1_3
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なんとも、ほのぼの! 

Photo_3ハナムグリとは中村文子さんのペンネームです。

ピアノリサイタル

昨日、西紋 和希さんのピアノリサイタルへ行って来た。

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昨年・平成28年度香川県文化芸術新人賞を取ったご縁と宇多津町出身とのご縁から、今回の地元ユープラザうたづでの演奏会となったそうな。

ピアノ1台がポツンと置いているだけの殺風景な舞台だったが、ピアノから放たれる音符の響きは広い会場に行き渡り、観客を酔わせてくれた。

ピアノソロを生で聴くのは初めてだったが、その迫力は凄かった。

鍵盤を弾くと云うより叩くという方が良いかも知れぬその両手の指は、まるで生き物のように、時には疾風の如く、時には大きな波の寄せるが如く動き、その動きが創り出す音色は素晴らしく感動的なものだった。

プロとはこんなレベルなのだと改めて認識させられた。

曲と曲との間に挟まれるトークは、今一滑舌が悪く聞き取りづらかったが、

彼の97歳になる祖母への舞台からのメッセージは大勢の観客に感動を与えた。

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こんなピアノリサイタルは何度も聴きたいものである。

セルフメディコ元気塾のご案内

■ 日 時:2017年6月14日(水) 13時受付開始  13:30~15:30

■ 場 所:かきのは(坂出市江尻町1220番地  ダイレックス前)

■ 問合せ:0877-35-7787  申込締切は6月7日必着 先着15名限定

■ 対象者:ココロとカラダの健康を本気で考えている方・これから考えてみたい方

■ 受講料:一般 1,000円・協会会員 500円

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アトピー、花粉症になる人、ならぬ人 By 豊岡 倫郎 氏 2017年5月17日

1. 増え続けるアトピー、花粉症の人達

 アトピー症700万人、花粉症2,000万人。これが今の日本の現実の姿である。特に最近は大人のアトピー症の患者が増えてきた。これらの病気になる人、ならぬ人の差はなんなのだろうか、考えてみることにする。私達の子供のころはこんな病気で悩んでいる人は、クラスには一人もいなかったのに。

2. アトピー、花粉症とはどんな病気なのだろうか

そもそも人間の体には、自然治癒力とか、免疫力とか、恒常性維持機能とかが備わっていて、怪我したり、外部から異質なものが入ってきたり、感じたりすると、治したり、排除したり、働きを修正することができる。

では先ずアレルギーとは、体に何か物が入ってきたとき、それに対して体内で起きる過敏な反応であって、その反応が体にとって、有害なものであるものをいう。そういう反応の持ち主をアレルギー体質の人と呼ぶ。アレルギー体質の人の血清にはアレルギー反応を起こさせる特別に物質があり、それを免疫グロブリン、すなわち抗体という。これにはいくつかの種類があるが、ここでは通称IgEという抗体が関係するⅠ型アレルギー性疾患について述べる。

またアレルギー性疾患を引き起こさせる物質をアレルゲン、すなわち抗原と呼ぶが、これらの物質には、花粉、ダニ、ハウスダスト、動物の毛、卵、牛乳、魚、大豆、化学物質、その他いろいろあり、人体の皮膚、呼吸器、食道などから体内に入ってゆく。

アレルギー反応発症のプロセスは次のとおりである。

 アレルギー原因物質の抗原体内侵入 → 抗原提示細胞が抗原捕獲 → 抗原提示細胞が免役反応を起こす → Th2細胞を活性化 → インターロイキン4を産生 → B細胞にIgE抗体を作らせる → アレルギー反応発症

 ただ抗原提示細胞が免役反応を起こすときに、Th2細胞を活性化だけでなく、一方ではアレルギーを抑えるTh1細胞をも活性化させるが、その働きがTh2細胞よりも弱い時に、アレルギー反応が起きるという。

3. アトピー皮膚炎発症の仕組み

一般に皮膚の弱い人がアトピーになりやすいといわれているが、皮膚表面の角質層の防御機能が低下して、皮膚に付着した微生物や皮膚の内側に入り込んだアレルゲンが、体内のマスト細胞の表面に待機しているIgEとアレルゲンが反応して、マスト細胞から炎症を引き起こす物質であるヒスタミンを放出したり、ロイコトリエンやサイトカインという物質を作り出す。その結果炎症ばかりでなく、体内のいろいろな器官や臓器に異常が発生する。

4. アトピー皮膚炎の素因

●抗原となる食べ物、ハウスダスト、ダニ、花粉などいろいろ。

●免疫力の低下

●睡眠不足

●ストレス

●不規則な生活

●偏った食事・・・肉類、野菜、タンパク質、油の多いもの、過食など。

●チョコレートや甘いお菓子、お酒、たばこなど嗜好品。

●化学製剤・・・食品添加物、医薬品、化粧品、農薬、排気ガス,煤煙、粉塵等。

●体内に活性酸素の発生

●生まれつき弱い体質

5. 一般的アレルギー治療法

●血液検査、食物負荷試験、皮膚検査などでアレルゲンを特定し、アレルゲン排除したり、避ける生活。

●抗アレルギー薬や抗ヒスタミン薬などはアレルギー症状を抑える。代表的な薬に、副腎皮質ホルモンのステロイド剤がある。しかしこの薬は副作用が強く、長期間の使用は問題が多いので要注意。

●減感作療法によって、アレルゲンとなっている物質を確認し、徐々に免役を作り出してゆく手法。

●皮膚のスキンケアの実行。清潔にしたり、保湿する。

6. 少数派療法

上述した一般的な療法は主に対処療法であって、根本的な治療法はまだ確立されていないのが実情である。その証拠に患者数は減らないし、逆にどんどん増加していることが如実にそのことを証明している。そんな中で、いくつかの有力な少数派の治療法を紹介する。

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 ●故甲田光雄博士による西式甲田療法(左端の本)の「アトピーの健康合宿に学ぶ」大阪大学医学部卒業。

  この本で紹介されている内容は、アレルギー疾患を患っている人は、腸に宿便をためていて、腸管内に異常発酵や腐敗が続き、その為に産生された有害物やガスのため、胃腸粘膜にビランや微細なキズが出来て、その結果タンパク質が最終段階まで分解されず、分子が大きな状態で腸壁から吸収されてゆく。その結果体内では異物として、アレルゲンとなって、反応を起こすという。花粉やハウスダストも鼻やのどの粘膜から鼻汁やたんと一緒に食道に入り、腸から体内に吸収されてゆき、反応を起こす。従ってもはやこれらアレルゲンとなりうる物質を防ぐことは不可能であるから、腸壁の炎症を治癒させて、侵入を防ぐ治療法である。長年多くの患者の治療法として実施してきた西式甲田療法によって、アトピーであれ、花粉症であれ、治療効果を上げた。具体的には甲田医院に、1995年と1997年の二度にわたり、子供たち、夫々20名、17名が入院して、現代医学の皮膚科の先生方も驚く成果を上げたのだった。その内容は「医事新報」や日本アレルギー学会総会でも報告された。

 ●下関市立中央病院の永田良隆著「アトピーは和食で治せ!」(写真中央の本)鹿児島大学医学部卒業。現在同病院の嘱託医。

  今まで一万人以上のアトピーの患者さんを治療してきた実績から、その治療法と効果は全国的に知れ渡っている。その治療方針は、食べ物にはアレルギー反応を起こすものと、アレルギーを抑える食べ物があるということ。卵、肉類、乳製品、油を使った揚げ物類などを止めて、伝統的な和食に戻すというもの。それで思い当たることは、アトピー患者が増えてきた年代を思い起こせば、誰でも気が付くはずである。欧米食と学校給食が盛んになった時が、其の始まりだったのであることに。

 ●土佐清水市の土佐清水病院院長の丹羽靭負(ゆきえ)著「アトピーがぐんぐん良くなる本」(写真右端の本)京都大学医学部卒業。

  知る人ぞ知る活性酸素の世界的権威で、活性酸素除去酵素(SOD)の開発者として有名。

  アトピーの主因は活性酸素である主張している。活性酸素発生の要因として、上げているのは加工食品、紫外線、放射線、医薬品、食品添加物、粉じんや排気ガス、酒、たばこ、ストレス、便秘、過労などで活性酸素が体内に過剰となった状態で、欧米食の肉食や油を使った食事によって、体内で活性酸素によって脂肪分が過酸化脂質に変わる。するとアルデヒド基が角質層の保湿機能を破壊して、乾燥肌となり、アトピー発症につながるという。もちろん他のダニ、ハウスダスト、食品アレルゲンの関与も否定していない。

.アトピー症の病状の変遷と複雑性

  ●40年前まではアトピー症といえば、乳幼児がかかる病気で、小学生になれば、自然に治ったものだ。

  ●ところが今は乳幼児から青少年、中年、高齢者にまで、年齢を問わず発症している。

  ●発症する体の部位もバラバラで、場所を選ばずという。

  ●症状も単純なものから紅斑,肥厚苔癬、落屑、結痂、皮疹炎症、糜爛、皮膚萎縮、結節性痒疹などいろいろある。

  ●よくなったり、また再発したり。高齢になって突然発症したりと、発症の誘因が複雑。

.アトピーや花粉症になる人、ならぬ人の違いとは

  前述した三冊の本やその他の資料を調べた結論として、こんな人が罹り易いと言えるだろう。

  ●過食や偏食で胃腸を酷使してきた。

  ●便秘や宿便停滞で、腸壁が糜爛している。悪玉菌で腸内環境が悪い。

  ●卵、肉、乳製品や油を使ったフライなどを摂りすぎ。

  ●生まれつき皮膚が弱い体質である。

  ●冷たいジュース、アイスクリームやビールなどの摂りすぎ。母親が妊娠中に冷たいものを摂りすぎると生まれる子供は罹病の確率が高い。

  ●生活環境面では、排気ガス、粉じん、ハウスダスト、ダニ、花粉など。および薬品、洗剤、化粧品、農薬、
 食品添加物、マーガリン、ショートニングの入ったパン、店屋物フライなど。

  ●疲労や睡眠不足、ストレス。自律神経のバランスが崩れている。副腎の働きが弱い。

  ●甘いジュース、お菓子類、コーヒー、チョコレート。

.アレルギーに強い体質を作るには前項で指摘した悪い生活態度の反対のことを行うことである。即ち

  ●腸をきれいにする。一日二食の少食にし、便通をよくする。糜爛のない腸壁にする。

  ●活性酸素の体内発生の少ない生活を心がける。過酸化脂質はいけない。

  ●高脂肪、高たんぱくの欧米食から和食へ。タンパク質の消化不良、腐敗は怖い。

  ●甘いもの、冷たいものは避ける。甘いもの、冷たいものの害は怖い。

  ●アレルゲンを排除する。

  ●規則正しい生活、疲労や睡眠不足、ストレスのない生活へ。

  ●全身運動となる健康体操をする。手軽に15分で出来る自彊術などがよい。

  ●空気のきれいな環境に住む。都会に住むの人の方が罹患率が高いのは煤煙、粉じんによる。

10.まとめ

  ●閾値(いきち)という言葉がある。これをアレルギー症に例えると、いろいろな悪い条件や基準値が体の制御の限界を超えて、オーバーフローすると、発症するということ。だから良くなったり、また悪くなったりするのもそのためである。現代は食生活も生活環境も人体の健康を害するものが溢れている、いつ誰がこれらアレルギー症を発症しても不思議ではない。  

  ●こんな時代を生き抜くには、無知であってはいけない。医者の言うことを鵜呑みにしていては、医者や薬に殺されてしまう。医者に直してもらう病気と自分で治すべき病気の区別を判断できる知識を身につけなくてはいけない。健康のことをもっと知ろうと心がける人が少ないのが現状である。これでは病人は減らない。

  ●以前私がある有名な103歳の人のことを健康講座で話をしたことがある。するとある妙齢のご婦人がこんな感想をもらした。「世の中、平等ではないですねぇ・・・」と。このご婦人の想いは、誰でもみんな長生きできたらいいのになぁ・・」という単純な気持ちだったかもしれないが。しかし私にしてみれば、長生きする人は、努力して、健康に配慮した生活をしてきたから、長生きできたのである、病気で短命に終わる人は、平気で間違った悪い生活が原因であったことを、理解してほしいものである。

   人間の体は一大化学工場に例えることができる。体に入る食べ物が悪いものであれば、作られる筋肉、血液も、血管も臓器も粗悪なものになるのは当然である。質の悪い素材がインプットされれば、アウトプットされる製品も粗悪品になることは、誰でも理解できるはずである。自然界の摂理や、生体の生理は、何人であるかを問わず、平等に体内で化学変化が起きるのである。

  ●毎日テレビでは、やれグルメだ、スイーツだと騒いでいる。全国どこの都市へ行っても、郊外には、焼き肉、ラーメン、お好み焼き、ファーストフード、ファミリーレストラン、回転ずし店などが立ち並んでいる。食品スーパーの店頭には、菓子パンや店屋物のフライが所狭しと並ぶ。果たしてこれ等の食品で長寿をまっとうできるだろうか。

  ●「内皮は外皮に通じる」という言葉がある。アトピーや花粉症は腸内の粘膜の悪化が皮膚の表面に出てきたのである。腸壁のただれを治すことがまず先決である。 

おわり

折り紙教室体験会のご案内

■ 日 時:2017年6月2日(金) 10:00~11:30

■ 場 所:坂出健康会館(坂出市江尻町1220番地  ダイレックス前)

■ 講 師:日本折り紙協会香川支部 支部長 坂本 整子 先生

■ 問合せ:0877-45-8441  info@kenkou-tudoi.jp

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健康への道しるべ 第126号 心と体の健康生活

健康への道しるべ 第126号 心と体の健康生活 平成29年4月25日発行

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104歳 希望にあふれる日々の暮らし ・・・から一部抜粋

静岡県湖西市に在住の佐原さんは、90歳の時、書道展の作品を見て「すごいなぁ~」と感動し、それをきっかけに90歳の手習いで書道を始めた。

それだけでも凄いのに、師範の資格を目指して益々「書」に打ち込み、とうとう昨年11月に103歳にして師範免許達成しました!・・・・アト略

発行:健康への道しるべ友の会 編集 増田 桂子

〒420-0962 静岡市葵区東1-14-31

Tel:054-245-8141   Fax:054-245-6142

人生が3倍楽しくなるヨーガ

日本ヨーガ道友協会 会長 倉本 英雄 先生の新著書をご紹介。

四国新聞社「健康新聞」に連載されていたものをまとめたご本。

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発行:森林舎

発売:西日本放送サービス

おかげ横丁

まずは、おかげ横丁の看板より。

伊勢は二千年の昔から神様が鎮座されるところです。

ここに住む私たちは、暮らしのすべてが神様のおかげと感謝しております。

おかげ横丁はそんな想いから誕生しました。

江戸時代のおかげ参りの頃の伊勢の様子を再現した町で、じっくりと見ていただきたいものがたくさんございます。

どうぞごゆっくりお過ごし下さい

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おかげ横丁は赤福社長であった濱田益嗣氏の指揮の下、

当時の赤福の年商に匹敵する約140億円をかけ、

前々回の式年遷宮(1993年・平成5年)の年に完成した横丁。

江戸~明治期の建築物を移築・再現した町と言う。

おかげ横丁には、至る所に招き猫がいる。

↓ まず横丁の入り口にも

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お伊勢さんと招き猫の関係は何?

良く分からないが、「お伊勢詣でて福持ち帰る」のシンボルとして招き猫を結びつけた?

だから、おかげ横丁に「吉兆招福亭」というめでたい屋号の店があり、そこには約千種類の招き猫があると言う。

そして、9月29日は「クルフク(来る福)」とシャレ読みし、招き猫の日と定め、日本中の招き猫がおかげ横丁に集い”来る福招き猫まつり”が行われる。

↓ 浪曲茶屋にも

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右手挙げの招き猫はお金とのご縁を結ぶ。

左手挙げの招き猫はお人とのご縁を結ぶ。

どちらも大事だが、

かと言って、両手を挙げるのは「お手上げ」となるとか。

第8回おかげ杯囲碁トーナメント大会

5月13日より15日まで伊勢市で開かれた第8回おかげ杯囲碁トーナメントを観戦。

その名のとおり ”おかげ横丁”で開かれる大会。

スポンサーは赤福で有名な(株)濱田総業。

2010年に創設された非公式棋戦で、女流棋士4名を含む30歳以下の精鋭プロ棋士16名(シード4名と予選通過者12名)によって争われる

優勝賞金は 300万円と若手には高額。

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↑ これよりおかげ横丁と書かれた看板の正面に「横丁棋院」の表札を掲げた碁会所がある。

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この棋院も赤福さんが提供しているに違いない。

対戦相手を決める組み合わせ抽選会が、13日(土)の前夜祭で行われた。

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来賓として、大竹英雄 九段や羽根泰正 九段も出席。

プロ棋士をテレビ囲碁番組で見る事はあるが、実物を見るのは初めて。それなりの感動!

↓ 遠く香川県から観戦に来てくれたと、我が沼田氏が挨拶の機会を得た。

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前夜祭の私のテーブルには女流棋士・謝 依旻(しぇい いみん)さんが同席。

台湾出身の女流棋士、日本棋院所属、黄孟正九段門下。

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組み合わせは↓のごとく抽選で決定。とにかく謝さんを応援しよう。

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さて、14日(日)は第1回戦。

前日降った雨も上がり、この日は良いお天気。

五十鈴川のほとりに縁台をしつらえての対戦が始まった。

対局者はそれどころじゃないかも知れぬが、観戦者には良き風景。

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↓ 藤沢里奈 三段 対 李 沂修 七段の対局

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↓ 羽根泰正九段との指導碁

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前夜祭で同じテーブルだった謝さん、一回戦勝利、おめでとう。

二回戦は午後1時から始まったが、我々香川からの観戦組は勝敗を見ることなく会場を後にした。

そこから延々7時間かけてやっと坂出まで帰宅。

さすが、疲れた~。 でも良い体験ができた。

企画してくれた沼田さんはじめ、バスの運転をしてくれた松浦さんらに感謝・感謝で~す。

伊勢神宮(内宮)

20年に一度の式年遷宮が平成25年(2013年)に行われた伊勢神宮へ行ってきた。

遷宮前には何回か参拝した事があったが、遷宮後は初めて。

5月13日から15日まで、伊勢のおかげ横丁で”第8回おかげ杯囲碁トーナメント戦”の観戦の機会を得て、行って来たもの。

あいにくの雨模様だが、土曜日の休みとあって内宮は大勢の参拝客であふれていた。

↓ 鳥居の向こう・宇治橋を渡ると宮域

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↓ 神楽殿

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説明看板より

皇大神宮(内宮)

御祭神 天照大御神

御鎮座 垂仁天皇二十六年

天照大御神は皇室の御祖神であり 歴代天皇が厚くご崇敬になられています

また私たちの総氏神でもあります

約二千年前の崇神天皇の御代に皇居をお出になり 各地をめぐられたのち この五十鈴川のほとりにお鎮まりになりました

二十年に一度神殿をお建て替えする式年遷宮は千三百年余り続けられ 平成二十五年十月二日に第六十二回式年遷宮が行われました

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神宮には内宮にも外宮にもそれぞれ東と西に同じ広さの敷地があり、

式年遷宮は20年に一度宮地(みやどころ)を改め、古例のままにご社殿やご神宝をはじめ全てを新しくして、大御神に神殿へお遷りいただく神宮最大のお祭りです。

1,300年にわたり繰り返されてきた式年遷宮は、20年に一度造り替えられる

常に瑞々しいご社殿で、永遠に変わらないお祭りが行われることに

大きな意義があります。平成25年には62回目が古式のままに行われました。

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↓ 斎館

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↓ 瀧祭神(たきまつりのかみ)

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↓ 風日祈宮(かざひのみや)

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↓ 大山祗神社・子安神社

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↓ 神宮司廳+神宮司廳造宮局

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何回も内宮へ来たけど、時間がなくて瀧祭神や風日祈神へ参拝する暇はなかった。

今回はゆっくり宮域を散策できて良かった。

↓ ご朱印 えらくシンプル

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猿田彦神社・佐瑠女神社

パンフレットより

ものごとの最初に御出現になり、万事最も善い方へお導きになる大神。

天照大御神の御孫である瓊々杵尊(ニニギノミコト)が降臨される際、高千穂の峯に導かれ、その後伊勢を本拠の地として広く国土を開拓指導されました。

また倭姫命が神宮鎮祀の場所を求めて諸国を巡礼された折、大田命がお迎えし、五十鈴の川上の地を献上し、神宮が創建されました。

建築、方位除け、災難除け、開運、事業発展、五穀豊穣、大漁満足、家内安全、交通安全、海上安全など、古くから多くの御神徳で知られています。

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↓ 境内にある佐瑠女(サルメ)神社 

パンフより神社説明

天照大御神が天岩窟に籠もられた際に、神楽をされ、大御神再び現れ、平和な世を迎えることが出来ました。

また天孫降臨に際し、ご一行待ち迎えられた猿田彦大神と最初に対面し、高千穂の峯に至る道を開かれました。

芸能、神楽、鎮魂の祖神として仰がれて来ました。

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↓ 5月5日に行われた御田植祭が行われた御神田

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クルーズ船『ロストラル』 

高松港に5月11日クルーズ船 ”ロストラル”が着桟。

■ 初就航:2011年5月、ちょうど6年前

■ 総トン数:10,944トン、4月14日に見たクルーザー船”THE WORLD”の約1/4

■ 全長:142m

■ 乗客定員:264人

■ 乗組員数:140人

■ 所属:フランス・ポナン社

■ クルーズ名:At the heart of japan・・・「日本の心へ」旅するだろうか?

大阪から高松に来た。

このアト、広島⇒別府⇒門司⇒釜山⇒境港⇒金沢⇒新潟・真野湾⇒能代・青森⇒室蘭

と、航海するらしい。

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↓ 岸壁のモニュメントから 小槌島を望む。

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船はいい! 海もいい!

人の縁とは「摩訶不思議」・・・・と、今回長男の結婚でつくづく思った。

と言うのも、

私がお邪魔している柿の葉茶を製造・販売する会社に、宇多津町でお豆腐屋さんを営む久保社長が話を持ってきた。

会社の奥さんへ、息子さんへの見合い話だ。

高校時代からの親友の柿茶家族には6人の息子がいて、その次男さんに・・・と。

お見合い相手は商売家族の嫁にピッタリだと久保社長は思っていたようだ。

事実、私も後になって、彼女の人となりを見るに、陽気で明るく人見知りしない性格は合っていると思った。

ところが次男坊はその見合い話に興味を示さなかった・・・僕には彼女がいるとかで。

そこで私が一言つぶやいた・・・

私の所にも東京に住む独身息子が二人もいるんだけどなぁ~・・・と。

それを聞いた久保さん、それは是非に・・・と話を振ってきた。

振られたものの、私は良く承知していた。

長男も次男も結婚の意思がない事を。

正月に帰省するたび、

「結婚相手さがそうか?」

「いえ、結構」 と、いつも断られていたから。

長男には過去一度、香川からわざわざ相手を東京まで行かせて見合いさせたが、うまくいかなかった。

今回のお相手は女6人姉妹の末っ子で、東京在住。同じ東京どうしで、会うのに距離的制約はなかったが・・・。

振られた話を受けたものの、息子はこの話をすぐ断るだろうと、預かった釣書は連絡もせず放置。

時間を置いて、久保さんに「あの話、息子に言ったがダメだった」と嘘をつくつもりだった。

・・・本当にごめんなさい~・・・

でもでも・・・ここからが縁の不思議さである。

このアト、久保さんから「あの話どうでした?」と電話の問合せなら、私も予定どうり嘘をついて、この縁は終わっていた。

ところが何と!、面と出くわし「前田さん、あの話・・・・」ときたもんだ。

これはヤバイと思った。

とにかく話だけでも長男にしないと、いつどこで食い違いの事実が露顕するやも知れぬ。

今は電子メールと言う早くて便利ないツールがある。

これが手紙を書いて・・・となると、また決心が鈍る。

取り急ぎ、釣書と写真をPDFで取り込みメールに添付して連絡はすんだ。

あれだけ見合い話を固辞していたので、すぐに断ってくるだろうと思いながら。

久保さんが話を持って来たのは2年前・秋頃の話、私が息子に連絡したのがその年末。

さて、息子の反応は?・・・何と思ったか・・・見合いしても良いと言う。

もうこっちがビックリポンである。

その後、早速相手の連絡先を教え、お互いメールやり取りして・・・と、橋渡しの役目は終わり。

ところが後で聞いた話、息子のメールが彼女の迷惑メールに入っていて、しばらく連絡が付かなかったらしい。

昨年正月に長男が帰省した時、あの話は?と聞いたら相手から返事がない・・・と言う。

また久保さんに連絡して、その後はうまく接触できたよう。

その後二人がどう交際したのか知らないが、挙式がその結果証明。

人の縁は摩訶不思議!

もし私が久保さんの最初の話を聞く場にいなかったら、

もし私が二度目に久保さんと顔を合わせなかったら・・・この結婚式はなかった。

縁があれば、縁は切っても切れない。

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これで私も安心してあっちへ行ける。長生きして良かった。  

↓ 新郎が描いたWelcome Board

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↑ NPO法人健康を考えるつどいが運営する坂出健康会館の絵手紙教室作品

By 井上 杏那 氏

瀬底土帝君

瀬底島にある重要文化財『瀬底土帝君』の紹介。

土帝君は中国古来の土地関係の神の一種で、一般に土地神と呼ばれる。

瀬底土帝君は沖縄各地に祀られる土帝君のうち最大の規模を保つ礼拝施設で十八世紀中頃の造営と考えられている。

↓ 奥に見えるのが土帝君

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拝殿前の庭”ミヤー”と拝殿”アサギ”、本殿”イビ”が直線上に並び、土帝君信仰に関する建造物の形態を良く保つ代表的な遺構として高く評価されている。

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↓ 拝殿、奥に本殿がある。

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スリランカ 八日目(帰国の途に)

1月17日の夜10時頃コロンボ空港着、18日午前1時30分離陸、バンコクへ。

約5時間のフライトでバンコク着。

来た時はバンコク空港で、約6時間も乗り継ぎ待ちがあったが、帰りは関空への乗り継ぎ・約1時間50分、やれやれ。

↓ タイの空港でも仏様がお見送り。ありがたい事である。

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紀元前5世紀、シンハラ人の先祖に当たる人々が北インドから移住し建国された歴史のある国だけあって、スリランカは全土がお宝の国。

日本だと風雨に晒された貴重な遺跡を博物館内に納めるだろうが、いかんせん、この国の遺跡群は大きすぎて多すぎて始末に負えないのかも知れない。

そんな遺跡巡りの今回の旅は本当に良かった。

実弟がこれを計画してくれたおかげ! 

感謝・感謝である。

スリランカへ旅しようなんて、なかなか思いつかない。 

この国にはもう一度来たいなぁ~。生きているうちに・・・・。  

スリランカ 七日目(ゴールからコロンボへ)

いよいよ旅も終わりに近づいた。

帰国の途につくべく、ゴールからコロンボへ移動。

↓ ⑧⇒①へ

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↓ 高速道路走行中。日本と同じ左走行なので違和感なし。

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車窓からの風景

↓ 国会議事堂・日本の援助で建てられたそうです。

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↓ どこへ行っても三輪車は大活躍

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↓ さすが仏教の国、どこにもお釈迦さまが見守っておられる。

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↓ 独立記念館

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↓ 独立記念館に隣接するこの銅像は、『Rt.Hon.ドンスティーブンセナナヤカ』

セイロンの独立運動を先導した初代大統領。

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↓ 記念館の周囲を護るのはライオン

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↓ この建物が日本大使館、と言われたけど全体像は分からない。

多分この白い塀の中か???

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↓ 建設ラッシュ

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↓ 都会らしくなってきた

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↓ 車の中を縫うように馬に乗った警官の姿

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七日間もお世話になったガイドのレナードさんと運転手のジャーさんに夕食のお接待。

その後空港へと向かう。

スリランカ 七日目(ゴール市内観光)

旧市街であるゴール要塞都市を後にし、新市街へと向かう。

↓ 市内はこんな感じ。バナナやパイナップル等などトロピカルフルーツでいっぱい。

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↓ 水牛のヨーグルト『カード』が山のように積まれて売っている。

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茶色の土の器の中には、白い固めの水牛のヨーグルトが入っている。

普通のヨーグルトより少し固めで酸味も弱いらしい。私は食べなかったが・・・・。

↓ 地引網で漁をしている現場に遭遇

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一体どんな魚が入っているのだろうと興味津々

↓ 観光客も見守る中、網にかかった魚が

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↓ これだ!

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↓ 網で獲った魚も船でとってきた魚も、高知の日曜市風景のごとく並べられる。

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市場をあとにして、そろそろ昼食、もちろんシーフード。

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こんな街でゆっくりしたいなぁ~。一週間くらいいたいなぁ~。



スリランカ 七日目(ゴール出発コロンボへ)

スリランカを満喫した旅も終わりに近づいた。

七日目は朝ゴール市内観光後、空港のあるコロンボへの移動。夜の便で帰国の途につく。

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ホテルを出て、ゴール市内にある世界遺産”ゴール要塞都市”へ向かう。

↓ 如何にも要塞とおぼしき石壁が見えてきた。

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ゴールはセイロン島の南西端に位置し、海に突き出した半島2

人口は10万人弱の都市で、城壁に囲まれた所が旧市街、その外が新市街。

航空写真でみるとこんなかんじ(パクリ画像です)

↓ 写真上が城壁入口で、中を海淵に右回りに案内してくれた。

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3ゴールは、中東と中国を結ぶ「海のシルクロード」の中継地点として古代から栄えた港町。

大航海時代に入るとポルトガルとオランダによって街が築かれ、今も中世ヨーロッパ調の雰囲気が色濃く残る。

列強各国の人達は自分たち以外の「外国人」侵入を防ぐため、城壁や要塞を築き、ゴールを強固な城塞都市へと育て上げた。

旧市街をぐるりと囲う城砦は、ポルトガルによって造られ、オランダによって補強された。

城砦は低いところで6m、高いところでは20m近くの高さがある頑強なもので、2004年に発生したスマトラ沖地震の津波にも耐え、住民を守ったことから『奇跡の世界遺産』とも呼ばれている。

↓ 住民を守った城砦

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↓ オランダ植民都市時代に築かれたオランダ改革派教会(1752年)

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↓ イギリス国教会に属する諸聖人教会(1871年)

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↓ 城壁内の風景

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↓ 城壁入口

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↓ ゴール要塞の灯台

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↓ オランダ植民都市時代に起源を持つ、メーラ・モスク(1904年)

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↓ こんな看板があった。 ”CRAZY JUMPERS”

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何これ? とガイドに聞いたら ↓ この岩と岩の間の海にダイビングするのだと言う。

正にクレージー。

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↓ こんな所で運動会???

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以下ウキペディアから引用

ゴール市内は大きく分けると3つの地区に分類される。

半島部に形成された要塞が残るフォート・エリア、

海岸や国道沿いに見られるムスリム商人の多い商店街エリア、

仏教寺院が多く見られる丘陵部の住宅地エリア。

このうち、世界遺産対象地域になっているのはフォート・エリアのみ。

フォート内部はオランダ植民都市にしばしば見られる格子状の街路が走るが、地形に合わせて若干の変形が見られる。

オランダ人やイギリス人が居住してきたことから、ゴール市内のキリスト教会4つのうち、3つがフォート・エリアに残っている。

オランダ植民都市時代に築かれたオランダ改革派教会(1752年)、

イギリス国教会に属する諸聖人教会(1871年)、

そしてメソジストの教会堂である。

かつてはポルトガル植民都市時代に築かれたカトリックの聖堂もあったが、17世紀にオランダによって取り壊され、その跡地には仏教寺院のウィクラマシンハ寺院(1889年)が建っている。

現在のフォート・エリア内にはムスリムが多く住む。1999年の統計ではフォート・エリアの住民2197人中、ムスリムは1009人で、シンハラ人の1159人と大差がない。

これは伝統的に住んでいるムスリム(スリランカ・ムーア)のほか、スリランカ独立後、

ヨーロッパ人やバーガー人の外部への流出によって空いた住居に移住してきた者たちが含まれている。

そのため、モスクもフォート・エリア内に4つあり、そこにはオランダ植民都市時代に起源を持つメーラ・モスク(1904年)も含まれる。

以上、キリスト教、仏教、イスラームのそれぞれの施設は残るが、ヒンドゥー教の寺院はない。

スリランカ 六日目(ゴール宿泊ホテル)

六日目の宿泊はゴールの南西海岸にあるビーチリゾートホテル「ジェットウイングライトハウスホテル」

ビーチの名のとおり、海岸ぶちにあるおしゃれなホテルだ。

↓ ずっと奥が玄関

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↓ 食堂の前に海が広がっている。

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↓ ホテル内の風景

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↑ プールも完備。

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